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トロアノ記~マヤ文明の歴史  作者: 京美人
【第1代】文字の誕生と契約(紀元前1500年頃)

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第1話:緑の地獄と、最初の種

【作者より】

この作品は、マヤ文明の古文書『トロアノ・コデックス』の現代の解釈をベースにしています。

昔よくテレビで見たような「世界の終わり」といったオカルトな話ではなく、「実際の歴史ではこんなことが書かれているんだよ」というリアルなマヤの世界をのんびり描いていく予定です。


第1章:文字の誕生と契約

第一部:日常と予兆

容赦のない湿気が、生き物の肺を内側から腐らせるように満ちていた。

頭上を完全に覆い尽くす巨大なカポックの樹冠は、照りつける太陽の光を狂暴な緑の毒へと変え、地表に届く頃には、どろりとした澱みのような熱気に変質させている。紀元前1500年。後に「マヤ」と呼ばれることになるこの広大な低地密林には、まだ確かな境界も、神々の名を取り決める言葉も存在しない。あるのはただ、無限に増殖を続ける植物の貪欲な呼吸と、その足元で泥を舐めるようにして生きる、ほんのひと握りの人間という名の獣だけだった。視界を遮る奔放なシダの葉、ねじくれた着生植物の太い根。それらすべてが、排気のような熱を放ちながら、定住を始めたばかりの未熟な人間たちをいつでも圧殺しようと、四方から身を乗り出している。


クシは、濡れた赤土に膝を突き、鋭利に尖らせた一本の木突き棒を両手で握り締めていた。

肌にまとわりつくのは、自らの脂汗と、数日前に降り注いだスコールが腐らせた落葉の汁だ。吸血虫の群れが雲霞のごとく湧き立ち、容赦なく露出した背中や太腿を刺し、血を吸い上げて赤黒く膨れ上がっている。その皮膚の痒みと痛みはすでに感覚を麻痺させ、彼からそれを払う気力すら奪い去っていた。叩きつけるように木突き棒を泥へ突き立てるたび、大地の底から「ぶつ、ぶつ」と、生き物の肉を切り裂くような不気味な音が響く。その手応えは、土を耕しているというよりも、得体の知れない巨大な獣の腹を、か細い枝で突き刺しているかのような錯覚をクシに抱かせた。


「……生きねばならぬ」


クシは、乾きひび割れた唇の中で、自身の名の由来でもあるその言葉を呪詛のように呟いた。生きる、心、呼吸する。それはこの地獄のような森においては、ただそれだけで莫大な対価を要求される過酷な営みだった。

彼らが「ミルパ」と呼ぶその場所は、およそ畑と呼ぶにはあまりにも無秩序で、狂暴な空間だった。数ヶ月前、部族の男たちと共に石斧で巨木を穿ち、数週間かけて乾燥させ、祈りと共に火を放った。炎は三日三晩、密林の一角を真っ赤に焼き尽くし、あらゆる生命を灰の海へと変えたはずだった。剥き出しになった黒い大地を見たとき、人々は一時的にせよ、森に打ち勝ったのだと信じた。


しかし、それはあまりにも浅はかな錯覚だった。わずか数度の激しい雨が降っただけで、大地の底に眠っていた無数の蔓や、牙のような形をした雑草の根が、黒い灰を突き破って猛烈な勢いで蘇ってきたのだ。自然は、人間が穿ったわずかな空白を、一刻も早く緑の肉で埋め戻そうと蠢いている。焦げ付いた巨木の切り株からは、すでに不気味なキノコが傘を広げ、肉食の蟻たちが列をなして這い回っていた。

その狂ったような生命力の隙間に、クシは「最初の種」を落としていく。

なめし革の袋から取り出したのは、鈍い黄金色をしたトウモロコシの種子だ。先祖たちが、気の遠くなるような年月の果てに、野生の細いテオシントの穂から選りすぐり、辛うじて人の指の先ほどの大きさにまで育て上げた、命の結晶。それを、木突き棒が開けた湿った泥の穴へと落とし込む。一粒の種が、一族全体の明日の飢えを左右する。


「育ち、実れ。神の肉となれ」


クシの指先が、種子を包む泥をそっと押し潰す。その瞬間、彼の耳には、大地がその種を噛み砕き、貪り食うような幻聴が聞こえた。

この密林において、農耕とは自然との平穏な共生などでは断じてなかった。それは、容赦なく人間を圧殺しようとする「緑の地獄」の臓物をもぎ取り、その血肉を奪い合う、終わりなき戦争だった。ひとたび手を休めれば、トウモロコシの幼い芽は瞬く間に毒々しい蔓草に絞め殺され、村は飢餓という名の目に見えない怪物に貪り尽くされる。去年は、隣の集落がまるごと一つ、乾期が二月長引いただけで消滅した。残されたのは、骨と、緑に覆い尽くされた破屋だけだった。


