決戦の地へと 1
サシルと万生がいなくなってから、かなりの時間が経った。
「あいつら、どこ行ったんだろ」
沙流がぼそっと呟く。フィアンマが声を張り上げた。
「だから、麒麟に連れて行かれたって言ってるじゃない。あたし、ちゃんと見たんだから」
「夢の中でだろ、どうせ。でもなきゃ、こんな所に来るもんか」
「そんなの分からないわよ」
「じゃあ拉致だ、拉致。麒麟に喰われたんだ」
「そんな、縁起でも無い事を―」
「止めろよ!」
うるさかった。正直に言って。沙流もフィアンマもまるで分かっていない。自分がやっている事が、困惑故の虚無感、不安からの心にもない言い争いだって事に。
「大体沙流、お前何回目だ?その自虐台詞言うのは。それにフィアンマも、そんな戯言にいちいち構うな。あのな、[麒麟に連れて行かれて][喰われた]んなら、それはつまり俺達の不戦敗を意味するんだ。それが敵前逃亡とは比べ物にならない程無様で情けない事だって分かってるのか?分かっててその上でそんなぬけぬけと負けを認めやがってるのかよお前らは!」
一息に言い放ったせいか、おれの息は上がっていた。もしかしたらおれも、こいつらと同じ心境、状況に陥っているのか。いや、そうに違いない。おれは床にあぐらをかいたまま深い溜息を吐いた。
あの時寝ていたせいで。
気付かなかったせいで。
あの二人はおれ達の前から忽然と消えてしまった。
何も出来ないという…何だろう、手持無沙汰、とでもいうのか。そんな感じだった。紗蘭にあれだけ言っておいて、これで行けなくなったなんて事になったら…駄目だ、脳が思考を拒否している。
どうしよう、どうすれば良い?―何も出来ないんだ。分かってるだろう?
幾度となくこの意味の無い質疑応答を心の中で繰り返しては、自分を自ら窮地に陥れていく。
そんな事ばかりを繰り返している自分が情けなかった。
全く、あいつらは生死を掛ける戦いをしているかもしれないっていうのにな。
「…おーい」
目の前で、声。どうせ沙流だろうと顔を上げて、おれは固まった。
「おーい。俺の頭にゃ蛇はいねぇぞ、アンドロイド君。ほら、解氷解氷」
「…別に、お前をメドゥーサと間違えた訳じゃ無い」
「じゃあ何だってんだ。人の顔見て固まる奴があるかよ」
「いきなり目の前に居たら誰だって驚くだろ」
「いきなり?はっ、よく言うね。こちとら五分はおめーの顔見てたぜ?」
「気付かなかったな」
「うっわ、ひっでぇ…うわぁ、酷い酷い、揚魅君最低っ!亡霊だよ、死霊だよ、ゾンビだよっ!」
「偏ってる偏ってる。てか、誰の真似だよ、それ」
「知るか。誰の真似でもねぇよ。なんか思い付いたから使ってみたっつうだけ」
そういえば中学校の頃、近所の大学生の姉ちゃんがこんな感じだったな。不意に思い出した。
「無事だっけかな、あの人は…」
妙に懐かしくなってきた。…って、そうじゃないそうじゃない。
「…あのさ」
「ん?何だ?」
「お前らは一体何をやってたんだ?」
「何を…か。そりゃちっとばかし難しい質問だな」
サシルはそう言って一度は上げかけた腰を再び下ろした。下から見上げる様に、挑発的な視線をおれに向ける。
「んじゃ、逆に俺から質問な。…俺達は麒麟の巣窟で、一体何をやっていたのでしょう?」
「それを訊いてるんだよ…おれは」
とは言ったものの、おれの脳回路は既に思考モードに入っていた。
麒麟に喰われたんじゃ…ないな。殺角石関係も薄いし…
「…あいつら二人の手助けか?」
「ん…その答えじゃ五十点ってトコだな。手助けって程でもねぇし、万生はともかく俺の方はちょっとばかし服を届けて来ただけだかんな」
「服?あれ…じゃあ、残りの四人は何をっていうか今どこ―」
「うおおおおおおおっ!!」
「うるさい!」
ボコッ。
…何だ何だ。何の騒ぎだ?
