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DEATHEARTH  作者: 奇逆 白刃
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命の蝶に運命を 1

廃墟群を抜け、しばらく歩くと郊外の町に出た。規模はやや小さいが、ちゃんと店や娯楽施設がある。その一つ一つを見渡しながら、來は道を左右に歩いた。と、後ろから襟首を掴まれる。

「真っ直ぐ歩けって。はぐれるぞ」

「良いじゃないか。案内してくれるんだろ」

「ついでだって言ったろ。それは用事が済んだ後だ」

膨れっ面をしながら來はブイオに付いて行った。今更だが、初めて仕事場を紹介した時の沙流の気持ちがよく分かる。周りの物が気になって仕方がない。それでも我慢して歩き続けると、やがて大きな湖の畔に来た。なみなみと湛えたその水を見ると、途端に喉が渇いてきた。朝家を出る時に飲んだっきり歩き通しで、喉はからからだった。透明な水を手に掬い、口に運ぶ。だが、もう少しで唇に触れる、という所でブイオに手首を掴まれた。

「何だよ。僕は喉が渇いてるんだ」

「飲むな。毒だぞ」

少し膨らんでいた怒りが途端にしぼむ。…危なかった。

ブイオは、どこからか小舟を一艘持って来ていた。湖面に浮かべる。水が漏れてこない事を確かめ、來はブイオに続いて舟に乗り込んだ。

水面は鏡の様に澄んでいる。これが毒の湖だなんて…

「なあブイオ、此処の水の毒ってどれ位強いんだ?」

「そうだな…試した事は無いけど、一滴あれば一気に五、六百人は殺せるんじゃないか?」

…あの時飲んでいたら即死か。いや、そんな不吉な事は考えない様にしよう。來は頭を振ると、周りの景色に集中した。

周りには陸地の影も無い。鏡の水面を舟は静かに滑っていく。目的地は分からない。ブイオに訊いても答えてくれない。押し黙って湖面を見詰めていると、ブイオが水筒を差し出した。

「この水には何も入ってないから、ご安心を」

水筒を手に取り、中の水を喉に流し込む。渇いた喉に冷たい水が染み渡る。一口で水筒の中身は三分の一程になった。

「でも、不思議なんだぜ、此処の水」

とても軽くなった水筒を來から受け取ったブイオは、軽く鼻を鳴らして水筒をしまった。

「さっき俺が言ったみたいな猛毒があるのに、触った位じゃ何ともない。それどころか、泳いだって平気だ。口に少しでも入らない限り、此処の水は安全なんだ」

確かに不思議だ。Sunにも、猛毒はある。塩酸や硫酸、王水なんてのもある。でも、どれも手をつけたらたちまちにして手は溶けるし、毒の強さだって、この湖の毒に比べたら、可愛い物だ。

「この湖は広いから、夏になるとよく子供が泳ぎに来る。でも、誤って水を飲んだせいだろうな、その内の半分位が毎年死んでいるんだ」

猛毒の湖で、子供達が楽しそうに泳いでいる。笑い声を上げながら、水しぶきを上げながら。しかし、大きな口を開けて笑った子供の口に、しぶきの欠片が飛び込み、子供は瞬時に息絶える…

我ながら恐ろしい情景が浮かんだ。両手で頭を鷲掴みにし、大きく揺さぶる。頭がくらくらするし、そんな來を見るブイオの視線は冷たかったが、悪い考えはとにかく逃げていった。

「気が狂ったのなら、今すぐにでも湖に放り込んでやるぞ」

ブイオが鼻先でせせら笑う。そして、細い指で水の向こうを差す。その先には小さい島影があった。

「今目指してるのはあの島だ。あそこに住んでる奴に、用がある」

今まではあまり感じていなかったが、目標があるとこの舟のスピードがよく分かる。小さかった島影も、ほんの数秒で大きな島となり、目の前にそびえ立った。

「今、どれ位漕いで来たんだ?」

「測ったことは無いけど、二、三時間は漕いでたから大体千キロ…ってとこじゃないの」

「魔界ってそんなに広いのか」

「まだまだ。次元が違うからな、此処だってあんたの世界で言う…溜池程度のもんかな」

SunでもDeathでも、溜池と言えばせいぜい岸から岸までの長さが百メートルも無いだろう。仮にSunの溜池を百メートルとして、この湖はその一万倍。世界の広さもそれと同じ縮尺だとすると、魔界は僕らの星が一億個入る位の大きさはあるという事だ。しかも、地上へと続く次元の狭間はあの一点。下手に迷ったら二度と地上に戻れない。

