二つの反逆者の融合
長い冒険の旅がだんだんと終焉に近付いて来ているのを、僕はひしひしと感じる。
そんな事を考えながらふと落とした視線の先には、小さな双葉が顔を覗かせていた。
「もう…春なんだね」
「ん?…ああ、そうだな」
ただ、太陽が出ていないのが残念だ。ブイオはそう付け足して、頭上に広がる夜空を見上げる。
「何故、僕達が来る時はいつも夜なんだろうね?」
「さあな。でも、案外こんな物なのかもしれないぜ。なんせ、俺達には月が付いてるからな」
「そうだね。月…っていうか必ず満月だけど。…?あれ?ってあれ?」
「どうしたんだ」
「月が…無いよ。どこにも、見当たらないんだ」
「新月なんだろう。無くなった訳じゃない」
「新月…か。…なぁ、ブイオ」
「何だ?」
「新月って、満月の真逆だよね」
「まあな」
「…僕、今戦ったら絶対に負ける様な気がしてならないんだけど」
「そりゃ奇遇だな。俺もちょうど、そんな気がしてきた所だ」
前途多難。僕とブイオは、どちらからともなく深々と溜息を吐いた。
「…取り敢えず、あんたの家に行こうか。それ以上に安全な場所は無いからな」
「…了解」
自分の家までの道なら、僕自身が当然一番よく知っている。森の出口は街にかなり近い所にあったようで、そんなに時間の経たない内にSkyとの境目まで来た。
「この先は十分に注意した方が良い。どこに敵が居るかも分からないから」
周りに気を配りながら、全員で一塊を作ってゆっくりと進んで行く。Skyには実際住民はほとんどいなかったが、それでも通り抜けるのに二時間近く掛かった。
「此処からは、形だけは敵の本拠地に乗り込む形になるから。今まで以上の注意が必要になってくる」
更に結束を深め、そろそろとSunに踏み込む。中は異様な程不気味に静まっていた。
しかし、そこに人が居ないのかと言われればそうじゃない。むしろ、大量に居る。大量に、横たわって死んでいる。
歌恋を見た。これが、歌恋と同じ病気なのだろうか?信じられない。たとえ話せないにしても、しっかりと歩けて、僕の声に反応出来る歌恋は、これに比べれば健常者の様にも見える事だろう。
倒れ伏す死体の波を掻き分けながら、僕は久しぶりに我が家へと帰った。
カーテンが内側から閉められているが、この家に間違いない。ドアを開けようと取っ手に一度は掛けた手を、引っ込める。そして、僕は改めて手を伸ばすと、跳ねる心臓を押さえ付けてノックをした。
カーテンに僅かな隙間が開き、そこから一つの眼が覗く。僕達の姿を捕えた眼は一瞬にして引っ込み、次の瞬間、ドアの鍵が多少乱雑に開く音がした。
そして。
その中から飛び出して来た人に、歌恋もろとも強く抱き締められる。あまりにも速すぎる動きで顔は判別できなかったが、そんな事を確かめるまでも無く、これが誰なのか位は分かった。
深呼吸を一つして。
僕は静かに口を開いた。
「…母さん…ただいま」
そういえば、最後に会ったのはブイオが攻めて来た時だったっけ。思えば、そんなにも長い時間、僕は母さんと離れていたのか。
しばらくその体勢のまま時が過ぎ、母さんは顔を上げた。頬が涙で濡れているが、嬉しそうな笑みを見せる。
「…お帰りなさい、來。揚魅から大方の話は聞いているわ。沙流も揚魅も、それに他の皆も、入って。話は中でしましょう」
大きいからと断ったメヒムを除いて母さんの後に付いて家に入り、全員軽く自己紹介。僕と沙流と揚魅、そして歌恋以外は母さんとも初対面なので、色々と詮索されていた。
「來、此処結構楽しいな」
僕の肩に、そう言って万生がしな垂れかかって来る。どうやら母さんから上手く抜け出して来たらしい。
