雲上の町 3
シェケムが立ち止り、振り返る。
「さあ、着いたぞ。パラムは基本なんでも答えてくれる。遠慮せずに全て尋ねてしまうと楽になるぞ」
五人が壁際に避けた。その脇を擦り抜け、來は進んで行く。洞窟の突き当りの壁からは低い位置に岩棚が突き出しており、そこに人が座っているのが見えた。性別は判別できない。
「あの、パラム…さんですか?」
その人が顔を上げた。岩棚の高さのおかげで、立っている來と岩棚であぐらをかいている人との眼の高さが同位置になる。その人は老人だった。それでも性別はまだ分からない。老人が口を開いた。
「確かに、我の名はパラムという。來よ、我に何の質問を持つのだ」
「何故、僕の名前を…」
「それ位はわざわざ探るまでも無い事だ」
答えらしくない答えを返してパラムは歌恋に視線を動かした。その眉が一瞬顰められる。
「そなたが尋ねたいのはこの歌恋の事か」
また名前を見抜かれていた。そして、僕が訊きたい事もしっかりと見抜かれている。もともとそんな気は無いが、もし此処で違うと言っても、パラムに掛かっては直ぐに嘘だと指摘されてしまうだろう。
來は素直に頷いた。パラムはそれを確かめるかの様に、僅かに頷くと來の眼をしっかりと見据える。
「では、教えてやろう。良いか、この後我の口から如何なる言葉が飛び出ようと、決して卒倒などしてはならぬぞ」
分かりました、と頷く。それを確かめるとパラムはおもむろに口を開いた。
「率直に言う。歌恋は戦っているのだ」
「戦っている!?歌恋が…一体、何と」
見た所、身体的な戦いではなく精神的な戦いである事は明らかだ。しかし、今横に静かに立っている歌恋を見ている限り、とてもそうだとは思えない。パラムを見て、続きを促す。
「名は分からない。しかし、とても邪悪な物である事に違いは無い。歌恋を闇へ引きずり込もうとしているのだ」
「そんな…じゃあ、どうすれば」
パラムは目を伏せると、首を横にゆっくり振った。
「残念だが、そなたの力ではどうする事も出来ぬ」
どうすることも出来ないだなんて…またしても、自分の無力さを思い知らされる。
再び身体から力が抜けかけた。歌恋の手を握っている手からも力が抜けていく。
パラムは、そんな來の様子を無表情でしばらく見つめていたが、急に目を見開くとその老いた姿からは想像できないような声で叫んだ。
「待て!その手を離してはならぬ、気をしっかり保つのだ!」
慌てて我に返り、歌恋の手を再び握る。パラムは安心した様に息を吐いた。
意識を引き戻してくれたのは有難かったが、何故手を離してはいけないのだろう。パラムに尋ねる。
「前言を撤回しよう」
パラムは一言そう言うと、歌恋を指差した。
「歌恋は一人で戦っているのではない。今伝わって来たのだ…歌恋がしがみ付いているそなたの手が彼女と共にある」
「僕の手が…歌恋と共に」
「そうだ」
パラムは頷くと、繋いだ手の辺りに自分の手を翳した。
「さあ、我はもう疲れた。そなたはゆっくり休むと良い。だが決して、その手を離さぬ様にな」
答えず俯き、唇を噛み締める。歌恋が心配だった。この手が歌恋の助けになっているとしても、決して安心は出来ない。歌恋が元の様に元気な姿になるまでこの手を離さずにいられるかどうか、確証は無いのだ。
そんな來を見かねたのか、パラムはなだめる様に優しい声を出した。
「案じるでない、そなたなら大丈夫だ。そなたが歌恋を思う気持ちはとてつもなく大きい。今は辛いだろうが、この先間違い無くそなたの願いは叶えられる。歌恋は必ず元の様になり、そなたに微笑みかけるであろう」
その一言が來の心を大きく動かした。
そうだ、怖じていてはいけない。歌恋が僕の手を頼りに生きているのなら、僕は歌恋がずっと頼っていられるように手を握り続けていなければならないんだ。
顔を上げ、パラムを真っ直ぐ見詰める。パラムは満足そうに頷いた。
「そうだ、それで良い。そなたが絶望してしまえば歌恋の助けは無くなり、彼女はたちまち闇に飲み込まれてしまうだろう」
頭を深く下げ、背を向ける。ブイオ達は何も言わず並んで歩き出した。
「來」
