3話
会社に戻っても、顔の筋肉が緩んでしまうのを我慢できなくて、俯いたまま仕事の資料を睨みつけていた。
思いがけない昼休みだったけれど、可偉が私に落とした言葉は本当に甘くて。
多分、かなり、愛されてるってわかっていたけれど、それが言葉となってはっきりと私の体に作用してしまって。
湧き上がる嬉しさと温かさは否定できない。
ちゃんと私が可偉を愛しているってわかってくれている。
そう言ってくれたのが一番うれしい。
そりゃ、私も可偉に愛されていて、それが嬉しいのはもちろん。
でも、私の気持ちを理解してまっすぐに受け止めてくれているのが一番。
初めて会った時から可偉の気持ちだけで引きずられて、あっという間に私の生活も変わってしまった。
私の事をどうしても手に入れるというだけの強い気持ちで可偉は突っ走ってきた。
『欲しいもんは今すぐ欲しい』
彼の口癖。
欲しいものを全て諦めてきた私のこれまでの人生を一瞬で払拭してしまった可偉との出会いに、戸惑いも不安もたくさんあったけれど、それを深く考えずに今の状況の中で過ごしているのは、可偉が根本的に優しいから。
可偉は一見、私を思うがままに振り回しているように見えるけれど、結局は私を傍に置いて、とことん甘やかすという強い意志を貫いてるだけ。
初めて二人で過ごした夜、一人暮らしの私の部屋に飾ってあった家族写真を見て、色々聞いてくれた。
その時の可偉は既に、私と暮らすつもりでいたらしく、私の家族に挨拶をするつもりでいたらしい。
初めて会った人とすぐに肌を合わせというだけでも尋常じゃない私の心境だったけれど、可偉から尋ねられた私の家族の話題に、思わず私は震えてしまった。
可偉も、腕の中で震える私に違和感を覚えたのか、しばらく黙ったまま私の背中を撫でてくれていた。
『両親は、中学の時に亡くなっていて、兄と姉が私を育ててくれたの。今では二人とも結婚して幸せにやってる』
『そうか。じゃ、二人に挨拶しておくか。紫を俺の傍に置くから安心して欲しいって』
そう呟いた言葉の意味と、可偉の実行力は引っ越し前に発揮されて、あっという間に兄と姉をも可偉の魅力でとりこんでしまった。
一人で暮らしていた私の行く末に気をもんでいた二人の賛成も得て、可偉はますます私への想いを露骨に表すようになって。
私は本当に、気持ちも体も可偉に堕ちてしまった。
結局、営業部の宴会には一次会だけ参加した。
よく行く居酒屋での宴会の席に並ぶ男前達は圧巻で、女の子たちのテンションはかなり上がっていた。
あらゆるところで女の子のかわいい声や仕草を目にして、女の子ってかわいいなあって妙に他人事のように眺めていた。
男性陣だって、そんな中にいて悪い気はしないはずで、借り切った和室には幸せの空気感が満ちていた。
すみれちゃんも、営業部一仕事ができるという男性の隣を陣取って話し込んでいた。
もともと綺麗なすみれちゃんと並んだその人も見た目抜群で、誰もがその二人が作り出す雰囲気に割り込めずにただ眺めてるだけ。
ふうん。
いい感じ。
いつものように飲み食いに終始した私の醸し出す雰囲気には、男性を引き付けるオーラは皆無だったのか、これといって声をかけられる事もなく何の甘さもなく。
会社の宴会ってこんなもんよね。
お酒でほろ酔いになった以上に幸せのふわふわ感が私を包んでいて、どうしようもなく会いたくてたまらなくなった。
もちろん可偉に。
お店を出て、二次会に向かうすみれちゃんたちと明るく別れた私は、駅までのほんの少しの道を歩き始めた。
お酒のせいか足元がちょっと心もとない。
ヒールっていうのはこういう時に不安定だな。
明るい通りをゆっくりと歩いていると、突然腕を掴まれた。
一瞬にしてふわふわな気持ちは消え失せて、驚きと不安が体中に溢れた。
引っ張られる力に逆らうように体を逃がすけれど、抱き寄せられる力には逆らえない。
恐怖が体を硬直させて声も出ない。
それでも、掴まれた腕に染み入る体温にはほっとするものも感じる。
気付けば、普段愛しく思う甘い香り。
はっと顔を上げると、にやりと笑う可偉がいた。
