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DEATHEARTH  作者: 奇逆 白刃
55/93

天空の使い 5

「市長様…何ですか?これは」

フォレイグンは親指大の小瓶を持ち上げた。中には透明な液体がたっぷりと詰まっている。

「まあ待て。全て運び込んでから説明する」

小瓶を元の位置に戻した。小瓶が箱の中に約三百個は詰まっている。そして、その箱が今あるだけで三十二箱。しかも、魔塗はまだ箱を運び続けている。手伝いは必要ないと言われた為、非常に手持ちぶさただ。ただ静かに煙草を吸って待つ。

それから煙草を十八本程消費した所でようやく魔塗は箱を運び終えた。箱の数は全部で五十四箱。それぞれに三百個ずつ小瓶が詰まっているとすれば、小瓶の数は合計一万六千二百個にもなる。魔塗は汗を拭くとおもむろに小瓶を手に取り、フォレイグンの目の前にかざした。

「これが何なのか、という質問だったな」

頷く。魔塗は小瓶を掌で転がした後、元の場所に戻した。

「一言で言えば、ワクチンだ」

「ワクチン?」

「そうだ。正確に言えば、ウイルスを殺す薬品とでも言った所だな」

もう一度小瓶を手に取る。中の液体は、それと言われれば水にも見えるだろう。とてもこれがウイルスを殺せるとは思えない。半信半疑で、小瓶を戻した。

「見た目に騙されるんじゃない。ウイルスについては、何の事だか分かっているな?」

記憶をまさぐり、一度確かめてから頷く。ウイルスというのは、Sunの住民があっという間に生ける屍と化す程の強大な力を持った開発中の未知のウイルス、シュピラーニョウイルスだ。

「でも一体、どうやって?市長様の知能を持ってしてもかなり時間の掛かる作業だと思いますが、今は行動を起こした日から僅か二日しか経っていません」

魔塗が察しがいいな、と口角を上げる。そしてきまりが悪そうに苦笑した。

「ばれなければ黙っているつもりだったのだがな。実を言うと、このワクチンは保健機関細胞革新局新細胞開発課に元からあった物なのだよ」

「こんなに沢山のワクチンが?それなら、何故保健機関の人々は直ぐにこれを投与しなかったのでしょうか」

魔塗はポケットからおもむろにシャーレを取り出した。中にはガラスの破片が入っている。

「この破片に、極僅かなワクチンが付着していたのだ。きっと生き残った誰かがワクチンを作ろうと試み、そして成功したのだろう。その証拠だが、まず保健機関の窓が割れていた。そしてあの部屋の台の上には人間の血痕が残り、顕微鏡の下にはこの破片。これ程確かな証拠は他に無いだろう」

「では一体、誰が」

「うむ…これはわたしの一介の予想にすぎないのだが、聞いてくれないか」

常に自信に満ちた魔塗がこんな発言をするのは珍しい。もちろんです、と頷いた。

「最近起こった事件の中で、大量殺人事件があったのを覚えているか?そう、保健機関の職員二名、兵士四人が殺されたあの事件だ。もちろん犯人は例の五人な訳だが、一つ気になる事がある」

「気になる事…?わしは別に何も感じませんでしたが…」

「それは仕方のない事だ。彼ら五人が組んでいる事を知る物でなければおそらく気に留めはしないだろう。これは、その時保健機関に居た患者から聞いた話だが、それによると犯人は全部で七人居たらしいのだ」

「七人…しかし今市長様は、犯人は五人だと言っていましたが」

そう、問題はそこなのだ、と魔塗は煙草に手を伸ばし、火を点けた。大きく煙を吐いて、続ける。

「もっと詳しく言えば、初めは六人しか居なかった。初め保健機関の奥に入っていったのは三人で、後の三人は待合室に居たのだそうだ。その内戦いが始まり、それが終わった頃に奥から怪我をした一人が出て来て、一人と入れ替わったらしい。その一人は直ぐに…」

