相似する対称 2
穴の淵ぎりぎりに僕達は陣取った。サシルが頭を出し、周りの様子を窺う。
「近くには七人…か。おし、そこの大剣使い」
「僕は基本戦えないんだけど」
「何だよ、使えねぇなぁ」
「悪かったな」
「んじゃ、白髪のでっかいの」
「おれの名はケイルだ」
「…ケイル。手伝ってくれるか?」
「望みなら」
「おっしゃ、決まり!」
次の瞬間、ケイルとサシルはまるで事前に打ち合わせしていたかの様に同時に飛び出すと、敵の只中に突っ込んで行った。二本のナイフが空気を切り裂き、次々と敵が倒されていく。
「さすが、場馴れしてる奴は強いな」
「君も、あんまり人の事言えないだろう」
「まあな」
ブイオとそんな会話をしている内にも、敵の数は減っていく。
数分もしない内に、そこに居た者は全滅した。その内数人には、鋭いナイフが串刺しになっている。
「サシル、回収しなくて良いのか?」
「あー、帰りに取ってくよ」
見たくなかったからそう言ったのだが、この複雑怪奇には全く通用しないらしい。その場を通過しようとした時、ある物に目が留まった。
倒れた男の手の甲に描かれた麒麟の絵。何でも無い刺青ならともかく、これは何故か目を引く。サシルの服を掴んで足を止めさせた。
「なあ、これは何だ?」
「これって…ああ、この刺青の事か?これは、あの婆さんが誰かに憑依した印さ」
「…て事は、この男に彼女が憑依してたって事だよな」
「…ああ。憑依っつーか、コバンザメみたいな物だけどな。それに、過去形じゃなくて現在形。今でも憑依してる」
「……いつでも出て来れるのか?」
「……まあな。基本的に」
「………」
「………」
えーっと。こういう時はどんな行動を取れば良いんだっけ。駄目だ、あまりの恐怖に思考回路が正常に作動しない。
それはこの魑魅魍魎だけでなく、隣の複雑怪奇も同じだった。
不審に思って近付いてきたブイオが、僕達の背後からその刺青を一目見る。直後、僕達の身体はその手によって大きく後ろに引かれた。
「何やってるんだあんた達は…逃げろ!」
それと同時に。その言葉を待っていたかのように。彼女は忽然とそこに現れた。数分前の様に獰猛で、また艶やかで。
僕達を見詰めていた。
「一人増えた事で何か変わるとでも思ったのかい、それはご苦労な話だね」
彼女が指を鳴らす。瞬間、今まで見当たらなかった幾つもの人間の頭を、丘の向こうに見た。
「ざっと三千人。正確に言えば総動員。むろんわたしも参加して…どうだい、裏切り者。それでも勝てると思ってるのかい?…それと」
彼女の視線がブイオからサシルへと動く。サシルはそれを避けるかのように目を逸らした。
「やっと見付けたよ、[破壊魔]サシル」
「…おめーだけには見付かりたくなかったんだがな」
「仕方ないさ、わたしには分かるんだよ。お前から吹き出す、隠し切れない殺気がね」
「ふん…俺じゃないかもしれねぇぜ?例えば、そこの[裏切り者]とか。そいつ、なかなか良い味出してんじゃねぇの?」
「ちょっと違うのさ。本当に僅かにね。…もう諦めな。お前の新しい仲間や相似に、自分を見せてやれ」
サシルは否定しなかった。肩越しに僕を振り返るその表情には、ぞっとする程恐ろしい笑みが浮かんでいる。
「[破壊魔]、別名[虚構の殺人鬼]。地獄の悪魔の中でも破壊専門のプロ。心臓だろうと頭部だろうと命そのものだろうと何でも破壊する…それが俺だ。どうだ?見たいか?」
「うん…凄く」
サシルの背中から真っ黒な羽が生えた。ブイオと同じ形の羽だ。爪が伸びて鋼鉄と同化し、牙も長くなる。尻尾も生え、複雑に捻じ曲がった二本の角も生えた。
サシルが僕達の背後の枯れ木に向かって指を鳴らす。木は細かい木屑となってサシルの手の上に集まった。サシルがそれを丘の向こうに投げると、風に煽られて広がった木屑は直ぐに見えなくなる。元々それが存在していた、という証拠は全く無くなった。
「ざっとこんなもんよ。塵から出て塵に還る…ってな。まあ、ブイオなら朝飯前なんだがな、こんな事は」
「今は出来ない」
「直ぐにそうなるだろうが。俺なんか、足元の遥か下さ」
「謙虚だな」
「嘘。かなわないってのは本当だけど、そこまでは思ってない」
「…あ、そう」
サシルは楽しそうに笑うと僕の方を振り返った。僕と同じく、パーツが増えただけで顔自体は変わっていない。さっきのままの、複雑怪奇の顔だ。少しだけ安心する。
「なあ、どうよ?魑魅魍魎。どう思う?」
「うん、君が特にどうとかいう感情は持って無いけど…良いのか?地獄の悪魔は僕達の敵だぞ?」
「それはあいつらだけだろ?そんなのブイオが力を手に入れれば簡単に―」