「このかわいい酔っ払いが心配で迎えにきた。俺も飲んでるから運転できないんだ。二人でどっか泊まろうか」
私の腰を抱き寄せて、耳元に囁く吐息は私を陥落させるには十分。
私も、鞄を足元に落として力いっぱい可偉に抱きついた。
疑うまでもなく、それ以上の強さで可偉は抱き返してくれた。
「会いたかった」
思わず出た私の言葉にくすっと笑った可偉は、
「お前が、今日も、愛しいよ」
可偉の言葉も威力十分。さらに陥落してしまった私。
その晩、初めてホテルからの夜景を二人で見た。
恋人同士っていうのを満喫しながらも、一緒に住んでるからできなかった二人してのお泊り。
何となく残念に思っていた事を、可偉は気付いていたのかな。
* * *
「激しかったな。やっぱり環境変わると燃えるもんか?」
黒い笑顔を私に向けながら、そう聞いてくる可偉の胸に軽くげんこつ。
そりゃ、思い出すのも恥ずかしすぎるくらいに乱れた私だけど、それって可偉の激しさが原因なのに。
どれだけ啼いても逃げても許してくれなくて、喘ぎ過ぎた私の声はかすれてしまっている。
こんな声だと、会社で何か言われるよ、きっと。
「嫌じゃなかっただろ?俺は、紫が嫌がることはしないから、安心しろ」
すっぽりと可偉の腕に包まれた私の体は、ダブルベッドの真ん中で身動きもとれないままに、拘束されて。溢れる幸せに浸っている。
体の全てから可偉の体温を吸収しているようで嬉しすぎる。
「可偉、私を大切にしてくれて……ありがと」
思わず本音も出たりする。
そう。
可偉との出会いからずっと続いていた慌ただしい生活。
可偉の思うがままに一気に進められてきた事全てに、私が本気で嫌がる事はなかった。
確かに突然現れて、私を欲しがって、一緒に暮らし始めて。私の戸惑いの許容量は溢れそうになったけれど、それは戸惑いであって嫌なことじゃなかった。
兄と姉への挨拶も、驚いたけど嫌じゃない。
むしろ嬉しかった。
すみれちゃんに、私をだめにするって宣言したのだって、本当にびっくりしたけど嫌じゃないし。
いつも強気の言葉と態度で私に向かってくるけれど、根底には私への愛情が満ちている。
それがわかっているから、どんな展開の中に放り込まれても、私は可偉の傍で幸せに笑っていられる。
すみれちゃんが心配するように、可偉の私への行動のスピードは速すぎるけれど、それを私が嫌だと思ってないって可偉はわかっているから、そして、私は可偉を愛しているってわかってくれているから。
こんなに余裕いっぱいに私を振り回して甘やかして……だめにしてくれる。
「そうだな、俺は紫が嫌がることはしないし、望む事だけを存分に与えてやるから、安心しろ」
抱きしめてくれる可偉の声を首筋に感じながら、泣きそうになる。
どうして……どこまで強気なことばかりを言うんだろう。
いつも私を振り回して戸惑わせて可偉の事ばかりを考えるように仕向けて。
本当に、私は。
大変で幸せだ。
唇が合わさると、それまで穏やかだった二人の空気が一気に熱くなった。
可偉の首に抱きついてキスに応えるうちに、二人の息も荒くなってくる。
ゆっくりと体を這う可偉の手に敏感に反応しながら、出てしまう甘い声を我慢できなくて。
ぎゅっと唇をかみしめる。
「どこまで我慢できるかな」
からかうような可偉の声に悔しくなる。そんな私の気持ちを見透かすように、可偉の手は私を愛してくれる。
思わず出る私の途切れ途切れの声が、違う人の声に聞こえるのは、すでに私の意識が飛びそうになってるからだ。
何時間も愛されている私の体は、ほんの少しの刺激でも敏感に反応してしまう。
「俺は、紫が嫌がることはしないって言っただろ?嫌がってるなんて信じられないから、このまま抱く。
抱かれるのを紫の体は喜んでるぞ。
悔しかったら、本気で嫌がってみろ。そうしたらやめてやる……かもな」
そう言い放たれて、一気に私の心は可偉でいっぱいになった。
もちろん、嫌がる事なんてないけれど。
ただ、本当にこの先大丈夫なのかと不安になる。
こんな、手に負えない男に愛されて。