7月26日 運命の試練と超えるもの達
どこから話せばいいのだろうか。とりあえず、俺は退院することができたということを報告しておこう。
医者にしてみれば、こんなに早く退院することが出来るのは奇跡だという。まあ、そうだろう、昨日来た瀕死の怪我人が次の日にはほとんど動けるようになっていたんだからな。でも退院したのは夕方のことだ。
この体の異常な回復スピードはやはり、鬼の力を少しばかり使った影響だとテトから聞いた。
しかし、鬼の回復スピードは普通の人の2倍弱と思っていたほど早くはない。そのため、このケガが完治するのには2週間ほどかかるらしい。付け加えると、鬼の体は鋼のように硬いため、ケガをすることはほとんどないとテトが言っていた。まあ、鋼と言っても刀や銃で撃たれればケガはするのだが。
俺が退院する夕方までは検査やらなんやらをしていた。特に異常もなかった。だから退院したんだがな。
付き添いとして、マナ姉と凛も来ていたが、俺は用事があると言って先に帰らせた。二人に心配をかけてしまったのは本当に申し訳ないことをしたと思う。俺も心配をかけずに済むようにできるだけ、考えて行動しなければならないな。
夏休みが終わる頃には体中に傷ができてないことを祈ろう。まあ、最悪死ぬかもしれないが。
さて、俺のことは別にこれくらいでいいだろう。そんなことよりも。疑問に思うことが俺にはあった。それは、誰が俺を病院へと運んだのか。その答えは、単純だ。幽霊や神様に救急車は呼べない。なら、そこにいた生身の人間、藤波しかいないってことだ。これは俺自身多分そうだろうと考えていた。じゃあ、そこからのことだ。ここからは、アキラとテトから聞いた話だ。
俺が気絶したあと、藤波が目を覚ました。俺の胸から血が流れているのに気が付くと、119で救急車を呼んだのだ。そして、俺はこの病院に運び込まれたということだ。
この時だが、藤波も一緒に病院に運ばれている。さらに、悪いことに入院が決まったらしい。原因は足の病気だ。
藤波は足を怪我していたにもかかわらず、無理に足を動かしていた。それも、あの蛇に出会ってしまったからだ。そのため、最悪な状態になっていた。藤波の右足はほとんど腐りかけているらしい。すぐに、手術をしなければ命に関わる状態なのだ。それも、右足を膝上から切断しなければいけないようなのだ。
医者が言うには、レントゲン写真で藤波の足を見た時、どうやったらここまでヒドイ状態にできるのかと驚いていたらしい。この状態になるには、膝の痛みを我慢して全力で走り続けなければいけないほどらしい。
いやもう心当たりがありすぎて、俺は何も言えない。医者に神の話をして信じるだろうか。というより、何かの宗教の勧誘かと思われるだろう。
この話を聞いたのが、俺が検査を受けている時だ。医者には患者に対して守秘義務がある。だから、この話は全部テトから聞いた。
さて、どうしたものか。俺は今、病室の前にいる。藤波と会うべきか悩んでいるのだ。
藤波からしてみれば、俺はその右足を無くす原因だ。俺が何もしなければ、死ぬまで歩くことができていたのだ。
そう考えていると、病室の扉が開いた。そこに立っていたのは藤波の母親だった。
俺は会釈をすると、踵を返し、帰ろうとした。バツが悪すぎる。準備も出来ていない。
「あの待ってください。あなた、鬼一さんですよね」
俺はゆっくりと振り返り藤波の母親におどおどしつつ返事をした。
「あの娘とあってくれませんか。あなたもそのつもりでここに来たんでしょう? 」
「そうですが。でも会っていいのか、迷ってまして」
「じゃあ、大丈夫です。あの娘もあなたに会いたがっています」
藤波の母親はそう言うと俺を藤波の病室へと入るよう促した。
もう迷っている暇もない。これは一つのけじめなのだと勇んじて俺は重い足を一歩ずつ病室へと運んだ。
