光の導きを1
※この辺りから、視点者の三人称⇒一人称になります。注意してください。
父親に再会した夢を見た。
夢の中で父さんは、微笑んで俺の前に立っていた。久々に見る父さんの優しい笑顔。堪らなくなって、抱き着く。
來の事や、他の出会った人々の事を話そうと思った。でも、口にする前に父さんは俺の肩を掴んで軽く揺さぶる。父さんは何も言わなかったが、何が言いたいかは分かった。
「言わなくても、全部分かってるよ」
俺が小さい頃、よくやってくれていた仕草だった。辛い事があった時も、嬉しい事があった時も、いつもこうして軽く肩を揺さぶってくれた。だから何も言わず、もっと強く抱きしめる。父さんの背中に回した手が、父さんの羽に触れた。
普通なら、夢で物に触れても何も感じない。でも父さんも、その羽も、確かにそこにあった。夢だと分かっていても、本当に父さんが蘇ったんだと錯覚してしまう。その感覚を確かめたかったのか、俺は無意識に羽を撫でていた。そんな俺に応えるかのように、父さんは俺をしっかりと抱き寄せる。父さんの羽から手を離し、肩に顔を埋めた。父さんは暖かい。俺の身体が冷たいのは母親譲りだ。文字通りの冷血。本当は俺も、暖かい身体が欲しかった。
父さんに抱かれたまま目を閉じる。その暖かさに包まれて、俺は再び深い眠りへと落ちていった。
目を覚まして、まず驚く。そこにある筈の無い父さんの身体がそこにあったからだ。思わず身体を離し、上半身を起こして顔を確認する。
「…ああ、來…」
俺が夢の中で抱き着いていたのは來だった。ということは、來は俺を拒まず抱き寄せてくれたって事か。何故父さんの夢を見たのか、分かる気がする。俺は無意識の内に父さんと、それと瓜二つの性格を持つ來の姿を重ね合わせていたのかもしれない。來は暖かいし、羽も生えている。夢で見た父さんにそっくりだ。
來が呻き、身じろぎする。今まであまりよく見た事はなかったが、こうして見ると來の寝顔は結構可愛い。
アレグレが起きている気配は無いので、もう一度その場に横になる。しかし、眠る気は無い。そもそも、こんなにゆっくり寝た事はあまり無かった。そのまま身体を横に向け、しばらく來の寝顔を見詰める。來は夢を見ているのか、時々瞼をピクリと動かしていた。
ふと指を伸ばし、薄く開いた來の唇に触れてみる。
数日前、俺は此処にキスをした。翌日來に訊かれた時は悪戯半分でやったと答えたが、本当にそうだったのだろうかと、今更ながら思う。
確かに悪戯の気持ちもあった。けどそれだけじゃない。申し訳なさ、愛しさ…理由は幾らでも思い付く。ベッドに座る來の前に立って肩を抑えて見詰めた時、來の喉が鳴った音が聞こえた。その時の俺は來にとってかなり恐ろしい眼をしていたに違いない。小さい頃から、色々な者をそうやって何度も怖がらせてきた。
でも、來が怖がった時初めて、罪悪感という物が芽生えた。來以外には抱かなかったし、幼い頃はその來に対してさえも抱かなかった気持ちだ。何故かは分からない。でも申し訳なくなった、それが一つの理由だ。
それに、來を心配していた。憐みでも同情でもなく、ただ単純に心配していた、それだけだ。
あの時、浮かない顔をして部屋に入った來と何も言わなくなった歌恋を見て、來が自分自身のダメージに気付かないでいる事に感づいた。それで心配になって、來の部屋の前を通りかかったついでに來の部屋を覗いたら、案の定來が泣きそうになっている。だから声を掛け、平然を装って部屋に入った。
思えばあの行動が、俺に出来る最良の事だったのかもしれない。初めは、このままだったら來はいつまでも寝ないと思ったから寝かせようとしただけだった。なのに気が付いたら、來の唇に自分の唇を重ねていた。
