4話
秋風に少しずつ慣れ始めたこの頃、どのタイミングでブーツを履き始めるか。
毎年このつまらない悩みを感じる度に、同時に重くなる感情。
別にブーツなんて好きにすればいいんだとわかっていて、それでも悩んでしまうのは。
そんな些細な悩みを抱える事で、もっと大きな悲しい感情から気持ちをそらす為の自己防衛本能かもしれない。
どうしても直面しなきゃいけない毎年恒例の行事は、私をどーんと落ち込ませて、悲しさだけの時間を耐えるのみ。
本当なら、ベッドの上で膝を抱えてひっそりと過ごしたいけどそうもいかない。
今年も秋風が私に知らせてくれる。
父さんと母さんと突然さよならした日が、もうすぐだよって。
毎晩可偉の温かい胸の中で眠っていても、思い出す度に体は冷えていくようで震えてる。
そのたびに、更に近づくようにすり寄っては可偉の体温を分けてもらう。
いつまでもいつまでも、このままでいられるのかなと不安になりながら。
久しぶりに、可偉と出かけたのはホームセンター。
二人で住み始めた新居には、大抵のものは揃っているけれど、それでも。
季節が冬へと変わ莉始める今、暖房器具が足りないって気付いた。
床暖房やエアコンも完備してるけど、とりあえずこたつが欲しいねっていう私の言葉に頷いた可偉はそのまま車のキーを手にして。
「今から買いにいくぞ」
さっさと車に乗り込んだ。
まったりと過ごしていた日曜日の午後が一変したのは一瞬だった。
「俺は長方形のこたつがいい」
「あ、私はどっちでもいいよ」
ホームセンターに着くなりうきうきとした表情を隠そうともせずに私の手を握る可偉は、こたつを買う事が本当に楽しみなようで、言い出した私よりも売り場へ向かう足取りも軽やか。
「なんで長方形がいいの?」
その選択はあまり深く考えてなかった。
どちらかというとこたつ布団の色や柄はどんなのがいいかなっていうのに気持ちは向いていて。
正方形でも長方形でもどっちでも。
可偉は、ちらりと私を見て。
「長方形なら、二人並んでくっついてられるだろ。こたつのスイッチを入れなくても熱くなることだってできる」
は?並んでくっつく。熱くなれる。
「それって…」
「ん?こたつでも愛し合えるってことだけど?」
可偉はいつもの甘い声でそう言うと、くくっと肩で笑った。
そんな甘い声にも慣れてきていいはずだけど、やっぱり言葉がつまって顔も熱くなるのは抑えられない。
繋いだ手に力をこめて俯くのが精一杯。
こたつで愛し合うなんて、考えたこともなかったけれど。
単純に、二人並んでのんびりとテレビ見ながら笑っていたいな。
普段忙しくて、なかなか二人でゆっくり過ごす事が少ないせいか、そんな時間を想像するだけで嬉しくなってくる。
傍らの可偉をそっと見上げると、私と同じ気持ちを抱えてくれているとわかる笑顔。
ほっこりと温かくなる。
どんどん可偉に取り込まれて、私の気持ちは全て可偉に持っていかれて。
切ない思いとは違うけれど、好きになりすぎて泣きたくもなる。
「可偉……」
小さな声で呟いて、一人照れてしまった。
その後、可偉の希望通りの長方形のこたつを選んで、それに合うこたつ布団も決まった。
淡い黄色の布団は見るからに暖かそうで、可偉も私も一目で気に入った。
配達は来週の週末。
平日は二人とも仕事をしているから受け取れないから仕方ないけれど、一週間待たなくちゃいけないのがどうも可偉は気に入らないみたいだ。
「まだそんなに寒くもないし、急がなくても大丈夫だよ」
なだめるようにそう言っても、歪んだ口元はしばらくそのままだった。
子供じゃないんだから。
きっと、我慢する事なんて、今まで何度もなかったんだろうな。
いつでも思うがままに生きてるって感じだもん。
「ねえ、晩御飯どうする?家で食べるなら買い物して帰ろうよ」
明るく聞くと、機嫌も戻ったような可偉は一瞬考えたあと、
「この近くにおいしい料理屋があるんだけど行くか?煮魚とか揚げ物とか色々あるぞ」
「ほんと?行く行く。でも、車で来てるし可偉飲めないよ」
