仲間と敵、その境とは 4
軽い口調で受け流す來を憎々しげに睨みながら、フォレイグンは丘を降りて行った。大声で指示する声が聞こえ、悪魔達とフォレイグン、市長が穴に消えていくのが見える。
ブイオが來の隣に座った。僅かに頬を赤らめ、様子を見る様に來の方を横目で見やる。來はくすりと笑い、分かってるよ、という意味を込めてウインクを返した。
「沙流に水を出して貰ったら。手を血に染めてちゃさすがのフィアンマもひくぜ」
ブイオは声を上げて軽く笑った。
「ははっ、本当にそうだな。今だけは、沙流が死ぬ程神々しく思える」
「同感。湖の水で手を洗ってて、運悪く水を飲んだ君なんて見たくない」
「そりゃ、随分と酷い想像をどうも」
フィアンマが上がって来た。
「ちょっと、皆帰っちゃったけどどうしたのよ一体?」
「賭けに勝ったのさ」
フィアンマは僅かに首を捻ったが、ブイオの手を見て慌てた様に下へと駆けて行く。そして直ぐに、沙流を連れて再び上がって来た。沙流は状況がまだ呑み込めていない様だったが、ブイオの手を見るなり手を前に伸ばす。直後、その指先から水が滝の様に吹き出し、ブイオはまともにその水をくらった。
「うわっ、何すんだ!ずぶ濡れじゃないか」
「ああ、ごめんごめん」
沙流が水の勢いを弱める。ブイオは頭を振って水滴を飛ばすと、手に付いた血をようやく落とした。
「全く、俺を殺す気か」
悪態を吐くブイオ。沙流は頭を深々と下げ、懇願する様に悲痛な声を出した。
「ああ、どうか許してくれ。何でもするから」
ブイオは一瞬動きを止めた。次の瞬間吹き出す。
「ははは、嘘だよ!本当に笑える。全く怒ってないのに」
沙流が顔を上げる。その顔には、さっきの悲痛な声とは似ても似つかぬにやりとした笑みが張り付いていた。
「こっちも嘘さ。まさか、おれがそんな事本気で言う筈ないだろ?」
「よく言ってたじゃないか」
思わず口を挟む。その言葉に、騙すつもりで逆に騙された事に気付いてふくれっ面をしていたブイオを含め、皆が一斉に吹き出した。
「それを言うなよ。折角かっこつけたのに」
ただ一人、沙流だけが頬を膨らませている。悔しそうなその表情を見て、一同は更に笑い転げた。
―なかなか上手くやっている様だな―
再び父さんの声が聞こえた。皆の笑い声を頭から締め出し、声に意識を集中させる。
褒めてくれて有難う。それで、何?
―さっきは、上手く追い帰せた様だな。我ながら、感心したぞ―
だから、何の用だって?
―まあ、そう急ぐな。…お前の正体は、もう分かっているだろう?―
うん。父さんが竜族で、あの赤ん坊が僕なら、僕が竜族だって事になるんだろ?
―そうだ。しかしあの悪魔の青年は、良い判断をしたな―
良い判断って、ブイオは悪魔を殺したんだ。何故、そんな事を言うんだよ。
―あの時お前が死んでいたら命の蝶の復活は叶わなかった―
命の蝶が、何か関係してくるの?
―ああ。とても深く関わっている―
それから父さんが話してくれたのは、神秘に満ち溢れた話だった。
[昔、命の蝶はこの世界すべてを支配していた。全ての命、生態系は命の蝶の元に成り立ち、その上で人も悪魔も、またその他の氏族の全てが幸せに暮らしていた。命の蝶には五匹の使いが居て、その名を青竜、朱雀、玄武、白虎、麒麟といった。そして、その生き物を神として崇め、称え続けて来たのが、竜族、鳳族、蛇亀族、虎族、角翼族だ。時が経ち、命の蝶はフォレイグンによって封印された。その裏で糸を引いていたのが、魔塗…市長だ。彼は命の蝶に続いて使い達をも滅ぼしたが、フォレイグンを使った為に、その悪事が表に出る事は決してなかった。氏族達も続いて滅ぼされた。沙流達は唯一の生き残りであり、また命の蝶の復活を唯一可能に出来る者である。残念ながら鳳族は全滅してしまったものの、フィアンマが生き残っていた事で朱雀を神とする氏族の全滅は免れた。命の蝶を復活させる為には五人全員の力を合わせる事が必要である。今や均衡の崩れは所々で目に見える様になって来ている。一刻も早く命の蝶の復活を急がねばならない]
―分かったか。お前が死んでいれば青竜を神とする氏族は居なくなり、命の蝶は―
うん、分かった。僕のせいで世界が破滅する所だった。…でも、目に見える均衡の崩れって一体何?
―不平等、差別、罵り…それらは全てその物だ。お前も感じた事があるだろう―
確かに…でも、それが当たり前だって思い込んでた。
―それが彼らの思惑だ。彼らは、忠実で愚かな奴隷を人間界という温室で育てているんだ―
じゃあ、歌恋や母さんも…
―元は、そうだった。しかし、お前が居なくなった事で彼女達はこの世界の内側に気付く筈だ―
そうだと良いけど…
―まあ、彼女達を信じるんだな―
ああ、そうするよ。
―ところで、今までの話を聞いている限りお前達は次の目的地を見いだせていない様だが―
その通りさ。…まさか父さん、何か知ってるの?
―我ら竜族の故郷であるヴェンフォンという町がある。そこに竜のねぐらと呼ばれる場所があるんだ―
ヴェンフォン?竜のねぐら?
