7月19日 茜色と巨女
実家を後にした俺たちは吉崎家へと帰ることにした。
その道中、凛からの電話があった。今日は友達と遊ぶから夜遅くなるとのことだった。
高校生なのだから、早く帰ってこいよと思ったが口うるさいと思われたくなかったので、了承だけして電話は切った。
そして、電話を切ったところで知り合いと出会った。出会ったという表現はちょっと違うな。正確には見たという感じだ。
彼女は、他人の家の塀の上に猫を抱えたまま立っていた。
これは声を掛けるべきだろうか、それともスルーして帰るべきなのだろうか。
俺は、スルーをすることにした。
この状況では、ただのコミュ障なだけと思われるが俺は彼女とあまり喋ったことがないのだ。
彼女の名は、榊結衣。身長がデカくクールかつ変な女だ。あまり、人と喋っているところを見たことはないが、女子から告白を何度もされているらしい。
確かに、男の俺から見てもかっこいいと言わざるをえないだろう。
俺は目を合わせないように気がつかれないようになに食わぬ顔で榊の横を通り過ぎた。
「今日の夕日は綺麗だな。ところで鬼一君、知り合いを見かけたというの無視はひどいんじゃないだろうか」
バレてしまった。俺はゆっくりと振り向いた。
「いやいや、まったくもって気付かなかったよ」
冷たい視線がビシビシと当たる。
「本当に気付かなかったのかな。塀の上に女が猫を抱えて立っているという珍しい状況が目に入らなかったなんて君の目は腐っているんじゃないのか」
ごめんなさい。本当に申し訳ない。もうなんでもいいから俺を返してくれ。
「いや、ちょっと考え事をしていて、じゃあこれで」
俺は踵を返し、帰ろうとした。
「いやいやいや、帰ろうとしないでもらいたい」
ちっ、やはり今のは強引すぎたか。横にいるアキラの顔がこの状況なんかめんどいから早く帰りたいなと言わんばかりだ。
「榊さんどうしたのかな」
「わかるよ。君だって帰りたいだろう。面倒くさいだろう。こんな変な女に絡まれたとあっちゃ帰りたいのは実にわかる。わかるのだけれども、少しばかり私のお願いを聞いてはもらえないだろうか」
時間にすると一秒、俺は頭をフルに活動させ考えた。
一、無視して走って帰る。
二、誰かが来て身代わりになってくれる。
三、その願いを聞くしかない。現実は非情である。
この場合、一をしたとすると、このことが噂で広がり集団という力を持った女子に総叩きに合う可能性がある。一は無理だ。
二の場合は、可能性が低いこの通りは人通りが少ない、それに俺の知り合いは少ない。悲しいすぎるぞ義貫。
つまりは、三しかない。現実は非情である。
「それ、昨日見た漫画のパクリだな」
アキラさんいつの間に読んだんですか。
そんなことはどうでもいいとりあえず話だけでも聞くってのが男だ。
というか一番早く帰る方法はもうそれしかない。やってやるぜ。
「なんでしょう。榊さん」
「私をこの塀の上から降ろしてくれないか。降りれなくなってしまって」
「普通に飛び降りたらいいんじゃないかな」
なぜか榊さんは顔を赤らめている。
「私は、高所恐怖症なんだ。ここから降りたら足がグキってなるかもしれないじゃないか。足がグキってなったら痛いし歩けないかもしれないじゃないか。それに、ネコを潰してしまうかもしれない。だから、グキってなるのだけは嫌なんだ。だから助けてください」
えーっと、話が長いし早かったので“グキ”っていうのしか聞き取れなかったんですけど、まあ要するに怖いから助けろとそれよりも、
「なんで登ったんでしょうか」
俺が一番気になったのはそこだ。高所恐怖症なら、登らなければいいのに。
「そこに、ネコがいたら誰だってそうするでしょ。こんなに可愛い生き物がいたら触れたくなるでしょ近づきたくなるでしょ」
今、理解したこの人はどうやらバカのようだ。俺は満面の笑みで、榊さんを見てやった。
「そうだね。誰だってそうするよね。俺だってそうするさ。じゃあ、助けますんで一旦塀に座ってもらえますか」