背後からパラムの声が聞こえた。足を止め、振り返る。隣を歩いていたブイオは一瞬來を振り返ったが、再び背を向け、出口へと姿を消した。
パラムは何も言わず、來を見詰めていた。來もその目を見つめ返す。二人の間に、静かな沈黙が流れた。
パラムが微笑み、頷いた。來に対して初めて見せた笑みだった。パラムは何も言わなかったが、その笑みからは來を思う気持ちがしっかりと伝わって来る。
それに応える様に満面の笑みを返すと、來は歌恋の手をしっかりと握り直し、洞窟から出た。
「遅い」
出口ではブイオが待っていた。外はもう暗くなっている。
「四人は先に行かせた。早く追い付くぞ」
慌ててペガサスに飛び乗り、ブイオと共に四人を追った。
「…なあ」
ブイオが歌恋と繋いだ手を指差す。
「汗位、あんたもかくだろ。滑ったりとかしないのか?」
「そういえば…」
ごく自然に繋いでいたが、よく考えると掌に汗をかいていない。まるで風通しが良いかの様に違和感が無く、疲れもしない。
「へえ、不思議なもんだな」
ブイオが目を丸くする。心配してくれた様で、少し嬉しい。
「なっ…きょ、興味本位だ。その程度の事で心配する訳あるか」
心配してくれたのか尋ねると、ブイオはそう言って頬を赤らめ、そっぽを向いた。
「やっと来たか。遅いぞ」
四人に追い付くと、沙流が來の肩を軽く叩いた。
「短気だな」
來も沙流の肩を軽く叩き返す。そして二人で笑い合った。
「此処で夜を越すのなら自分の宿舎を貸そう。気兼ねは要らない、今夜は運良く誰もいないからな」
先に降りたシェケムが振り向いて笑った。安心して胸を撫で下ろす。内心、野宿する羽目になるのではないかとひやひやしていたのだ。
「え…あたしは外の方が」
そう呟くフィアンマの口を慌てて塞ぐ。
「あ…おれも外の方が」
そう言う万生の口はブイオが押さえた。そして二人揃ってシェケムの方を向くと苦笑いする。シェケムは腹を抱えて笑った。
「良いじゃないか。中でも外でも、好きなように寝ればいい」
「す、すいません…」
尚も苦笑する。その内にシェケムが言っていた宿舎に着いた。
「じゃあ、自分はこれで。明日の朝は早く起きろとまでは言わないが、正午には広場に行ける程度には起きてくれよ」
シェケムがそう言って奥の部屋に入って行く。残された六人は部屋を選ぶと挨拶もそこそこに部屋に入った。
ベッドに腰掛け、天井を見上げる。同じ様に隣に腰掛けた歌恋は当然ながら何も言わない。本当ならば、今日あった出来事について何か話すのが当然なのだが。二人居るにも関わらずその場に流れる沈黙に、再び涙が出そうになる。
「相当のショックだったみたいだな、やっぱり」
ドアの所から突然声が聞こえた。驚いてその方向を向くと、腕組みをしたブイオが立っている。
「何だよ」
見られていた事による羞恥に頬が熱くなり、思わず睨み付けていた。ブイオが鼻で笑う。
「全く、自分の心理状態も把握出来てないのか」
ブイオはそのまま部屋に上がって来た。ドアを閉めると來が座っているベッドに歩み寄り、來の肩を抑える。立ち上がりたくても動けず、ブイオを見上げる形になった。無表情な顔に位置するその紅い瞳を恐ろしいと感じたのはこれで何度目だろうか。こくり、と喉が鳴る。
それが合図になったかの様にブイオは一瞬目を見開くと、表情を緩めた。歌恋がバランスを崩さない様に気を配りながら來をベッドに押し倒す。そして呆気にとられている來の顔を見るとすごい馬鹿面だな、と声を上げて笑った。
「大人しく寝てろ。あんたの脳味噌と心臓を休ませてやれ。ほら、こうやって」
ブイオに目を塞がれ、目の前が真っ暗になった。突然の事に慌てる。
その時、唇に冷たい物が触れた。
瞬間の事だった。思考回路が破壊されたのか、あるいは脳が熱に侵されでもしたのか、途端に混乱し何が何だか分からなくなる。しかし、触れた物の正体を確かめる前にその感覚は消え、それと同時に目の上のブイオの手の感覚も失せた。目を開けると、ドアの方に歩いて行くブイオの姿が見える。たまらず布団を頭まで被った。顔、特に唇が熱い。だがブイオが部屋を出る前に、來はそのまま寝入っていた。




