7月18日 幽霊と運命
俺がそいつに出会ったのは夏休みの始め、2年の1学期の終業式の日のことだった。
その日は、ジメジメと暑い日だった。それはまあ、夏真っ盛りというのだから、当たり前のことだ。
突然だが、俺は所謂見える人間だ。そういう、家系に生まれたというのもあるかもしれないが、物心着いた頃には、それがこの世のものではないと理解していた。この普通や一般には見えないものが見えるというのは、どんな感じかといつも問われる。まあ、いつも問われるとは言うが、俺と話しをしようする人物はそれほど多くはいないので大抵同じではあるが。
この世のものとあの世のものとの区別は中々難しい。ただ、雰囲気的におかしいと感じるだけなのだ。
俺が子供の頃よく見ていた、兵隊や侍の幽霊なんていうのは、ここ最近あんまり見なくなってきているし、最近のはなんというか、人ごみに紛れていると区別がわからないくらい普通に見える。だが、違うところというと、影がなかったり、普通に通りすぎることができたり、季節感がなかったりそういうものだ。
俺がそいつを認識できたのは、季節感がなかったというのが一番の材料だろう。
俺はダラダラと歩きながら、帰りに寄ったコンビニで買った安いソーダ味のアイスキャンディを囓っていた。すると、遠くの方から犬の鳴き声が聞こえた。
どうやら、それは帰る方向からだった。”ワンワン”という怒ったような犬の鳴き声がだんだん近づいてきた。それと、同じくして、女の子? の泣きそうな叫び声が聞こえた。
「おいやめろ! ほたえるな。犬の分際で」
俺が疑問に思ったのはほたえるなではなく吠えるなの方が正しいのではないかということだ。まあ、騒いでいるのはそうだが、犬なんだからしょうがない。
だんだんと犬と女の子の姿がはっきりしてきた。まずびっくりしたのは、女の子が電柱の真ん中ほどまで登っていたことだ。どうやって登ったのだろうか。電柱に登るのは素手では大変だろうにと、俺はそんなどうでもいいことを考えていた。
犬は”ワンワン”といつまで鳴くのをやめなかったが俺のことに気が付きこっちに振り向いた。犬は俺をじーっと睨んでいる。俺はそれが気に食わなかった。犬畜生が俺にガン垂れてくるなんて屈辱だ。
俺は犬を睨み返した。すると、犬は怯え始め文字通り尻尾を巻いて逃げていった。犬の姿が見えなくなるまで見ていた。そして、犬がいなくなったのを確認すると電柱に登っている女の子に目をやる。
その女の子は白のワンピースに赤い首巻きをしていた。そのときはストールかと思っていたのだ。
俺はそれよりもひらひらとなびいているワンピースの中が気になったので、覗いてみたが女の子ががっしりと電柱にしがみついているので結局見ることはできなかった。その時、女の子からの怒号が響いた。
「何見とんじゃーい」
ごもっともではあるが助けてやったんだ、お礼くらいあってもいいのではないかと、自分のした不純な行為に最もな理由をつけてみる。
女の子はするすると電柱から降りてきた。
俺はようやくその首に巻いている物の正体に気が付いた。それは赤いマフラーだったのだ。このクソ暑い日に厚手のマフラーを来ているなんて、頭のおかしい奴か、あの世のもの以外に他ならない。
俺は目も合わせずにその場を後にした。
「おい。ちょっと待ちなさいよ。私が見えてんでしょ。っていうか、パンツまで見ようとしたでしょ」
俺は何も聞こえていない。きっと風の音かなにかだろう。華麗にスルーする。
こんなのに付き合っていたら。たまったものではない。
しかし、あれは俺の後をついてくる。だんだん早くなる足音。アッチェレランド。その足音が早くなるため俺の足も早くなる。最終的には走っていた。