「母さん、うるさくなかった?」
「あれ位、どうって事無いよ。いい人じゃん」
「だったら良かったけど」
「ああ、良かった良かった。後、お前に伝言」
「何?」
「表のヴァネル達に、動物は任せておくって」
「ああ、あの動物達の事だね。ん、了解」
「それと、お前がお前の父親から聞いた話の意味、一つは分かるってさ」
「一つって、どっちの事だよ」
「んー、月がどうたらこうたら、の方」
「そっちか。で、何だって?」
うん、と万生は僕の首に回していた腕を解いて前に回り込んで来た。胡坐をかいてちょこんと座り、僕の顔を見上げるようにする。
「形勢、だって」
「形勢…それだけ?」
「ああ。詳しく言えばさ、このままだとどっちが勝つか、っていうのを現してるんだよ」
「どっちかっていうと?」
「だから、おれ達が勝つか、市長達が勝つか。ちなみに、満月ならおれ達の完全勝利、新月に近くなればなるほど、市長の勝つ確率が高くなっていく」
「ああ、なるほど。…って事は…」
「…そうなんだよな…」
言わずとも、互いに考えている事は分かっていた。人間界に帰って来て初めて見た月。…いや、見えなかったから、そう言えるのかどうかもあやふやだが。
つまり月が見えなかったという事はだ。
ブイオも言っていた、新月だって。
そして、今の万生の伝言によると、新月は市長達の完全勝利を意味しているらしい。
つまりそれは、僕達に勝ち目が無いという事。
「…困ったよな…」
「…ああ、全くだ…」
すっかり意気消沈している僕の肩を叩く手があった。ブイオが、いつになく真剣な表情で僕達を見下ろしている。
「あんたの母さんから、話は聞いた。どうするんだ?このまま引き下がる訳にもいかないだろう」
「うん、そうなんだけど…」
何とか打開策は無い物か。首を捻って黙り込む僕達の輪に、いつの間にかサシルが加わっていた。
「…要はさ。なんか、俺らの味方が増えりゃ良いっつうこったろ?」
「そりゃそうだよ。…そうだ、なあサシル、キルの人達を味方に出来ないのか?」
「えっ…ああ、出来る…と思う。そうだな…ブイオ、おめーが協力してくれれば何とか」
その言葉に、ブイオが顔を上げた。一瞬黙り、そして頷いて見せる。
「分かった、付いて行く。けど、行くからには味方にするまで帰って来ない位のつもりで、だぞ。その辺の覚悟は出来てるんだろうな、サシル」
「ったりめーだ。キルの奴らと言わず、あの婆さんだって引っ張り込んでやんよ」
「ふふん、良い心意気だ」
そして、ブイオとサシルは母さんに何かを告げると連れだって出て行った。家を出る直前、サシルが一旦足を止め振り向く。
「そうだ。おめーらにも知り合い位いんだろ?なんか強そーな奴いたら連れてこいよ。例えば、どっかの国の軍隊とかさ」
そう言い残してサシルはブイオを追って飛び立った。その黒い後ろ姿がたちまち闇に溶ける。
僕の心には、[軍隊]という言葉が引っ掛かっていた。
「どうしたんだ、來?凄い不吉な表情してるぞ」
万生が心配そうに僕の顔を覗き込んで来る。それには答えず、僕は逆に訊いた。
「万生。僕が今までに関わった事のある軍隊を挙げてみてくれ」
はぁ?と万生はとても訝しげな表情をしたが、僕の真剣な顔を見て素直に名前を挙げてくれた。
「そうだな…かなり前に魔界に攻めて来た市長の軍隊と、その時に出来た悪魔の軍勢、後は…あ、そうだ、ヴェンフォンの―」
「そ、それだっ!」
何故今まで気付かなかったのだろう。ヴェンフォンを立ち去る時、シェケムは[何かあったら自分がいつでも力になる]と、そういっていたじゃないか。
そして、シェケムはヴェンフォンの軍隊長だ。なら…!
