我と猛り 2
―全く、大したもんだよな―
肉団子を丸めながら、ブイオは來の事を思い出していた。スープを作っていた時の手つきは素晴らしい物だった。実際、十分程で完成させてしまった。自分には決して真似出来ない。さっき來が入って行った部屋には大量の本が置いてあるが、來の頭なら二、三ヶ月で全てを読み終え、頭にインプットするだろう。もちろん、一度読んだきりで。調べていて分かった事だが、來は支庁の上級幹部最有力候補だったそうだ。あの変わった奴がそれだけの実力を持つ事には正直驚いた。しかもそれだけではない。來は勉学において全地域の中での最優秀に選ばれていた。それも何回も。あいつの脳味噌には一体どれだけの知識が詰め込まれているのだろう。さっき頭を鍛えろとは言ったが、もしかしたら鍛えなければいけないのは自分の方かもしれない。
ブイオの目の前に茶色の蝙蝠が舞い降りてきた。しきりに羽を動かしている。その動きは來の危機を知らせていた。
「何、來が…!」
火を止めると、ブイオは奥の部屋へと駆け込んだ。部屋の中央で來が手足を痙攣させている。傍には本が落ちていた。
「來、どうした…來!」
抱き上げる。ブイオの腕の中で來は細かく震え、見開いた眼はどこか遠くを見つめていた。と、來が突然跳ね起き、ブイオに向かって唸った。落ちていた剣を拾い、ブイオに向かって振りかざす。攻め込んだ時と同じだった。ただ違うのは、その目が茶色い事。これは怒りじゃない。だとしたら何だ?考えている暇は無かった。剣が真っ直ぐに振り下ろされる。その刃を間一髪で避け、指先から空気の弾を放つ。來の手から剣が飛んだ。そのまま來は素手で向かってきたが、剣が床に落ちると同時に全身から力が抜けた。倒れかけた身体を支え、床に寝かせる。確かな呼吸と鼓動はあったものの、身体は動いていなかった。
抱え上げ、部屋を出てベッドに寝かせる。後から付いて来た白い蝙蝠が來の胸に止まった。この蝙蝠だけは逆さにならない。來と同じ、変わった奴だ。蝙蝠は自分に任せろとでも言う様に鼻を動かした。來をかなり気に入ったらしい。せっかくだから頼もうか。ブイオは振り返りながら奥の部屋に戻った。
來の剣を拾い、壁に掛けておく。丁度良い金具があった。もしまた暴れだしたら大変だ。ブイオは來より背が高い。金具の位置はブイオが手を伸ばした位の高さだから、おそらく來は届かないだろう。床に落ちていた本を拾い上げる。他の本はきっちりと積み上げられていたから、來はこの本を読んでいた筈だ。[神獣]か。何か手がかりでもあるかと思ったが、特に変わった文章も、來に関する文章も載っていなかった。來はどうして襲ってきたのだろう。あの衝動は何なんだ。まだ謎が多い。本を本棚に戻すと、ブイオは部屋を出た。
ベッドでは來が静かに眠り、蝙蝠がしきりに鼻を舐めている。その様子を見ながら、ブイオはベッドに腰掛けた。
そういえば來は、俺と来る事を選んでたよな。ICチップを砕くことまでした。あんなにあった特別の権利を捨ててまで俺に付いて来た。何故だろう。友達よりも、母親よりも、俺を選んだ。龝の預言があったとは言っていたが、理由はそれだけじゃない。俺の事を大切だとまで言った。俺の何が來を引きつけているのだろう。來のどこが、俺を気に入っているのだろう。分からない。分からない事が多すぎる。
ブイオは溜息を吐くと、來の髪を撫でた。茶色のその髪は、軽く、暖かかった。自分の髪とは全然違う。自分の体にもこんな暖かさが欲しかった。來の瞼が動いた。そろそろ目を覚ましそうだ。ブイオは立ち上がると、蝙蝠に再び來の事を任せ、食事の続きを作りに行った。
「何、竜族が生きているだと⁉」
[はい。確認作業を済ませました]
「何度も確かめたのだろうな?」
[はい。結果は同じでした。一人、生き残っています]
「…もういい。他の種族についても同様の確認作業を続けろ」
[了解しました]
大変な事になった。モニターの前で魔塗は頭を抱えた。竜族が生き残っていたとは…
この前悪魔が攻めてきた時、神山こそ汚れなかったものの、Sunは甚大な被害を受けた。さらに自分の後をいつか継ぐはずだった來までもを失ってしまった。竜族は恐るべき存在だった。悪魔と手を組むことによって滅ぼしたものの、今度は協力してくれる者はいない。逆に敵となってしまった。あの計画を実行するにあたって、竜族は存在してはいけない物だ。いや、諦めてはいけない。残りは一人だ。そいつの息の根さえ止めてしまえばもう恐れる事は無い。私がこの世の王となるのだ…!