「走っても無駄よ。私は幽霊なんだから疲れない」
そうか、無駄か。だが、俺はお前より足が速いようだな。だんだんと距離が離れていく。
そして、俺の家まであと100メートルだ。このペースなら俺の勝ちは確定する。後ろを確認してみると、少し涙目になりながら必死に走っている奴の姿があった。
幽霊なのに泣いているなんて……面白いわ。俺は大爆笑しながら最後のコーナーを曲がる。家まであと少し。
そして、家に着いた。玄関のドアを開け、玄関マットに腰を下ろす。久しぶりに走ったのと暑さのせいで頭が痛い。
今日は厄日だ。なぜに幽霊に追いかけられないといかんのだ。とりあえず、靴を脱いでキッチンへと足を進める。
冷蔵庫を開け、麦茶を取り出し、コップに入れて飲む。う……うまい。もしかして、俺が麦茶とめんつゆを間違えるなんてヘマをすると思ったか? そんなミスはしない。だってめんつゆは昨日、体験済みだからな。
そんなどうでもいいことを考えながら、もう一杯コップに麦茶を入れて飲む。その時気が付いた。
俺のアイスはどこに行ってしまわれたのですか? さっきのことを思い出す。犬とあいつを見つけるまでは確かに囓っていた。犬に睨まれたときは……うーん。まだあったはずだ。
そのあとが思い出せない。
まあ、六十円程のものだ。そう思いながら冷凍庫を開け、同じアイスキャンディを食べることにした。
アイスキャンディを咥えながら紺色の学校カバンを手に取り2階の自室へと向かう。
今日から始まるダラダラエブリデイのことを考えるとすることが無さ過ぎて嬉しいのか、悲しいのか、訳のわからん感情が俺を襲った。
―――ハァ
ため息と同時に部屋のドアを開ける。
「遅かったな」
そこに奴はいた。食いかけのアイスキャンディを咥えながら、俺の秘蔵本を眺めている。
俺は咥えていたアイスキャンディを口から落としてしまった。
「おいおい、勿体無いじゃないか」
足に冷たさが走る。それは問題じゃない。なぜこいつがここにいるのか。それが問題だ。
まず、一つ目の疑問。なぜこいつは俺の家を知っているのか。
二つ目の疑問。なぜこいつはこの家に入ってこれたのか。
三つ目の疑問。なぜ幽霊がアイスを食べられるのか。
四つ目は、なぜ俺の秘蔵本の在り処がわかったのか。
この四つの疑問を俺は知りたかった。
「なんだその顔は? まるで家を知っていたことと家に入れたこととアイスを食べていることと成人向け雑誌の場所がわかったことが知りたいと言った顔をしているな」
こいつはなんだ。心を読めるのか。疑問が五つに増えたわ。
「では、その疑問に一つずつ答えてやろう。まず一つ目は家は知っていたのではなく、この家に結界が張られていたから君の家だろうということが推測できた。二つ目は私が幽霊というものでは厳密には違うということ。それに、この家の結界は幽霊というよりは穢れを寄せ付けないというものだから私は入ることができたのだ。そして、三つ目は私は幽霊ではないから食べることも寝ることもできるのだよ。っで四つ目は君の本棚に並べられている中で明らかに似つかわしくない分厚い難しそうな本があった。それはもうなんというか猿の群れにゴリラ一匹いるくらいおかしなものだったよ。さらに、五つ目にも答えようかな。私は幽霊じゃないからというのが答えだ」
俺はこいつの言ったことで学んだことは、秘蔵本の隠し場所を変えることにしようということだ。
それに、幽霊じゃないという答えは意味が不明なのだが。理解不能、理解不能。
「ああ、幽霊じゃないというのはわかりづらいか。まあ簡単に言うと神様だよ」
ああ、なるほど分かってしまった。
俺の家に張っているのは確かに対穢れ用の結界であり神仏は入ってこれる。なら合点がいくこいつは神なのだ。だから入ってこれた。それだけなのだ。