「そうじゃなくて。君は、此処で僕達を助けたじゃないか。地獄で言えば追放レベルじゃないのか?」
「まあ、地獄の悪魔にも色々居るって事さ。…ああ、そうだ。幾らおめーらが強いとはいえ、サタンには気を付けろよ」
「サタン?」
「おう。古来からの悪魔で、さっき言った三十人の中の一人なんだが、ほぼ不死身なんだ。しかもむちゃくちゃ強い。おめーらなんか簡単に捻り潰されるかもしれねぇぜ」
「そう簡単にはいかないよ」
「どうかな?分かんねぇぞ、そんなの」
「奇跡を信じるのみさ」
「奇跡か…なるほどな。俺にはとんと縁の無い話だ」
特に意味は無いが、実は深く関わっているんだよ、とは言わなかった。このままだと、会話が終わりそうにない。本人にしても、自分が奇跡を呼び起こしたとは気付いていない様だったし、それで特に困る事もあるとは思えないから、別に構わないだろう。
「ちょっと、いつまで話してるんだい?」
彼女が呼んだ。苛立たしげに足を踏み鳴らし、僕達を邪眼で睨み付けている。
「迷っているのかい。じゃあ、こうしよう。わたし達を全て切り抜けられたら、その先にある殺角石をやろう。手は出さないさ、勝手に持って行くが良い。ただし、出来なかったらそれまでだ。それはすなわち死を意味する。さあ裏切り者、答えるんだね。条件を受けて立ち向かうか?それとも、諦めて出て行くか?早く決めな」
「立ち向かうに決まってるだろう」
ブイオは即答した。揺るぎ無い決意と希望が、その紅い瞳に浮かんでいる。
「先に進む為にはどうしても必要な物だからな。それに、その程度の事で尻尾を巻いて逃げる程、俺達は弱くないつもりだ」
「へえ、心意気だけは立派だね。分かった、好きな時に掛かってきな」
彼女は口を閉ざし、見下す様な視線を僕達に向けた。サシルが慌てたようにブイオに詰め寄る。
「おい、まさか俺まで立ち向かう羽目になってんじゃねぇだろうな」
「なってるに決まってる。それはあんたの役目だろう。全員破壊してしまえば良いじゃないか。あんたは破壊魔なんだろう?」
「そう簡単に言うなよな。破壊破壊って、被害者がなるべく少なくなるようにするってのが常識ってもんだ。それ位、おめーだって分かるだろ」
「分かるからと言ってそれを俺に期待するのか。この俺に」
「別にそんな事は無いけどな。今の一言でそれが無意味な事位は分かったし」
「嘘さ。前にも言ったが、俺は性根まで腐ってる訳じゃ無い。騙されたな、[虚構の殺人鬼]」
「ふん…嘘を吐く方は得意だけど、それをあばく方は苦手なんだよ」
会話はそこで途切れ、二匹の悪魔は正面を、敵の方を向いた。僕は歌恋の手をより強く握り、ブイオと場所を交代してサシルと並ぶ。
「前みたいな戦い方じゃ失敗するな」
沙流が横に来て言った。当たり前だ、と返す。
「前は複雑に考えすぎてたんだ。というより、倒す、という考え方自体がそもそも間違っていたのであって、僕達の出来る事を深く考えていなかったんだ。だから、それを改善する」
「と、いうと?」
「単純明快。モーセの真似事さ」
「何だよそれ。神の教えを伝道して此処の人達に分かってもらうのか?」
「そんなにのんびりしてられないよ。そうじゃなくて、もっと有名な奴」
「箱舟か?」
「それはノアだろ。じゃなくて、ほら、知らないかな。海を割った話」
「へえ、あれってモーセだったのか。でも、此処は海じゃないぜ」
「沙流…ちょっとは頭を使えよ。人を水だと思ってみて」
沙流はしばらく考えていたが、やがて納得したのか後ろに下がった。念の為、サシルに耳打ちする。
「分かってるんだろうな、今僕が考えてる事」
「ったりめーだろ。俺をあんま見くびんなよ。何の為に俺が前に居ると思ってんだ」
「ただの出しゃばり」
「…跡形も無く破壊すんぞこら」
「嘘に決まってるだろ」
冗談はさておき、敵の様子を確認する。皆僕達が飛び込んで行くのを今か今かと待ち望んでいる顔だ。取り敢えず、作戦執行には不可能そうじゃない。もっとも、あまり気は進まないのだが。
「始めるぞ」
振り向いて、着いて来るよう皆に伝える。そして、僕は目の前に平行に二本、人波を突き抜けるように空気の壁を作った。うろたえる人々。これで、中と外は完全に隔離された状態になった。その状態を維持したまま、サシルに正面を譲る。早くしないと、目の前の隔離された人々が出るのを諦めて僕達の所へ向かって来るだろうから。
「…うん、正義には多少の犠牲が付き物だ」
無理やり納得するかのようにサシルは呟くと、手を目の前の人にかざした。次の瞬間、目の前に道が開ける。
人々は消えてしまったのか?
