8月1日 中村と八咫烏
そこに知り合いがいた。
街のど真ん中で、紙の地図を広げながら、首を傾げている男がいた。
声を掛けるかどうかを迷っていたのだが、最悪なことに、向こうがこちらに気づいてしまった。
「いやあ、こんなところで君に会うとは。非常に喜ばしいよ」
ガッツリ目が合っていたが、俺は無視をすることにした。というか、なんで地元で地図広げているのかが謎過ぎて、関わったらまずいと思った。
俺は、くるりと一周して早歩きで立ち去ろうとしたのだが。
「おいおい、鬼一君。親友を無視するとは、酷いなぁ」
誰が、親友だ。マジでやめてほしいのだが。俺は、お前と親友ではないし、友達でもない。知り合いだ。顔見知りだ。
「いやいや。なんで、黙っているのさ。なんで、知らない人に声をかけられたみたいな顔をしているのさ。中村だよ。中村隆司だよ」
「……?」
「ん? いや、なぜ首を傾げるんだよ。傾げたいのはこっちなんだけど」
「『ちゅうそん』さんなんて、名前は知らないけど」
「文字を読まないでよ。ナカムラだよ」
「な……か……」
「むらだよ。なぜ、片言になるんだ。君はそんなに僕のことが嫌いなのか」
「いやいや、知らない人を嫌いになるとか、そんなことはできないわけで」
「今知らない人って言った? 知らない人って言った? 心外過ぎるんだけれども、同じクラスの席が隣の中村を知らない人だと言ったのか? そして、一週間前くらいにメールでやり取りした中村を忘れたのかい?」
ああ、したさ。今もまだ、俺のメールの受信履歴の先頭は、お前だよ。というか、メールする相手、お前くらいだよ。
そして、なぜ偶然にもお前と出会わないといけないんだよ。俺は、会いたくないんだよ。お前といると、厄介なことに首を突っ込まないといけなくなるんだよ。こっちは、こっちで、いろいろやっているだ。それなのに、なんでお前の事まで相手してなきゃいけないんだよ。
大概、お前と俺があったら、魑魅魍魎の類が関わってるんだよ。確実なんだよ。というか、お前が迷っているということはだ。穢れと出逢うことの無いお前が、今まさに迷っているということは、お前がそういう場所に行こうとしているということなのだ。
なあ、そうなんだろ。お前は、俺をそういうことに巻き込みたいだけなんだろう。
だが、残念だ。本当に申し訳ない。こちらも相当忙しいのだ。次の穢れ神を探すために俺はこうして街を徘徊しているのだ。だから、俺は、お前を助けることはできない。本当に申し訳ないと思っているよ。
心の底から、そう思っているんだ。だから、恨まないでくれ。
「それじゃ」
「おいおい、なぜ帰りたがるんだい」
「ほら、時計を見ろ。もう三時だろ。だから、おやつを食べに家に帰るんだ」
ああ、嘘だよ。高校生になって、三時のおやつなんてある訳無いだろ。
「じゃあ、今からそこの喫茶店でなにか食べるかい? おごるよ」
……。
という訳で、逃げることもできず、俺は中村とカフェでケーキを食べることになったのだ。
「鬼一君、何にするかい?」
「ああ、えーっと。紅茶とチーズケーキで」
「了解だ。あっすいません。注文お願いします」
中村は、店員を呼ぶと、ケーキセットを二つ頼んだ。中村はコーヒーとモンブランを頼んでいた。
「で、お前はあんなところで地図なんて広げて何やっていたんだよ?」
「ああ、フィールドワークというやつだよ」
「違うわ。なんで、地図広げて迷っていたんだよってことだったけれど、もういいや。質問を変える。今回は、どんな依頼なんだ」
「やっぱり君は頭がいいな。たったあれだけで、僕がなにかの依頼が合ってあそこにいるということが分かり、更には迷っていることまで当てるとは」
「そんなことはどうでもいいんだ。さっさと言えよ」
俺がそう言うと、中村は、肩掛けカバンから一枚の紙を俺に差し出した。
そこには、一羽の三本足の黒い鳥……、違うな黒い烏か。それが、水墨画で書かれていた。その絵は、直接紙に書かれているわけではなく、どうやら、どこかのネットサイトから印刷したものらしい。きちんと、紙の一番下にアドレスも書いているし。