「失礼します」
顔を伏せながら病室に入り、ゆっくりと顔を上げた。そこにいたのは、痛みを我慢しながら笑っている藤波の姿だった。布団で隠れて見えないが、右足側にあるはずの布団の膨らみがないのに気づいた。
「先輩、なんて顔してるんですか。こっちに来てください」
笑顔で俺を手招きする藤波の姿が俺には少しばかり恐かった。
俺は、言われるままに藤波の近くに歩みを進めた。
俺は何を言えばいいのだろうか。藤波に言いたいことはある。でも、何も言えない。
今は病室に入る風の音さえも俺には聞こえなかった。
今の俺の心境を察ししたのか藤波は俺の手を掴んだ。それに気づき、俺は藤波の顔を見た。まだ、笑っていた。
「先輩は悪くないです。全部、わかっていたことだったんです。私の足をいつかこうしなきゃいけないことは」
「えっ? 」
俺は戸惑いを隠しきれなかった。っと同時にあの精神世界で見たものを思い出した。
「私は、嬉しかったんです。歩けることが、でもそれがおかしいっていうことにも気づいていました。だから、私は誰も恨んでないですよ。それに、先輩には感謝しています」
「俺に感謝なんて、俺は罵倒されてもいいと思ってここに来たんだ」
藤波の手が俺の手をきつく握ってきた。その手は震えていた。
「私は、全部知っています。あの時、先輩が私のために戦ってくれたことを、ずっと夢のなかで見ていたんです。謝るのは私の方なんです」
藤波はあの精神世界でのことを覚えていた。あの藤波の精神世界にあったモニターは藤波自身に俺が殺されるところを見せるため、あの蛇の穢れ神が用意したものなのだろう。あの蛇の性根はだいぶ腐ってるようだ。
「藤波、それなら大丈夫だ。俺はすでにお前を許しているんだ。だから謝るな。全部、あの蛇のせいなんだから」
藤波は首を横に振る。
「私は、先輩を憎んでいた。だから、私のせいなんです。私の心が弱かったから。先輩に一生残る傷を」
「藤波、誰でも人を憎むことはある。それは、弱いからじゃない普通のことだ。俺のことはもういい。それよりも、お前の今からを考えろ」
俺は、ひどいやつなのかもしれない。自分の体の一部をなくしたやつにこんなことを言うのは非情だ。でも、俺は藤波になら超えられる壁だと思っていた。こいつが強い奴だってしっているから。
「私は、どうしたらいいんですか。大好きな剣道もこの足じゃ」
「藤波、だったら剣道を続ければいい。義足でもなんでもつけて、剣道を続けろ。お前ならできる。なんなら、俺がその資金を出す。というか、お前には続けて欲しい。俺を超えるやつはお前しかいないよ」
「先輩はひどいですね。こんな私にそんなこと言うなんて。やっぱり憎いや」
やはり、傷つけてしまった。っと思っていたが、藤波の顔は笑っていた。それも、偽りの笑顔ではなく、本当の笑顔だった。
「じゃあ、どことん付き合ってもらいますよ。これから、リハビリ頑張って義足でも歩けるようにします。だから、それが終わったら練習に付き合ってくださいね」
「わかったよ。いつでも付き合ってやる」
やっと、肩の荷が下りたような気がした。藤波が大変なのはこれからだ。だから、それまでは見守っていこう。この俺の胸の傷は、それを守るための証だ。
それから、藤波と雑談をしてから、病室を後にした。
俺が病室のドアを閉めたとたん。藤波のすすり泣く声が聞こえた。俺は悪いことをしてしまった罪悪感と藤波に対する期待が入り混じった気持ちだった。
人は、それぞれ過酷な運命を持っているのかもしれない。俺にもそういう運命があるように藤波にもそれがあったのだ。
藤波なら超えられる。だったら次は俺が運命に立ち向かっていかなければ。
でもまあ、今日くらいはゆっくりしてもいいだろ。ひとつ終わらせたんだ。
そんなことを考えながら俺は病院を後にした。