終焉の時 1
「市長!」
そう叫びながら部屋に飛び込んで来たのは、一人の兵士だった。確かこいつは、來の家の見張りをさせていた兵士だ。
「っと、フォレイグン大佐もいらっしゃいましたか。失礼しました!」
「いや、気にしなくて良い」
「何があったんだ」
市長の問いに、兵士は一度敬礼をして姿勢を正した。そして再び声を張り上げる。
「御報告致します!來、その他もろもろの敵が、帰ってまいりました!」
そうか…遂に帰って来たか。
これで、いずれ絶対に帰って来る筈だという市長の読みは当たった訳だ。
コンコン、と扉がノックされる音がした。入れ、と市長が声を掛ける。
その大きな体を無理矢理捻じ曲げる様にして部屋に顔を出したのはサタンだった。
「兵士から、話は聞いたか」
「ああ、聞いた。遂に来たらしいな」
「そうだ。それで、俺達はいつ行けばいい?なんなら、今直ぐに突撃しても良いが」
「いや、もう少し泳がせておこう。奴らはきっと、何らかの味方を連れて来る筈だ。例え連れて来た所でわたし達に敵う筈もないのだから、その味方がどんな物か、確かめてみたい」
「あ、それなら」
口を挟んだのは、さっき報告してきた兵士だった。その言葉に、市長もサタンも、口を閉ざす。
「既に五十人ほど連れて来ていました。大きさはサタン様程で、緑色の肌をした者達です」
緑色の肌、そしてサタン程もある大きさ…。どこかで見た記憶がある。
「…市長様、見覚えはありませんか?わしには、どうしても思い出せないのです」
「メヒムだ」
「メヒム?メヒムというと、かつて森の番人だったという、あのメヒムですか?」
「そうだ。他に何が居る」
「いえ…ただ、メヒムはもう滅びた筈じゃ…」
「そうだ。その場には、おまえも立ち合っていた筈だが、覚えていないのか?」
滅ぼすのに参加したって…。ああ…思い出した。
そういえば昔、どこかの大きな森に攻め込んだ記憶がある。確か、その時に話した森の住人がそんな見た目をしていたか。ただその時倒したのは皆子供だったから、それ程の大きさは無かったのだが。
「じゃあ、どうして今此処に」
「それなら、どこかに隠れでもして生き残っていたんだろう。大丈夫だ、こんな事、くたばりぞこないがのこのこと現われただけの事だ。わたし達の気にする事ではない」
「…なるほど」
「ああ、そうだ。…しかし」
そう言って市長は、兵士に話を振る。兵士は慌てて直立不動になった。
「なんでしょうか?」
「なにも、これだけではないだろう?他にも、味方は居る筈だが」
「あっ…ええ、仰せの通りです」
兵士は、少し驚いたような表情をして首肯した。そして、ただ、と付け加える。
「二匹の悪魔、そして來の出て行く姿が見えただけでして…。それが味方を連れてくる為の物だとは」
「いや、それで十分だ」
市長は満足そうに頷いたが、わしにはどうも納得出来ない事があった。というより、どうしてもスルー出来ない事があった。堪らず兵士に質問する。
「二匹の悪魔、と言ったな」
「…はい」
どうしてそんな事を聞くのだろう、という顔をする兵士。それに構わずわしは続ける。
「もう一匹は何だ」
「…もう一匹、と言いますと?」
「一匹は、例の赤眼の悪魔だろう。それは分かっている。なら、もう一匹は何だ?」
「ああ、そういう事ですか…」
一拍おいて、兵士は特徴を一つ一つ挙げていった。それにはわしだけでなく、市長やサタンまでもが聞き入っている。
羽や角などの色は、赤眼の悪魔と同じように黒い。
その顔は來と瓜二つ。
服装は、黒い革ジャケットにズボン。
來には、[サシル]と呼ばれていた。
「待て!」
…と、サタンがその台詞を途中で遮った。その剣幕に、兵士は怯えたように閉口する。
「今…サシルと言ったか」
「確かに言いましたが…まさか、お知り合いで?」
「いや…知り合いというか何というか…」
サタンが珍しく言葉を濁す。しかし、わしらがその台詞の先を待っているのを見て、観念した様に口を開いた。
「…俺の息子だ」
「!?」
絶句。サタンは言葉を続ける。
「あいつは、俺ともう一匹の悪魔によって生み出された破壊魔で、れっきとした地獄の純血種だ。念の為、勘違いしないように言っておくが、あいつは角翼族じゃない」
「…何だと?」
反応したのは、市長だった。信じられない、とでも言いたげな面持ちでサタンに詰め寄る。
「だったら角翼族はどれなんだ。メヒム以外で増えたのはそいつだけだったのだろう?」
サタンは平然と頷いて見せた。そして、手を上下させて市長をなだめる。
「まあ、落ち着いて聞け。角翼族がどれなのかは俺には分からないが、それでも、おおよその見当はついている。例えば角翼族は、俺達地獄の悪魔の中から出た、とかだな。見付けたければ、俺が知っている角翼族の条件に当てはまる奴を、探せば良い事だ」
「条件?それは何だ、教えてくれ!」
更に詰め寄る市長。その瞳には、好奇と恐怖がありありと浮かんでいる。サタンはおもむろに空咳をすると、市長から少しだけ距離を取り、口を開いた。