俺は自分の動揺や絶望を隠せる。いつもそうやって、自分の危険を敵に悟られない様にしていた。どんなに辛くても、強気と平然を装って生きてきた。でも、こいつの前でだけは感情を表に出してしまう事が多い。あの時だって、來の目を塞いでいなかったら真っ赤になった俺の顔を見られてしまっていた所だ。
自分の指先が、來の唇をなぞっていく。乾く唇を濡らしているのか、來の舌が俺の指を追う様に動いた。果たしてこの唇は、様々な思いのこもった俺のキスを受け入れたのだろうか。その全てを受け止めたのだろうか。
今までずっと言って欲しかった言葉を來から聞いた。その時俺は來を突き放したが、本当は嬉しかった。そういうひねくれた気持ちの一つ一つを、來に理解してほしい。歌恋じゃないけど、多分俺は來を頼っている。來はそれを分かってくれているのだろうか。
來が薄く目を開けた。その目に俺の姿を捕えて安心した様に微笑み、再び目を閉じる。無防備なその笑顔を見て、俺は溜息を吐いた。
―多分、分かってないんだろうな―
それでもいい。來、あんたが俺を正しい道へと引き戻し、変えてくれたんだ。その借り…一生掛かっても返し切る事の出来ない無限の借りを返し終えるまで、俺はあんたの傍を離れない。
來の唇から手を離し、青い髪をまさぐる。そのまま手を髪から頬、頬から首筋へと滑らせていった。來が目を開ける。そして気持ち良さそうに目を細め、俺の手に自分の手を重ねた。もしこれが來じゃなくて敵だったら呆気無く俺に絞め殺されている所だ。これは來が俺を信用しきっている事の表れなのだろうか。色々疑った方が良いと言ったのに、本人は全く分かってないらしい。
口を開け、首筋に牙を当ててみた。來がびくっと肩を震わせる。きっと驚いたのだろう。
「僕を…殺すつもりなのか?」
喉に当たる牙のせいか声が小さい。一旦牙を離し、会話が出来る様にする。
「なかなか美味そうだぜ。どうする?逃げるか?」
脅す様に剥き出した俺の牙を來はじっと見つめた。その瞳に恐れや怯えは微塵も無い。驚いて牙をしまい、眉を顰める。
「怖くないのか」
「いや、君じゃ無ければ怖い。でも、君に牙を剥かれると怖いと言うより何だか楽しいんだ」
「はあ?何、あんたM?」
「そうじゃないよ!…だって君が楽しそうだからさ」
…楽しそう?俺が?
一体どういう事なんだ。來を脅し、警告するつもりで牙を剥いたのに、それを楽しそうにやっているなんて。
「ふざけてるんだろ?」
來が楽しそうに微笑む。そのつもりは無いのだが、断言できない。実際、來が怖がったらそこで止めるつもりだった。けど、そう言うと來の安心を増長させるだけだ。それじゃ意味が無い。しばらく迷い、結局質問には答えず、來の耳元に口を寄せて囁いた。
「俺の牙に毒は無いけど、頸動脈はえぐれると思うぜ?」
來の動きが止まった。今度こそ怯えたか。
しかし、違った。來は俺から逃れて起き上がり、その場に座る。俺も起き上がった。來は黙って笑顔でいたかと思うと、眉を顰める俺の後頭部を掴んで引き寄せる。突然の事にその手を払い除けられなかった。首筋に來の牙が当たる。
「さっきの仕返し」
來は俺を離すとそう言って笑った。
全く能天気な奴だ。俺が言いたかった事をまるで分かっていない。それを伝えようと口を開く。
「來、あのな―」
「ふにゃあああっ!」
突然の叫び声に俺は口を閉じ、來と共に声のする方を向いた。視線の先では万生が首を抑えてのた打ち回っている。その隣では沙流が眠そうな目を擦っていた。
「どうしたんだよ、あんた達」
「だって沙流がおれの首筋なんか舐めるからっ!」
そう言う万生は涙目だ。沙流は申し訳なさそうに頭を掻く。
「ごめんごめん。夢では美味そうなアイスクリームだったんだけどなあ」