「やっと理解してくれたか」
ああ理解可能だよ。だが理解できない点があるなぜこいつは結界を張っている家が俺の家だと推測できたのか。
「それは簡単なことだよ。君が鬼一義貫だからだ」
「なぜ俺の名前を知っているんだ」
「ようやく口を開いたか。それは私は君を助けるために来たのだ」
俺はその助けるという言葉の意味を理解することができそうでできなかった。俺はきっと何かをしなければならない。それは曖昧だが理解していた。それは俺が鬼一という名に縛られているからだ。それがいつ起こるのかはわからなかった。その時まで俺は普通の生活をしてきたし、これからもしたいと思っていた。
しかし、どうやらその願いはもう叶わないらしい。
俺は少しばかり落胆し、ベッドに腰を下ろすことにした。それはきっと長い話になるだろうし。聞くことが嫌になることなのだろう。俺は座ることでそれを少しでも受け入れる体制を作った。
「どうやら理解したようだね。その前に私の名を教えておこう。これから長い付き合いになるのだからね」
俺は全然知らなくてもいいことだし、長い付き合いにもしたくない。
「まあ、そういう風に思うのは勝手だが、私が君の心を読めることは忘れないでもらいたいな。これでも、私は脆いのだから」
そうかい、脆いのならどこかに消えて一人になればいいのに。
「いいか、これだけは言っておく。私は泣いたら面倒くさいぞ。そこをキモに命じておけ」
自分で言うことのなのか?
「だったら早く名前を言えばいいだろう」
「そうだった忘れるところだった。私の名はアキラだ。これからよろしく頼むぞ、鬼一」
「っであんたは何の神様なんだ」
「おいおい、名前を教えたのに名前で呼ばないのは失礼だろ。一応神様なんだぞ」
「だから何の神様なんだよ」
こいつは文句が多い奴だ。あっしまったこいつには全て聞こえるんだった。
俺はちらりとアキラを見てみた。そこには、あと数秒で泣いてしまいそうになっているアキラの顔があった。
「わ、私は泣いたら、め、面倒くさいと言っただろう。うわぁぁん」
アキラはアイスを床に落として、泣きじゃくり始めた。
本当に面倒くさい。掃除をするのは俺なんだぞ。神様ならもっとしゃんとしてくれ。
―――コンコン
ノックの音が響いた。ドタバタするから隣人が起きたじゃないか。
「義坊、何を一人で騒いでいるんだ」
声の主は俺の返事を待たずに、ガチャリと部屋のドアを開けた。それは、俺の年上の従姉である吉崎真香だ。マナ姉は、薄着姿で俺の前に現れたのだ。
「マナ姉そんな姿で来ないでくれ」
「そんなことはどうでもいいだろ」
いや、どうでもよくないだろ。こっちは純粋な男子高校生だというのに。
「それよりも、一人でどたばたさせたお前が悪い」
俺はドタバタしてないんだけどな。そっとアキラを見るとまだ泣きじゃくっていた。
マナ姉は俺の目線でなにかに気付いた素振りを見せた。
「義坊、この家に幽霊は入れないはずだよな」
やはり、気付いてしまったようだ。
「ああ、そうだな」
「私に幽霊は見えないが、何故、義坊と私以外しかいないはずのこの部屋で床を叩く音が聞こえるんだ」
マナ姉が怖い顔で俺を睨む。
俺は理由を話すのは面倒くさいのでごまかすために「ハハハ、なんでだろうね」と笑って見せた。
「じゃあ、話しを変えよう。それはお前の敵か味方か」
マナ姉が真面目に俺を見ているのでそれには誠意を持って答えるしか他なかった。
「敵ではないけど、味方かと言われれば、それもわからない。一つ言えるとしたら、その時が来たらしい」
「そうか。どうやらそいつは幽霊ではなく天からの小間使いのようだな。まあ、これから頑張れ。あと、凛に心配をかけるなよ」