いや。全て塵になった。本当に、跡形も無く破壊されてしまった。
これを破壊と呼ばずして、何を破壊と呼ぶ?
サシル…地獄の破壊魔。本当に、恐ろしい。こいつが敵に回らなくて本当に良かった。
僕達は、空気の壁に囲まれた人の塵の上を歩いて行った。時たま[婆さん]が何とかして壁を突き破ろうと向かって来るが、その程度で壊れる程この壁はやわじゃない。その点だけは、安心だった。
しかし後ろを振り返ると、フィアンマが今にも吐きそうな顔をしている。そりゃそうだろう、僕にとってもこの状況は決して心地良い物ではない。
本当は、こんな事は避けたかった。こんな状況を楽しむ程の加虐嗜好者は僕達の中に居ない。犠牲者は少なく見積もっても百人は居るだろう。幾ら敵だからと言って好き勝手に殺して良い訳じゃ無いし、仮に殺さなければいけないと仮定した所でこれは数が多すぎる。
唯一見慣れているであろうサシルでさえも地面から目を逸らして必死に忘れようとしていた。ブイオも、顔をしかめている。僕だって、理性をぎりぎりで保っている状態だ。この塵のサイズが後一センチでも大きかったなら僕は完全発狂している。
こうして、僕らは無事に…いや、精神面ではとてつもないダメージを受けたが、とにかく身体は無事に人の波の向こう岸へと辿り着いた。もうこんな事は二度としたくない。この後に待つ最後の戦いを除いては。
「さすが、だね…」
溜息と共に、彼女は現われた。僕達の背後から、人ごみを掻き分けて堂々とした様子で。
「がむしゃらでなく頭を使う…此処の奴らと違って少しは冴えている様だ。今はわたしの負けだな。ほら、約束通り持って行くが良い。あそこの建物が見えるかい?」
彼女は、実に呆気なく敗北を認めた。呆気なさ過ぎて、逆にこっちが呆気に取られてしまう。サシルに後頭部を殴られて、僕は我に返った。
彼女が指差す先には、石造りの重厚な入口が見えた。崖の中腹にぽっかりと開いている穴を、正方形に囲んでいる。
「あの中さ。あの中に、殺角石はある。だが、デスストーンまでは知らないね。角翼族が人間に殺された時、一緒に持ってかれた記憶があるけど、昔の事だ、定かじゃない」
入口までは緩い坂が続いていた。まるでどこかの古代遺跡の様だ。彼女の邪眼に見守られながらそこへ向かい…足が止まった。何だか妙な気配を感じる。この世の物ではない様な…神の領域に踏み入ろうとしているかの様な…。
皆そうだった。サシルも、その石を受け取るべきブイオも、僕と同じ所で足を止めている。しばらくして、サシルがゆっくりと首を振って後ずさった。
「駄目だ、俺は入れねぇ。まあ元々、案内役だしな、俺は。ほら、特別に待っててやるから、早く行ってこい」
引き留めて理由を聞こうとした。しかし、ブイオの手が僕の腕を掴んで引き止める。
「行くぞ、來」
「でも、サシルだけ残すっていうのも色んな意味で心配だし」
「大丈夫だ。入るのは俺とあんたと歌恋。三人だけだから」
「…え?」
「ほら、ぼけっとしてるんじゃない。早く」
何が何だか分からないまま、ブイオの手に押されて僕は暗闇の中に押し込まれた。