「無理だ。怖くてこの状態から動けない」
いや自信満々に言われまして、その状況からどうやって助けろと。
「じゃあどうしたらいいのかな」
「それは君が考えてくれ」
考えろと言われてもどうすればいい。アキラ何かいい方法はないか。
「なんで私に聞くんだ。私は今誰よりも帰りたいと思っているんだぞ」
確かにそりゃそうだ。お前には全く関係ないものな。
「そうだろ、私には全く関係ない。だから、もう帰っていいか」
いや、ダメだ。俺を助けろ。
「もう、義貫君はしょうがないな~。塀に登って何とかしたらいいんじゃないか」
なるほど。確かにその通りだ。しかし、ここで問題だ。俺の身長ではこの塀を登るのは難しい。ということは、この案は却下だ。となると残る方法はこれしかない。
「榊さん、俺に向かって飛び降りてくれ。絶対受け止めて見せる」
「本当に受け止めてくれるのか」
「ああ、絶対だ。絶対受け止めてみせる。怖いだろうが飛んでくれ」
「わかった。行くぞ鬼一君」
榊さんが宙に浮いた。それを俺は受け止めた。
「榊さん大丈夫か」
「ああ、私も猫も大丈夫だ。ありがとう、鬼一君」
そして、俺たちは熱い握手を交わした。
「それにしても、私は君に助けられてばかりだな」
「何のことだ」
「去年の秋のことだよ」
「ああ、でもあれを解決したのは、『学園F・N・F怪明部』だろ。俺は関係ない」
「いやあの事件は君もその一員みたいなものだろう」
「いや、ヘルプみたいなもんだ」
去年の秋、学校で奇妙な事件が起こった。所謂チェーンメールのようなものだ。それにより、呪いのような奇妙な事件が続いたのだ。それを解決したのが『学園F・N・F怪明部』という奴らだった。
元々、学園F・N・F解明部という奉仕活動がメインの部活らしいのだが、今の部長に変わってから怪明部というオカルト系の悩み相談と解決を目的とした部活動に変わったらしい。
その事件はうちの学校だけではなく地域全体を巻き込んだ事件だったのだが、奴らのおかげで解決できたのだ。榊さんはその事件の被害者でもある。
「でも、君の噂は聞いているよ。なんでも、あの鬼一神社の跡取りなんだろ。どうりで幽霊などのことに詳しいわけだ」
「いや、別に詳しくはないんだが」
「そう謙虚に出ないでくれ、私の命の恩人なんだ今回も助けてもらったしな」
別に謙虚に出たのではなく、そういうことを人に知られるのが嫌なだけなんだが。
「そういえば、私が噂で聞いた話なんだが、最近この町でまた奇妙な事件が起きているらしい」
「どんな」
「なんでも肝試しに行った人たちが行方不明になっているんだとか」
「肝試し? どこで」
「いやそこまでは詳しく知らないのだが、ここ最近はその噂が出てから妙に町の様子がおかしく感じる」
「町の様子がおかしい? 別に俺は感じないが」
「いや、おかしいんだ。今日助けた猫だって、普通はここにはいない猫なんだ」
「それのどこがおかしいんだ」
「この猫は少し遠くの公園を縄張りにしているボス猫なんだ。それが、縄張りを離れているなんておかしい。それにこの猫を見つけた時は濡れてもいないのに震えていたんだ。これはおかしいことじゃないか」
「たしかに」
この町の歯車が狂いだしたということなのか。俺の運命と何か関係があるのかもしれない。
「その猫はどこにいつもいるんだ」
「角山公園にいつもいるんだが」
「たしかに遠いな」
角山公園はここから1キロ以上離れた場所にある公園なのだ。
「義貫、もしかしたら穢れの仕業かもしれない。一度見に行った方がいいんじゃないか」
ああ、そうだな。俺は、俺の普遍的な日常を壊す奴が嫌いだ。様子を見に行く必要があるな。
「ありがとう、榊さん。今度様子を見に行ってみるよ。何かわかるかもしれない」
「ああ、頼んだ。やはり君は頼りになる男だな」
日が暮れ、茜空から藍色の空へと変わりかけ、俺は榊さんと別れた。
家に帰って飯でも食うかな。