「飲まないから大丈夫。紫は飲みたいだけ飲んでいいし食べていいぞ」
「え、悪いよ。可偉だって飲みたいでしょ?家に帰って何か作ってもいいよ」
「いいんだよ。最近疲れてるみたいだし、のんびりしろ。
それに、俺のいない所で飲むのも心配だしな。俺がいる時くらい好きなだけ飲め」
優しく私の頭を撫でてくれる可偉は、最近沈みがちな私の心を浮上させるように笑ってくれた。
自分の思うように生きている印象が強い可偉だけど、落ち着いて考えると。
結局は私の為に考えて、動いてくれる。
いつも私の傍にいて私の様子をそっと見ている。
だからといって無理矢理聞いてきたり合わせようとはしない。
自然に見守ってくれる。
そんな毎日に慣れてしまった私は、出会った頃よりも可偉に夢中で、溺れてる。
まだまだ好きになりそうで……どうしよう。
可偉が連れてきてくれたのは、住宅街の中にある小さな料理屋さん。
暖簾をくぐると温かい雰囲気の女将さんが元気に声をかけてくれた。
「折川さん、久しぶりね。忙しかったの?」
「まあ、それなりにね。……奥いいかな?」
「どうぞ、ちょうど空いてるわよ」
可偉の後ろからついて歩きながら、私も女将さんに軽く会釈した。
あら?というような驚いた顔をされて、でもそのあとすぐに穏やかに笑ってくれた。
私の母親くらい年齢で、優しそうな人。
可偉がどんどん奥に歩いていく途中、近くのテーブルに座っていた女の人が突然立ち上がって。
「折川さんっ」
可偉の腕を勢いよく掴んだ。
驚きながらも嬉しそうに笑う綺麗な顔は輝いていて、可偉をじっと見つめている。
きっと、可偉の事が好きなんだ。直感。
突然の声に立ち止まった可偉は、腕を掴んでいる女の子を見た。
「川村?」
「はい。こんばんは。偶然ですね」
嬉しそうな声からは、可偉に会えた事を心底喜んでるのがよくわかる。
私よりも若く見えるその笑顔はまっすぐに可偉しか見ていなくて、私の心は少しずつ重くなる。
「そうだな。じゃ、また来週会社でな」
掴まれた腕を、可偉がさりげなくほどくと、その瞬間女の子は悲しそうな顔をした。
それに気付かないのか、あっさりと背を向けようとした可偉は、ゆっくりと私を振り返った。
「紫、来い」
可偉の後ろでただ立ち尽くしていた私に向かって手を差し出してくれた。
いつも私に向けてくれる温かい表情と声に、止まっていた私の時間が進み始める。
「うん」
傍らでその様子を見ている女の子をそっと見ると、悔しそうに口元を歪めながら私を見ている。
今にも何かきつい言葉を投げつけられそうな。
「折川さんの……彼女ですか?」
私が可偉に手を握られたと同時に聞こえてきた声。
低い声音に、可偉への気持ちが感じられてどきっとして苦しい。
「そうだよ。綺麗だろ。一緒に住んでるからもう彼女以上だけどな」
「一緒に……」
ふっと笑った可偉は、それ以上何も言わず、私の手を引っ張りながら奥へと背を向けた。
後をついていきながら、そっと彼女を見ると。
じっと可偉を見つめながら寂しげに立っている、華奢で綺麗な容姿が悲しみでいっぱいに見える。
好きだって隠そうとしない様子。
可偉のあっさりとした態度。
きっとこの二人には、今までにも何かあったんだろう。
私は可偉に気付かれないように、小さく息を吐いた。
奥の和室はこじんまりとした10畳ほどの部屋で、さっさと可偉は真ん中にあるテーブルの前に腰を下ろした。
手を繋がれたままの私は必然的に隣に座らされるわけで、妙に近い距離に落ち着かない気持ちのままで可偉を見た。
そのままぐっと引き寄せられて、気付けば可偉の胸に抱かれてるのに気付いて。
一瞬にして恥ずかしくなる。
「ちょ、可偉……誰かくるよ……」
「そうだな」
「そうだなって、もう少し慌てようよ」
もがいて可偉の腕の中から出ようとしても、可偉の力は緩むことなく抱きしめられたまま。
「紫だけだから、不安になる事はないから」
顎に手をかけられて可偉に向けられた私の顔。
