紅に舞う者 3
「市長!」
白衣の男がいきなり部屋に飛び込んで来た。思わず跳び上がった心臓を押さえ付けながら、魔塗は男を睨む。
「騒々しい。何があった」
「今直ぐお逃げ下さい。病院は封鎖しましたが…」
「だから、何があったのかと聞いているんだ!」
次第に声に苛立ちがこもってくる。男は酷く慌てている様子で、肩と声を震わせながら、しかしはっきりと声を上げた。
「異常事態が、発生しました」
「詳しく教えろ」
「保健機関細胞革新局新細胞開発課より、ウイルスが漏出致しました。そのウイルスなのですが、元は動物を大人しくさせる為に開発途中だった物で、名をシュピラーニョウイルスと言います。このウイルスに感染すると、思考回路が正常に作動しなくなります」
「それはつまり…」
「生ける屍と化す訳です」
そうか…住民達に感染されると、厄介な事になるな。早急に手を打つ必要がある。
「いかが致しましょうか」
「下がっていろ。この部屋は安全だ。元々そういう作りになっているのだからな」
白衣の男は、まだ心配そうにしながらも渋々出て行った。ドアを閉め、ロックする。周りに人がいないのを確かめ、魔塗は受話器を取った。掛ける先は例の男の家だ。
「もしもし」
女の声がした。この屋敷の婦人か。さすが軍隊に所属する金持ちの事はある。Earthに住んでいるというのに、隅に置けない奴だ。
「市長の魔塗だ」
「あっ…ええ…分かりました、少々お待ち下さい。只今替わります。わたくしは使用人ですので」
しばらくの沈黙の後、電話の向こうから男の声がした。
「ああ、市長様。ご無沙汰しております。それで、何のご用でしょうか」
「悪魔の軍勢が出来た、との話は聞いているか」
「勿論で御座います。改めて、お祝い申し上げます」
「うむ。それでなんだが、おまえにその軍勢の指揮をとって欲しいと考えている。引き受けてくれないか」
「本当ですか!有難う御座います、謹んでお受け致します」
「詳しい話は後でしよう。まずはこっちへ来い」
「はい、今直ぐに」
直後、電話が切れた。机に座り、腕を組んで待つ。
あいつは悪魔を従える男だ。あの男さえいれば、竜族や虎族の時の様に簡単に滅ぼすことが出来る。
それから一時間もしない内に、部屋に男が現れた。
「只今参りました。しかし、何故私に依頼を?」
「分かっているだろう、フォレイグン。おまえは、十五年前の大量虐殺に関わっていたというじゃないか」
「竜族の件ですか。ええ、その通りです。全てしらみつぶしに探し、最後の一人まで息の根を止めてやりましたよ」
フォレイグンが胸を張る。魔塗は静かに首を振った。
「その事だが、しかし、足りていない。一人、生き残っている。心当たりは」
フォレイグンは心底驚いた、という表情をしたが、直ぐに首を捻った。
「心当たりですか…ああ」
フォレイグンの口元に、下卑た笑みが浮かぶ。今まで幾つもの命を奪ってきた者に相応しい、残酷な笑みだ。
「赤ん坊…ですね」
「何、赤ん坊」
「ええ。その時は角も、羽も尻尾も生えていなかったので見逃しましたが、目と髪が青かったのを覚えています。今となって考えれば、人間には有り得ない色です。おそらく、その赤ん坊が竜族の生き残りでしょう」
なるほど、こちらの読みは当たっていたか。
「その生き残りなんだが、探すのに手こずっていてな、早く息の根を止めたくてしょうがないのだ」
フォレイグンにも負けない笑みを浮かべる。フォレイグンもつられる様に微笑んだ。
「竜族の件は、いくら失敗したとはいえおまえ一人でやった事だ。悪魔の軍勢を率いれば、残りの一人を倒す事など訳無いだろう」
「なるほど、良い考えです。それでは、お言葉に甘えてそうさせて頂きましょう。必ずや、市長のご期待に沿える様にして見せますよ」
軍勢の待機場所を教え、フォレイグンが出て行くのを見送った。そして椅子に深く座って頬杖をつく。
心の中に、引っ掛かる物があった。
フォレイグンが言っていた、青い眼と髪。どこかで見たような気がするのだが、一体どこだったか。記憶を探る。そして気付いた。
來…?
沙流のせいで惜しくも逃がす事になったが、そういえば、髪と眼が青かった様な記憶がかすかに残っている。あの時は悪魔の仕業かと思ったが、今となってはあいつが竜族の生き残りだという考えにも納得できた。
悔しい。あの時、遊んだりなどせずに即、殺してしまえば良かったものを。
しかし、今更悔やんだ所でどうにもならない。居場所を掴む事なら容易だろう。
來を捕まえた時、あいつは魔界に居た。つまり、もう一度魔界に乗り込めば來を捕まえられる。しかも、沙流や他の悪魔も一緒だ。
最高じゃないか!
一人、含み笑いを漏らす。その声は部屋中に、静かに響き渡った。
無線機でフォレイグンを呼び出す。直ぐに上機嫌の声が聞こえて来た。
「市長、有難う御座います!こんなに立派な軍勢、私にはとても勿体無いですよ」
謙遜した台詞だが、声の調子からして満更でも無さそうだ。
「喜んでもらえた様で、わたしも嬉しい。それで早速だが、行って欲しい所がある」
「はい、喜んで。それで、どこに行けば」
「魔界だ」
「…魔界?」
無線機の向こうの声は、若干焦っている様に聞こえた。
まあ、知らなくても無理は無い。魔界へと続くあの大穴を知る物は悪魔と、來や沙流などの悪魔に心を奪われた者、そしてあの事象に携わった者だけだ。フォレイグンに、あの大穴の事や場所を手短に伝える。
「そうでしたか、良く分かりました。では、早速魔界へと向かいましょう。悪魔達の実力も見てみたいですし」
「うむ、頼んだぞ、フォレイグン」




