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トロアノ記~マヤ文明の歴史  作者: 京美人
第2章:巨大ピラミッドと算術の呪い(紀元前900年頃)

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第40話:漆黒の亀裂、老神官の冷徹なる大計

第2章:巨大ピラミッドと算術の呪い

第三部:陥没する泥地と、水平の約定

朝霧が密林の奥へと退き、ねっとりとした陽光がむき出しの石灰岩を照らし始めると、建築現場の歪みはよりいっそう露骨にその姿を現した。クニッチ・パカルは、神殿の基部に穿たれた暗い裂け目の前に跪いていた。前夜の観測で、基部の巨石が指一節分も外側へ傾いていることを突き止めた彼は、夜が明けてもその場を離れることができなかった。

指先の赤黒い腫れは、鋭い日差しを浴びてさらに熱を持ち、ズキズキと激しく脈打っている。しかし、パカルの全神経は、目の前の積石の継ぎ目に集中していた。五トンを超える巨石と巨石が合わさるわずかな隙間から、まるで押し潰された生き物が血を吐くように、あの生温かい毒の水がじわじわと、だが絶え間なく滲み出し続けているのだ。


その時、パカルの耳が、大地の底から響く不気味な音を捉えた。

――ぱ、き……。

それは、石が擦れ合う鈍い音ではなかった。何万トンという神殿の重みが土台を押し潰し、逃げ場を失った地下の水が逆流する凄まじい圧力に耐えかねて、ついに強固な石灰岩の内部が裂けた音だった。

パカルが息を呑んで見つめる前で、白い巨石の表面に、髪の毛ほどの細さの、しかし深く暗い一筋の亀裂が走った。亀裂は生きてうごめくように下方へと伸び、そこから、さらに色の濃い、発酵した腐臭を放つ黒汁がどっと溢れ出た。その水が触れた瞬間の、じゅうという大地の湿った悲鳴が聞こえるようだった。据え付けたばかりの漆喰は、またしてもトウモロコシの粉のようにふやけ、どろどろとした白い泥となって剥がれ落ちていく。


「パカルよ。その亀裂の深さを、お前の目盛りは計量できたか」

背後から、大気を圧するような低い声が響いた。老神官マホクヌームだった。彼は、朝の強い日差しのなかにあっても、コパルの香煙を絶やすことなく身にまとっていた。その手には、先ほどパカルがともに握った、先祖代々受け継がれてきた重厚なアマテの写本が静かに抱えられている。

パカルは立ち上がり、泥と石灰で汚れた手を腰布で拭いながら振り返った。

「マホクヌーム様……。石の内部が裂け始めています。上からの重みと、底に溜まった水の押し合う力が、完全に石灰岩の限界を超えつつある。職人たちが戻らぬままでは、この『第一の山』は次の積石の重みに耐えられず、足元から砕け散ります」


マホクヌームは、その不気味な漆黒の亀裂をじっと見つめた。老神官の顔には、驚きも、神々の怒りに対する恐れもなかった。ただ、すべてをあらかじめ見越していたかのような、深く冷徹な底知れぬ静寂が、その刻まれた皺の奥に潜んでいた。

「職人たちは戻らぬ。バラムの呪いの言葉は、密林の湿気よりも深く民の耳に染み込んでいる。彼らにとって、この湧き上がる黒い水は神の拒絶そのものだ。生身の人間を、恐怖から解き放つのは容易ではない」

「ならば、やはりこの地を捨てるのですか」

パカルの問いに、マホクヌームはふっと細い目をさらに細め、冷たい笑みを漏らした。

「捨てる?誰がそんなことを言った、パカルよ。我ら一族が守る文字の盾は、自然の猛威から逃れるためのものではない。大地の狂いを、文字の檻に閉じ込め、制御するためのものだ」


老神官は一歩前に出ると、抱えていたアマテの写本をゆっくりと広げた。そこには、過去の世代の写本官たちが血を吐くような思いで刻み込んできた、天の星々の巡りと、大地の異変の記録が、点と棒の目盛りによって精緻に描き出されていた。マホクヌームはその中の一つの古い頁を、パカルの目の前に突き付けた。

「これを見よ。今から十二世代前、我らの先祖がこの地よりも遥か北の泥地で、かつて同じような山を築こうとした時の記録だ。そこでも、大地は水を吐き出し、石は沈み込んだ。先祖たちは、神々の怒りとしてそれを恐れたのではない。ただ、大地の重みを受け止めるための、石の座りの悪さを知ったのだ」

パカルは、写本に刻まれた文字と目盛りを食い入るように見つめた。そこには、沈下する石を支えるために、大地の底へさらに深く石の楔を打ち込み、重みを四方に分散させるための、精緻な算術の図形が描かれていた。


「マホクヌーム様、これは……」

「バラムが民を惑わす呪医ならば、我ら写本官は、大地の悲鳴すらも計算の内に収める者だ。パカルよ、お前が捉えた大地の理は正しい。だが、正しいだけでは何も守れぬ。民が神の呪いを恐れて動かぬならば、その恐怖を裏返し、彼らを再び現場へ縛り付けるための動機として利用するのだ。それが、我ら一族の果たすべき役目よ」

マホクヌームの声は、陽光の熱をも凍らせるほどに冷え切っていた。

「恐怖を利用する、とはどういう意味ですか」

「民は目に見える儀式を求めている。この大地の怒りを鎮めるための、確固たる救いの一手をな。職人頭の死だけでは、まだ彼らの腰は上がらぬ。民が神殿に近づくのを恐れるなら、この神殿そのものが神々を閉じ込めるための神聖な檻であることを信じ込ませる。バラムの言葉を逆手に取り、この湧き上がる毒水を大地の底に封じ込めるための、大儀式を行うのだ」


パカルの肉体に、冷たい戦慄が走った。マホクヌームが企んでいるのは、単なる石の補強ではない。民の生存恐怖そのものを、建築を再開させるための狂信へとすり替えようという、写本官としての冷徹な計算だった。

「儀式によって民を呼び戻し、彼らの手で、この沈みゆく基礎の下に、さらに巨大な石の楔を打ち込ませる。水が押し返す力を、上からのさらなる重みで抑え込むのだ。職人なき現場に、再び何千もの人間を呼び戻す。パカルよ、お前はそのために、大地の底に潜む空洞の広さと、打ち込むべき楔の数を、一寸の狂いもなく計算しろ。お前の指の痛みは、その目盛りを刻むための対価だ」


マホクヌームは写本をきつく閉じ、パカルの腫れ上がった右手を掴んだ。老神官の乾いた掌の強烈な力が、パカルの傷口に激痛を走らせる。パカルは端正な顔を歪め、痛みに耐えながら、老神官のらんらんと輝く目を見つめ返した。

天の金星は、見えぬ昼の空にあっても、変わらずその不滅の法を刻んでいる。地上にあるこの「第一の山」を救うためには、生身の痛みに揺らいでいる暇などないのだ。パカルは、自らの理性をさらに研ぎ澄まし、目の前の漆黒の亀裂の奥にある、底なしの暗黒へと、自らの精神の目盛りを深く深く突き刺していった。

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