オーガとオーガバスターズ2
「あれ、お兄様何しているのですか?」
そうこいつがその妹、対儺である。
星型のマークのある黒と白の靴、長さと色の違う靴下、緑色のホットパンツ、半袖の白のワイシャツの上に、水色のVネックのTシャツを着た、銀髪でボブカットの少女。
一目見て、サブカルガールとわかるそいつこそが、俺の妹である。
この口調とカッコがあっていない妹。どちらかというと、こんな格好よりも、ゴスロリの方が似合いそうなものだ。それで、くまのぬいぐるみでも持っていたら映えると思うのだ。
「ただのゴミ掃除だよ。対儺」
桃侍の顔は、さっきまでの悪魔の様な顔ではなく、優しいお兄さんといった顔だった。
「それで、そちらのお兄さんは、お兄様の友達でしょうか?」
実の妹が、俺の顔を差しながら、初めて会うかのように、平然と、当然のように、誰といった顔をしているのだ。
しかし、それは本当のことかもしれない。本当に忘れているのかもしれない。なんせ、彼女と会った回数は、過ごした回数は、この十本の指で数えられる程しかないのだから。
この異常な家庭では、そうなってしまうのも仕方のないことかもしれない。
「対儺、この人は君のお兄さんだよ。忘れてしまったのかい?」
桃侍は、優しい口調で、丁寧に妹に語りかける。その喋り方が俺の胸に薄暗いモヤをかけた。
奴が、俺に向ける目は、妹に向けるそれとは違うのだ。それを残念だと思うのは、兄弟だからなのかもしれない。
対儺は、そんな桃侍の言葉に首を傾ける。まるで。
「私の兄妹は、お兄様だけですよ」
と言わんばかりの顔だ。
「そんなことは、どうでもいい。俺のことを忘れていようが、忘れてまいが、どうでもいいんだ。それよりも、桃侍その足を上げろ。でなければ、お前の言う上の者が下の者に、とかいう罰を、俺がお前にするぞ」
「それは、違いますね。兄さんと僕は対等だ。家族なのだから、対等だ。だから、あなたから受けるのは罰ではない。ただの暴力だ。しかし、僕はそんな暴力には屈しない。なぜなら、あなたより僕の方が強いからだ」
桃侍はそう言いながら、門番を踏みつけて俺に近づいてくる。そして、至近距離で、目の前に奴の目がある程の近さで、睨みつけてきた。
後退りはしない。それをしてしまっては、何か負けた気分になるからだ。これは、意地や信念と言った戦いなのだ。
「俺はお前が嫌いだ。お前もそうだろ」
「いや、違うな。僕は兄さんのことを愛しているよ。殺したいほどに、刺したいほどに、憎いほどに、拒絶したいほどに、穢れを見るようにね」
「それは、もう嫌っているだろう。何が、愛しているだ。気持ち悪い。いいか、俺はお前を殴る。これは、暴力じゃあねぇ。体罰だ。俺は、諭してもわからない奴は、無視するか、殴るかの、どちらかしかしらねぇ。そしてこれは、無視することができないことだ。だから、お前を殴る」
俺は拳を握り、桃侍の胸に突きつけた。しかし、桃侍はまったく意に介さず、笑っている。
「今更、兄貴面ですか。笑みが止まりませんよ。やれるものならやってみやがれ!」
これは、兄弟喧嘩などという微笑ましい光景ではない。だって、この喧嘩はどちらかが死ぬまで終わることは無いものなのだ。憎み合っている者同士が争えば、最後に残るのはどちらかの死体だけなのだから。
しかし、殺し合いが始まることはなかった。それは、始まる前に終わってしまったからだ。
この件に全くと言っていいほど関係がない者が、そいつが終わらせたからだ。
それは、俺が桃侍を殴ろうとした時に起こった。
一瞬だ。たった一瞬の出来事だった。拳が桃侍の顔面を突く瞬間に、俺の体が宙に浮かんだ。そして、すぐに地面へと叩きつけられ、血を吐いた。
目を見開いて、俺をそうした奴を見た。
それは、対儺だった。
対儺は円の中に五芒星がある、金色のアクセサリを掌につけてこちらに突き出している。これは、天清鬼神と同じ対穢れ用の武器だ。
と、冷静に判断しているが、実際には冷静でいられるはずもなく。
体は縄で縛られているようで、身動きが取れず、息も苦しい。
「穢れがお兄様に触るな。近寄るな。死ね」
対儺がそう言うと、体の見えない縄はより一層強く絞められた。
マジでこれはやばいのではないか。消滅しちまうよッ。
「ねえ、兄さん。自分自身の穢れ度がアップしているのに気がつかなかったの? それとも、僕達の強さを忘れてしまったのかな?」
