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DEATHEARTH  作者: 奇逆 白刃
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終焉の時 5

僕は反射的に空を見上げた。月は半月を超え、膨らみをかなり帯びてきている。

だが、安心したのも束の間だった。

突然、背後で殺気が爆発した。慌てて飛び退くが、その鋭い爪が生み出した衝撃波によって数メートルもの距離を吹っ飛ばされる。歌恋は何とか守ったものの、堅い地面に背中をしたたかに打ちつけ、肺の空気が一瞬失われた。

衝撃に刹那固く瞑った目を開ける。

と、そこには、僕に向かって今にも爪を振り降ろさんとする、サタンの手下の姿があった。

転がって回避する事も考えたが、歌恋を抱えたままではそれも出来ない。それに今の衝撃波からして、空気の壁を作っても間違いなく吹っ飛ばされはするだろう。まして上空には、更に何十体もの悪魔が居る。そんな中に飛び込んで行く事など出来ない。腕で受け止めたら、腕ごと持って行かれるだろう。

絶体絶命だった。

万事休すだった。

そして…

危機一髪だった。

歌恋を庇い込み、体を丸める。衝撃に出来るだけ備えようと、空気を出来るだけ厚く固く張った。

そして、ぐさり、という痛々しい音が響いた。

しかし、爪が刺さったのは僕ではなかった。恐々目を開けた僕の上に、すらりとした影が落ちている。

上半身の服を脱いでいるその影の主は、身体を半身にして、剥き出しの肩でその爪を受け止めていた。筋肉をも裂いているだろうその傷口から、鮮血が滴っている。

一瞬の間が空き、その人影は腕を鞭のようにふるって悪魔を薙ぎ飛ばした。その腕からほとばしった血飛沫が弧を描く。

「大丈夫か」

振り向いた人影は、やはりあの時の様な紅い眼で僕を見下ろしていた。

「君…傷は?肩の傷、深いんじゃないのか?」

「古傷が開いただけだ。気にするな」

「もっと酷いじゃないか!」

うろたえる僕を見て、ブイオはくすり、と笑った。

「万生に治してもらう。それよりもほら、手を出せ。立たせてやる」

傷のついていないブイオの右手が差し出される。僕は歌恋の手を握っていない方の手で、その手を取った。力強く、ひきおこされる。しっかりと立った僕は一旦ブイオの手から手を離すと、ポケットからデスストーンを取り出した。真っ黒な石は闇に紛れて、見えにくい。

「ブイオ、ちょっと手、出して」

ブイオは一瞬警戒する様にしたが、直ぐに手を出した。その掌に、僕はデスストーンを乗せる。

死の匂いのする漆黒の石が、冷たく滑らかな褐色の肌に溶ける様に吸い込まれていった。

「來…これ、どうしたんだ」

「フォレイグンが呑み込んでいたんだ。市長はおそらくこれを使って、フォレイグンを操っていたんだと思う。だから今は、フォレイグンは僕達の味方だ」

「…そうか」

ブイオはしばらく石の消えた掌を見詰めながら、まるでその手が自分の物である事を確かめる様に手を握ったり開いたりしていた。そして自分の左腕にはしる血の流れだす長い傷を見て不機嫌そうに鼻を鳴らす。

「この傷も消えてくれるんじゃないかって期待してたんだがな。やっぱり残っちまったか」

「だからそれは、万生に頼まないと」

「そうだな。…有難う、來」

そう言ってブイオは優しく笑んだ。僕の胸の奥が、また疼く。

「…ところで君、服はどうしたの?」

「服?動きにくいから脱いだけど」

「あ…そう」

気楽な奴だな、と苦笑するブイオ。僕が何も言わないのを確かめてから、気を付けろよ、と僕に言い残して立ち去りかける。

と、再び何か鋭い気配を感じた。

しかし今回は、感じると同時にブイオの回し蹴りが僕を襲う。再び僕は吹っ飛んで背中から木にぶつかった。一つ幸いなのが、ブイオは上手く吹っ飛ばしてくれた様で、骨も折れなければ痛みすらもほとんど感じていない、という事だった。おかげでひっくり返る事は無く、直ぐに体勢を立て直し、歌恋を抱えて木の陰に隠れることが出来る。

僕が陰から顔を出すのと、凄まじい音を立ててブイオが近くの家の岩壁に衝突するのが同時だった。咄嗟に衝撃を緩和したらしいブイオは、若干崩れてへこんだ壁から身を躍らせて離れた場所に着地する。その前に、大きな影が現れた。

五メートルはあろうかという巨体。五本の捻じ曲がった角に、サソリの様に先の尖った尻尾。ブイオとは違う、血の色一色で埋め尽くされた瞳が二つ、黒い身体の中でぎらついている。

それは、僕が初めて目にしたサタンの姿だった。

「…さすがだ。アマンドの息子というだけの事はある」

その声はしわがれて低かったが、此処までしっかりと轟いて来た。

「初めまして、と言えば良いのか?俺の孫、ブイオ」

サタンの口角が持ち上がり、その口の中に尖った黒い牙と燃える火が見えた。離れている僕でさえもその姿からは近付く事すらままならない様な恐ろしい威圧を感じるのに、ブイオはただ押し黙ってサタンを見上げていた。