視線が、自然とサシルの方に向く。サシルはおれの背後を見て、薄ら笑いを浮かべていた。
「あぁ、やっぱりこうなると思ってたんだよな…っと。揚魅、ぼけっとしてねぇでおめーも見てみろって。おもしれぇもんが見られるぜ」
言われるがままに身体ごと回転して背後を見る。大抵予想はついていたのだが、そこには案の定というか案の定すぎてむしろ予想外のような状況があった。
床に膝を着き、卵大のたんこぶを頭頂部に作った沙流。ああ、ブイオに殴られたんだな。
その横でやはり拳を固めたブイオ。既に殺角石を手に入れている。
その背後に隠れ、片手で真っ赤になった顔を覆っている來。着ている服はサシルの物だろう。
その手を握った、あるいは握られている歌恋。此処を出る前と同じく、相変わらずの様子だ。
そして、その様子を見て爆笑している万生。何事も無かったかのような気楽さだ。
おれが探していた、そう、今まさに居場所を訊こうとした四人が、その場所に見事に揃っていた。
「あんたが蛇亀族でなきゃ、頭蓋骨を叩き割ってやろうと思ったんだけどな。次に言ったら致命傷ぎりぎりの傷を身体中に限界数負わせてやる」
それ全部足したら堂々の致命傷じゃねぇかよ、とおれが心の中でブイオの台詞に突っ込んだ所で。
ん?とブイオがおれの視線に気付いた。ブイオは嘲笑的な笑みを浮かべ、片目を瞑って見せる。
「ただいま、[考える人]。何だか分からないけど、ようやく答えを見付け出したのか?」
「…何だよ、それ」
「発見に執着する人。ぴったりだろう」
「…いや、間違ってないけどさ。その呼称は止めてくれ。長ったらしくていらいらする」
「へぇ…間違って無い事は認めるんだな」
「まぁ、さっきに関してだけはな。あくまでそれだけだ」
「はいはい。分かってるよ、[生体電子捜査網]揚魅」
「そ、その呼称はいつから」
「今考えた。傑作だろう?」
うーん。何かとぴったりだ。その点で傑作と言えばそうなのだろうが、状況から考えれば、それは意味を成さない戯言にすぎない。
…あー、矛盾か。そうなんだろうな、どうせ。うん、そうに違いない。
って、何でおれはいつもいつもこうやって自分を追い詰めるかなぁ…?
まぁ、良いや。立ち直り、立ち直り…っと。
「んでさぁ」
サシルが口を挟んで来た。まるで世界その物がくだらないとでも言いたげな、見た事の無い訝しげな表情を浮かべている。
「これからどうすんの?頭狂いの市長とやらに一泡吹かしてやんだろ?だったら早いとこ待ち人ん所、行こうぜ。いつまでもこんなくだらねぇ会話、続けてても拉致あかねぇしよ」
早く終わらせてぇんだよな、俺としては。
そんな声が、聞こえた気がした。
「分かった、悪かった。お前が非協力主義者だっていうのもよく分かった。けど、全てが十全に終わるまではちゃんと協力を貫いてくれよ。協力というよりは一方的に良いように操ってるだけのどこかの最強悪魔と違ってな」
「…あんた、誰の事を言ってるんだ」
ブイオの鋭い視線が背中にグサグサと突き刺さる。あぁ、ばれたか。
「そうだなぁ確かに…甥みてぇには、なりたくねぇな」
びくっと。
ブイオの動きが制止した。ああもう、どうして言うかなぁ。どうしてこうも特大の地雷を片っ端から踏み潰していくかなぁ、こいつは。おれ達を負けさせたいのかよ。
「甥…今、あんた、甥って、言ったか?」
「おう、言ったぜ。俺はおめーの叔父ちゃんだ」
沈黙。
ブイオやフィアンマは驚愕のあまり口が利けないし、來は状況がよく呑み込めていない様だ。サシルが此処まで言ってしまうと、事情を知っているおれ達はフォローのしようが無く、押し黙るしかない。
沈黙。
…否、違った。ブイオが、何か呟いている。ぶつぶつと。途切れ途切れにしか聞こえない、しかし、自身を揶揄している事は容易に予測出来る、そんな台詞を、呟いている。
「…んな…とは…が…全く…ない…る筈が…得ない…」
「ちょっと、ねぇ、ブイオ?何、一体何が」
困惑した表情で、來がブイオの肩を揺すった。それを無視してブイオは俯いたまま呟き続け、それに構わずサシルもしゃあしゃあと話し続ける。
「いやぁ、しっかしあの結界にはさすがの俺様も平平身身低低頭頭、完膚なきまでに敵わなかったなぁ。いやはや、さすがはさすが、サタンの血を継ぐ孤高の結界師、アマンド兄様だ」
まぁ、サタンの血を継ぐって言ったら俺も同じだけどな、とサシルは口の端を歪めて笑う。
それは、いささか不合理にも思える光景だった。