じっと瞳を覗き込まれてそうささやかれて、その甘い言葉に、私の体は動けなくなる。
「可偉……?」
普段と変わらない優しい瞳が私を見つめて、何かを確認しようとしている。
隅々までしっかりと、私の顔を見ながら。
「今の女の子の様子を見て、不安になっただろ?俺の事で悲しくなっただろ?」
掠めるようなキスが何度か落とされて、可偉の気持ちと言葉が同時に私の中に注がれていくように感じる。
私にいつも与えてくれる声は、ほどよく落ち着いていて。
可偉の感情にはあまり波がないような気がしていたけれど、今はそんな落ち着きの裏にある揺れが声の中にあるのを感じてしまう。
「紫が俯いて不安になるのが、俺は不安だから。今はきっと俺の方が不安だ。
誤解とかすれ違いほど無駄な感情はないから、振り回されるな」
「うん……だけど……あの女の子」
「紫の思ってる事はきっと正しい。会社の受付の子だけど、俺の事が好きだと言ってきた」
「やっぱり……」
軽く言う可偉だけど、私にはそれほどあっさり受け止められないし、ましてやさっき。
悔しそうに私を睨む彼女の視線はまだまだ私の中に残ってる。
あっさり流せないよ。
「俺は、紫だけにしか気持ちは揺れないし抱きたい気持ちもないから不安になるな。
俺が愛してるのは紫だけだ。それを紫がちゃんとわかってるかどうかだけが、俺には不安なんだ」
どうだ?とでも言うような強い視線に私は囚われる。
私がずるずると引きずりそうな切ない気持ちを、拭い取るような言葉に包まれて、じわじわと体は緩んでくる。
気付かなかったけれど、かなり緊張していたみたいだ。
多分、可偉も。
私の不安を読み取って、同じくらいに不安だったんだろうって、微妙に揺れる瞳が教えてくれる。
それからしばらくの間可偉の腕に包まれていた私は、少しずつ落ち着いていった。
可偉から与えられる言葉と温かさが、今感じられる全て。
一瞬で不安に満ちてしまった私の気持ちを察してくれた可偉が、私の沈む気持ちをすぐにほぐしてくれたから。
全ての不安がなくなったわけじゃないし、可偉が私以外の女の子から好意を寄せられる事はいい気分ではないけれど。
こうして可偉の気持ちを一身に受け止められるのも、その胸に抱かれて鼓動を聞く事ができるのも私だけ。
可偉は確かに私を選んでくれたから。
そして、そんな事実を私がしっかりと自覚するように優しく包んで、言葉にしてくれる。
すれ違いも誤解も、ないように気を配ってくれる事がわかって、もっともっと可偉の事、好きになった。
見た目以上に素敵な可偉の心が、私の心と溶け合っていくのがわかる。
そんな可偉から、あらゆる愛情や気遣いを与えてもらえる自分は幸せだ。
そして同時に感じる。
私は、可偉から愛情や諸々を与えられるばかり、もらいっぱなし。
可偉は、そんな私に満足しているのだろうかと、ふと思う。
その晩家に戻ったあと、二人でのんびりとコーヒーを飲みながらテレビを見ていた。
普段からお気に入りのお笑い番組は、私と暮らすようになってからは可偉も好きになって、二人で見るようになった。
今も、若手の芸人さんの名前を私に確認しながら笑っている。
隣に並ぶ私の肩を抱き寄せて、時々落としてくれるキスには楽しそうな声も混じっていて私も楽しくなってくる。
そろそろ日付も変わる頃、私の携帯が鳴った。
こんな夜中に誰だろう。
メールでなく電話だっていう事に、少し不安を感じながら携帯を手にすると、画面には兄の名前が出ていた。
『青』そう表示される画面を見ながら出ると、いつも聞きなれた明るい声が聞こえる。
『遅くに悪いな。今大丈夫か?』
「うん。どうしたの?」
『あー。来週の命日なんだけど』
なんとなく、その事かなと思っていたから、あまり驚かなかったけれど。
やっぱり体がぴくっと跳ねた。避けたいけれど避けられない日がもうすぐやってくる。
「命日が……何?」
重い気持ちを振り切るように、敢えて軽くそう言ってみるけど、携帯を握る手はほんの少し震えているかもしれない。