―ヴェンフォンについては、そこの悪魔の青年が知っているだろう。竜のねぐらは、その名の通りだ―
ふうん。で、その竜のねぐらに何かあるの?
―お前から取った龍石がある筈だ。わたしはあの石を竜に預けたのだからな―
分かった、有難う。早速行ってみるよ。
―頼むぞ。お前の心の内で、幸運を祈っている―
そして、心の声は途絶えた。意識を現実に引き戻し、まだ少し笑っているブイオに尋ねる。
「なあブイオ、ヴェンフォンって知ってるか?」
ブイオは一瞬驚いた様な顔をし、それから答えた。
「ああ、風の町さ。でも、なんであんたが知ってるんだ?」
言葉に詰まった。心の内に響く父さんの声の事を知らせるべきなのだろうか。それとも、どうにかして言葉を濁した方が良いのだろうか。
「來、あんた最近おかしいぞ。急に黙り込んで、俺達が声を掛けても動こうともしなければ口を開く気配すら見せない。もしかして、何か厄介な病気にでも掛かったんじゃないのか?」
ブイオは無表情だった。でも、その口調から來を心配している気持ちが僅かに伝わって来る気がする。來は決めた。一呼吸おいてブイオの眼を真っ直ぐ見詰める。
「僕がずっと聞いていた、あの声の正体が分かったんだ。あの声は父さんの物だった」
これにはさすがのブイオも驚いたらしい。軽く息を呑んで、目を僅かに見開いた。父さんが言っていた事を纏めて話す。
「なるほど、そういう訳だったのか」
ブイオはまだ驚きを隠せない様子で頷いた。
「つまり、あんたが竜族なんだな?」
頷く。ブイオは溜息を吐くと、笑顔を浮かべた。
「じゃあ、あんたの親父さんを信じてヴェンフォンに向かうとするか」
ブイオが沙流と万生、フィアンマに伝えに行く。三人はブイオと同じ様に一瞬驚いたような表情を浮かべ、そして頷いた。
本当にこれで良かったのだろうか。市長やフォレイグンの耳にこの事が伝わらない事を願う。
「よし、準備はばっちりだ。そうと決まったら早く行こうぜ」
沙流の声が呼ぶ。來は考えていた事を脳の奥にしまい込み、四人の元へ向かった。
ブイオがヴェンフォンの事を大まかに説明する。やる気に満ちた沙流を先頭に、一行は再び魔界を離れた。驚いたのは、ヒポカンポスが陸上を動けるという事だ。尾ひれで飛び跳ねて移動しているのだが、その動きは他の馬となんら変わらない。
來とブイオは並んでいた。説明できない複雑な気持ちが來の胸の内を支配している。
「なあブイオ、敵って何だろう?」
ごく自然に、その言葉が口をついて出た。ブイオが來を見、首を捻る。
「何を言ってるんだ?敵っていうのは…恨んでいる相手とか、戦う相手とか、そういう事だろ」
「じゃあ、味方は」
「自分の仲間だ」
「違いは?」
「は?」
「敵と味方の違いって何なんだ?」
立て続けに質問していた。言葉が止まらない。自分でも意味の分からないままに、本能のままに訊き続けていた。
「來、何が言いたいんだ。そんなの明らかだろ」
「ブイオ、君は僕の敵なのか?」
「何を言ってるんだ、味方に決まってるじゃないか」
「三年前の君に同じ質問をしたら君はなんて答えた?」
自分がしている質問の意味が、ようやく分かって来た。
僕は、疑問を感じているんだ、Sunに、悪魔に。
僕は元々Sunの側の住民だった。それが今では、歌恋と母さんを除いて皆の敵と化している。悪魔だって、ついこの間までは敵だった。だが今は、一緒に過ごしてさえいる。沙流だって僕と同じだ。
敵と味方の境目って何だろう。
その答えを知る為に、僕は尋ねている。
「三年前の俺…に」
ブイオも來の質問の意味が分かったらしい。僅かに言葉を切り、小さな声で答えた。
「当たり前だ、永遠に敵だって…答えてたな」
数秒間、沈黙がその場を支配する。先に口を開いたのは來だった。
「僕達はいつから味方になったんだろう」
「いつから…だろうな」
それから更に数秒後、ブイオが答えた。
前を行く三人は上機嫌だ。楽しそうに笑い合い、まるで子犬がじゃれ合っているかの様に動き回る。
「理想だと思わないか?」
ブイオが三人の方を向いて言った。
「理想?」
「あいつらみたいに、例え氏族が違っても仲良く出来るってのがこの星の理想なんじゃないか?」
確かにそう思う。今の所、表向きは上手くやっている様に見えるが、僕はこの星の実態を知ってしまった。今まで全く気付いていなかったけど、心のねじれた人間がこの星に住む他氏族を全て滅ぼし、あるいは全て言いなりにして、命の蝶にとって代わって支配者に成り上がろうと企んでいる事。そして徐々にその企みを実行に移し始めている事。
―それを防ぐ為に、僕達は存在しているのではないか―
ふと、そんな事を思った。
「でも、有難うな、來。今まで、そんな事考えてもみなかった。…あんたと同じだな。そんなもんなんだって、勝手に思ってた」
ブイオがこっちを見て言った。心なしか、その瞳を暖かく感じる。
「もうそろそろ着く。取り敢えず今は、あんたの親父さんの願いを叶えてやるとしようぜ」
ブイオと共に、前の三人に加わった。
皆、二人を暖かく迎え、仲間として認めてくれている。その幸せを胸に包み、來は仲間との喜びに身を委ねた。
五人の目の前には、雲の上へと続く大きな竜巻が湧き上がっていた。




