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8話

朝起きるのが億劫になりがちな冬がきた。


起きてしばらくは体も冷えてなかなか思うように行動できない。

もともと朝は得意なほうだけど、それでも冬の寒さには辟易してしまう。


厚手の部屋履きを履いて、コーヒーを飲みながらぼーっとテレビから流れるニュースを見ていると。


「……れん」


背後から呟く声が聞こえた。

可偉と二人で住むこの部屋に聞こえる声は私以外には可偉しか考えられない。

そっと振り返ると、まさに起きてきたばかりの可偉がリビングの入り口に立っていた。

可偉と出会ってから初めてみるその表情は、起き抜けの表情を残したまま、驚きを隠そうともしていない。

そんな呆然とした顔に慣れていなくて、驚いた。


「どうしたの?」


私の中に、どうにも説明できない不安を感じながら、何故か小さくなる声で聞いてしまう。

テレビのニュースに流れる男性の顔をじっと見つめる可偉は、私の声にふっと気持ちを緩めて少しずつ距離を詰めて。


「ん……。こいつ、俺の幼馴染」


視線はテレビに映る男性に据えたまま、ソファに座る私の隣に腰掛けると、何も言わず私の手元にあるコーヒを取り上げて飲んでいる。


「……格好いい人だね」


私はテレビを見ながら、深い意味もなく呟いた。

可偉もじっとそのれんさんと呼んだ人を見つめていた。


れんさん…浅川 廉 さんは、いわゆる若手実業家の一人として特集されていた。


「いい男だろ。俺の幼馴染で姉貴の旦那だった男だ」


「……え?お姉さんって、未乃さん?」

「そう」


私の隣で軽く笑う可偉だけど、普段私に見せてくれる愛情はそのままで、でも寂しさが加わった様子を感じて妙な気分になる。


「姉貴、二年前に離婚してるんだ」


可偉と暮らし始めてから何度かこの家にも遊びに来てくれた未乃さん。

幼稚園の先生をしている、ほのぼのふんわりとした印象。

可偉の強引さなんて全く感じないお姉さんだ。

強引なんて言葉を知らないんじゃないかと思うほど、遠慮がちでおとなしい未乃さんと可偉に、本当は血の繋がりなんてないんじゃないかと驚くくらいに性格が違う二人。

でも、見た目の麗しさは二人とも完璧で、やっぱり血は繋がっているとすぐ納得できる。


「結婚してたって知らなかった」

「ああ。言って気持ちのいい話じゃないしな。姉貴も紫が気にしないように黙ってるんだと思うし。

次会っても特に何も聞かないでやってくれ。多分、まだ廉の事が好きだと思うし」

「じゃ、何で別れたの?」


思わず聞いてしまった私。

今初めて聞いた未乃さんの過去に、興味本位ではなくて、単純に未乃さんが大好きだから悲しくて、思わず聞いてしまった。

それでも、答えを何故かためらった可偉は、口を閉ざしたままぼんやりと天井を見上げた。

しばらくして小さくため息をつくと、私の膝の上に手を置いて。

まるで私の存在を確かめるかのように、優しく撫でてくれた。



「廉と結婚した後も、姉貴はそれまで同様幼稚園の先生を続けていたんだけど。

園児の両親ともめて鬱になったんだ。

それまで明るくて伸び伸びと仕事もしてたのに笑わないしご飯も食べられない。

もちろん仕事は休職して、家に閉じこもるようになったんだ」


感情を交えない単調な声で一気に話す可偉は、どことなく苦しげで。

そんな表情をさせたきっかけは私なのかと申し訳なくなる。

それでも、私の膝の上に置いた手をそっと包み込んで次の言葉を待ってみる。


未乃さんの驚くべき過去を、知りたい気持ちが勝ってしまう。

彼女の事を大好きだから、私もちゃんと知りたい。


「廉も、姉貴を支えながら頑張ってたんだけど。その頃廉も会社を起業したばかりで忙しかったのもあって、だんだん二人はすれ違うようになって。姉貴が言い出して離婚した。

……泣いて泣いて泣いて。好きだっていいながら離婚届けにサインしてた」


可偉の表情は変わらないけれど、ぐっと握りしめた両手からは、その時の悲しい気持ちが伝わってくる。

未乃さんの普段見せるふんわりとした感じからは全く予想できなかったそんな過去に、私も胸がつまってしまう。


