驚愕、そして発見と 1
「暑い!」
沙流が叫んだ。
「うるさい、耐えろ!」
ブイオも叫ぶ。駄目だ、この暑さで皆いきり立っている。一番涼しい恰好の万生でさえ、汗を流しながら歯を食い縛っていた。
さすが、炎の都市。溶岩の中に居るんじゃないかという程暑い。來自身、気が狂いそうになっていた。
「どっかの家に飛び込もうぜ…」
言い終わると同時に、沙流が倒れ込んだ。ぐったりとしている。
「脱水症状だな」
ブイオが沙流の口に水を含ませた。ガシュルがくれた「玄武水」はまったくもって役に立つ。玄武像の足元にあったあの池の水は、喉の渇きを一瞬で癒してくれた。しかし、量には限りがある為、こういう状況にならない限り飲まない、と全員で決めている。
「なあ…おれの意見、どうだ?」
立ち上がった沙流が虚ろな目で問う。どんな気持ちを持とうが、このままだと確実に沙流がもたない。
「賛成…死ぬ」
万生が呟いた。本当に死んでしまいそうな雰囲気だ。最年少だからか?
「じゃあ取り敢えず…えっと、あの家」
見える範囲には、数軒の家があった。その中の一軒を指差す。その家だけ屋根から煙突が突き出していて、目が惹かれたのだ。
「お、おい。凄ぇぞ!」
どこにそんな体力が残っていたのか、沙流が家に駆け寄り、煙突を指差す。
「凄いって、どこが」
「よく見ろよ。レンガじゃないぞ、これ」
「学校で習っただろ。レンガの代わりに焼けた石を使う事もあるって」
「あれ、そうだっけ」
忘れるのも無理は無い。それを作るのには根気と高い技術力が必要であり、百人近くいた來の学年の中で、それを見事完成させたのは揚魅だけだった。
―そういえば、揚魅は今頃どうしてるかな―
揚魅の顔が浮かんできた。
同じ技術科の中でも、沙流は精密工業やコンピューター光学などの機械作業を得意とし、揚魅は土木工事や建築などの肉体労働を得意としていた。
今も元気にスキーを続けているのだろうか。もう一度、あの明るい表情を見たい。楽しそうな笑い声を聞きたい。
沙流が家の扉をノックする。返事が無いまま沈黙が流れ、そしてドアが勢いよく開いた。顔を出したのは、美しい顔立ちの男だった。こんなに整った顔は初めて見る。見惚れてしまった來をその男はまじまじと見詰め、そして唇をかすかに動かした。
「來、知り合いなのか?」
ブイオが問う。
「は?」
「だって今、來、沙流って言ってたぜ」
聞こえたのか…恐るべき地獄耳。でも、知り合いにこんな男は居なかった。一体誰だ?
「と、取り敢えず入れよ、な?」
男が四人を招き入れる。見かけによらず、かなり子供っぽい口調だ。もっと小柄な身体だったら良かったのに…そう、揚魅の様な身体だったら。
部屋の奥には一人の少女が座っていた。歳は十二歳位だろうか。
「心配いらない。おれの友達だ」
男が少女に笑いかける。少女もようやく笑顔になった。
それにしても友達って…僕は知らないんだが。
「ねえ揚魅、あたしにも紹介してよ」
へえ、この男の名前は揚魅っていうんだ。
…ん?
「揚魅いぃぃ!?」
僕と沙流は同時に叫んだ。ブイオと万生は耳を塞ぎ、揚魅は照れくさそうな顔で振り向く。
「あれ、気付いて…なかった?」
「気付くか!」
僕は再び叫んだ。
「気付いてなかったって事はつまり揚魅は本物で、でもイケメンで、でも揚魅は可愛くて、でも本物はイケメンで…あれ?」
沙流が混乱している。ようやく一つの結論に達したのか、沙流は揚魅を見据えた。
「それで、いくら掛かったんだ?」
「何がだよ」
「おいおい、とぼけんなよ。金に決まってんだろ」
「か、金!?」
「ああ、だって整形したんだろ」
「…してない」
沙流、本気で言ってんのか、それ。整形なんて、いくら掛かると思ってんだ?