「人を勝手に食い物にしないでくれ!」
「ごめんって。…でもさ、もしかしておまえ首弱かったりする?」
万生は顔を真っ赤にして沙流に背中を向けた。完璧な図星。分かり易い奴だ。
「…うるさいわね…一体何の騒ぎ?」
フィアンマが目を覚まし、こっちに歩いて来た。苦笑いをする俺と來を見て首を傾げ、視線を沙流と万生に動かす。そしてこっちを向くと、事情を察したのか溜息を吐いた。
「また万生が関係してるの?」
俺は肩を竦め、來は頭を掻く。図星、の意味だ。
「ただ今回は、沙流が原因だけどな」
「本当にトラブルメーカーね、あの二人」
俺の言葉にフィアンマは苦笑し、俺の隣に座った。こうして俺達と座っている所を見ると、沙流の方がフィアンマより年下なんじゃないかと思う。フラムフエゴと他の世界じゃ時間の流れが違うのだろうか。
…いや、そんな事は無い。こんなの馬鹿げた空想だ。
來が俺の腕をつつく。そして、ちょっと馬鹿な事を考えたんだけどさ、と笑顔を見せた。
「フィアンマって実は大人なんじゃないかなって。例えば、僕達にとっての一年が、フィアンマにとっては五年、とかさ」
俺と全く同じ事を考えていたらしい。俺は驚きつつも、そんな訳無いだろ、と笑い飛ばした。
「…だよね」
電気が点き、ドアが開く。中から、今起きたばかりらしいアレグレが出て来た。アレグレは俺達に目を走らせ、呆れた表情を浮かべる。
「全く、朝から元気だね、あんた達は」
アレグレは万生を捕まえ、事情を訊いた。何故傍観者の俺達に訊かないのかは分からないが、きっと悪戯心だろう。
事情を訊き出し終えたアレグレは深く大きい溜息を吐いた。これだから子供はしょうがない、といった面持ちだ。
「…分かった。じゃあ、市場に行くとするか。このままあんた達を此処に放っておくと、本当にこの家が破壊されそうだよ」
そこでアレグレは言葉を切り、俺を見てウインクする。俺の背筋を悪寒が走った。
「昨日あんたが言ったみたいにね」
まるで俺が予言したかのような口調だ。黙って肩を竦める。その様子を見て、隣で俺達の会話を聞いていた來が笑いを漏らした。
「おーい、まだなのか?」
家の外から沙流の声が聞こえた。見ると、沙流はもうヒポカンポスに乗ってもどかしそうに身体を揺すっている。その沙流と一体化しているかの様に、ヒポカンポスも前足の蹄を踏み鳴らしていた。
「…あの人、速すぎ」
フィアンマが目を丸くする。アレグレも苦笑した。
「本当だね。あんなに身体が大きいのに、全く気付かなかったよ。あいつは伏兵向きだね」
沙流をあまり待たせるのも悪いから、俺達は会話を切り上げ、そそくさと外に出て馬に乗った。ユニコーンに乗ったアレグレの後に付いて空に舞い上がる。時たま、來が風を起こして馬を混乱させた。風は下から押し上げたり、横から押し飛ばしたりと様々で、なかなか前に進めない。反撃しようと沙流が水を飛ばすが、その度に來は歌恋を抱えて馬から飛び出して空を飛び、水はペガサスだけに掛かる。あまりにも不公平な話だが、それでも楽しい。
「ほら、もう見えて来たよ。迷惑になるから、ふざけるのはいい加減にしときな」
それを聞いた來が、起こしていた風を瞬時にして消し去った。一瞬バランスが崩れる。
「もうちょっと穏便に事を進められないのか、あんたは」
俺が睨むと、來は楽しそうに声を上げて笑った。今風を止めたのも、來は絶対わざとやっている。
フィアンマが歓喜の声を上げた。視線を前方に動かすと、立ち並ぶ屋台やバラック、そこに集う多くの人が見える。
「Deathとそっくりだ」
來が呟いた。確かに、大穴があったあの地域と此処は酷似している。
その近くにある空き地に、俺達は降り立った。