俺の耳元で桃侍がそう囁いた。
「お前たちの強さは十分にわかっているよ。穢れ退治のスペシャリスト、天才と言われた俺よりも天才と言われるお前たちの強さは知っている」
というのを声に出そうとしたが、息もできないので、しゃべることができなかった。
「何を言っているか、わからないや。でも、やっと本当の鬼を退治できそうだ」
桃侍はそう言いながら、俺の胸を足で踏みつけた。
「―――ッ!?」
そう例えるならば、鎖で雁字搦めにされているところに、ヘビー級のプロボクサーの渾身の右ストレートが決まった様な感じ。
一般人であったなら死んでいる。
「なあ、兄さん喜んでよ。僕たち、オーガバスターズが本当にオーガを倒せるんだ」
オーガバスターズ。桃侍と対儺の通称である。
オーガ、つまり鬼だ。
そう彼らは、鬼専門の陰陽師と言おうか。鬼専門の消しゴム。おっと、間違えた。イレイザーと言おうか、掃除屋と言おうか。そう言う奴だ。
元々、『鬼』は『隠』が転じたものだ。
『隠』とは、見えない物。とどのつまり、妖しの総称とも言える。まあ、鬼専門と言っても、そういう意味では全穢れが対象なのだ。だから、至って普通の穢れ専門の陰陽師、ゴーストバスターということになるのだ。
至って普通というのは、至って普通の出来事ではない、世界の話ではあるのだけども。
さて、話を戻そう。
戻したくないけども、戻そう。
えっと、つまりだ。俺のこの状況は、中途半端でまだまだ完結まで程遠いところであるのに、主人公が死んで終わるという、けったいな物語になる、という最悪のエンドを迎えようとしているのだ。
ここら辺で、章を変えて、日付を変えて、八月の話に突然切り替えるという方法でもいいのではないかと思ってしまう。
もしくは、いつぞやのように夢というので終わりにしたい。
しかしながら、あのカジノの店長のように「現実です」と言われるのだろう。
実の兄を、嬉々として殺そうとしている、弟。
そんな、異常な出来事に目を背けたくなっていたが、そろそろ本気でやらないと、命が危ない。
まあ、正直に言うとずっと本気で、この絶望的な状況からは逃れようとしていたのだが、体が微動だにしないのである。
では、この義貫君はどうやってこの絶望から逃れたのか。
答えは、簡単だ。
それは、人に頼るということだ。
ああ、それしかない。それしか方法が思いつかない。
じゃあ誰に?
決まっているであろう。マジで、死にかけている俺を見ながら、大爆笑しているあの神様ズに決まっているだろ。
しかし、本当に助けてもらえるか、怪しくなってくる。だって、人が血反吐出している横で、指差しながら笑っている二人だぜ。
人に幸福をもたらす神が、人の不幸を笑っていいのかよ。
「さて、兄さん。もう神様へのお祈りは済んだかな?」
まったくもって済んでねえよ。あそこの馬鹿二人に祈る気が少し失ってきているところだよ。
「どうやら、もう虫の息のようだし、止めを刺すかな」
桃侍は、懐から短刀を取り出し、鞘から抜いた。
絶望から、絶体絶命となった。マジでやばい。
「愛してるよ。兄さん」
ヤンデレではなく、病みしかない弟が振りかざした短刀が俺の胸に突き刺さる瞬間だった。
大量の猫が、桃侍と対儺に襲いかかったのだ。
「―――なんだこいつら」
「痛いよっ!」
容赦なく、鋭い爪で二人を引っ掻く。そのおかげもあって、対儺の発した呪縛かなんとか逃げることが出来た。
「ゲホッゲホッ。ちょっと遅いぜテトさん。本当に死ぬかと思った」
「いや、やっぱり。ギリギリの演出というのが、一番面白いじゃろ」
「いやいや、全く面白くないぞ。面白がっているのお前らだけだろ」
「てへ☆」
テトに殺意が沸いたが、それはグッと堪えてというか、その殺意の方向をあのオーガバスターズへと変えた。
「テト式札貸してくれ」
「何枚じゃ?」
「三枚」
「ほれっ」
テトから、三枚の式札を受け取り、気を注入した。
さて、お仕置きの時間だ。
「地獄をたっぷり味わうがいい」
ということで、二人にお仕置きという名の拷問を俺はしたのだが、あまりにも酷いので、割愛しておこう。
さて、まだまだ、仕置きが足りない奴がこの中にいるのだ。
先を急ごう。
門をくぐった時、後ろから、縄で縛られ宙に吊るされた二人の悲鳴が聞こえたが、気にすることはないだろう。
何千匹という虫が二人の体を這っていることなど、俺は知る由もない。