賑わいの最中で 1
市場には、この国の人のほとんどが集まっていると言ってもおかしくない位、沢山の人が居た。皆姿は様々で、人間でない者までいる。その中には、悪魔の姿もあった。ただブイオとは違って、人間らしい姿とは全く言えない悪魔だったが。
一旦解散という事になって、皆思い思いの店へと散って行く。來は真っ先にある店へと向かった。
その店は、主にアクセサリーを売る店だった。別にアクセサリーが欲しかった訳じゃない。ただ何となく…冷やかしも良い所だろう。
「いらっしゃい!…おっ、お前さん新顔だな」
店に入ると、元気の良い店主が迎えてくれた。彼が浮かべる笑顔が業務用じゃない事は、簡単に分かる。
「何が欲しいんだ?ネックレスか?それともピアスか?もしかして、隣の嬢ちゃんにプレゼントか?」
気さくな人だ。ブイオや万生ならともかく、こんな人の前でただの冷やかしです、と本当の事を言える程僕の性格は悪くない。だから、じっくり見てきます、と曖昧に笑って店の奥に移動した。
店に並んだアクセサリーは、どれも目を見張るほど美しく輝いていた。光の国なんだから、と思えばそうなのかもしれないが、店の人の努力や作った人の技術も少なからずその理由の割合の大半を占めている。
そこにあった一種類のピアスが目につく。それは極シンプルな菱形のピアスで、此処にある物の中ではカラーバリエーションがとても豊富だ。手にする事の出来る宝石を全て使っているのだろう、例えばルビーの赤、サファイアの青、アメジストの紫、トパーズの黄色と、全部で十色前後の色が並んでいる。その色の豊富さもそうなのだが、何に一番目を引かれたかと言うと、その形だった。どこかで見かけた事がある。それも極身近で、頻繁に。昨日ブイオに言われた様に、当たり前すぎて見逃しているだけかもしれない…いや、絶対にそうだろう。
「おやお前さん、それが気に入ったのか?」
声に驚き振り向くと、さっきの店主が背後に立っていた。
「それを着けるなら、一個がお勧めだな。まあ簡単に言えば片耳だ。お前さんなら…そうだな、青が良いんじゃないか?なんならサービスで、穴を五個位開けてやるよ。一生ピアスには困らないぜ」
そんなに着ける気は無いし、買おうとは思っていない。しかし、此処で断るのも店主に悪いから、素直にそうとも言えない。來が答えられずに黙っていると、店主は自分の顎に指を掛けて首を捻った。そして何か思い出した様に手を打つ。
「そうだ、今この店にお前さんと同じ位綺麗な顔をした妙に人間っぽい悪魔がお前さんの後を付けて来てるんだが、そいつが…そうそう、そのピアスを着けてたぜ。色は確か赤で、良く似合ってた」
僕の後を付けて来てる…か。店主の肩越しに店先の方を覗くと、直ぐ近くの棚の裏に身を隠す人の姿が一瞬見えた。もう少し謎になっても良さそうな物だが、生憎心当たりは一人しかいない。そういやあのピアスはこいつが着けていたのと同じだったか。棚の裏へ回り込み、尾行者の顔を覗き込んだ。
「何やってんだよ…ブイオ」
ブイオはさも驚いたという風に表情を作ると、立ち上がる。そしてわざとらしい溜息を吐くと、両手を肩の所で広げた。
「いや、まさかあんたもこの店に居るとはな。全く腐れ縁ってのは恐ろしい奴だ」
「ストーカー紛いの行動を腐れ縁とは言わないよ」
「…まあ良いか。いや、実は奢ってやろうと思って」
「お金なら、アレグレさんに沢山貰ったと思うけど」
「……そうだったか?」
ブイオは嘘を吐くのが下手だ…確か。怪訝な表情をしている僕を半ば強引に押しのけ、ブイオはさっきまで僕が居た場所に行くと青いピアスを手に取る。そして妙に楽しそうな様子でそのままレジへと向かった。もちろん、僕には無断で。その後を店主が慌てて追う。支払いを済ませたブイオは、僕の所へ真っ直ぐ歩いて来ると包みを渡し、そのまま僕と歌恋の背中を押して店の外へと押し出した。しかしそれに留まらず、僕達をさっき降りた広場まで押し進み、そこでやっと手を離す。
「ブイオ、一体どういうつもりだよ。僕はまだこれを買うとは言ってなかったんだぞ」
「過ぎた事だ。今更後には引けないだろう」
自分がした事のくせに、まるで諭す様な言い方をするブイオ。僕の手から包みを開けると中からピアスを取出し、横を向いて目の前にかざす。
「さすがに綺麗だな。サファイアと言うだけの事はある」
「ブイオ、結局君は何の目的があって僕をつけて来たんだよ。さっきは上手く僕の質問から逃げたじゃないか…といってもかなり強引だったけどね」
ブイオは顔の方向を変えないまま横目で僕を見た。
「…別に」
そう呟くと、ブイオは僕の方へ向き直る。そして僕を見詰めたまま、しばらくそのまま動かなかった。それは嵐の前の静けさにも思える。そんな事は無いと思いつつ僕は控えめに声を掛けた。
「…ブイオ?」
次の瞬間だった。ブイオは僕との間合いを一瞬で詰めたかと思うと、僕の後頭部を掴み、一気に引き寄せる。そして僕の耳に思い切り噛み付いた。驚いた僕が悲鳴を上げる間も無くブイオは口を離す。噛み付いたブイオの牙は当然鋭く、慌てて手をやった耳たぶには穴が空いていた。時間が経つにつれて麻痺していた感覚が蘇り、それに比例して痛みも強くなっていく。あまりの痛みに涙も出ない。ブイオは、その場にうずくまる僕が耳を抑えていた手を乱暴に払い除け、そこにピアスを通した。