『んー、墓参りしたあといつもの店で食事しようかって桃と言ってるんだけどな』
そこまで言うと、兄さんは何かを気にするような迷った声のままそれ以上何も言わない。
「いつもの店は、わかるけど、で、どうしたの?予約入れられなかったなら他のお店探そうか?」
『いや、予約は大丈夫なんだけど、人数を決めたいんだ。可偉くんは来るのかなあって思ったんだけど、どうだ?』
「……」
思いもよらない兄さんの言葉にはっとした私は、私を抱き寄せている可偉をそっと見上げた。
多分、どうにも理解できない表情を浮かべているに違いない私の視線に、眉を寄せた可偉。
首をかしげながら、私をじっと見つめる。
私は、可偉に一瞬の笑顔を見せた後、また連絡すると兄さんに告げて携帯を閉じた。
「えっと……」
私が何か話すのを黙って待ってくれている可偉に、体を向けたけれど。
何から話せばいいのか悩んでしまう。
兄さんが知りたい事を、可偉にそのままダイレクトに聞いてもいいのか。
ただでさえ、考えたくない悲しい過去を振り返る事にもなるから、できれば黙ってやり過ごしたいって思っていたけれど。
いつかは言わなきゃいけないって自分でもわかっていて。
それが今なんだなって。
兄さんの電話がきっかけだけど、そうなんだ。
「あのね。来週、私の亡くなった両親の命日なの。
それで、兄さんと姉さんの家族と、両親の兄弟とか、親戚何人かでお墓参りに行くんだけど。
私はもちろん行くからその話だったんだけど。そのあとみんなで食事に行くの……。でね、」
そこまで話して少し深めの呼吸をして気持ちを整えてみた。
可偉には、両親が亡くなっている事実しか話してないし来週の命日の事も言ってないから。
突然私の身内と一緒にお参りやら食事やらに誘うのは、やっぱり図々しすぎるような気がしてためらってしまう。
やっぱり、言えない。
「あの。やっぱり……」
何でもない、そう言おうとした時、その言葉を遮るように可偉の声が聞こえた。
「俺も一緒にお参りさせてもらっていいか?」
まるで当たり前だろっていうような自然な口調で、そう聞いてくれた可偉。
「俺も、紫のご両親に会いたいから」
「可偉……いいの?」
「ん?いいもなにも、紫のご両親の命日なら俺にも特別な日だから。ちゃんと、紫と一緒に生きてる事を報告したいし。それに……」
そっと優しく私の体を引き寄せて、私をその腕に閉じ込めると。
可偉は私の背中を穏やかに撫でながら、耳元に囁いてくれた。
「毎晩眠りながら泣いてるから、気になってたんだ。父さん母さん……とかうわごとのように言ってたし。
何かあるのかとは思ってたけど、命日が近かったんだな」
「嘘…そんなこと言ってたの?」
「ああ、呟きながら涙を流して俺にすり寄ってきて……。俺を抱きしめて寝てる」
「そう……なんだ」
自分では思い出せないけど、なんとなく涙に濡れてる頬を拭ってくれる温かい手の感触を覚えてる。
安心してほっとして、落ち着いた感覚を取り戻して眠りに戻るような。
あの温かさは可偉の胸だったんだ。
「可偉……。無理してない?」
「どうして?」
「だって。私の事、大変でしょ?いつも大切にしすぎてるし……」
そう。可偉から与えてもらえる愛情や深い深い気遣いは、私には幸せすぎるものだけど。
いつも私が安定していられるように心を配ってくれる可偉の心は大変なんじゃないのかな。
私が悲しい気持ちにならないように砕く心は、そのうち重荷に変わらないのかと、不安にもなる。
「紫に関係する事なら、重荷でもなんでもない。
俺が少し手を貸すだけで紫が幸せになるならどれだけでも手を貸すし。
気を遣うだけで紫の悩みが軽くなるならいくらでも気を遣ってやる」
単調な声で、あっさりと私に向けられる言葉はすんなりと私の気持ちの中に入ってくるけれど、それって簡単に受け入れても大丈夫なのかと更に不安にもなる。
可偉には可偉の生活があるし、私の知らない時間も持っているはずだし。
「私は、可偉の生活の邪魔になっていないの?