僕は歌恋を抱え上げると、入口に向かってダッシュした。驚いた母さんが呼び止めるが気にせず、ドアを体当たりで勢いよく開ける。
さすがに歌恋を抱えたままだと思う様にスピードが出ない。咄嗟に寄って来たペガサスに跳び乗って夜空に飛び立つ直前、万生が母さんに何かを言っているのが聞こえた。
どれだけペガサスが急いで飛んでくれたのだろう、一時間経ったか否かの辺りで僕は見覚えのある竜巻の所に辿り着いた。急ぎなので竜巻は使わず、風の力をフルに使って一気に雲の上まで到達する。以前泊まった宿舎の前に辿り着くと、僕はペガサスを降り、一番近い所にあった扉をノックして開けた。
扉の中には、筋骨隆々として背中に羽を生やした男達が十人程床に座っていた。鋭い視線に、思わず足が竦む。その中で最も大柄な一人が立ち上がり、來の目の前にゆっくりと歩いて来た。
「…誰だ、お前は。見かけない顔だが、悪魔の親類か」
「ちちち、違いますっ!」
威圧感に対する緊張のあまり、しどろもどろになってしまう。それでも何とか、僕は平静を取り戻した。
「僕は、シェケム…さんの知り合いで、少しお願いがあって来ました。…あ、これは悪魔の親類とかじゃなく、単に僕が竜族なだけです」
瞬間。
男の表情がより一層険しい物となった。
これはヤバいぞ。僕は何か、まずい事でも言ってしまったのだろうか。気を付けたのに…。
僕は、無理に笑顔を作る。作りながら、気付かれない様に僅かに腰を落として歌恋を背中に回し、いつでも剣が抜ける体勢を作った。意識を男に集中し、殺気や動きを感じ取れるようにする。そして深呼吸を繰り返した。
一回、二回、三回、四、五、六…
その間、僕も男も微動だにしない。僕が思わず元の体勢に戻りかけた時、男が瞬時にして動いた。
その手にいつの間にか握られた小ぶりのナイフが、僕の喉元を正確に狙う。僕は飛び退いて紙一重でその刃を避け、そのまま男の手首を掴んだ。
…と、男はいきなりナイフを手から落とした。呆気に取られた僕が手を離すのを待って、それからナイフを拾い、服にしまう。
どうせ振り払われるのだろうと思っていた僕にとっては意外すぎる展開だった。この男の力なら、それ位簡単な筈なのに。
すると突然、男が腰を九十度に折って僕に礼をした。ふと視線をずらすと、後ろの男達も皆同じ事をしている。僕は驚きを越してパニックになり、何故か謝ってしまった。
「あの、なんか、すいません!」
「な、何故お謝りになるのですか!竜族ともあろう人が…」
「え?…えぇ?」
「わたくしのご無礼を、お許し下さい!間違いありません、あなた様は竜族であらせられます。先程はその確認の為だったのです。あんなに俊敏に反応出来る者など、あなた様を置いて他には―」
男の態度は一変し、尋常じゃない程の敬語を使っている。僕はその言葉を遮った。
「そ、そんな、大袈裟ですよ。僕は、そんな大層な人でもないのに…」
「何をおっしゃるのですか!ご謙遜にも程があります!…さあ、隊長の所へご案内しましょう。どうかこのわたくしの後を付いて来て頂ければと存じます」
「…はぁ…。分かりました、じゃあお願いします」
とてつもなくやりにくい。そりゃ、竜族は此処で有名かもしれないけれど、だからってそんな、ここまでしなくても…
長い廊下を進むと、やがて正面に一つの扉が見えた。他の扉と違って、この扉だけ僅かな装飾が施されている。男が声を掛け、扉を開けた。入口の外から、僕は中を覗き込む。
「やあ、來じゃないか。どうしているものかと心配していたよ」
部屋の中央に置かれた机。その椅子にシェケムが全く変わらない様子で座っていた。
「お久しぶりです、シェケム。突然、すいません…」
「いやいや、構わない。…うむ、表情から窺うに、何か突発的な非常事態が起きた様だが…違うか?」
「いえ、違いません」
即答だな、とシェケムは苦笑した。椅子から立ち上がると机の前に回り込んで僕の正面に立つ。
「それで、何の用だ?前言った通り、何でも力になるぞ」
「はい。実は、それを頼って此処に来たんです」
「なるほど。それは都合が良い。自分も、最近暇を持て余していた者でな」
「なら、気兼ねが要らなくて有難いです。…あの、それで用件というのが、シェケムの軍隊に関する事なんですが…」
「もちろん構わないぞ。調べるなり、使うなり、誰でも幾らでも、自由にすると良い。それとも、自分が指揮した方が良いか?」
「ええ、そうしてほしいです。ただ、かなり危険な事なので…」
「そんな事は承知の上だ。そうでもなければ、竜族ともあろう君がこの自分を訪ねて来る訳が無い」
「それは…買い被りですよ。僕だって完璧な生き物じゃない」
「それはそうだがな。君には仲間がいるじゃないか。仲間は良いぞ、心強い」
「はい、全くもってその通りです。それで、その内容というのが」
「いや、いい」
遮られた。これじゃちっとも核心を話せない。話は逸れるし、遮られるし、本当に大変だ。
「緊急の用なんだろう?内容は移動しながら話す。外で待っていてくれ」
そのままシェケムに押し切られる形で、宿舎の外に出る。ペガサスの所まで行き、鼻面を撫でた所で、宿舎から機械を通した様なシェケムの声が聞こえた。
[全隊、出動要請!目的地は人間界、先導は自分と竜族の少年、來が行う!尚、この戦いには苛酷が予想される、準備は万端に整えておくように!]