隣にいる可偉の腕にしがみついて頭を寄せて。


ぎゅっと目を閉じた。


可偉の体温を感じたくて。


私が悲しく思う以上の悲しみを受け止めたに違いない可偉に、何も言えないままその体温を感じながら、好きな人とこうして寄り添える事が本当に幸せだと思う。


可偉と付き合うことになったきっかけがなんだったのかも、単純に可偉の強引な愛情に引き寄せられた流れもどうでもいいや。

出会えた事、そしてお互いに愛し合い一緒にいられる今の奇跡を大切にしたい。


両親を失った時に変わってしまった私の価値観。

いつ大切な人を失うのかわからないから、なるべく大切なものを作らないように。

そうやってどうにか生き続けていた私を打ち砕いた可偉の強い愛情は偏っているけれど、その愛情が今の私を笑顔にしてくれている。


未乃さんが愛する人と別れてしまった事は、すごく胸が痛くてどう受け止めればいいのか戸惑う。


それでも、未乃さんには申し訳ないけれど、私は可偉とは何があっても離れたくないって強く感じる心をどうしても消せない。


ただ一緒にいて笑い合って想い合って。


そんな幸せを噛みしめてしまう。


そんな身勝手な想いだけど、可偉は理解しているのか。

私の今の思考回路をわかっているのか。

私の肩に手を回してぐっと抱き寄せてくれた。


……愛してるよ。


耳元に囁きながら。



   *   *   *


その日、盛り上がらない気持ちで一日中仕事に集中していた。

仕事に気持ちを注ぎながらも、今朝可偉から聞かされた未乃さんの過去が何度も心をよぎっていくせいか何度もため息が出てしまう。


可偉と共に生きるようになって、愛する人と一緒にいられる幸せほど尊いものはないと実感している私には、未乃さんの気持ちに切なくなる。


どうにかそろそろ終業時間だなとほっと一息ついた時、部長に呼ばれた。


「会議室にお客様が来られたから、悪いけどコーヒー出してくれる?」

「了解です」


女性がお茶を出したりするのに抵抗を感じる人もいるけれど、私はあまり気にしないせいか、よくこうして頼まれる。

私が他社で男性からお茶を出されるより女性からの方がおいしく感じてしまうからか。

意外においしく淹れる事もできるという特技も発見して。

尚更お茶出しは楽しい。

ま、今日はコーヒーのリクエストなんだけど。


そして、ワゴンに載せたコーヒー4人分。

会議室に持って行くと。


それほど広くはない会議室の真ん中に向い合せに座っている4人の男性たち。


そのうち二人は私の同僚で、向かいに座っている二人はお客様。


まずお客様にコーヒーを出さなきゃ、と慣れた作り笑顔を浮かべながらゆっくりと近づいて、上座に座っていた男性にそっとコーヒーを置くと。


「あ、ありがとう」


書類を見ていた視線が私に向けられた。


30代半ば……ぐらいの。かなり上等なものだとわかるスーツを纏った男前が目の前に。


「いえ……」


軽く会釈しながら、視線を合わせた私は、思わず硬直してしまう。

この前テレビで見た顔が目の前にいた。こ、この人っ。


「廉さんっ」


ここが職場だという事も忘れて、作り笑顔なんて吹っ飛んで、叫んでしまった。


私が思わず出してしまった大きな声は、会議室にいる男性達の手を止めるには十分で、四人分の視線が一気に私に注がれた。


「あ……あ、すみません。なんでも、ないんで……」


慌ててそう言ってごまかして、次の人にコーヒーを出そうと体の向きを変えて。

小さく息を吐いてみても、驚いたせいで、とくとくと鼓動が止まらない心臓の音が部屋に響いているようでどうしようもない。


「お会いした事ありましたっけ?」


そんな私にかけられた廉さんの声。

戸惑いがちにゆっくりと聞いてくるその声はテレビで聞いていた声よりも低くて耳に心地いい。

どうしようかと一瞬躊躇した私は、何事もなかったようにコーヒーを手にして振り返ると。


「先日、テレビで特集されてるのを拝見したばかりなのでびっくりして」


と小さく笑って、そして少々慌てながら、答えてみた。


はははっと笑いながら、同僚たちからの怪訝そうな視線にも無視を決め込んで早くこの部屋から出ようとスピードをあげた。


「廉って……可偉の知り合いだったよな」


は?

