光の遺志を受け継ぐ者 2
「何、市長が?…ああ、やっぱりか。何か企んでると思ってたんだよな」
沙流が頷いた。僕も同じ気持ちだ。市長の顔を見て、それがまともだと思う者が一体何人いる?昔、住民に見せていた偽りの顔じゃない、残酷な本当の顔だ。市長は完全に僕を…いや、僕達氏族全員を潰そうとしている。理由は分かる、邪魔だからだ。自分がこの世を支配する為、背後にそびえる神山を神に仕立て上げる為に僕らの存在は、そこにあってはいけない物でしかない。命の蝶を蘇らせようとしているのならば尚更だ。命の蝶が蘇った瞬間、それまでの野望やそれに向かっての努力は瞬時にして滅び去り、自分の立場は一転してとてつもなく悪い最悪の物となってしまうのだから。つまり僕達と市長は正反対の存在、どちらかしか存在してはいけない者。僕達が市長を殺すか、逆に僕達が市長に殺されるか。選択肢はどちらかだ。和解という物はこの場合、存在しない。そして、この世に均衡と秩序を取り戻す為には、必ず僕達が勝つ必要がある。その為に生き残ったと言ってもおかしくは無いんだ。僕達に与えられた使命、僕達の宿命、あるいは運命。それは、全てを元の状態に戻す事。何としても成し遂げなければ。
「で、敵は何人位だ?」
「ざっと五百人。人間の兵士がね」
揚魅が記憶を引き出して答えた。ブイオが指を折って数える。
「それプラス、この前来た悪魔達が二百だろ。合計して、総勢七百…か。ヴァネル、あんたは何も知らないよな?」
ヴァネルが頷く。その横でイヌスが手を上げた。
「私が知っている。此処に来る途中、二日位前の夜に悪魔を三十人程見かけた。ただし、今までに感じた事の無い邪悪な魔力が漂っていた。しかも、相当の強さだ。あれはきっと…古来から生きる悪魔の頭、サタンの魔力だ。あれを倒す方法は皆無に等しい。奇跡でも起こさない限りは。あの人数は三十人だが、悪魔や人間に換算すれば数万人に匹敵する力を持つ。あれは皆、悪魔の中でも最強の者達だが、サタン一人でその総力の三分の二は占めているだろう」
「それを足して…数万七百?…幾らなんでも俺達だけじゃ無理だ、さすがに」
ブイオが仰向けに寝転がり、目の上に腕を乗せる。完全に匙を投げたらしい。俯いていた揚魅は突然顔を上げ、でも、と乞う様に身を乗り出した。
「もしかしたら、キルの人達が味方に付いてくれるかも…それに、ヴァネル達も居るし…」
ブイオは寝転がった体勢のまま身じろぎ一つせずに揚魅の言葉を聞いていたが、溜息を吐くと勢いよく起き上がった。紅い眼に険しい光を宿して揚魅を睨み付ける。
「それで数万になるのかよ?仮に俺達氏族が十人力だとする。そしたら合計して五十人だろ?ヴァネル達が五人力として…さっき聞いた部族の人数は五十人だから二百五十人。仮にHellの奴らが味方に付いたとして、一人頭三人力で人口は三千人位。有り得ない話だが、全員来たとしても九千人。あんた達は三十人で一人力。足すと幾つだ?九千三百三十人。ほら、一万人にも満たないじゃないか。おまけに來は歌恋を守りながらだから動いて攻める事はほとんど出来ないし、Hellの奴らは来るとは限らないんだろ?来なかったらそれだけで九千人分戦力減だぜ?」
「それは…そうだけど。…でも、ゼロよりはましさ」
「そんなの、現実逃避の綺麗事じゃないか。負けるという事に変わりは無い。敵の前で足掻き、死んでいく犠牲者が増えるだけだ」
「ブイオ!」
思わず叫んでいた。ブイオは黙って僕を睨む。
「そんな、自虐的な事ばかり言うなよ。当たって砕けて、それで良いじゃないか」
「死ぬのが分かってて、自分の墓場にわざわざ飛び込んでいく馬鹿な奴が居るかよ」
「僕が居る」
ブイオが目を見開いた。ブイオの眼を真っ直ぐ見詰めながら僕は続ける。
「奇跡が起こるかもしれない…分かってる、綺麗事だ。でも、僕はその奇跡に懸けてみる。勝つ確率が完全にゼロじゃない限り、奇跡でも何でも、確率が一ミクロンでもあれば、僕は例え一人でだって行く。それに―」
「もういい!」
ブイオは僕を拒絶する様に背を向けた。そのまま吐き捨てる様に呟く。
「じゃあ勝手に、一人で行けよ。俺は絶対に行かないからな」
「命の蝶を復活させる為に、この戦いは避けられないんだ。命の蝶は僕達を必要としてる。君だって分かってるんだろ。現実から逃げてるのは自分だって」