私をすごくすごく大切にしてくれるのは嬉しいけど。
私は可偉に何もしてあげていないし、可偉が嬉しいって思える事を返してない」
ほんの少し途切れがちになりながら、私は不安に感じる事をたどたどしく呟いた。
そして、不意に切なくなった気持ちを抑えられなくて、手にしていた携帯を膝の上に置いて。
「可偉……っ」
ぎゅっと可偉の首に腕を回して抱きついた。
首筋に唇を寄せて瞳を閉じると可偉の温かさが私の体に染み渡ってほっとする。
どんなに一緒にいても、好きすぎて物足りない想いがあるけれど。
こうして体温を分け合えば、今こうしていることが私の望む全てだと思える。
私の想いに応えてくれるように背中に回された可偉の腕が、私が手放したくない全てだとも。
「俺はちゃんと間違えずに紫と出会えて、俺の腕の中で紫が眠る事が当たり前になった。
それだけで十分だ。
俺は、紫と笑ってる時間を少しでも増やす事だけに生きてるようなもんだから。
俺に気を遣って悩む時間があるなら笑ってろ。泣くのは俺に抱かれてる時だけだ」
まるで吐息で私の心を閉じ込めてしまうような甘い声が囁かれる。
今までも、可偉の強い愛情は感じていたし、言葉にもしてくれていたけれど。
今は魔法にでもかけられたように、可偉の言葉に酔ってしまう。
体中が可偉の体温に包まれて溶かされていく。
「可偉、すごくすごく好き。ずっと一緒にいたい。
私をいつも愛して欲しい。手放さないで欲しい。他の女の子を好きにならないで」
可偉の言葉に酔ってしまった私は、普段なら口にできないような甘えた想いを口にしてしまう。
自分でも、こんな事言うなんて信じられないけれど、可偉の甘い言葉に溶けた私の心は。
もう甘えてしまう部分しか残っていなくて、我慢なんかどこかに行ってしまった。
「可偉がいなきゃ、もうだめだから……」
そう言って、可偉の唇に私の唇を重ねて。
私の気持ちを全部、注ぎ込んだ。
これ以上はないっていうくらいに強く抱きしめてくれる可偉の腕の強さに甘えながら。
* * *
私の両親のお墓参りには、平日にも関わらず仕事を休んでくれた可偉が一緒に来てくれた。
中学の時に自動車事故で亡くなった両親は、とても仲が良くて子供そっちのけで二人の時間を楽しんでいた。
写真家だった父と父のマネージャーをしていた母は、いつもいつも一緒に笑っていた。
それなりに世間に名前が知られていた父は、車で撮影に向かう時、同乗していた母と共に対向車線から突っ込んできた車にぶつけられて亡くなった。
あまりにも突然の出来事に、泣くことも悲しむこともできなかった私は、言葉通りに食事ものどを通らずどんどん痩せていって、入院もした。
兄さんと姉さんが必死で私を支えてくれて、どうにか普通の生活ができるようになったのは入院して半年後。
高校にも一年遅れて入学した。
生活自体は普通に送れるようになったし、食事も摂れる体に回復して、笑えるようにもなったけれど。
唯一取り戻せなかったのが「欲しがる」って事。
ある日突然いなくなった両親のように、どんなに想いをかけて大切にしても崩れる時は一瞬。
大切なものが、私の手の届かない所に消えてしまう経験をしてしまったから。
物にも人にも執着しなくなった。
愛する人を作るのが……いつか大切な人が目の前からいなくなってしまうのが怖くて。
気持ちを震わせるほどに好きになれる人を作れなかった。
恋愛にもどこか距離を置いて、好きになってもらってもどこか他人事のように返事をして。
ちゃんと付き合ったことはなかった。
そんな私が、兄さん姉さんや親せき達が集まる場所に可偉を連れて行ったんだから、可偉に集まる視線は半端なものじゃなかった。
可偉の見た目の良さや人当たりの良さのせいもあるけれど、両親のお墓参りだというのにその日の主役は可偉だった。
一時も離れようとせずに私の傍にいる可偉の溺愛ぶりに苦笑する人もいたけれど、これまでの私の悲しい時間をみんな知っているから、安心してくれた身内ばかりで。
ほっとした。
可偉が人に嫌われるなんてめったにないだろうけど、こうして私の世界の中にどんどん入り込んできてくれて安心感も増してくる。
「紫の両親に、会いたかったな」
墓前で手を合わせながらそう呟いた可偉と、この先も一緒にいられるように。
私も手を合わせた。
父さんと母さんのような、いつも寄り添い合える二人でいられるように、そして。
間違う事なく可偉と巡り合えた事に感謝して。