「俺がサシル以前に生み出した悪魔の中に、アマンドという名の結界師がいる。しかし何の手違いか、あいつは残忍な考えをほとんど持ち合わせていなくてな…。結局、あいつは俺の手で地獄から追放した。…その後聞いた噂によれば、あいつは角翼族の女との間に、子供を持ったらしい。つまりは俺の孫にあたる訳だが…もし、今角翼族がいるのならば、その子供しか有り得ないだろう。その子供はしばらくキルで乳母に育てられた後、自分の意思で魔界の悪魔と自己を偽り、無事に育って来たらしい」
「その子供についての特徴は何かあるか」
「そうだな…姿は、悪魔だ。色は、典型的な黒という訳だが…。ああそうだ、その子供に限らない事だが、角翼族の眼は皆一様に紅い、という特徴がある」
…そこまで。
そこまで言われて分からない人は居ないだろう。横目で、市長を窺う。頭を抱えるその眼には、後悔と自責の念がありありと浮かんでいた。
「やはり、あそこで始末しておくべきだったか…。まさか、あいつだったとは」
赤眼の悪魔。
いつも來の傍に居て、まるで恋人の様に仲が良い二人。
言わずもがな、息はぴったり、以心伝心は当たり前、だろう。
そんな二人が手を組んだらどうなるか…
当然、格段に手強くなるのは目に見えている。
ましてや、赤眼の悪魔は角翼族だ。死の氏族。下手に手出しは出来ない。
「そうだ、ついでに言っておくが…」
出て行き掛けていたサタンが振り返った。その言葉にわし達は再び耳を傾ける。
「さっき言った俺の息子…サシルの事だが、あいつの破壊力は途方もないぞ。この星の様に大きすぎる物、それと、俺の様にあいつよりも強い力を持つ悪魔なら別だが、それ以外は、一瞬で塵に出来る、そんな能力を持っている。おまえ達も例外じゃない。塵にされないよう、気を付けるんだな」
全身の毛が逆立った。それ程に、サタンはあらゆる意味で恐怖を味わわせてくれる。
「忠告に、感謝するよ」
震える声を押さえ付けながらわしが言うと、サタンは答えずに口の端を歪めてにやりと笑い、そして部屋を出て行った。
と、それと入れ替わりにまた兵士が駆け込んで来た。さっきとは別の、來の家に付かせていた兵士だ。
「御報告致します!只今、出て行った三名が帰って来ました!膨大な援軍を連れています!」
「膨大な援軍…とは?」
「まず三千人余りで成るキル=クェロッタの住民全員、そして、おそらくヴェンフォンの物だろうと思われる軍隊であります!」
「そいつらは、強いのか?」
「それは…申し訳ないながら、わたしには判りかねます」
そう言って頭を下げ、兵士はそそくさと出て行った。わしの質問には市長が代わりに答える。
「…強いぞ」
「…え?」
「さっきの質問に対する答えだ。…まず一つ、キル=クェロッタの住民は、この世で最も残忍かつ凶悪な種族として知られている。角翼族の直属の種族が、地獄の悪魔とこの住民である事も、その事実を裏付けている」
…それは、確かに手強い。
「そして、もう一つ…ヴェンフォンの軍隊は、地面と空中を自由自在に駆け回る三次元戦法を用いて来る。おそらく、おまえの兵など一瞬でねじ伏せられてしまうだろう。この世で[軍隊]と呼ばれる物、その頂点に、彼らは位置している」
…それは、とてつもない威力だ。
黙り込んでしまったわしに向かって、市長が微笑みかける。
「何もそう心配する事は無いだろう。大丈夫だ、わたし達にサタンが付いている限り、わたし達が負ける事は無いと言っても過言ではない」
「でも、それはつまり、もし万が一にもサタンが負けたら…」
「わたし達の勝ちはほぼ無くなると言っても良いな」
あまりの即答に、わしはまたしても絶句した。それに気付いた市長が、笑い声を上げる。
「だから、サタンは絶対に負けないと、そう言っているだろう?」
いやでも、それを信じるしかない。それに、この市長が言う事だ、間違いである筈がないだろう。
「フォレイグン」
「はい」
「下に降りるぞ。外に出る支度をしろ」
…何だ、いきなり。
もしかして、もう攻め込む気でいるのか。…いや、それが妥当なのかもしれないな。
市長の言う事は間違ってなんかいない。いつも、最善、最良の案を出してくれる。ならば、それを信じて徹底的に付き従うのがわしに定められた使命だ。
わしは、もう一度返事をしてそそくさと準備をする。兵士達にもこの事を知らせてこようと部屋を出かけた所で、市長に呼び止められた。
「…何ですか?」
「フォレイグン、念の為言っておくが、わたし達はなにも、今から攻め込む訳ではない」
「え?…では、何の為に?」
「迎えてやるのだよ」
「迎える?…それはどういう」
「奴らは、直に此処に向かって攻め込んで来るだろう。向こうの自分勝手な目的、そしてそれはわたし達が阻止せねばならない目的にもなるのだが、それでもわざわざこんな高い所まで来てもらうのは人としてどうかと思うのだ。だから、せめてもの礼儀として、建物の外で待っていてやろうと思ってな」
…おお、素晴らしい。
なんという親切心だ。敵にさえこんな対応を見せるとは。わしの心が今、感動で泣いている。
わしは鋭い敬礼を返し、足早に兵士達のもとへと向かった。




