光の遺志を受け継ぐ者 3
翌朝、僕は揚魅に揺り動かされて目が覚めた。揚魅は酷く慌てている。
「來、万生がなんかよく分かんない事に!」
「…は?」
「早く目を覚ませ!良いから、見たら分かるから!」
完全に覚醒もしていないまま、揚魅に背中を押される様にして人ごみの中へと押し出された。寝ぼけた目に、まず混乱して暴れている万生とそれを止めようとするブイオ、それと光を失った水晶が映った。
「あれ、水晶って昼は消灯してるんだっけ…。ていうか万生、一晩見ない間に尻尾と牙が伸びたか?」
「んな訳無いだろ!」
ブイオが叫び、ようやく万生を捕まえて羽交い絞めにする。そして万生の身体をこちらに向けた。ブイオとの身長差のせいで足が地面に着かず、もがく万生。その胸元で眩く発光する石の光が、僕の眼を射る。それで衝撃でやっと、僕は完全に覚醒した。
「あっ、白虎石!」
「そうだ。やっと目覚めたか。尻尾と牙に関しては見間違いじゃないぜ。水晶の光が消えたのは、光の基になっている白虎の霊が石に移動したからだろうな」
万生がようやく落ち着いた。ブイオに降ろしてくれと目で訴える。ブイオはくすりと笑い、小柄な万生を軽々と持ち上げると頭上で一回転させてから不安定な状態で地面に降ろした。万生は持ち前のバランス能力で安全に着地したが、よろめいて尻餅をつき、ブイオを睨む。ブイオは視線を逸らしてそれをかわした。
それにしても、まさか万生が虎族だったとは。今思えば、虎族の神獣が白虎なら同じネコ科の姿の万生が一番虎族っぽいのだが、どうしても虎を想像してしまう為、気付かなかった。しかし何故、虎ではなく猫なんだろう。直接万生に訊いた。
「ああ…それは多分、おれが…自分で言うのもなんだけど…異常個体だからじゃないかな」
「異常個体って…突然変異種?」
「ああ。ほら、人間界にも居るんじゃなかったっけ?おれみたいに白くて縞模様が無いのがさ」
「そう言われれば…ああなるほど、アルビノか」
「ん…アルビノって何だ?」
「色素が無く白っぽく見える異常個体の事」
万生は分かったような分からないような表情をして、曖昧に頷いている。長くなった自分の尻尾を掴んで弄ったり舐めたりして、毛に付いたゴミを取り除いている様だった。こういう動きが、やはり猫なんだな、と思わせる。
少し離れた所では、皆が寄ってたかって揺らそうが叩こうが起きない沙流が、まだ気持ち良さそうにいびきをかいている。見かねたケイルが立ち上がると、皆に離れるよう指示した。そして、沙流の背中の固い所を思いっきり蹴り飛ばす。十メートル位吹っ飛ばされて水晶に激突した沙流はようやく目を覚ました。軽く頭をさすり、唖然として沙流を見ている僕と万生に気付く。そしてにやりと悪戯っぽく笑うと這う様にして僕達の所にやって来た。とてつもなく嫌な予感がする。
…予感が当たった。沙流は僕達の所に来るなり、僕の肩に腕を回し、耳に口を寄せて低く囁く。
「駄目じゃないかぁ、來。ブイオと言う彼氏が居ながら」
「…あのな、沙流。何度も言うけど、多少仲が良く見えるからと言って僕とブイオは付き合ってる訳じゃないんだからな。良く言って幼馴染程度でしかない」
「えー、じゃあ、おれはぁ?おれも幼馴染だよぉ?」
ブイオが声の届く範囲に居ないせいか、語尾が伸びているせいか、いつもに増してじっとりと暑苦しい沙流。答えたら答えたで余計ややこしい事態に追い込まれそうなので、身体の周りに小さな竜巻を起こして沙流を遠ざけた。
「何だよ…じゃあ、何してたんだ?」
「万生が何故虎じゃないのか訊いてたんだよ。そしたら、アルビノなんだってさ。それで、アルビノについての説明をちょっとね」
「…簡単に言えば、生物学の講義をしてたんだろ?」
「いや…そこまでの事じゃないから」
ブイオが呼びに来た。元気な様子の沙流を見て、鼻を鳴らす。
「俺達がどれだけ苦労してたのかも分かってないんだろ、どうせ」
「苦労?おれ、何かしたのか?寝相が悪くて水晶の所まで転がってったのかと思ったんだけど」
「十メートルも転がる程寝相の悪い奴が居るかよ」
ブイオは溜息を吐くと、僕の腕を掴んで離れた所に引っ張っていった。誰も付いて来ないのを確認して、僕の眼を真っ直ぐ見据える。
「沙流、何かまた言ってなかったか?」
「…よく分かったね」
「…やっぱりな」