腕を強く引っ張られた。考えが瞬時に吹っ飛ぶ。

「何ぼんやりしてんだ。ほら、行くぞ。目的地はかなり奥地だ。少し歩く」

この島は観光地らしい。太陽は出ていないが、椰子の木や砂浜がある。舟を繋いだ所の近くに立札があった。

[ようこそ毒池島へ]

…止めて欲しい。

―もう少しマシなネーミングは無かったのかよ!―

…こんな島、Sunなら絶対誰も行かないだろうな。

來は立札から目を背け、木立に消えるブイオの後を早足で追った。

石灰岩だろうか、白い建物が並んでいる。その中でも一際大きい建物の前でブイオは立ち止まり、上に開いている通風孔に向かって思いっきり小石を投げた。小石は見事に穴へと消え、直後、中から人が出てくる。

「っ痛…誰だよ」

左右を見回し、ブイオを見付けると、そいつは來など目に入っていない様に大股でブイオに近付いて来た。

「やっぱりお前か。入ってくりゃ良いだろ!」

「生憎、面倒臭かったもんで」

「そんなの理由になるかよ!毎っ回たんこぶ作ってるこっちの身にもなれよな!」

「じゃあ居る場所を変えたらどうだ。…まあどっちにしろぶつけてやるけど」

そいつはかなり怒っている様だが、その怒りの全てをブイオは軽く受け流している。まだわめくそいつを手で制して、ブイオが呆気にとられている來の方を向いた。

「見たら分かるだろうけど…此処に住んでる奴だ」

その言葉に、そいつが來を見た。まだ十二歳位だろうか。揚魅にどことなく似た雰囲気を持っている。銀色の髪は跳ね、元気の良さが現れている。瞳も銀色だ。耳は髪で隠れて…いやそれとも無いのか。頭の上にはしっかりとした耳が付いている。何て言うんだ…ね、猫耳…?尻尾も生えている。Sunにもこんな格好をした人がいたが、そいつはどうやら本物の猫人間の様だ。着ている半袖のTシャツも、肌も白い。曇天に覆われ、黒い悪魔がいる世界で、ほとんど全身が白のそいつは異質な物に見えた。

「えっと…?」

「化け猫の猫息子。まあ、見たまんまだけどな」

そういうブイオを、そいつが睨む。

「黙れ溝蝙蝠!」

「溝蝙蝠…?何だ、それ」

「溝に住んでる蝙蝠さ。汚い奴」

「あのなあ…もっとマシな事言えないのか。いちいち説明が必要な戯言なんて聞いてられない」

そいつは頬を膨らますと、來の前に来た。ブイオを指差す。

「こんな奴の言う事なんか、絶対信用するなよ。おれの名前は万生(まお)だ。…宜しくな」

「宜しく。僕は來だ」

万生は來を頭からつま先まで興味深そうにじっくりと眺める。その口から呟きが漏れた。

「來…まさかお前ホモサピ?凄ぇ、初めて見た」

「ホ…ホモサピ⁉」

「ホモサピエンスの略さ。つまりは人間って事」

ブイオがいた。二人を冷たく見下ろしている。

「万生、頼んだ事はどうなった」

「大方調べはついたさ。おれの部屋に来い。そこで話す」

建物の中は暗かった。上に開いた窓が、床に僅かな灯りを落としている。

「万生はこの灯りの中に居るのが好きなんだ。だから、そこを狙えば間違いなくこいつの頭に石が当たる」

ブイオが教えてくれた。そりゃそうだよな、と苦笑する。なんてったって、万生の本性は猫なんだから。

万生の部屋は五階にあった。この部屋は電気が点いていて、明るい。部屋は他にもあったが、実際生活しているのはこの部屋だけらしい。

「おれしか住んでないからな。一部屋あれば十分だ。他の部屋は物置や資料部屋として使ってる」

「そんなに物があるのか」

「まさか。半分以上は空っぽさ」

「勿体無いだろ」

「心配ご無用。ずっと騒いでて気が付いたら手元が見えない位外が暗くなってたって奴がこの島にはわんさかいてさ、そのまま無理やり帰ろうとすると水が水だからすっかり怖気づいちゃって、この家に転がり込んで来る。そんな奴が空いた部屋を使うんだ。言わば民宿みたいな物かな」

