次なる目標を求めて 2
―ああ、もう―
私ってなんて意気地無しなんだろう。本当の事も伝えられなかった。
沙流に、明日発つとは告げた。でも、直前まで伝えられなかったし、來には結局言えないまま。そして何より、本当の事を言えなかった。
本当は留学したんじゃない。故郷に帰っただけの事。此処に留学したんじゃなくて、Sunに留学していたのよ。
その言葉を言えなかった。沙流は一年したら私が帰って来ると信じてる。でも私は帰らない。帰れない。また行きたいと言ったって、どうせ駄目って言われるに決まってる。
座っていたベッドから勢い良く立ち上がり、また座る。ベッドが軋んだ。何回繰り返しても気が済まない。どれだけ自分を責めてもどうにもならないのは分かっているのに。
「御嬢様、いかがなさいました?もしわたくしに何か出来るのであればお申し付け下さい」
ドアの外から聞き慣れた声が聞こえて来た。この家の女中のチーフであるウィゼだ。
「心配してくれて有難う、ウィゼ。私は大丈夫だから」
ウィゼは黙ったものの、未だに心配そうだ。心配性だと、正直思う。私はもう、十七歳なのに。
「歌恋」
男の声がした。パパの声だ。
「ウィゼを余り心配させるな」
もう限界、耐えられない。歌恋は荒々しくドアを開けた。心配顔のウィゼ、そして困惑した様な父親の顔。二人を、歌恋は思いっきり睨み付けた。いつもは居る母親の姿が見当たらなかったが、気にしてなんかいられない。
「ウィゼもパパもいい加減にしてよ。私はもう子供じゃない。何で、Sunに居たらいけなかったの?」
パパの表情が変わった。怒りを露にしている。
「くそ、この一年で随分と小憎らしくなりおって。わしの言葉に逆らうなと、何度も言い聞かせて来ただろうが」
「私はパパの操り人形じゃないの!頭の固い、いかれた軍人の言う事なんか聞けるもんですか」
パパの右手が高く上がった。私をぶつ気だ。ウィゼが目を閉じる。あの大きな手にぶたれたら物凄く痛い。でも、此処で折れる訳にはいかない。
良いわ、やってごらんなさいよ。絶対に後悔する事になるから。
それだけの言葉を込め、目の前に立つ父親を睨み付ける。パパの右手が動いた。目の前が一瞬真っ暗になり、口の中に血の味が広がる。思わずしゃがみ込んだ。
「どうだ、これで懲りたか。次に言ってみろ、これじゃ済まないぞ」
…負けない。絶対に負けない。
歌恋は立ち上がり、涙で潤んだ目で父親を睨み付けた。
「懲りないわ。何度でも言ってやる!この変人!人殺しを生業にしたカチカチ頭!」
頬が腫れていて声がくぐもる。パパの右手が再び上がった。しかし、今度は拳だ。平手打ちにされるより数倍痛い事だろう。顔を背け、目を閉じた。拳が近づいて来るのを感じる。
「フォレイグン大佐!」
こめかみの数センチ手前で拳が止まった。身体が震えているのが分かる。パパは拳を降ろし、自分の名を呼んだ男を見た。
そう、フォレイグン。それが私の父の名。かつて、神山に住む先住民達の大量虐殺に携わった冷血な男。
「一体何があったんだ、騒々しい」
「申し訳ありません。しかし、例の件で至急のご報告が」
男はパパに耳打ちをした。パパの顔が輝き、ウィゼの顔が青ざめる。声が小さくて、私には聞き取れなかった。
「御主人様、お止め下さい!こんな事、決して許される事ではありません!どうかお考え直しを、あの男は気が狂っているのです!」
パパはウィゼの目の前で手を振って黙らせると、軽蔑の眼差しで睨んだ。
「ええい、黙れ!あの方は素晴らしいお方だ。それを悪く言うお前の方が気狂いしているのだ!」
パパは私を一瞥すると、震えるウィゼの前を素通りし、足音荒く立ち去って行った。
「ねえ、一体何なの?」
ウィゼに尋ねてみる。ウィゼは視線を泳がせ、やがて深々と頭を下げた。
「申し訳御座いません、御嬢様。わたくしにはとても…」
「言い辛いのなら良いわ。別に強いている訳じゃないから」
ウィゼは有難う御座います、と頭を下げてから付け加えた。
「御嬢様が行ってしまわれてから、御主人様は変わってしまわれました。いつしか気が狂った様になって、軍隊や主人の事などを始終話しておられるのです」
「見れば分かるわよ」
もうこの家にはいられない。Sunへ戻ろう。來に、沙流にもう一度会いたい…。
部屋に駆け込む。机の上の手紙、沙流から送られて来た來からの手紙。
沙流、歌恋、急にいなくなってごめん。僕は無事だ。信じてもらえないかもしれないけど、今僕は魔界に居る。その証拠に、ブラックダイヤを一緒に包んでおいた。君達の知識なら、これがどこで採れるか分かってくれると思う。とにかく僕は、異界に居るんだ。機会があったら絶対に逢いに行く。約束するよ。 來
そうよ、分かってる。地獄の炎で出来る宝石なのよ。あなたの言っている事は嘘じゃない。
―ねえ、また逢える?―
手紙とダイヤ、身の回りの物をまとめ、部屋を出る。この邸宅、Earthの軍用地の真ん中の自然に囲まれた洋館とも、これでお別れだ。ウィゼは部屋の外に居た。
「ウィゼ、今まで有難う。私、Sunに戻るわ」
声をかけたが、ウィゼは別に驚く様子も見せず、それどころか微笑んだ。
「わたくしもそれが良いと存じ上げます。奥様も出て行かれましたし」
ああ、そうか、だからさっきママが居なかったんだ。きっと私と同じ事を考えたのね。
「ウィゼは、出て行かないの?」
「ええ、わたくしには女中をまとめる仕事がありますし、御主人様にお仕えすると誓った身ですから…」
「そう…でも、嫌になったらいつでも私を探しに来て良いからね!」
ウィゼは深々と頭を下げた。どんなに出て行きたい事だろう。でも、誓いを破らない事を決めているウィゼは絶対に居続ける筈だ。その身が朽ちるまで、私の父親に仕え続けるのだろう。
Sunに向かって走る。パパに見付かったら連れ戻されるのは目に見えていた。そうなる前に、出来るだけ遠くまで逃げなければ。
―來、あなたに逢いたい。私の居場所はあなたの所にしかない―
一度だけ振り返って青空にそびえ立つ邸宅を仰ぎ見た。長年住んできた家。でも、もう戻らない家。心の中で別れを告げ、歌恋は背を向けた。