それだけ言うと、ブイオは沙流の所に行って水晶の裏へと連れて行く。僕からは丁度見えない所だ。しかし、見える位置に居た万生の顔が瞬時にして青ざめた事から、何が起こっているのかは大体予想出来る。もし様子を見に行くと僕まで加わりかねないので、僕は万生を呼んだ。
「ブイオ、一体何してるんだ?」
「…絶対に、見ない方が良い」
万生は顔面蒼白でそれだけ言った。これ以上追及するのも万生に悪いので、シェケムに貰った巻物を見せてもらう。キル=クェロッタについて一通り目を通した後、僕達はヴァネルと揚魅の所へ向かった。
「お早う、來、万生。何の用だ?」
そういえば、ケイルとイヌスの姿が見当たらない。辺りを見回す僕を見て、ヴァネルが苦笑する。
「父は、母に手当てしてもらってる。さっき沙流を蹴った時、小指の骨を折ったとか言ってた」
「…大丈夫なの、それ」
「メヒムは傷の治りが早いから。明日には治ってる。父は昔、背骨を折った事がある。その時父は一週間で元に戻した」
「凄いな。羨ましい」
ヴァネルと揚魅に巻物を見せ、書いていない事があったら追加で書き込む。逆に二人も、巻物を読みながら時たま感嘆の声を漏らしていた。
「つまり、此処に行く時は武器を忘れない事、なんだな」
「そうだな。でないと八つ裂きにされる」
「それと、相当の技術も必要だ」
巻物や二人によると、キル=クェロッタに空を飛べる者はいないという事だ。これで取り敢えず、歌恋は守れる。しかし、馬は狙われるから使えないし、進む為には戦う必要があるから人を抱えてはいられない。当然、僕はブイオやフィアンマに守ってもらう事になる。二人の戦闘技術は凄まじい物だからそれに関しての心配は無いだろう。
問題は、飛べない者だ。イヌスは弓が上手いから大丈夫、ケイルには僕の剣を貸せば良い。ヴァネルも刀を持っているし、揚魅も取り敢えず持っている。しかし、揚魅の体育の成績からすると、周りを防護壁で固める必要がある。そこは、揚魅に限らず歌恋を抱えて表立って戦わない僕が風で盾を作ろう。
「沙流は大丈夫だ。キルの奴らの中は水にまるで屈しない者も居る。しかしあの背中の固さなら、そこらの盾よりも強靭だ」
ヴァネルがそう言って笑う。ヴァネルによれば、万生も長けたバランス能力と身の軽さ、すばしっこさで攻撃を全て避けきる事が可能だそうだ。これでひとまず全員の安全はある程度保障された訳だ。もし何かあれば、僕やフィアンマ、沙流が盾などを作って援護する。更に、巻物によれば万生の持つ光の力には、傷を癒す効果があるらしい。ケイルを呼んで試してみた所、万生が軽く触れただけで患部が輝き、光が治まると同時に骨も元通りになっていた。当然、万生は回復係を務める事になる。全員の役割がはっきりした所で、丁度良くブイオが沙流を連れてやって来た。
沙流に外傷は見られない。しかし、顔色はとても健康とは言い難い程青ざめている。
「…ブイオ、沙流に何をしたんだ」
ブイオは答えない。僕から目を逸らしたが、それでも諦めずに見詰め続けると僕の方を一瞬見て溜息を吐き、小さな声で呟いた。
「…少しやりすぎた」
これ以上追及してもきっと同じ事しか言わないだろう。沙流の所に行き、何をされたか訊く。青かった沙流の顔色が黄土色になった。
「來、悪いけど…頼むから思い出させないでくれ…」
それでも沙流は話してくれた。それによると、ブイオは沙流の首を締め上げただけらしい。それ位なら今まで何度もあった。
「じゃあ、何がそんなに怖かったんだ?」
「その時のブイオの表情だよ。全身から殺気が吹き出してるだけじゃなくて、闇と死が身体を包み込んでたぜ。それ程怒ってる筈なのに、本人は全くの無表情なんだ。それだけじゃなくて時たま微笑んだりしてさ。おれの見間違いだとは思うけど、その笑顔が本当に綺麗なんだ。自分が殺されかけてる事を忘れる位にさ…」
それを見た相手が苦しみさえも忘れる程、思考を奪う妖艶な微笑み。ブイオが見せるその笑みを僕は見た事があっただろうか。記憶を底から引っくり返して思い出す。
今までに何度か、ブイオの笑顔に眼が惹き付けられた時はあった。でも、思考を奪われた事までは無い。忘れているのか…それとも、そんな経験は無かったのか。
「おいちょっと來、思考の殻に閉じこもるなよ」
沙流に身体を揺すられた。衝撃でバランスを崩し、後ろに倒れ込む。沙流はすまなそうに笑うと手を貸して僕を立たせた。
「悪い、力が入りすぎた。でもおまえってさ、ブイオだけが関係する事は割と考え込むよな。おれの時みたいに直接聞けばいいだろ」