「俺はアマンドの息子だ。だが、あんたの孫じゃない」

朗々としたブイオの声が響いて来た。サタンは声を上げて嘲笑する。

「だが、アマンドは俺の息子だ。知らなかったのか?」

「でもあんたはその息子を勘当した。その瞬間から、あんたは父親ではなくなった。そうだろう?」

「だが、血は繋がっている」

「そうだ。それがどうした?」

サタンはその問いに答えなかった。明らかに作ったと見て取れる悲しい声を出し、しゃがんでブイオに顔を近付ける。ブイオが顔をしかめて一歩下がった。

「ああ、何と悲しい巡り合わせだ。もしおまえが俺の孫として地獄に住んでいたなら、俺達はとても良い家族になれていただろうに。それが、敵同士になってしまった」

ブイオはゆっくりともう一歩下がった。足を開いて腰を落とし、あらゆる動きに即座に反応できるよう、身構えている。

「この世の悲しい運命(さだめ)の一つはこう言っている。憎みあう者は殺し合えと。敵となって戦えと」

そう言ってサタンは立ち上がり、両腕を大きく広げた。鋭い黒い爪がぎらりと鈍く光る。

「俺とおまえは悲しい事に敵同士だ。運命(さだめ)に従い、戦って殺し合わなければいけない。だが安心するが良い。この俺が、我が孫を苦しみも無く葬ってやろう」

と、次の瞬間だった。

サタンが真っ赤に燃え立つ火炎を口から吹く。事前に身構えていたブイオはそれを間一髪でかわし、その勢いに乗って夜空に舞い上がった。その姿を、サタンが追う。大小二つの黒い影は、上空で激しい攻防戦を繰り広げ始めた。

角翼族の力を持ったブイオはさすがに強かった。サタンの攻撃をかわし、その合間に鋭い爪や牙を用いてサタンの身体に傷を付けていく。しかし、突然ブイオはサタンから身を離した。その顔には、明らかな戸惑いと恐れが浮かんでいる。

「…何故、なんだ」

僕が竜族なのがまだ幸いしていた。微かな物である筈のブイオの声が、空気を伝わってまるで隣で話しているかの様に聞こえる。

「何故、傷がつかない。何故、消える」

その言葉に驚いて、僕は目を凝らした。確かに、サタンの身体には傷らしいものが一つも見当たらない。それに対してブイオは、さっきの数倍もの傷を負っていた。サタンの攻撃をかわしはしていたが、それでも全てをかわし切る事は出来なかったようだ。

助けに行きたい、という思いが胸の内で激しくのたうっている。僕は脇に立つ歌恋の姿を見た。

もし、歌恋さえウイルスに侵されていなければ、助けに行けたのに。

さっき少しだけ起こしてみた気流の乱れも、攻撃に出たブイオが少しうろたえるだけで、サタンには何の効果も無かった。これじゃ逆効果だ。同時に僕は、自分に今出来る事はもうないと悟っている。今の僕には、二人を見守る事しか出来ない。これ程の無力感を感じたのは初めてだった。

「これぞ、俺の長命の秘訣。我が身体を木端微塵にでもしない限り俺の身体は再生する。木端微塵にした所で、一か月もあれば俺は復活する。この不死身の身体こそ、俺が持つ最大の切り札だ」

サタンがもう一度炎を吐いた。疲れて、なおかつショックを受けていたブイオは、不意打ちに反応して避ける事も出来ず、まともにそれを正面から受ける。さすがに火傷は負わなかった様だが、勢いに押されて上空から一気に地面にと叩き付けられる結果になった。

それを追う様にして降りてきたサタンは呻いているブイオの身体を大きな手で掴み上げ、思いっ切りぶん投げる。ブイオの身体は、今度は僕から数メートルも離れていない家の壁に叩き付けられ、崩れ落ちた。

サタンがゆっくりとブイオに向かって歩み寄って来る。僕は咄嗟にその間に割り込んだものの、足が竦んで動けなかった。

サタンの顔に、残酷な微笑が浮かんでいる。身体のあらゆる所から血を流しているブイオは息も絶え絶えで、精気はあるが生気のない瞳で近付いて来るサタンを見ていた。いつもは前髪で隠れている筈の漆黒の瞳が覗いている。色の違うブイオの両目を見て、サタンの笑いが深くなった。

「氏族の血が半分しか流れていなかったのが残念だったな。だが、おまえがもう苦しむ事は無い。心の広いこの俺が、せめて友の傍らでおまえを終わらせてやろう」

ブイオの瞳が揺れ、一瞬僕の方を向いた。血の気を失った唇が、微かに動く。

[逃げろ]と、そう言っているのが分かった。

[俺を気にする前に逃げろ。次の標的は間違いなくあんただ]…と。

僕は動かなかった。竦んだ脚はもう既に解放されていたが、決してブイオを見捨てる訳にはいかない。

サタンが楽しむ様にゆっくりと、しかし確実にブイオに向かって歩いている。

と、その時、僕の中から爆発した様な叫びが聞こえた。

―何をしている!お前は黙ってこのまま見ているつもりなのか!―

父さん?でも、僕には何も出来ない…

―そんな訳があるか!剣を…剣を使え―

駄目だよ、父さんも見ただろう?サタンにはどんな攻撃も効かないんだ!

―ただ一つだけ方法があるだろう―

木端微塵にするの?この剣で?無理だよ。

―無理ではない。忘れたのか、この剣を作ったのが誰なのかを―

アマンドだろ?父さんの友達で、ブイオの父親の。

―そうだ。そして、アマンドは孤高の結界師だった―

知ってるよ。でもそれがどうしたんだ?

―その剣は力を分け与えられている。刺されば、内側から結界を張ってその身体を粉々にするのだ―

じゃあ、もしこれをサタンに刺せば…

―ああ。木端微塵になる―

でも、失敗したら?ブイオとサタンの間には何もなくなってしまう…怖い、恐いよ…

―わたしが言っていた事を忘れたのか?怒りに身を任せろ。躊躇っている暇は無い、急ぐのだ―

…う。…うぅ。

―現実を見ろ。目を背けるな。立ち向かえ…!―

瞬間、僕の意識が途絶えた。


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