悠然と雄弁をふるう、[虚構の殺人鬼]。その言葉には精神さえも崩壊する。
[闇と死の狂想曲]は動かない。部屋の陰に埋もれ、気配を失う。
困惑し、平常を失った[天空の使い]。あらゆる気配は察しても、真実を察するのには疎く、脆い。
全てが全て、見事なまでに不釣り合いだった。
しかし何がどう不釣り合いなのかといえば、おれに答える言葉は無い。
「何を隠そうこの生体電子捜査網、根拠のない事柄を説明する事は苦手なのです」
ぼそっと、呟いてみた。
と、いう訳で。
根拠のある事柄を推し進めようか。
おれはサシルの鳩尾に蹴りをかまして言葉を強引に止め―真面目に考えてこれは互いにかなり危ない行為ではあるが―そのまま振り向かず、來に事情を説明する。來が上げた悲鳴…というより絶叫を聞いて、おれが行動に移すまでも無くブイオは自動的に我に返った。
「…!來、な、何があった!?」
「それはこっちの台詞だよ!ブイオ、君は…君は!」
ブイオの肩を鷲掴みにして、激しく揺さぶる來。ショックのせいだか何だか知らないが、どうやらブイオには都合の悪い事に対するショック自体を忘却する特質があるようだ。
「はぁ?待て、[君は]だけじゃ分からない!落ち付け、落ち付…っ!」
口を押えるブイオ。舌を噛んだらしい。ブイオはその体勢のまま來の手から逃れ、後ずさった。
「…っはあ…痛。あのさ、來。あんたって本当、よく分からないよな」
「な…何が、だよ」
ブイオの表情は酷く訝しげだった。その冷静さに、來は落ち着きを取り戻してそれに応じる。
「今みたいに取り乱したり、我を忘れたり…かと思えば、まるで動じなかったりもする」
「それは…時とか場合とか、後状況によって…」
…?來の受け答えが変だ。何かを隠しているかの様に、口調が慌てている。目も逸らしているし、何か、絶対に隠していそうな雰囲気だ。
「ふうん…なら」
ブイオが來に向かって身を乗り出す。それも、顔同士が接触してしまうんじゃないか、という位近くに。
「何故、俺が関与している時に限って、あんたは怒ってるんだ?」
ああ…核心はこれだったか。
…って、何こいつら!話がどんどん逸れていってるんだけど!
「っと。まあ、いいか。それについては、全てが終わったら聞かせて貰うとしよう」
身体中を強張らせて固まった來をしばらく見詰め、ブイオは先に身体を引いた。おれに向かって悪かったな、と手を振って見せる。
「じゃああんたは、先にメール打っといてくれ。確かに今はそれどころじゃないしな、俺ははっきりと覚醒してる皆をはっきりと覚醒させて、する必要も無い準備をしてくるから」
「じゃあしなくていいじゃないかよ!」
おれの突っ込みを無視して、ブイオは大きな欠伸をし、來の足元に寝転がった。
ってか、己が覚醒から遠ざかってどうするんだよ。
とはいえ、よくよく考えてみればブイオの考えもあながち間違いじゃない。
すなわち、此処を出る為に必要な作業は、おれのメールしか残っていない、という事だ。
溜息を吐き、おれはパソコンのメールソフトを立ち上げる。紗蘭に宛て、[今向かう]とだけ送信した。
「おい、そこの暇人。終わったぞ」
「ん…ご苦労だった」
起き上がり、くあぁ、と欠伸をするブイオ。こんなに気楽でいいのかこいつは。
「あー、気にしなくて良い。寝溜めだ、戦場で寝る訳にはいかないからな。ていうか、あんたの神速のおかげで只今の俺の睡眠時間は皆無に等しいぞ」
「それはそれは褒めて頂いてどうも」
「いやいや礼には及ばない」
そりゃ、四文字だからな。速くて当然だ。…狙ったけど。
「…なあおい」
サシルだった。
「なぁにやってんだ?早く行こうっつったじゃねぇかよ。それなのに何でおめーらはそんな気楽にくだらねぇ話なんかしてやがんだ」
…くそ、どの口がさえずってやがる。
「誰のせいだ誰のっ!そのくだらねぇ話の発端は誰が持ち出した?」
「俺だが、それが何だ?」
うーわ、開き直りやがった。もういいや、拉致があかない。
「…分かった。じゃあ、今度こそ行くか」
「やっとか。待ちくたびれたぜ」
「確かに。なかなか踏み出せてないもんね」
「何回も話し始めるからな」
「うんうん、それだけ俺ん家が居心地良かったっつう訳だな」
「こらサシル、勝手な解釈しないでよ!」
「あんた達、いい加減にしろ。何回それを繰り返す気だ?」
ブイオの一喝で、おれ達は黙り込んだ。ブイオはそのまま、穴を出て行く。おれ達は何となく全員と互いに顔を見合わせ、そして慌ててその後を追った。