「ああ…そうか?…まあ、そうだね」
ブイオの所へと向かう僕の背中に向かって楽しげに手を振る沙流。してやったり、とでも言いたげだ。
―懲りない奴―
返事代わりに溜息を一つ吐くと、僕は座っているブイオの肩に背後から手を掛けた。
「ブイオ、一つ訊きたいんだけど」
「さっきの話関係なら全面否定する」
「大丈夫だよ…十パーセント位しか掛かってないから」
「それは全面に含まれる物とみなす」
ブイオは僕に背を向けたまま僕の手を払い除けた。諦めそうになったが、気を持ち直してブイオの肩を強く引っ張り、ブイオの身体を仰向けに倒す。さっきの沙流の応用だ。そして身体の向きを変えるとブイオの上に座ってブイオの胸をしっかりと押さえつけ、ブイオの眼をしっかりと見据える。ブイオはかなり慌てた様子で抵抗していたが、龍石を手に入れて僕も筋力が増えたのか僕の下からは抜け出せなかった。
「ああもう、そう言わないでさ。話だけでも聞いてよ」
「随分と強引で、しかも真剣だな。俺を無理やり引き倒してまで頼む程、大切な話なのかよ。…分かった、聞いてやるから離せ」
言われるままに手を離す。ブイオは僕の下から足を引き抜くと身体に付いた土をはらった。
「で?何なんだよ、その話ってのは」
ブイオに促されてあの笑顔の事を訊いた。我ながらそこまでするような事でもないと今更思うが、ブイオもそう思ったらしい。額に手を当て、大きな溜息を吐いた。
「…呆れた。あんたはたったそれだけの事であれだけの事をしたのかよ。その笑顔ってのはつまり…こういう事か?」
言うが早いか、ブイオは僕の顎を掴んで捕え、微笑んでみせる。
しかし、違った。確かに美しい笑みだと思うし、目を惹かれる。でも、沙流が言ったような物じゃない。沙流が自分で言っていた通り、見間違いだったのか。
「やっぱりな…あんたには効かないんだよ、何故か」
ブイオはそう言って手を離すと僕の隣に移動した。僕の顔を覗き込み、軽く笑う。
「沙流は綺麗な笑顔だって言ってたんだろ?苦しいのを忘れたって言ってたんだろ?」
「聞いてたんだ」
「いや。皆そう言うんだ。歌恋がもし正気だったら、あんたの隣で俺に釘付けになってた所だぜ。あんただけなんだよ、自分の感情を留めて置けるのは…俺が今まで会った限りでの話だがな」
「そうなんだ…僕って、かなり特殊なんだね」
「竜族って時点で既に、極限的な特殊だろう。あんたの感情はどうにかなってる」
「否定は出来ないな」
ブイオは僅かに口角を上げると目を伏せた。そして苦しそうに息を吐く。自分を責めている様な、逆に責められている様な、そんな雰囲気だった。
「幼い頃からの癖はそう簡単に変えられるものじゃない…あのな、來。あの笑顔っていうのは、死の笑いなんだ。俺があんたに出逢う前、俺は自分の身を守るためとはいえ、かなりの数の生き物を殺してきた。その時にな、死んでいく敵達が最後に見る俺の表情があの笑いなんだ。死の淵に見る敵の笑顔って、なかなか怖い物があるんだろうな?でも、最後の最後で苦しみは消える。もうそんな事したくないって思ってたのにな…」
どうすれば良いのか分からず、取り敢えずブイオの握り締めた手を握る。僕の手の中で拳は一瞬固く締まり、そして脱力した。
「…同情してくれって頼んだ覚えは無いんだけどな」
「同情じゃないさ。僕には君の気持ちなんて分からないから…でも、何もしない訳にはいかなくて」
「それはどうも。やっぱりあんたは変わってるな。三年前と全く同じだ。俺は悪魔なのに、攻撃もせず、守りもせず、疑いさえもしない。男にキスされたっていうのに、あからさまに嫌がるそぶりも見せないしさ、挙句の果てに手なんか握っちゃって。あんたがどんな反応をしようとどんな事をしようとそれはあんたの勝手だけど、俺はそんな趣味は持ってないからな」
「奇遇だね。僕もだよ」
「なら良かった」
ブイオは僕の手から自分の手を引き抜くと、立ち上がって指の関節を鳴らした。僕も立ち上がり、ブイオに並ぶ。
「気分転換に、あそこでニヤニヤしてる沙流を潰しに行くか?」
「文字通りに潰そうとは思わないけどね。若干手加減込みでいこうか」
「そうだな」
ブイオはさっきの笑みを浮かべていた。僕も真似して微笑んでみる。自分の顔は見られないが、後ずさる沙流の顔の引き攣り具合から、ブイオと同じ位の威力を持っているのは分かった。
数秒後、二人の敵に襲われた沙流の悲鳴が辺りに響き渡った。