「俺が行かなくても、角翼族の奴が居る。それであんたの言う様に勝てれば、それで良いだろ。無事に全て終わったら、俺が間違ってたって、頭下げに行ってやるよ」
「本当にそれで良いと思ってる?」
ブイオの動きが止まった。皆、固唾を呑んで僕達を見守っている。
「絶対負けるからって戦いを避けて、僕達が君の思った通りに死んでいくのを見て、君は喜ぶのか?ほら見た事かって、僕達を嘲笑うのか?」
ブイオは背を向けて…肩を震わせていた。笑っているのか泣いているのか分からない。怒りかもしれない。黙って、僕の言葉を聞いている。
「…三年前の君なら、そうだったと思う。でも、君は変わった。あの時僕と出逢ってしまってから、君は弱くなってしまったんだ。…そうだよ、僕は死んだ方が良い。君はそう願ってるんだろ?元の自分に戻りたいって。根本から君の気持ちを掻き乱す僕に消えてほしいって、そう思ってるんだろ?」
自分が何を言いたいのかが分からなくなってきた。とてつもなく矛盾している。僕はブイオに来てほしいのか?それとも違うのか?それすらも分からない。僕はブイオを守りたい。僕の身勝手でブイオを危険に晒したくない。そして…そして、ブイオを失いたくない。
失いたくない、だなんて…苦笑する。
僕は別に、ブイオに恋焦がれている訳じゃない。その姿に惹かれてはいるけれど、恋人になりたいって思っている訳じゃない。恋人として選ぶなら、僕は迷わず歌恋を選ぶ。でもその上で、ブイオとも一緒に居たい。一体…この気持ちは何なんだろう。親に対する様な気持ち…と同じか。
「僕は…君に来てほしい」
誰にも聞き取れない程小さな声で呟く。ブイオは溜息を吐くと、僕に背を向けたまま首だけ回し、俯いている僕を横目で見た。耳の良いブイオは僕の言った事を聞き取ったのかもしれない。ブイオは僕を睨んではいない。ただ単に、見詰めているだけだ。それなのに、ブイオをまともに見る事が出来ない。ブイオを巻き込んでしまったという罪悪感があるからだ。
「…正気で…本気か?」
「ああ」
ブイオは再び溜息を吐くと、今度は身体ごと僕の方に向き、僕の目の前まで近付く。そして俯く僕の顎を指で摘まむと強引に持ち上げ、無理やり視線を合わせた。
「…あんたがそこまで言うなら、俺も行ってやる。あんたを信じて奇跡に頼ってやるよ。…だけど來、覚えとけ。俺はあんたに死んでほしいなんて微塵も思ってない。俺が死ぬ時に安らかに逝く為には、あんたに借りを返し切る必要があるんだ。返してからあんたが死のうが生きようが、俺の知った事じゃないさ。でも、それが済むまでは何があろうと…俺はあんたを死なせないし、俺も死なない」
息が詰まった。頬が熱くなる。ブイオからこんな言葉を聞いたのは初めてだ。正直言って、凄く嬉しい。でも、それを正直に言ったらブイオに鼻で笑われるに決まってる。だから、僕は何も言わずに微笑んだ。ブイオは僕の顎を捕えていた指を離すと今までの真剣な顔を崩し、笑顔を見せる。
「…あんたも相当変わったぜ。大分図太くなった。俺と正反対だな」
そしてブイオは立ち上がると、周りを見回す。空を一度見上げてから、再び顔を元に戻した。
「本当は味方を掻き集めに行きたい所だが…どうやら今は寝た方が良いみたいだな。何かと心理的に疲れた」
異議は無かった。皆思い思いの場所に横になる。皆疲れてはいたのだが、ブイオも含めてなかなか寝付くことが出来なかった。数十分が過ぎて、万生が起き上がって座る。
「しょうがない。おれがとっておきの子守唄を歌ってやるよ」
「子守唄?本当に寝られるんだろうな」
「保証する。おれもたまに歌いながら寝落ちする位だから」
「…じゃあ、頼む」
万生は嬉しそうに頷くと目を瞑り、息を吸った。穏やかで、どこか古めかしい旋律が澄んだ空気を伝わって耳に響く。
中空を走る稲妻は
光の通り道
闇に飲まれる事も無く
ただそこに光っている
雷光身に纏う白き若獅子よ
全天を駆け抜けて
己の命の尽きるまで
この世に光を永遠に与え続け
悪しき物を稲妻で拭い去れ
僕の隣で、歌恋が寝息を立て始めた。歌恋の寝息なんて、初めて聞く。反対側ではブイオが同じように穏やかな寝息を立てていた。沙流のいびきが聞こえる。ケイルのいびきが聞こえる。他にも居たのかもしれないが、僕の記憶は此処までだった。眠りの渦に引き込まれ、万生の声が遠くなり、消えた。