万生が机にあった本の内の一冊を手に取る。かなり古い本で、表紙に書いてあったタイトルはもう読めなくなっている。

「昔の医学書で、狂気や錯乱についてまとめてある本だ。Deathから盗って来た」

「盗って来た⁉」

万生が当然だろ、という顔をする。

「Deathでもするだろ、これ位。お前もしたことあるんだろ?」

ブイオがくすっと笑った。

「確かにDeathではするな。でも、Sunではしない」

「Sun⁉」

「そ。來はSunから来たんだ」

「へえ…そいつは知らなかった。てっきり、Deathで道にでも迷って穴に落ちたのかと思ってたよ」

そう言いながら万生は本をめくり、あるページを出した。

「読んでみろ」

ブイオと來は、顔を寄せ合うようにして覗き込む。そこにはこう書いてあった。

[しかし、以上のどの項目にも当てはまらない場合、それは心の病ではなく、別の症状である可能性が高い]

「別の症状って何だ?」

ブイオが首をひねる。

「分からない。どの本にも載ってなかった。ただ、考えられるのはメッセージとか、思い出とか、そんな所だな」

思い出…僕にあるとすれば、沙流や、揚魅や、紗蘭の事だ。でも、この症状はかなり昔からある。三人の内誰かの思い出なら、Sunを離れた後に現れる筈だ。それなら、一体何が原因なのだろう。

「あんた自身が覚えてなくても、何かの切っ掛けで心の底に眠ってた物が蘇るって事もある。切っ掛けとして、何か思い当たるものは無いのか?」

そう尋ねるブイオは、心配そうな翳りを眼に浮かべていた。

「いや…閃光が走ったり、意識が急に遠くなったり、様々だ。だけど、必ずそういった類は事前に起こる」

「関係無いな」

万生が言い切った。

「どんな症状でも、それは起こる。自分の意志で暴れたのでなければ、間違い無く」

そうか…手掛かりとなる様な物は無いのか。折角此処まで来たのに、少し残念だ。そんな來の気持ちを汲み取ったかのように、元気な口調で万生がでも、と続ける。

「近くの山に占いを専門とする婆さんが住んでるみたいなんだ。此処まで分かれば、その婆さんが良いヒントをくれる。あの人、曖昧な表現ばかりで暗号を解くみたいなんだけど、絶対当たる。直ぐじゃなくても、生きてる内に必ずな」

さっき読んだ本の隣には巻物があった。万生はその巻物を取ると、おもむろに広げる。それは魔界の地図だった。北の方にある山脈の中程に赤い印、南側の湖の一点に青い印が付けてある。青い印はこの家を差している様だった。

「赤い印の所にその婆さんは住んでる。迷うといけないから、この地図を持って行くと良い。それでも此処からかなり遠い所だから、良い乗り物を用意してある」

万生が立ち上がり、ドアの所で手招きした。來とブイオは一旦顔を見合わせ、どちらともなく頷くと、万生の後に付いた。

階段を降り、一階へ。途中で二、三人の悪魔に出会ったが、來がお辞儀をすると、皆笑顔で会釈を返してくれた。悪魔は非情な生き物なんかじゃない。隣を歩くブイオにしても、今出会った悪魔達にしてもそうだ。人と変わらない感情を持っている。少し心を温かくして、來は万生の揺れる白くて柔らかそうな尻尾を見詰めた。

一階の一番奥にある重たい金属製の扉の前で万生は止まった。横の箱の中に入れてあった鍵を鍵穴に差し、右に二回、左に三回、回す。鍵の外れる音がして、扉が重たい音を立てて開く。中には、更に地下へと続く階段があった。

―ブイオの家と似てるな―

何となく、そう思った。ブイオの家も、いくつもの扉を通り、かなり地中深くにある。ふと、その事を思い出したのだ。

階段の先には、湖があった。階段は、湖と同じ高さまで降りる為の物だった。万生が短く鋭い口笛を吹く。すると、湖の向こうから何かが来るのが見えた。近づくに連れ、その姿もはっきりとしてくる。

馬だ。しかも水の上を走って来る!

馬は、二頭いた。万生が胸を張って説明する。

「地獄の奴らと取引して、湖の水を大樽一杯と交換で貰った、地獄の馬だ。猛スピードで空も走れば地も走る。水の上まで走るし、なんてったって不死身だ。全く良い取引をしたよな。こっちには湖の水なんか死ぬほどあるのに、こんなに良い馬と交換してくれるんだからさ。まあ、地獄にとってこの水の毒は無くてはならない物だけどな」

馬は、白と黒の二色だった。少し迷った末、ブイオが黒い馬を選ぶ。ブイオと同じ、紅い眼をした馬だ。來は残りの白い馬を選んだ。その青い眼は、Sunの青空を思い出させる。どちらの馬も肉付きが良く、毛並みが綺麗で、驚くほど二人になつき、従順だった。

「お前らにやるよ。その馬でも、婆さんの所まで二日はかかるけど、これが限界だ」

「十分さ。有難う」

万生に礼を言うと、入口には戻らず、二人は馬に乗ってそのまま万生の家を出た。


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