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 エレベーターが作動していれば楽だったものを。見捨てられた廃墟に電気が通っているはずはないので、もとから叶わない願いである。根が臆病な僕がひとっこひとりいない不気味なビルの階段をのぼっていること自体、現在の精神が尋常ではない証拠である。死を覚悟した人間は何物をも恐れない? ロマンチックな虚妄である。そもそも死を何々、なんてはっきり考えてもいない。ただ、漠然と、僕は死にに行くんだな、と思い込んでいただけである。


 自殺。そのために僕は二十階分の途方もない数の階段を律儀にも踏みしめているのである。そのために払う努力にしてはいささか度が過ぎているように感じる。そもそも、さっきから悪寒が止まらない。少なくとも自殺に臆したわけではなく、薄暗いビルの中の雰囲気に、苦手なホラー映画の場面などがちらついて不安がつのるのである。わざわざこんなところまで来なくとく、決行するのにもっと楽な場所があったはずである。それを、どうして僕は・・・・・・ 


 まあ、理由はある。唾棄すべきロマンチシズムであるが。


 このビルは有名な自殺スポットなのだ。毎年、人口の少ない町なのでせいぜい五人程度が屋上から投身自殺を遂げている。自殺者はなぜ、このビルから飛び降りるのか、そのへんの心理はさだかではない。噂では、このビルは死にたい人間を呼ぶ魔の空間なのだとか言うが、眉唾ものである。ま、こうしてまたひとり、自殺志願者が屋上を目指しているのも事実であり、意外と図にあたっているのかもしれないが、オカルトは苦手だ。それに、せっかく自分の意思で動いていると思っているのに、それをまた、外部からの操作であるなどと考えたら、悲壮な心地も台無しになる。ただ、どうせ死ぬなら、誰かが先に死んだ場所が良いと思った。そういう由緒ある場所は自殺するのに最適なのではと思った。階段をのぼりながら、道々、考えた。昔、何人の人たちが僕と同じような気持ちでここを通ったのだろう。一体、飛び降りるとき、どんな心境をいだいていたのであろう。そんな風に思いを凝らすのは、自分を葬る際のこじゃれた一手間となってくれるかもしれない。


 そうして、歩を進め、ゆっくりと急がず(もう何にも急ぐ必要はない)、一階、また一階と地上から遠ざかり、かわりばえのしない通路を奇妙な興奮のもとに行くのである。


 さて、屋上である。まず、風が強い。寒いくらいだ。地上では別にそれほど寒くない風が吹き始めているころだというのに、さすがは地上二十階の上だ。身を切るほど冷たいからっ風がビュー、ビュー吹いている。思わず体を抱きしめてしまった。えり元やら服を透過して体の熱をうばっていくので、瞬間、全身に鳥肌がたった。


 僕はどうにか足を前に出した。もう一歩、さらにもう一歩。屋上の縁まで近づいていったのである。風の洗礼はまだ序の口であった。縁に近づくにつれ、そこから見渡せる光景がしだいに広がってきた。半分もいかないうちに、もう僕は、どれほどの高みに来ているのかを本当の意味で知ることが出来た。冗談ではないほどに高かった。町も、遠くの山並みも、すべてを一望のもとにおさめられる。こんな光景は見たことがなかった。こんな光景を見られる場所に立ったこともなかった。今さらながらに僕は自分の意思のもとの自由と、それに付随する責任に思い至った。たしかに、僕はいま自由である。両親の庇護からも、自由である。つまり、それは、直截に言って、守護者の不在を意味している。鳥かごに生まれ、鳥かごで育った雛が、鳥かごから飛び出し、床の上でもがいているのだ。ああ、そして、ここには飼い主はいない!


 もうおわかりだろう。僕は怖気づいた。どうしようもないほどに臆病な自分がいた。とんでもない恐怖がぞくぞくと込み上げてきて、悪寒がひっきりなしに押し寄せるのだ。帰りたい、今すぐにも! とっととはせ帰ればあるいは取り返しのつく過ちかもしれない。こんな状態で、どうして自殺など行なえよう。舞台にたどりつく前の花道で立ち止まっているこんな具合では!


 だが・・・・・・ここでも奇妙な心理作用が発動した。今回の僕はどこまでも奇天烈だ。もしかしたら、本当に僕はいつもとは違うのかもしれない。ほら、一歩、また足を踏み出したのだから。おお、やれば出来るではないか。では、もう一歩・・・・・・・できた! すばらしい、過去に例がないくらい僕には勇気があふれている。やはり、今回の僕はかなり突飛だぞ。


 自分を励まし、なだめすかし、しかりつけ、屁理屈をこね・・・・・・そんなこんなの努力の賜物、ついに僕は屋上に縁に到達した。ただし、ここまでが限界であった。いや、僕にしては十分にやった。なにせ、足元の光景など全然見れない。怖すぎて、とてもとても見下ろせないのだ。強風が吹くたびに体が揺れて傾くと、懸命の力をふりしぼって体勢を維持する。遠くの山並みしか目にできない。それから下に目線を移せない。両足が震えてガクガクする。高熱でおこりでもおこしたみたいに全身具合がわるい。なぜ、こんなになってまで耐えているのか? 他でもない、意地である。糞意地である。ようやく手に入れた自由意志とその行使、その結果がこんなにみじめだとは! ああ、なんて情けない! 情けない、情けない! 自分で仕出かしたことすら踏ん張れないとは。


 だから、耐える。ひたすら耐える。もう自殺どころではない。死ぬ気などどこかに消し飛んでしまった。もう、悔しくてならない。逃げたいと考えた原因も、逃げようとした自分にも、腹が立ってしょうがない。そして、なにより・・・・・・怖い。


「ああ・・・・・・無理だ」


 ついに僕は音を上げて後ろに飛び退った。


 すると、予期しないことが起きた。僕はだれかに体をぶつけたのだ。


「いたっ・・・・・!」


 後ろを向く前に、それは女性の声であった。

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