闇の虚空へ 1
「來、龝さんが呼んでるわよ」
紗蘭の声で、目が覚めた。龝は、神山に住んでいる老婆で、魔術や占いを主にしている。普段は人を寄せ付けないその龝がわざわざ來を呼ぶという事は、何か災いが起こるという事だ。予想はついた。
次に会うときは、俺達が此処を攻める時だ。
ブイオの言った事。まだ耳にこびり付いている。龝さんなら食い止める方法を知っているかもしれない。チャンスは逃せない。來はパンを口に押し込むと、家を飛び出た。
神山のふもとには大きな洞窟がある。普段大岩で封じられている入口は開けられ、冷気が吹き出していた。
「龝さん、來です。話を聞きに来ました」
自分の声が洞窟内に響き渡る。数十秒後、洞窟の奥からしわがれた声がした。
「來、よく来た。入るが良い」
洞窟に足を踏み入れる。すぐ後ろで大岩の扉が大きな音を立てて閉まり、辺りは闇に包まれた。きっちりと閉まった岩の隙間からは、一筋の光さえ漏れてこない。來は目を閉じ、感覚に身を委ねた。道は狭く、曲がりくねっている。もう五百メートルは歩いたのではないかというとき、遠くに椅子に座った老婆の姿が見えた。龝だ。布を被っているので目元は見えない。目の前には水晶玉が置かれていた。龝の前まで来ると、來は目を開けた。視界から龝の姿は消え、水晶玉だけが目の前で妖しく光る。次第に闇に目が慣れるにつれ、水晶玉に照らされた龝の顔が見えてきた。龝が口を開く。
「悪魔が攻めてくる」
やっぱり。そう来ると思った。
「知っています」
「お前は、どう思う」
「戦いたくありません。でも、Sunの住民として戦わなければいけない」
悪魔の軍勢には、ブイオが居る。ブイオは來を敵としてみなしている。近づいたら確実に殺されるだろう。でも、ブイオを敵だとは決して思わない。思いたくない。だけど戦わなければいけない。でも戦ったらブイオを敵としてみなしている事になる。だけど、Sunを、沙流を、揚魅を、母さんを守るために戦わなければ…でも…だけど…でも…だけど…
自分の内で戦う心。故郷や仲間を取るか、自分の中で大切な存在を取るか…來は頭を抱えて座り込んだ。龝に尋ねる。
「どうにかして防ぐ方法は無いのですか」
龝は重々しく頷いた。
「そう言うと思っておった。悪魔の攻撃を避けることは出来ぬ。しかし、どちらも死傷者を出した上でSunを守る事なら出来る」
「それは、どんな」
「片目の指導者を探せ」
「あなた以外にも指導者がいるのですか」
「違う。悪魔の指導者だ」
悪魔の指導者?誰だ。悪魔にもそんな奴がいるのか。
「その者は紅い瞳を持つ。また、悪魔の中でただ一人左右違う色の瞳を持っている。分かる事はそれだけだ。水晶のお告げだ」
紅い瞳、左右の色が違う、もしかしてそれは…いや、そんな事は…そうなのか…また混乱してきた。眩暈がする。どうしてこんな事に…もしかしたらあの日僕はとんでもない運命を背負い込んでしまったのか。
「そして…」
他にも見えた物があるのか。水晶は滅多に物を移さない筈なのに…
「その指導者と共に戦う…お前の姿が見えた」
「共に戦う?僕が?」
「そうだ。お前と指導者は出会った時から共に生きる運命だった。そしてお前は真実を見出すだろう」
僕がSunと戦う…それが水晶の決めた事か。悪魔と共に生きる事が運命なら…しょうがない、探しに行くか。悪魔と戦いながら、悪魔と生きる為。頭を下げてその場を立ち去ろうとしたが、疑問が浮かび、振り返った。
「悪魔が攻めてくる事も、水晶のお告げですか?」
「そうだ」
色々ともう少し知りたかったが、そうも言っていられなくなった。背後で大きな爆発音がしたからだ。振り返ると、入口を塞いでいた大岩が破壊されていた。
「どうやら来たようだな」
龝が呟いた。
「おそらくお前とは二度と会えないだろう。だが來、私の事は忘れるのだ。さあ行け。Sunを守り、片目の指導者を探すのだ」
これで最後か…來は龝に深々と頭を下げると、洞窟を出た。
上から襲い来る蝙蝠や使い魔を避け、振り払いながら家に飛び込む。家では紗蘭が來の剣をもって待っていた。
「來、気を付けてね」
紗蘭にはもう二度と会えない…多分。紗蘭から剣を受け取る時、來は俯いていた。まともに顔を見る事も出来ないまま、家を出て、後ろ手でドアを閉める。こんな境遇に遭わせた悪魔が怨めしい。うらめしい。ウラメシイ…
剣が妖しい紫色の光に包まれる。來は剣の柄を握りしめると、正面から襲ってきた悪魔を真っ二つに切った。
前から何匹もの悪魔が向かって来る。その全てを來は一刀両断した。
ドコダ…
悪魔を切り除けながら、犇く悪魔の中を突き進んでいく。視界の片隅にひときわ高くそびえ立つ場所があった。仮面を被り、腕組みをして立っている男。目の位置に開いた穴からのぞく一つの紅い瞳。
ミツケタ…
にやりと笑う。腹の底から暗い殺意が湧き上がる。
「グアアアアアア!」
叫びがほとばしる。紅い瞳と目が合った。來は一跳びでそこに跳びあがると剣を振り下ろした。相手の手が空を切る…