万生はまだ状況が呑み込めていない様な表情で呆然としている。ブイオの視線が鋭い。揚魅を上から下まで眺め回している。
「あんた、人間じゃないな」
ブイオの言葉に揚魅の動きが止まった。その喉がこくり、と動く。
「ブイオ、何言ってんだよ。揚魅は人間だぞ」
「ああ…俺の偏見かもしれないけど、生きてる感じがしない」
揚魅が視線をゆっくりとブイオに向けた。その口元が僅かに歪む。笑っているのだ。
「鋭い観察眼持ってるじゃないか」
えっ…!?
って事は、揚魅は人間じゃない…!
「その通りさ。今のおれは人間じゃない。…アンドロイドだ」
アンドロイド…。
そういえば、ずっと前に市長がプロジェクトを発表していた。
我々は命の限りを無くします!永遠の命を、作り出します!
それは、幼心にも危ないと感じられた。
―その結果がこれかよ―
精神は、意識は揚魅だ。それは間違いない。今僕の前で話している口調も何もかも、揚魅そのものだ。
でも、こいつは揚魅じゃない。生き物ですらない。例え揚魅がゴルゴンで、見た瞬間に石になってしまう様な怪物だったとしても、僕はそっちだけを揚魅だと認める。人工の朽ちぬ身体など、見たくもない。
「身体はどこだ」
低い声が聞こえた。沙流が歯を食い縛り、その隙間から声を絞り出している。來と同じ事を考えたらしい。
「名称は聞いた。でも、それがどこかは…」
「教えろ」
「保健機関治安実験局精神結合課」
「長い名前だな」
「おれの知った事か」
保健機関…か。名前からすると病院っぽいが…そんな局があるとは到底思えない。
「ねえ、あたしの事忘れてない?」
少女が言った。不機嫌そうな顔をしている。
「…やべ」
揚魅がそう呟くと、少女を呼んだ。
「えーっと、こいつはフィアンマ。此処に住んでて、おれを助けてくれた恩人」
「別に、そこまでの事じゃ…」
「良いから。それで、來と、沙流と…えっと」
揚魅が僕らを順に指差す。ブイオの所でその指が止まった。
「俺はブイオだ。見たら分かると思うけど、一応悪魔」
「んで、おれは万生。こいつらは化け猫って言うけど、絶対そんなんじゃないからな」
フィアンマは、くすっと笑った。
「随分と個性豊かなのね。宜しく」
「あのさあ、揚魅。おれ、おまえに言っておかなきゃいけない事があるんだけど」
沙流が視線を逸らしながらきまり悪そうに言う。
「人間じゃないって言うんでしょ」
答えたのはフィアンマだった。
「その牙も、眼も、髪も、人間じゃ有り得ないもの。それに」
フィアンマの視線が來に移る。思わず身を引き締めた。
「あなたも、でしょう?」
「…確証は無いんだ」
それだけしか言えなかった。もしブイオの言った事が本当なら、僕は人間じゃない事になる。でも、それは予想にすぎず、証拠はどこにもない。
「何故分かるのか、って訊く?理由は簡単よ」
時間が止まった様だった。皆一様に想像していた次の言葉…予想は当たった。
「あたしも多分そうだからよ」
…大正解、だ。
「凰族なのか」
ブイオが訊いた。フィアンマが軽く首を振る。
「分からない。でも、小さい時からあたしは皆と違ってた。皆がアグ二を崇拝する中で、あたしだけは常に朱雀を敬ってたの」
「アグ二…それは火の神で間違い無いな?」
「よく知ってるじゃない。その通りよ」
「朱雀を祀る神殿みたいなのはあるのか?」
「あるわ。案内してあげる。でも、その前に」
フィアンマは揚魅の肩を掴んだ。
「揚魅の、身体を探すのが先じゃない?」
ああ、そうだった。話が逸れていた。
えっと、保健機関治安実験局精神結合課だったな。何とか行く方法を探して…
「あたしが連れて行ってあげる」
「え?」
その場に居た全員がフィアンマの顔をまじまじと見詰めた。フィアンマは一つ息をついて言った。
「案内してあげるって言ってるの。あたしよくあっちの世界に行くから、それ位の事は分かるわよ」
「本当か。それなら助かる。で、どこなんだ?」
ブイオの瞳が真剣だ。こんなに協力的なブイオ、初めて見た。揚魅はブイオにとって他人なのに…。
「あなた達の視点で言えば病院…かな」
病院!やっぱりそうか。でも、それなら疑問がある。
病院のどこにあるんだ?