まあ、とにかく俺にはそれが八咫烏にしか見えないわけで。それ以上は何もわからない。
この絵を誰が書いたのとかもわからないし、八咫烏の知っていることなんて日本神話に出てきたなぁ、ということしかわからない。
「で、この八咫烏がどうしたって言うんだよ」
と、俺が水墨画を中村に返そうとした時に、ちょうど店員がやってきて頼んだケーキセットを二つ置いて去っていった。
なんと間が悪いことだろうか。一瞬時間が止まったような気がした。
そこには、気まずい感じがあった。
中村は、俺の手から水墨画を受け取り、カバンに入れると―――ゴホンっと咳をして、話をし始めた。
「ああ、それは八咫烏だ」
話し始めたというどころじゃなかった。それで終わった。
「いやだから、それがどうしたっていうだ」
「あっ、すまない。そうだな、理由を話さなければな。少しばかり長くなるかもしれないが、聞いてもらいたい」
「ああ。どうでもいいから、さっさと話してくれ」
「昨日、『八咫烏に会った』という題名のメールが届いたんだよ。その内容が、少しばかり不思議なものでね」
そう言って、中村はスマホを操作して、そのメールの内容を俺に送ってきた。
以下、メール文をそのまま載せることにしよう。
題名:【八咫烏に会った】
それは、7月31日M市Y町夕方五時頃のことでした。
一羽のカラスが石垣の上に立っていました。
不思議なことに、そのカラスは三本足で一つ目でした。
私は、怖いとも思わず、そのカラスをジッと見つめていました。
するとカラスは、なんと口を開いて私にこう言いました。
「悪い」
カラスが発した次の瞬間私は一人ぼっちになってしまいました。
本当に誰もいない場所です。
どうか、助けてください。
「なにこれ。ちょっと電波過ぎて関わりたくないんだけれど」
「君の言っていることはわからんでもない。僕も、ただの恐怖メールだと思っていたよ。これに、グロ画像が添付されていてもおかしくないくらいだ」
「そりゃ、ただ単の嫌がらせメールだな」
「まあ、一応写真は添付されていたんだけどね」
「そりゃなんだよ」
中村は、また自分のカバンから一枚の紙を渡してきた。
そこには、電柱が写っていた。
「なんだよこれ。ただの電柱じゃないか」
「いやいや、重要なのは電柱じゃない。その電柱に貼り付けてあるものが重要なんだよ」
中村からの忠告に従い、電柱に貼り付けてあるものを見る。なんかの店の広告だ。
「この広告がなにか」
「いや、そこじゃない。その下だよ」
広告の下には、緑の背景に白字で文字と数字が書かれていた。
なるほどね、だから、地図を見ていたのかと納得できた。
この文字と数字は、住所を表しているのだ。つまり、中村はその場所に行こうと地図を広げていたということだ。
「で、あそこにいたというわけか。だとしたら、おかしいな。なんであの場所にいたのかがさっぱりわからない」
まあ、実のところわかりやす過ぎるのだけれど。
「いやあ。全くもって恥ずかしい限りで、なぜか、その場所に着くことができなくて、少しばかり迷子になっていた所で君と出会ったというわけだよ」
「で、お前はそいつを探すことにしているということか。嘘だと、思わなかったのか?」
「最初は、嘘だと思っていたけれど、この画像を見ておかしいなと感じたんだよ」
「というのは?」
「どこを。というのはまあわからないんだけれど、違和感を感じたのと拒否感を感じたからかな」
「そういうことかい」
お前の言う、違和感だとか拒否感だとかは、感覚的なものだけれど、正しいのだろうな。きっと、このよくわからない物には穢れが関わっている。だからこそ、お前が迷っていたのだし。
「はぁ―――めんどくせぇー!」
そんな、どこぞのトラブルシューター、みたいに悪態をつきながら、俺は中村を見た。
それで、理解したのだろう。中村は笑いながらこう言った。
「やはり、君は僕の親友だよ。鬼一君」