「別に…仕返しがしたかっただけだ」
僕から離れたブイオはそう言って微笑んだ。悪戯っ子が大人を出し抜いて喜んでいる様な、そんな笑みだった。
…仕返し。僕が沙流から貰ったピアスをブイオに無理やり着けた時、噛み付くとはいかないまでも僕は同じ様な事をした。その仕返しって事か。
…にしても、僕が穴を開けた時もそこまで痛かったのだろうか。もしほとんど痛くなかったとしたら不公平なんだが。
ただ僕はそんなに意地悪くは無い。さっきのブイオの言葉を借りれば、過ぎた事であって、それは後には引けない事。今更になって文句を言ってもどうにもならないし、そもそもブイオのする事が生易しい事であるとは到底思えない。気絶する程に厳しいか、あるいは、とろける程に甘いのか。極端に言えばそういう事だろう。
その後、ブイオは僕達を服屋に連れて行った。てっきり服を買うのかと思ったが、目当ては試着用の鏡だったようで、真っ直ぐそこへと向かう。鏡に映った僕には、ブイオと色違いのピアスが、背後に立つブイオと同じ側の耳に付いていた。
「凄い似合ってるぜ。…俺の次に、な」
ブイオはそう言って含み笑いを漏らした。僕が見ている鏡の中でブイオは、何かを思い付いたかの様に微笑むと、背後から僕の身体に腕を回して僅かに身をかがめ、僕のピアスが付いていない方の耳を甘噛みする。
身体の奥が疼く…今度は甘い方だった。
「何で噛んだんだよ」
慌てる僕を見て、ブイオは声を上げて笑った。まるで僕の反応を楽しんでいる様だ。ブイオはまだ笑いを残したまま、肩の所で両手を広げる。
「左右対称に…ていうか平等に、だな。こっち側にするなら、じゃあ反対側にも、って奴」
「もうピアスは嫌だ」
「噛む、という行為に対して言ったんだ。ピアスを着けるとか着けないとかいう話じゃなくて」
「どう違うんだ?」
「…そりゃまあ、色々だな」
理由は明らかに僕の反応を楽しむ為としか思えないし、色々、という言い回しが多少引っ掛かるが、ひとまず今は気にしないでおこう。いつの間にかかなりの時間が経っていて、それ所じゃない。下手したら、アレグレに置いて行かれている可能性さえある。少し焦って店の外に出た瞬間、來もブイオも何者かに腕を掴まれて、直ぐ横の店の中に引っ張り込まれた。体勢を整えて見ると、そこに居たのは仁王立ちになったアレグレだった。
「あんた達、人が出歩いてないのに気付かなかったのかい?これから屋外に出る時は、空を確認してからにしな」
嫌な記憶が頭をよぎった。ブイオと並んで窓のガラス越しに空を見る。案の定、空には黒雲が立ち込めていた。巨大な雷が空気を切り裂いて焦がし、雷鳴を轟かせる。
「この、無神経が」
アレグレはそう言って肩を竦めた。皆は店の奥に居るよ、と自分の後ろを指し示す。程無くして皆は見付かった。こっちから声を掛ける前に沙流がこっちに気付く。そして僕とブイオがしているピアスを見て大袈裟に驚き、声のトーンを上げた。
「うわっ!何だよ、おまえら遂に恋人関係設立したのか!もっと早く言ってくれれば良かったのに!」
どうやらとてつもない勘違いをしている様なので、ブイオと二人で優しく事情を説明する。いつの間にか僕達に気付いていたフィアンマがその様子を見ていて、万生に囁いているのが聞こえた。
「さながら拷問よね」
僕もブイオもそんなに言われる程厳しくはしていないつもりだったのだが、沙流が始終震えている所から考えるとそうなのかもしれない。黒雲が晴れたのを確かめてからアレグレが呼ぶ。
「ほら、そろそろ帰ろうか。白虎石の事もあるだろうしね」
皆アレグレの後に付いて市場を後にした。取り敢えずはアレグレの家に戻る。その後は、決めていない。といっても、結局は白虎石を探す事になるのだろうけれど。
家に戻り、アレグレが淹れてくれた紅茶を飲む。此処に始めて来た時もこうして紅茶を飲ませて貰った。次はいつ帰って来れるか分からない。そもそも、帰って来れるかという事すらも分からない。けれど、この味はずっと忘れないだろう。
…たった一日しか居なかったのに、大した思い入れだ。我ながら苦笑する。よく分からない戯言にすぎないのだが、しょうがない。本当の事なんだから。
ブイオに促されて家を出る。アレグレは表まで見送りに来てくれた。旅立つ直前に礼を、今回はブイオも含め言った。そうやって出て来たは良いものの、白虎石の場所が分からなければそれに関与するライトストーンの場所など尚更だ。しかしだからと言っていつまでも上空で当ても無く彷徨っている訳にもいかないので、取り敢えず一行は光る水晶の所へと向かった。
水晶は昨日と全く同じに見えた。しかし近付くにつれ、その根元に立っている幾つかの人影が見えてくる。その内の一人はとても小柄で…いや、周りが大きいだけだ。大きい方の人間は見た事の無い姿をしている。例え僕の記憶力が壊滅的に乏しかったとしても、緑色の肌をした巨人なんて忘れないに決まっているだろう。男が二人、女が一人。
そして小さい方は…見た事のある顔。若い方の巨人の男の肩に座って気楽に、あっけらかんと笑い、こっちに手を振っている精神年齢が見た目と合っていない男は…
そう、アンドロイド姿の揚魅だった。