「三人(、、)を連れて、出て来たのですね」

「そう、その通りだ。実際歩いていたのは初めに居た三人だけで、新たに現れた残りの一人は抱えられていたらしい。特に怪我は見受けられなかったが、裸だったそうだ」

「裸!?という事は、その者は裸の状態でずっと保健機関に居たと?」

「という事になるな。わたしの知っている限り、それに思い当たるのは保健機関に安置されていた一人だけだ。そしてこの事件の後、それが消えていたという確認情報もある。殺された職員が倒れていたのも、それがあった場所だ」

魔塗の言いたいことが分かってきた。しかし、それがどうもワクチンの話と繋がらない。

「前置きが長くなったな。わたしが言いたいのは、つまりワクチンを作った物がその五人から増えた二人…いや、一人か。…だという事だ」

一人だって?二人ではなく一人だとは、どういう事だろう。魂が二つの身体に息づくという事がある物なのか。

「彼の身体はアンドロイドだった。安置されていたのは彼の人間の身体で、あの五人がその身体を救うのに手を貸したと考えれば全てに納得がいく。アンドロイドには脳が無い。彼の魂が幽体離脱を可能にしていれば、己の発症に気付いてからウイルスを利用してワクチンを作る事も可能なのだ。わたしがワクチンを増やしたのは高速培養をしたからで、ワクチン本体はウイルスが無いと作れない。だからわたしは疑った。しかし、余りに突飛な結論に辿り着いた為、自信が持てなかったのだ」

なるほど、此処まで説明されてようやく話の筋が通った。

「つまり、そのワクチンをわし達や兵士に投与すればウイルスに感染しない、という事ですね」

「その通りだ」

じゃあ一体、ワクチンを作ったのは誰なのだろう。その者の名前を訊く。

「人の魂をアンドロイドに移す、という実験の為に彼を捕まえたのはわたしだが、彼の本当の名は分からない。ただ個体識別番号として、D-26と、そう呼んでいた」

…D-26。聞いた事があった。何日か前、Earthの屋敷の周辺を見回っていた兵士から聞いた話を思い出す。

[Sunにあるどこかの機関の職員らしい白衣の男が逃げる少年を追い駆けていました。捕まる直前、少年は矢を持った年下の少女に助けられ、その後二人でEarthの山岳地帯の方向に姿を消しました。わたしの見間違いでなければ、その少年の破れた皮膚の下に黒い機械が見えた様な気がして…それで、ご報告に]

同じ兵士がSunの新聞を持って来たのは翌日の事だった。新聞に少女の事は書いていなかったが、直ぐにその事だと直感したのは、そこにあった見出しが目を引いたからだ。

[未来の鍵を握るアンドロイド、Earthから逃亡!]

ゴシック体で打たれた大きな文字。前日の兵士の言葉を思い出した。彼は見間違っていなかったのだ。新聞には、白衣の男がインタビューを受けている写真も載っていた。

[走る速度を速く設定しすぎましたね。次はもっと遅く設定するので、これで安心です。赤字覚悟でもう一度、皆さんの未来の為に尚一層の努力をしていきます]

男のインタビューに対するコメントは、そう書かれていた。男の言っているのは真っ赤な嘘だ。この男はちゃんと追い付いて、捕まえる寸前の所まで余裕で追い詰めていたのに、何故嘘を吐くのだろう。そして不思議な事に、少女についてのコメントは一言も無い。念の為に兵士に訊いてみたが、この男こそあの時の白衣の男に間違いない、と断言した。

「市長様、何故あの男は真実をひた隠しにしたのでしょうか」

魔塗は目を丸くして振り向いた。瞳孔が縮んでいる。

「今、何と言った?何故お前があの男の事を知っている?」

どうやらわしの思うあの男と魔塗が思うあの男は同一人物を差しているようだ。やはりわしの予想は間違っていないらしい。

「兵士がSunから持って来た新聞で見たんです。インタビューを受けている写真とコメントを読みましたが、あのコメントは嘘ですね?」

「嘘、だと?何も知らないくせに、馬鹿な事を言うな。確かにSunの住民は知能が高く、あの男の様な技術者ともなれば本当に完璧に近い知能の高さを持っている。だがそれでも皆、所詮人間である事に変わりは無い。一生に一度もミスを犯さない奴は最高の人工知能を持ってでもいない限り皆無だろう。そして、そんな素晴らしい人工知能は開発中ではあるが完成はしていない。よって、あの男がミスを犯しても何ら不思議ではない。何度も繰り返す、ともなれば話は別だが」

