7月29日 彼女と猫
俺たちは、炎天下の中を歩き続けていた。いくら歩いても、猫に追いつかない。
「おいテト、いつになったら着くんだ」
体力の限界で、俺はイラつき始めていた。
「おかしいんじゃ」
「何がだ」
「猫がわしらから一定の間隔を保って、歩いているような感じなんじゃ」
それを聞いて、俺はあることに気がついた。今まで歩いた場所は、ずっと同じ地区内の道だ。さっきまでは、この暑さにやられて同じ道を歩いていたと思っていたが、本当に同じ道を歩いていたのか。
そこで、カバンに以前作成した地図を入れてあったことを思い出し、急いで広げた。
ドンピシャだ。この場所はちょうど円の真ん中に来ている。っていうことはこんな街の中に穢れ神がいるというのか。今までの穢れ神は、二つとも、名の着いた場所だった。だとすれば、ここら辺で名の着いた場所を探せば、そいつはいるのではないだろうか。
天才的なことを思いついたと思いすぐに実行に移した。しかし、地図を調べてもここら辺に、目立つような物もなかった。
愕然とし、地面に膝を着いたが、熱せられたアスファルトに耐えきれず、変な動きですぐに立ち上がった。
「一人で何をしとるのじゃ」
「なんでもない。気にせんでくれ」
手に持っていた地図をポケットに入れようとした時、式札も地図と一緒に出ていたことに気がついた。
あれ。これ使えばいけるんじゃね。いや、これじゃだめだ。
「テト。今、式札持ってるか」
「うん? 持ってるぞ。何に使うんじゃ」
「サーチに使う」
「なるほどな」
テトから、式札を貰い受けると、気を式札に注入した。手から式札を離すと、それはすぐに、角の生えた猫へと変化を遂げた。
目を瞑り、猫に集中する。色のない白と黒で表現された世界が広がる。
どこかに、手がかりはないかと探し始めた時だった。
「鬼一君じゃないか」
後ろから声をかけられ、集中力が途切れた。後ろを振り返って見ると、そこにいたのは猫を抱いた榊さんがいた。
「ああ、榊さんか。最近よく合うね」
「私の家が、この近くだからね」
「そうなんだ」
なんて、どうでもいい日常会話しているなか、テトが俺のシャツを引張ってきた。
「あの猫、わしの猫なんじゃが」
えっ。テトの猫を榊さんが抱いているって、どういうことだ。
「どうしたんだい、鬼一君」
「いや、なんでもない。そうだ。榊さん、ここらで犬を見なかったか」
「見ていないけど。その犬がどうかしたのかい」
「見ていないならいいんだ」
彼女は嘘をついているのだろう。見ていないはずがない。だってその猫は、犬を追いかけていたんだ。それに、テトの猫だぞ、犬を追いかけて止まるはずがないんだ。その猫が彼女の腕の中にいるってことは、あきらかに不自然だ。
そして、もう一つ。彼女はなぜ、俺たちから一定の距離を置いて歩いていたのか。
テトは、猫が一定の間隔を保って歩いていると、言っていた。それは、彼女が猫を抱いていたからだ。だとしたら、彼女は俺たちに気がついていた。そして、俺が行動を起こそうとした瞬間を見計らい、俺に声をかけた。
あまり、彼女を疑いたくはないが、ここまで不自然だとどうしようもない。彼女は、何かを知っている。そして、それは俺たちにとって良くないことだ。
もしかすると、穢れ神と精通していることさえ疑われる。
さて、どうやって切り出したものか。
「鬼の子よ。彼奴は、犬の飼い主じゃ。わしの猫がそう言うておる」
今、俺はどんな顔をしているのだろうか。正解と分かり、嬉しいのか、正解だと分かり、悲しいのか。
いや、まだだ。諦めるのには早い。
猫好きが犬を飼っているというのが恥ずかしくて、嘘を着いている可能性だってあるじゃないか。そうだ、そうに決まっている。
「ボーッとしてどうしたんだい。今日の君はおかしいぞ」
「いやいや、暑さにやられてしまっているだけだよ。はっははは。そっ、そうだ。その猫どこで拾ったんだい」
「ああ、家の前で倒れていたのを見つけたんだよ。この猫がどうかしたのかい」
「俺の飼っている猫に似ていると思ってね。よく見せてくれないか」
「ああ」
俺が手を伸ばして猫を受け取ろうとした時、彼女が猫を渡すのを一瞬だけ、躊躇ったような気がした。まるで、俺の猫じゃないことを知っているような、感じがした。
そんな彼女を騙すように俺は猫を凝視して、頷いて見せる。
「やっぱり、俺の猫だわ」
「そうかい。凝視しないと、自分の猫だってわからない君は、いい飼い主とは言えないね」
「最近飼い始めたから、他の猫と違いがわからないんだよ」
嘘を積み重ねながら、彼女を騙す。それさえも、見抜かされているような気がした。
だが、こちらも彼女の嘘には気づいている。どうやって、それを切り出せばいいか。
「じゃあ、私はもう帰るよ」
「ちょっと、待ってくれ」
踵を返した彼女の袖を強く引っ張った。強く引っ張りすぎたと思ったが、彼女はバランスを崩すこともなく、平然と振り返った。それは、俺がそうすることさえも、わかっているかのようだった。
「なんだい。まだ、何か用でも」
「榊さん。君は、もしかして犬を飼っていないかい」
咄嗟に出た言葉がそれだった。もう少し、変化や流れを作れば良かったと思ったが、出てしまったものは仕方がない。
「いや、飼っていないよ。もし、飼っていたら、猫が寄って来なくなるからね」
さっきまで、彼女を庇っていた俺はもういない。すでに、平然と嘘をつく彼女に、そうなのだ、と納得してしまっていた。
彼女の答えが、待ってましたと言わんばかりに素早く、冷静だったからだ。隠すには、何かしら隠す理由がある。
しかし、隠しているということが問題なのじゃない。彼女がそこまで平然と嘘をつけた理由が問題なのだ。
それを、俺は見抜けてしまった。
それは、さっきのテトの発言だ。
彼女は、テトが見えている。そして、テトの言ったことも聞こえている。だから、自分が犬を飼っていることが、バレているということがわかったのだ。
さらに、彼女が猫を渡す時、なぜ躊躇したのか。それは、多分この猫が彼女の家を見たからだ。だから、渡したくないという気持ちと焦りで、不自然な行動をしてしまったのだろう。
ただ、俺はそれ以上、詮索する気はしなかった。あとで、分かることだから。この猫から聞き出せば、終わることなのだ。
「他に、聞きたいことがなければ帰るが」
「ああ、別にないよ」
俺は、帰っていく榊さんの背中を、黙って見ていた。追うこともしない。ただ、黙って見ていた。
「義貫。追わなくていいのか」
「ああ、いいんだ。俺の心を読んでる、お前にならわかるだろ」
「まあ、そうだな」
彼女の背中が見えなくなると、俺たちも家に帰り、明日の準備をした。
同じ学校の同級生でも、こればかりは放置できない。それは、今日だけだ。何かを知っているのならば、明日は答えてもらおう。
もし抵抗したならば、その時は、こちらもやるしかないのだから。
その日の夜。どこか遠くで、悲鳴のような犬の鳴き声が聞こえた。