7月19日 ジジイと孫
「義兄起きて。朝ですよ」
ベッドが揺らされる。俺は起きたくないのだ。だって、夏休みじゃないか。だったら寝てもいいのではないだろうか。
それに、予定もないのだ。部活もしていなければ、勉強もする気がないというのに、朝起きる必要があるだろうか。
早起きは三文の得と誰かが言ったが、三文は現在の価値にして100円くらいじゃないか……。ちょっと待てよ。一年に換算すると3万6500円じゃないか。しかし、実際に手元に3万6500円手に入る訳ではないしな。例えば、一日に100円の価値がある何かが手に入るとかだろうか。だが、100円ではな。
「うるさい奴だな。そんなどうでもいいこと考えていないでさっさと起きろ」
ドスンと重い蹴りが背中に響いた。そのせいで俺はベッドから落ちることになってしまった。
―――ドーン
痛みによって起こされた俺の目が開けた先には、スカートの中の花園が広がっていた。
これは100円以上の価値が有るではないか。グッジョブ早起き。
「キャー。義兄何見ての」
顔を赤らめているセーラー服姿の可愛い従妹の吉崎凛がそこにはいた。
「夢と希望かな」
「何言ってんの。早く下に降りて朝ごんはん食べなよ」
凛はそう言うと俺の部屋を出て行った。ああ、俺の唯一のオアシスが去っていく。
「君は本当にスカートの中が好きだな」
ああ。そうとも男はみんなそうだ。可愛い子ならなお良しだ。その点で言えばアキラも合格点であろう。
「それはどうもありがとさんでした。それより、ごはんは食べないのか」
食べますとも。ああ食べますとも。美味しいごはんを食べに行きますとも。
俺はパジャマからまともな格好に着替えてリビングへと向かった。
そこで、朝食を食べる。こんな普通なことが幸せだと思える日があったんだと俺は悟った。
「妄想もそこらへんにしてさっさと行かんか」
アキラの蹴りが俺の顔面を直撃した。
「普通に痛いのでやめて下さりませんかね」
「じゃあ、起きて飯を食いなさい」
「了解っす」
着替えるのもめんどくさいのでそのまま朝食を食べた。
そして、凛を見送った現在、リビングで興味のないスポーツ中継を見ていた。
「さて今日は何をしますかね」
ソファーに仰向けになりながら考えてみる。
「じゃあ、穢れでも探しに行けばいいだろ」
そうだったな。面倒くさいことをしなければならないんだった。
じゃあ、昨日思いついたことでも実践しますかね。
「思いついたこと?」
ああ、俺は今から実家に参る。
「穢れは探しに行かないのか?」
それを探すための準備だよ。RPGで言うところのお城に行くみたいな。序盤の作業だよ。
「なるほど。じゃあ行こう」
それから俺は準備をして実家へと向かった。俺の実家は神社の後ろにある。まあ、その神社は実家の一部と言えるだろう。何しろ、鬼一神社というのは俺のジジイがそこの神主だ。そう考えると胃が痛い。
とりあえず、さっさと行ってさっさと帰ろう。
そこは、デカイお屋敷で、門も馬鹿でかい。きっと何も知らない人が見たら、ヤクザのお屋敷と思うような造りだ。さらにそう思わせるかのように、黒塗りベンツが門の前に止まっているときた。誰がどう見てもその筋だろ。
足が重い。ダラダラと歩きながら門に近づいていると、
「鬼助様どうしてここに」
俺をその名で呼ぶな、実家に帰ってきたことが嫌でも身にしみる。
一旦大きく息を吸って落ち着こう。
―――フゥー
「宗徹様に会いに来た。中に入らせてもらうぞ」
「ハッどうぞ」
門番が俺に頭を下げながら門を開ける。そこには、庭というにはあまりにも美しい庭園があった。
俺はそんなことは気にもとめず、奥へと進んでいく。
「でかい家だな。どんだけ神社で稼いでいるんだ?」
いや、神社だけで稼いでいるわけではない。鬼一家の人間はオカルト系の仕事をしているモノが多く、それでかなりの金を稼いでいるのだ。一つの仕事の料金が馬鹿でかい。そんなものに金を払うやつがいるのかと思うだろうが、払う馬鹿もいるのだ。そして、その馬鹿から強引な取り立ても行う。やってることはヤクザと変わらん。
「ふーん。じゃあ、ここは悪の巣窟みたいなところだな」
そのとおりかもしれんな。
奥へと進むにつれて、ここに仕えるものが俺にお辞儀をして、「鬼助様、鬼助様」、と
騒ぎたてる。
「君は有名人だな」
あまりしゃべるな。ここはお前が見えるものも多い。
「いや、大丈夫だ。私をはっきりと見えるモノや声が聞こえるモノはそう多くない」
そうか、でもあまり動くなよ。
「あいあいさー」
さて、会いたくない人間がいる部屋はもうすぐだ。その時肩を叩かれた。振り返りそこにいたのは親父だった。
「久しぶりだな。元気にしていたか」
高そうなスーツにオールバックでサングラスをかけた親父だ。何度見てもビビる。
「まあ、それなりに」
「そうか。今日は何の用で来たんだ」
「じいちゃんにちょっと聞きたいことがあってね」
「そうか。まあ、がんばれや。あとこれで好きなもんでもかいな」
親父はパンパンの茶封筒を渡してきた。お小遣いの額じゃないだろう。
「ああ、ありがとう」
俺はひきつった顔をしながら、傍から見たら親子とは思えない会話を終えた。