それから数分。それまで虫一匹と居なかった宿舎の入口から、突然数十人もの兵士が飛び出して来た。そのとてつもない迫力に、思わず全身の毛が逆立つ。
最後にシェケムが出て来て、兵士の波は収まった。シェケムは宿舎の扉に鍵を掛けてから僕の所に歩いて来る。
「総勢、1368名。これで全員だ。どの兵士も、完全の準備と戦闘力を兼ね備えている」
「了解。有難う御座います。…じゃあ、今直ぐ行きます。付いて来て下さい」
シェケムが頷き、自分のペガサスに跨った。僕も歌恋と共にペガサスに乗る。僕が飛び立つ前にシェケムは振り向くと手を口の所に当て、声を張り上げた。
「総員に告ぐ!只今のこの時刻を持って、全隊出動とする!」
大歓声が巻き起こった。前に向き直ったシェケムが僕に向かって親指を突き出す。僕も同じ手の形で、それに応えた。
…よし、気合が入って来たぞ。
ペガサスの翼が、力強く空気を叩く。その身体が浮き上がり、そして直ぐに風に乗った。
振り返ると、シェケムも軍隊もしっかりと後を付いて来ている。シェケムが僕の横に並び、僕に微笑みかけた。
「此処から人間界まで、少しの時間はあるだろう。その間に、目的を教えてもらえないか?」
当たり前じゃないですか、と頷き、僕はシェケムに全てを話した。市長や命の蝶に関する、少しでも有効だと思われる情報、またそうでない物も幾つか、細部まで丁寧に教える。
一通り聞いた後、シェケムはゆっくりと大きく頷いて見せた。
「よし、大方の事はしっかりと掴めた。要するに、その市長を倒せと、そういう訳だな。決して負ける訳にはいかない一度きりの戦いだからこそ、少しでも多い味方が必要だと」
「ええ、はい。そういう事です」
丁度その時、人間界に入ったばかりの夜空の下を何かの影が走っているのが見えた。少しだけ注意する様に、とシェケムに伝え、その集団に近付いて行く。市長が新しく呼んだ敵かとも思っていたのだが、それも杞憂に終わった。
「おっ!よーぉ來、すっげぇ奴ら連れて来てんじゃんかよ!さっすがぁ」
「なるほど、そういえばそんな味方もいたな。気付かなかった」
三千人の殺人鬼達と一人の[婆さん]を連れ、楽しそうにそう声を掛けて来たのは、他でもない、ブイオとサシルだった。どうやらそっちも成功したらしい。シェケムも警戒が解けた様だった。
「久しぶりだな、ブイオ。ほら、後ろを見てみると良い」
ブイオと一緒に、僕とサシルも後ろを振り向く。するとそこには、まるで幼馴染の様に、互いに談笑しながら並んで付いて来る兵士達と殺人鬼達の姿があった。
「何だぁ⁉」
サシルが素っ頓狂な声をあげる。僕も同じ心境だった。
「俺達でさえこんなにも手を焼いちまう様な奴らが、何で見ず知らずの、しかも神獣がそもそもから違う奴らとこんなに楽しそうに打ち解けてやがんの?信じらんねぇ、不合理だ、不条理だ、非合理だっ!」
「そこまで言うか…」
苦笑する。ブイオも肩を震わせて笑っていた。
「互いに似た様な物だからな。案外、仲間意識が芽生え易かったんじゃないの」
「はぁぁあ⁉…そ、そんなのアリなのかよぉ…」
サシルのテンション、瞬間で白濁沈殿。
しかし、きっちり二秒後には元のテンションに戻って指示を出し始める。
「おい、おめーら!話してんのは良いけどよ、ちゃぁんと前も見てろよな!こんなとこで転んで掠り傷なんか作りやがったら、この俺が承知しねぇぞ!」
「八つ当たり、だな…」
僕とブイオは同時に呟き、そして吹き出す。サシルがそれだけ分かり易い奴だったというのも笑えるが、何よりも、この状況でさえこうしていつもと同じように笑えるのが嬉しかった。
「こらこら、おめーら!恋人ごっこは他所でやれ!」
自分がその原因だとも知らず、噛み付くように怒鳴るサシル。気が付くと、サシルを除く全ての人が皆一様に笑っていた。
「おい、何がおかしい!皆して笑ってんじゃねぇ、おめーらワライダケでも食ったのか!」
「そうだよ、あんたに食わされたんだ」
「何で俺なんだよ!」
ブイオの正確な答弁に、僕達は更に笑い転げる。腹の皮が捩れて、元に戻りそうもない。サシルは拗ねてしまったが、しばらくはそれにさえも気付かなかった。無言になっていたというのに。