來が訊く前にフィアンマは立ち上がった。
「後は移動しながら話すわよ。ほら、付いて来て」
フィアンマが家から出て、裏に回る。来た時は気付かなかったが、そこにはかなり大きな馬屋があり、中には何頭もの馬が鼻を鳴らしていた。
一見普通の馬に見えるのだが、よく見ると違う。
たてがみと尻尾が燃えていた。いや、燃えてるんじゃない。たてがみも尻尾も火で出来ているんだ。
「この馬…」
「見た事無い?この子達は火から生まれた、此処にしかいない珍しい馬よ」
「名前は無いのか?」
「あたしはフレイアって呼んでる。FireとFlameを足しただけなんだけどね」
「火と炎って…そのまんまじゃん」
「良いの!」
フィアンマは馬屋の中からフレイアを六頭出して来た。
「歩くの面倒臭いから、乗ってって。あっ、熱くないから安心してね」
馬の背は暖かかった。地獄の馬程ではないが、走るのも速い。どこをどう走ったかも分からないまま、気が付くと一行は大きな洞窟の前にいた。
「此処は…」
「人の小道。簡単に言えば、人間界への道」
人間界への通用口はあの穴だけじゃなかったのか。て事は、ブイオもその事を知らなかったという事になる。
「へえ、この都市は此処なのか」
ブイオに驚いた様子は無かった。ていうか、知ってたのか!?
「魔界よりはずっと楽?」
「ああ。いちいち飛ぶのも面倒臭いからな」
理解出来なくなってきた。此処は、直接本人に訊くのが一番だろう。
「ブイオ、知ってたの?」
「知ってたって…ああそうか、あんた誤解してんだ」
「誤解?」
「俺が言ったのは魔界の事で、此処の事じゃない。言い忘れたけど、今俺達が居る世界はいくつかの地域に分かれていて、それぞれに一つずつ、人間界との接点があるんだ」
なるほど、そうだったのか。地域っていうのは、SunとかSkyと同じで、オームルやフラムフエゴの事をいうんだろう。という事は、Sunにも、探せば異界への入口があるのだろうか。
洞窟の奥へと進んだ。途中、切り立った低い崖の様な所があったが、フレイアは一跳びで登る。來ならかなり苦労する所だ。幸い、下に苔が生えていたから落ちても痛くなさそうだったが。
ようやく出口に着くと、そこは火山の火口だった。目の前で、溶岩が泡立っている。眼下の風景には見覚えがあった。
「あの山か」
ブイオも來の隣で下を覗き込んでいた。
「ほらこの前、俺達が攻めた時があったろ。あの時、あんたが俺を運び込んだ山だ」
ああ、あの山か。身を乗り出し、山の麓を見る。確かに、あの時と同じ洞窟があった。
なんだか懐かしい。あの時の情景がありありと浮かんでくる。
龝さんの言葉。
見る事が出来なかった紗蘭の顔。
仮面から覗く一つの紅い眼。
僕が背負った殺人という重い罪…
そして、僕を魔界へと誘ったブイオの瞳。
優しかった。今まで僕が教えられてきた悪魔の瞳じゃない。色が、違った。
人間と同じ笑顔を向け、同じ過ちをしでかす。それは、ブイオに出会って分かった真実。
同じ悪魔でも、魔界の悪魔は、地獄の悪魔の様に血の色の眼を持つ残虐で劣った生き物じゃない。
燃えるルビーの眼を持った、温厚で知性豊かな生き物。人間の敵なんかじゃない。
―同じ惑星に住む、大切な生命の仲間なんだ―
「二人共、そろそろ行こうぜ」
沙流に声をかけられた。曖昧に返事を返し、ブイオと共に立ち上がる。フレイアは、まだ元気そうだ。
よし、それじゃあ…
「いざ、決戦の地へ!」
叫んでみる。何だか無性に言ってみたかったのだ。
ブイオとフィアンマは驚いた顔をし、万生と揚魅は笑顔になる。沙流は含み笑いを漏らした。そして全員で顔を見合わせ、片手を突き上げる。
Earth一面に、六つの高らかな声が響き渡った。