「やばい顔の親父さんだな。ずっと心の声が聞こえていたが君のビビリようが面白かったぞ」
やめてくれ、今も体が震えているんだから。そんなことより、本当にお前は俺にしか認識できないようだな。
「な、言ったっしょ」
親父は凄腕の霊能者なんだが、神の使いまでは見えないということか。さてそろそろジジイに会いにいくか。
俺は扉をノックする。
「宗徹様、鬼助です。入ってもよろしいですか」
「入れ」
扉の向こうから低く、威圧的な返事が聞こえた。
俺は扉を開ける。薄暗くお香の臭いがする部屋の中央にぼんやりとした光に映し出されたジジイが俺たちに背を向けて座っていた。
「よく来たな。それで、お前の横にいる女の子は何者かね」
おい、俺にしか見えないはずじゃ。
「いや、見えないというより、このおじいさん見てすらいないじゃん。そんなのわからないよ」
ジジイがゆっくりとこちらを振り向く。
「あれ、いないのう。いやでも感じるぞ。そこに何かがいるのを感じる。鬼助何を連れて来た」
鋭い目つきで俺を見ていた。
「その時が来たんです」
「そうか、通りでわしには見えんはずじゃ。神かもしくは神の使いと言ったところか」
「そんな感じです」
「それでわしに助言をもらいに来たと」
「ええまあ」
俺がそう言うとジジイは部屋の奥にある厳重な箱から何かを取り出して持ってきた。
「それはなんですか?」
「これか? これは破魔矢とお神酒と式神じゃ。これがきっと役に立つじゃろう」
「ありがとうございます」
俺はそれらに手を伸ばすと、
「誰が無料でやると言った」
「えっ」
「わしはただこれがお前のすることに役に立つと言っただけで、やるとは言ってないぞ」
だから嫌なんだよ。神に仕える身でありながら、なぜ性格が最悪なのか。出したんだったら何も言わずにくれればいいだろうがよ。
「全くその通りだな。このじいさんは面倒くさいな」
「で、どうしたらそれを頂けるのでしょうか?」
「お前はパソコンのゲームやったことあるか」
はっ、意味がわからないんだが。
「まあ、少しは……」
「ちょっと来い」
そう言って部屋の中央にあるぼんやりと光る物の前に座らされた。ぼんやりと光る物の正体はモニターだった。そこに映し出されていたモノはギャルゲーの選択画面だった。
「ちょっとこの女の子を攻略してもらえんかの」
えっとこの人は神職の方ですよね。神職の人がギャルゲーしてもいいのですか。なんか、煩悩だらけじゃないですか。確かに、ここの神道に背いている訳ではないのかもしれないが、なんかおかしい気がする。
「君のじいさんは頭大丈夫なのか。仕事もせずにゲームしてるとか、ニートやないかい。これ若いとかそういうのとは違うと思うんだが」
その通りだな。全くその通りだよ。
そして、俺はその女の子を攻略するためだけに夕方の五時まで実家にいることになったのだ。
その間は酷かった。ジジイからの早く次に進めだとか、進むのが早いだとか、まあ注文が多いこと多いこと。それに、最後の女の子を落とすところなんて、ジジイと一緒に女の子と主人公のキスシーンを一緒に見ないといけないとか。俺の気持ちはどうしたらいいんだ。ちょっと感動したとこもあったけど、横にいるのはジジイだぞ。横を見たら感動なんて台無しだよ。
そして、女の子を攻略した後に破魔矢とお神酒と式神をもらうことができた。
そこもまあ、面倒くさいこと面倒くさいこと。
ジジイが泣きながら、
「ええ話じゃなったな。じゃあこれ持って頑張れよ」
これだけでした。
で俺はそれらを持ってジジイの部屋を出ましたよ。
その間、アキラは入口の前で爆睡してました。
そりゃそうだよ。昼前に来て終わったのが夕方。すること無さ過ぎるじゃないか。やってることもギャルゲーだし。まあそんなことは置いといて。
その後、俺が向かったのはこの家にある書物庫だ。
書物庫に向かった理由は、俺がすることのヒントを得るためだ。
書物庫の鍵を取ってきて開け、目当ての物を探す。ここには膨大な数の書物が保管されおり、国宝級の物も保管されている。一般人には一生立ち入ることのできない場所だ。
俺の目当ての物は『鬼助』と書かれた書物だ。鬼助というのはこの鬼一家の中で代々引き継がれている名跡なのだ。鬼助の名を引き継いだ人間には使命があり、それは何百年も前から続いていることだ。
そして、その使命を記したものがこの書物庫にはあると踏んでいる。
しかし、どこにも見当たらない。馬鹿でかい書物庫だから、見落としたのかもしれない。
「どこにも、ないじゃないか。どうなってるんだ」
それは俺が知りたい。でも、その書物は噂程度でしか聞いていなかったから、もしかすると実在しないのか。
「なんだよ。無駄骨か~」
―――バサッ
後頭部に痛みが走った。
「イタッ」
その痛みの原因は床に落ちていた。それは、“鬼助伝”と書かれた本だった。
「探していたのはこれじゃろ」
その声がする方を振り向いてみると、ギャルピースをしながら舌を出したジジイがそこにいた。
「……」
少しばかり沈黙が続いた。
「孫よ、ツッコめよ」
俺は苦笑いをし、無言でその本をカバンにしまい書物庫の鍵をジジイの手にかけダッシュで逃げた。
外に出るとすでに空が赤く染まっていた。