そう言うと、マナ姉は悲しい顔を浮かべながら部屋からそっと出て行った。
「おい、なんださっきのビッチは」
さっきまで泣きべそをかいていた神様が目を腫らしながらそこにいた。
「ビッチ言うな。俺の従姉だよ」
「そういえば、この家の表札は吉崎だったな。なんで、鬼一じゃないんだ」
そうこの家は俺の本当の家ではない。俺は母親の姉に引き取られている。別に両親は健在であるし、会おうと思えば会えるのだ。しかし、俺が運命に縛られているせいで両親と住むことができないのだ。
「俺が特別な人間だからだ。俺は吉崎の家に守られている」
「なるほど穢れから逃れるためか」
「で、何の神様なんだよ」
「私は穢れを浄化する神様だ」
目を腫らしながら椅子の上で仁王立ちする神様がかつていただろうか。その姿に俺は笑いそうになったが、ここは我慢しなければならない。なんたって、こいつはすぐに泣く。そして、泣いたら面倒くさい。
俺は笑うのを堪え、真面目な顔を作った。
「じゃあ、アキラが穢れから俺を守るということか?」
「えっ? 違うよ」
「なんでだよ。俺はあんまりよくは知らないが運命とやつのせいで穢れに狙われるのだろう」
「一つ言っておこう。私は、君を助けるとは言ったが守るとは言っていない」
意味が分からない助けるのなら守ってくれるということではないのか。
「私は、君の補助なのだよ。そして、観客だ」
「観客だと」
「ああ。私は君がこれからすることを補助するが、君を守りはしない。それに、私は他の仕事があるのだ。本来はそちらが本業であり、君のことは趣味だ」
ここで整理しよう。こいつは俺を助けるために俺を追ってきたと言った。そして、こいつは俺を守ってくれない。俺のすることに手伝うくらいということ。それは趣味で本業は別にある。うんうん、なるほど。じゃあなんでこいつは来たんだ。
「全部ダダ漏れだから説明するけど、趣味だけど本業が捗る趣味なのだよ」
誰か通訳を持ってきてくれ俺には理解できん。
「じゃあ、その本業というのは何なのだ?」
「私は穢れを浄化する神だろ。だから、穢れを浄化するのが仕事だ。君はこれから、穢れがたくさんいるところに行くことになりそうだから仕事も捗るっしょ」
「じゃあなんだ俺は餌か?」
「んーっそういうことだね」
満面の笑みで俺を見る神様がそこにはいた。
こんな神様なら殴っても、罰は当たらないよな。本当に殴ってしまいたい。
「なんか全然やる気が起きねーよ。それで俺は何をすればいいんだ」
「知らん!」
自信満々に言いやがって知らんとはどういうことだ。一番重要なのはそこだろうが。
「私が何でもかんでも知っていると思うなよ。私は今まで神様と連呼してたが、実際には神様の使いだ」
「そうかそうか、なら安心できるな」
「何がだ?」
「それは殴っても罰は当たらないことがだけど」
「えっ? マジで」
「うん。むかつくし」
俺は満面の笑みでアキラを見ていた。
まあ結局のところ殴りはしなかった。だって、殴ったら面倒くさいことになりそうだと思ったからだ。
さて、そんなことよりもだ。こいつが来たおかげで、俺のダラダラ過ごす夏休みが始まった途端に終了したわけだが、こいつは俺が何をすればいいのかも知らないときた。
じゃあ俺は、どう行動すればいいのだろうか。
俺のベッドの上に寝そべりながら漫画に夢中になっている神の使いは役には立たなそうだし。
俺に残されたヒントは実家にある書物とクソジジイに聞くしかないのかもしれない。
ある意味では俺が吉崎家にいるのはあのクソジジイと毎日過ごすのが嫌だからここにいるのかもしれない。
俺の夏休みは悲劇から始まったのだった。