「…あ」
拗ねて上空を飛ぶサシルを見付けた時、僕達はそれしか言えなかった。ブイオが頭を掻く。
「…しょうがない、俺がなんとかしてくるか」
ブイオは飛び上がってサシルの背後に回ると、いきなり背後から抱き着いて力任せに引きずりおろそうとした。サシルが必死の形相で抵抗する。
「うわっ!おいこらブイオ、相手を間違えてんぞっ!顔で判断するな、本物は下に居るっ!」
「馬鹿、じゃああんたは何なんだ。影か、幽霊か、ドッペルゲンガーか?」
「何言ってんだ、俺は生きてる、本物だ!」
「じゃあ合ってるな」
「違うっ!そうじゃなくっ…痛てて!」
「うるさい」
ブイオがサシルを地面に叩き付ける。凄く痛そうな音がしたが、羽のせいか受け身のせいか、サシルは即座に立ち上がり、平然と降りてくるブイオに牙を剥いた。
「危ねぇな、骨が折れたら、どうしてくれんだよ!」
「その時はその時だ。そもそも、一人で勝手に拗ねて飛んで、しょうがないから俺が降ろしてやろうとしたら必死で抵抗してたのはどこのどいつだ?」
「…知らねぇな。そんな奴、居たっけか?」
しらを切る[どこのどいつ]に、ブイオは容赦ない鋭い蹴りを飛ばした。
「ぐぎゃあっ!」
サシルが吹っ飛び、ヴェンフォンの兵士達に助け起こされる。一歩ごとに痛むらしく、サシルは歩きながら顔をしかめ、蹴られた患部を押さえて呻いていた。
「…く、くぅ…あっ…ぐ…はぁっ…」
「サシル!?大丈夫なのか?」
「だ、大丈夫っ、骨は、折れてっ…ねぇっ…」
「全然大丈夫そうじゃないんだけど…」
「それはっ、関節が…外れてっ、からだ…」
よくそんな状態で歩けるな…。
僕はブイオの所に行くと、サシルの状態を伝える。ブイオはそれを面倒臭そうに聞いていたが、やがて溜息を吐き、サシルの身体を片腕で軽々と持ち上げた。
「ぐあっ!…何、すんだっ!」
「いいから黙ってろ」
ブイオがサシルの片足を握り、力を込めた。ごきり、と音がして関節が無事嵌まったのが分かる。地面に降ろされたサシルは、嵌まったばかりの関節を擦りながら涙目でブイオを睨み付けた。
「…これで負けたらおめーのせいだかんな」
「はいはい。でも、右から責任を押し付けられたら、俺はそれを左に受け流すだけだからな」
その言葉に、ブイオの左側を歩いていた僕は瞬間、右側に移動した。そんな責任を押し付けられたら堪らない。
そうこうしている内に、僕の視界がSunの街並みを捕えた。ほぼ無意識に、夜空を見上げてしまう。
月は、見えていた。
半月…より、少し細い位だろうか。これで勝率は確保出来て少しはマシになったものの、これではやはり一抹の不安が残る。
「なあブイオ、僕達は勝てると思うか?」
僕に訊かれたブイオは空を見上げて月を確認した後、腕組みをして考え込むようにした。僕を見、サシルを見て深く溜息を吐く。
「難しいな。見た通り勝率は半分以下だし、向こうは一人一人の力が大きい。それに、俺達との力の差も半端じゃないしな」
真剣な顔で答えたブイオは、そこで言葉を止めた。腕を解いて僕の方を向き、でも、と笑顔を見せる。
「勝たなきゃならないんだろ?あんたが言うには、一ミクロンでも確率がある限り戦うんだったと思うけど。それに対して俺は協力すると答えたし、他の皆も結構乗り気だった。…だったらやるしかないんじゃないのか?」
…そうか。
…そうか、そうだよな。
これは僕達に託された使命であり、僕達以外には成し得ない使命だった。今更になって、敵前逃亡するのはおろか、僕達には躊躇う猶予すらも与えられていない。
これは、一方通行の激流なんだ。
留まる事を知らないその渦に投げ込まれた僕達は、ただ一つの目的地を目指して流れるままに流されていく。
その目的地が希望なのか絶望なのか、それは誰も見た事が無い未知の領域。
分かれ道を選ぶのはむろん僕達だ。
Sunに、決戦の地に僕達は足を踏み入れた。準備はこの上無く万全に整っている。
僕達に残された道はただ一つ。
それは、敵と戦って勝利を得、命の蝶を復活させる事。世の均衡を再び取り戻す事。
最後の決戦場が、今、幕を開けた。