突然同僚が言い出した言葉に私の動きも止まってしまう。

思わず目を見開いて、何を言い出すんだと、茫然とその声に視線を向けた。


「紫……あ、こいつ俺の同期。折川可偉のオンナ。知ってた?」


軽くそう言ってのける同僚を止める余裕なんてないまま、ただただかたまってる私。

偶然だけど、この同僚は、可偉と同じ大学で、一緒にゼミを受けていた友達らしい。

たまたま会社まで私を迎えに来た可偉と遭遇して、お互いかなり驚いていた。


廉さんにぺらぺらと話し続ける様子にどうしていいのかわからないままあたふたしている私。

そんな私にこの男はどうして気付かないんだ。

と心の中は焦り全開で、ただ口をぱくぱく。

言葉にならない。


恐る恐る廉さんに視線を向けると、驚きと切なさが混じったような顔の男前がいた。


「はは……」


渇いた笑いってそんなに長く続けられるわけもなく、じっと私を見つめる廉さんの視線からも逃げるなんてできず。

単なるお茶出しで来た会議室で、私は獲物に狙われた小動物のような気分。


「紫、廉さんの事知ってるみたいだけど、可偉さんから聞いてるのか?」


あーあ。

更に深く入ってくる同僚の空気を読めない言葉にどうしようかと俯きそうになるけれど。

ただまっすぐに私を見てる廉さんに、ごまかしなんてもうできないって感じてしまって、覚悟を決めた。


悲しそうだった可偉の表情が一瞬よぎるけど。


「可偉と、一緒にテレビ見ていて……ちょうど廉さんが出ていたんで教えてくれたんです」


途切れそうになる言葉をどうにか繋げてそう言った。

ふっと笑った廉さんはどこか切なげで、儚く感じるのは気のせいかな。


「可偉、元気?」


低い声も寂しそう。


「はい。元気です」


「可偉、紫にべた惚れなんだよな。こないだ同期会で飲んでた時に紫を迎えに来て、周りの男どもを牽制するように睨んでたし。

かわいくてかわいくて仕方ない、家にずっと閉じ込めておきたいって素面で言い切って。

からかうどころじゃなかったもんな」


くくっと笑う目の前の男にコーヒーをぶっかけてやろうかと手を震わせていると。


「そんな可偉、見た事ないな。よっぽど好かれてるんだね」


廉さん、懐かしそうに目を細めた。

その目だって、やっぱり寂しそうに見える。

この男性が、世間でかなりの注目を集めている実業家だとは思えなかった。




   *  *  *


 

「廉さん、テレビで見た以上に格好良かったよ」


その晩、思い切って可偉に告げた。

廉さんと会社で偶然に会ったこと、私が今可偉と一緒に暮らしている事。

そして、どこか寂しそうだった事を。


「会社の女の子達もみんなちらちらと廉さんを見ていて面白かったし、やっぱり注目される人はどこにいても注目されるんだね」


「……そうか。相変わらずだな」


夕食を可偉と食べながら、廉さんとの偶然の出会いを熱く語ってしまう。

私の中では旬の人というか、未乃さんの元旦那様っていう存在が実際にいるっていうことを知ってしまって興奮せずにはいられない。


可偉だってここしばらく連絡をとっていなかったらしい廉さん。

会社を経営しているせいか落ち着きと余裕を漂わせて男前の顔を惜しげもなくさらしている様子は。


「本当に、格好良かった」


ハンバーグを食べながら、無言の可偉を気にする事なく呟き続ける私は、帰宅してからずっと廉さんの事が頭にあって離れない。

少ない会話だったけど、その会話すべてが、その表情や仕草と共に何度も頭の中でリピートし続けている。


「でね。やっぱり会った方がいいと思うんだ」


「は?」


「打ち合わせのあとでね、声かけられて。夕飯でも一緒にって誘われて。でも今日はハンバーグの予定で家に帰らなきゃだし。また今度ってことで約束したの」


ふふん。と誇らしげに笑う私を茫然としながら見つめる可偉は、少しそのまま言葉を失って小さくため息。


「……で?俺は?俺は黙ってお前を廉の元に届ければいいわけか?

言っておくけど、俺は紫を手放すつもりも他の男にやるつもりもないけどな。

まだわかってないなら、今夜時間をかけてその体にわからせて……」


低い機嫌の悪い声にはっとする。

どんよりとした瞳には怒りと戸惑いと、不安が入り混じっていて。


あ、そうだ。


「言うの忘れてたっ。一緒っ一緒なの。可偉も……未乃さんもっ」


大きく目を見開く可偉に曖昧に笑いながら。


みんなで会おうと約束したって最初に言っておかなかったことを、反省していた。

私には可偉しかいないんだって、ちゃんと言うのも忘れてた。



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