市庁舎の窓からは街並みが見える。三十階にもなると他の建物を全て追い抜いてしまう。一足先に王になった気分だ。唯一それを越すのは大いなる神である神山のみ…。魔塗はマイクを取ると警備隊全てに呼びかけた。
「この星をしらみつぶしに探せ!竜族を見つけ出し、必ず息の根を止めるのだ!」
さあ、これで準備は整った。後は神の一手を待つのみ。竜族滅亡の一手を…!
傍らの水槽には金色に輝く一匹の大きな金魚が泳いでいた。餌を落とすと、まるで貪欲な肉食獣の様に食らいつき、あっという間に貪り食ってしまった。
この金魚の様に、私は全てを食らいつくす。そしてこの世を支配し、全てが私の言いなり、つまり奴隷となるのだ!
眩い朝日に照らされた部屋の中に、魔塗の高笑いが響き渡った。
目を開けると、顔の上に白い柔らかい物があった。持ち上げ、顔から離すと、あの白い蝙蝠だった。嬉しそうに鼻と耳を動かす。
キキキッ、キキッ。
金属をぶつけた様な声だ。初めて蝙蝠の声を聴いた。結構良い声だ。
「随分と喜んでるな」
目の前にブイオが立っていた。
「ブイオ!」
「蝙蝠ってのは滅多に鳴かない。よっぽど嬉しいんだな、こいつ」
ベッドに手をつき、上半身を起こす。ブイオがスープと肉団子を持ってきてくれた。
「ほら、食えよ。あんたのスープ程じゃないが、結構いけるぜ」
確かに美味しい。馬の肉がこんなに美味い物だとは知らなかった。皿の中がみるみる空になっていく。そういえば前に食事をとったのはいつだったろう。記憶の限りでは、龝さんに会いに行った朝少し口に放り込んだっきりだった。とすると、食べていないのは昼食だけになる。それなのにこんなにお腹が空くなんて…珍しい。
「満足したか?」
腹が膨れ、一つ息を吐いた僕に、ブイオが言った。
「何があったか教えてくれ」
ブイオの顔を見つめる。紅い瞳に不安と翳りがあった。
「一体何があったんだ。あんたに何が起こったのか知りたい」
言って良いのだろうか。三年前も同じ質問をされ、その時は言う気になれなかった。しかし今はブイオに伝えた方が良いのかもしれない。もしかしたら、何かこの衝動の正体を見付ける手がかりを探す手伝いをしてくれるかもしれない。そうだ。紗蘭がよく言っていたのを思い出す。
悩みを抱えてたら駄目よ。大切な人に打ち明けて。絶対楽になるから。
僕にとってブイオは今大切な存在。だから、打ち明けた方が良い。來は口を開いた。
「声が聞こえたんだ…」
「声…か。何て言ってたんだ?」
「現実を見ろ…目を背けるな…立ち向かえ…。確かそう言っていた気がする」
訴えかけられる様な声。思いを託すようにその声は聞こえた。どうにかして生き延びて欲しい。そんなイメージ。うまく言葉に出来ない。声を伝えただけじゃブイオに全てを理解してもらうのは不可能だろう。でも何故三年前のあの夜から一度も感じなかったのに、今になって急に聞こえてきたのだろう。やっぱりブイオが何か関係しているのだろうか。それに症状が重くなっていた。前は意識がある中で精神が身体に負けていた状態だったが、今回は意識が飛んだ状態で、何かが身体を支配していた。
「誰の声だか分かるか?」
「いや。男なのか女なのか、子供なのか老人なのか、全く分からない。不思議な声だった」
「そうか。ともかく調べてみる。何かわかるかもしれない。…ほら、そろそろ寝ろよ。もうこんな時間だぜ。それに、あんたの身体はかなり疲れてると思う。こういう時はエネルギーの消耗が激しいんだ。続きは明日な」
食器を洗い残してたんだ、すぐ終わる。そう言ってブイオはカウンターの奥に消えた。見上げた壁の時計は夜中の三時を指している。それを見ると、何だか急に眠たくなってきた。自分ではよく分からないが、ブイオの言った通り身体がかなり疲れているらしい。ベッドに潜ると、白い蝙蝠が横に潜り込み、柔らかい毛皮を擦り付けてきた。その小さい身体から僅かな鼓動と暖かさを感じる。続いて食器の片付けを終えたブイオも隣に潜り込んで来て、電気が消えた。此処の電気は動くものを感じて点いたり消えたりするらしい。ブイオの身体は蝙蝠と違って冷たかった。でも生きている。温めても絶対に上がらない体温の中で生きていられるのは、人間に取っては不思議な事なのかもしれないが、悪魔にとっては普通の事なのだろうか。考えている内にいつの間にか瞼が閉じ、意識が遠くなる。それから数分もしない内に、二人は寝息をたて始めた。