クシが再び木突き棒を持ち上げたとき、背後の藪が激しく揺れた。

びくりと全身の筋肉が硬直する。心臓が早鐘を打ち、喉の奥がカラカラに乾く。この森には、一瞬で人間の喉笛を噛み切るジャガーや、踏みつければ数呼吸で命を奪う猛毒のフェルデランスが潜んでいる。クシは息を詰め、泥にまみれた手で、腰に差した唯一の武器である黒曜石の剥片ナイフに触れた。火山からはるばる運ばれてきたというその漆黒の刃だけが、彼が縋れる唯一の文明の灯火だった。

現れたのは、浅黒い肌を泥と煤で汚した、同じ村の若い男だった。名はチュエン。手には、彼らが信仰とも恐怖ともつかぬ感情を抱く「雨の気配」を占うための、干からびたトカゲの尾を握り締めている。チュエンの目は、恐怖と疲弊で血走っていた。


「クシ、まだそんな泥を掘っているのか」


チュエンの声は、湿った空気に吸い込まれて酷く低く響いた。周囲の木々がその声を盗み聞きしているかのように、一瞬、鳥たちの鳴き声が止む。

「長老の具合が悪い。もう、次の満月を見ることはできないだろうと、女たちが騒いでいる。呪医も匙を投げた。体の中で黒い虫が暴れているのだと」

クシは動かなかった。木突き棒を握る手にぐっと力を込め、未だ半分も埋まっていない泥の畝を見つめる。


「長老が死ねば、明日の雨の時期を誰が教えてくれる。トウモロコシをいつ植え、いつ刈ればいいのか、誰も分からなくなる。あの老人の頭の中にしか、過去の『大乾期』の記憶はないのだぞ」

「だからこそ、今のうちに長老の口から『知恵の歌』を聴き出すのだ。皆が崩壊しかけた藁葺きの小屋の周りに集まっている。お前の羽飾りのついた一族も、みな涙を流して並んでいるぞ」

チュエンの言葉には、焦燥と、それ以上に深い「諦め」が混じっていた。この時代、文字という名の記憶の器を持たない人間にとって、一人の老人が死ぬということは、ひとつの世界の歴史が丸ごと、深い泥の底へと沈んで消え去ることを意味していた。何百もの雨季の記憶、かつて一族を救った薬草の在処、凶兆を避けるための神々への呼びかけ。それらすべてが、老人の細い喉が動かなくなった瞬間に、この世から永遠に霧散してしまうのだ。


クシは視線を落とし、先ほど植えたばかりの、泥に隠れた種子の場所を見つめた。地中深くで、種子はすでに動き始めているのだろうか。それとも、この恐るべき密林の冷酷な毒に侵され、芽吹くことなく腐っていくのだろうか。言葉を何かの形にして残すことができれば、とクシは根拠のない、しかし切実な情動を覚えた。この泥の上に、あるいは何らかの形として、老人の言葉を、このトウモロコシの命を、留めておく方法があれば。


「……先に行くがいい、チュエン。俺はこの畝をすべて埋めてから行く」

「狂っているぞ、クシ。神々の言葉を失えば、その種が実ることもないのだぞ。長老の歌が途絶えれば、空は二度と雨を降らせなくなるかもしれないのだ」

チュエンは吐き捨てるように言うと、再び緑の壁の中へと消えていった。彼の足音がシダの葉をこする音が、急速に遠ざかっていく。


一人取り残されたクシは、荒い息を吐きながら、なおも木突き棒を泥に突き立て続けた。一突き、また一突き。泥が撥ね、彼の顔や胸を黒く汚す。だが、その作業を止めれば、自分の内側にある「名前のない恐怖」に押しつぶされてしまいそうだった。


空を見上げると、カポックの隙間から覗くわずかな天蓋が、まるでもぎ取られたばかりの生の肉のように、不気味なほど赤黒く濁り始めていた。それは、ただの夕暮れではない。この密林が、あるいは世界そのものが、静かに息の根を止めようとしているかのような、悍ましい静寂の始まりだった。鳥も、猿も、すべての鳴き声が不自然に途絶え、ただ植物の葉が擦れ合う「ざざ、ざざ」という音だけが、耳鳴りのように響いていた。


クシは、じっとりとした汗が目に入り、激しい痛みを覚えながらも、次の種子を泥の中へと押し込んだ。彼の指先には、泥の冷たさと共に、何かが這い回るような確かな感触があった。ただ生きるために、この緑の狂気と戦い続けなければならないという、逃れられぬ呪いのような確信が、彼の若い胸を重く、そして深く支配していた。一族の記憶が消えようとしている。その予兆は、すでにこの湿った土の匂いの中に、確かに混じり合っていた。

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