そう断言する魔塗は、あの男が本当に真実を語っていると一瞬疑う程威厳に満ち溢れ、堂々としていた。しかし、わしが兵士から聞いた事に偽りは無い。わしの兵士の言う事は心の底から信頼できる。

「お言葉ですが、わしは何も知らない訳ではありません。わしに新聞を届けてくれたその兵士が、丁度その場面を目撃していたのです」

「ッ…何だと?」

魔塗は息を呑んだ。明らかに動揺している。しかし直ぐに落ち着きを取り戻すと証拠を見せろ、とわしに詰め寄った。

証拠は無い。だがその兵士ならまだわしの下に居る。呼んでこようと部屋を出る直前で、魔塗に呼び止められた。

「待て。逃げるつもりか」

「まさかそんな、滅相もございません。市長様の望み通り、証拠を持ってこようと思いまして」

魔塗は兵士か、と頷いた。しかし、自動ドアのセンサーに再び手を伸ばした所でただし、と付け加える。

「ドアを開ける前にワクチンを打っておけ。ドアの外にはウイルスが飛び交っている。幾らお前が屈強でも、さすがに一溜まりも無いだろう。それと今隔離倉庫にいる兵士に、口と鼻を覆って二人ずつこの部屋に来るように言ってくれ。ワクチンを投与せねば」

「悪魔の軍勢はいいのですか?」

「あいつらの脳は人工知能だ。といっても、さっき言った様な高度な物ではなくただ従わせるためだけのごく単純な物だが。まあ、つまり心配は無用、という訳だ。安心していい」

分かりました、と頷き、小瓶を一本手に取る。蓋を開けると、それまで気付かなかった小さな極細の針が現れた。

「刺せば数秒で全てが体内に入る。保健機関医療革新局薬器促成課が開発した最新の注射器だ」

魔塗に言われた通りに針を刺す。痛みは全く感じない。中に入っていた透明の液体は、みるみる内に体内に吸収されていった。

これでもう大丈夫だ。隔離倉庫に行き、例の兵士に鼻と口を覆わせ魔塗の所へと戻る。兵士にワクチンを打ってから話を聞いた魔塗は黙り込んだ。

「これがわしの持つすべての証拠です。どうですか?」

魔塗は、椅子に座り俯いて腕を組んだまま答えない。かなり長いと思える時間が過ぎた後、静かに溜息を吐いて顔を上げた。

「しょうがない…正直に言おう、お前は正しい。確かにあの男は嘘を言っていた」

「何故ですか?」

魔塗が椅子から立ち上がる。そして煙草を銜え、煙を吐き出した。

「あの男はわたしにだけ真実を話した。その時、わたしは愕然としたよ。もしこの真実が公表されたら、あいつは全住民に批判され、間違い無く地位を追われる事になる。わたしはあいつの腕と知能を評価していた。それにあいつは軍人ではないから負けてもおかしくない。聞けば、矢を放った少女は相当の腕前だったそうではないか」

「じゃあ、あの男にそう言わせたのは市長様…」

「あいつを辞めさせたくなかったのだよ。いくら私でも、全住民の意見を無視して自己勝手に事を取り決める事は出来ないからな」

そうだったのか。魔塗の部下を思う優しさに胸が熱くなる。わしも見習おう。

魔塗に詫びようと口を開きかけた所で、二人の兵士が入って来た。魔塗が小瓶を二つ手に取り、その内一つをわしに手渡す。

「さあ、早く終わらせてしまおうではないか。作戦を立てる時間も我々には必要だ。もしワクチンが余ったら、感染している住民をランダムに選んで打ってやればいい」

詫びるのをしかたなく諦め、頷いて魔塗の隣に立った。何かあった時の為に小瓶を一つポケットに忍ばせる。

そして兵士の腕を取ると、針を刺した。


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