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君の『好き』が重すぎる  作者: トムさん


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5/9

第5話:雨音の個室と、36.5℃の熱

6月中旬。


カレンダーが梅雨入りを告げたその日、空はまるで待っていたかのように泣き出した。


それも、シトシトと淑やかに泣くなんて可愛いものじゃない。


星見台市の空の底が抜けたような、暴力的なまでのゲリラ豪雨だった。



ザアァァァァァァッ!!



放課後の教室。


窓ガラスを叩きつける雨粒が、滝のように流れて視界を遮る。


高台にあるこの学校からは、普段なら海が一望できるはずなのに、今は灰色のカーテンがすべてを覆い隠していた。



「うわっ、マジかよこの雨!」


「坂道が川になってるぞ!?」


「誰か親呼んだやつ乗せてってー!」



クラスメイトたちの悲鳴に近いざわめきが、BGMのように響く。


湿気を含んだ重たい風が、廊下を吹き抜けていく。


ジメジメとした空気。


肌にまとわりつく不快な湿気。


普通なら憂鬱になるシチュエーションだ。



けれど、私、如月日和にとっては違う。


私は昇降口の人だかりの後ろから、鷹のような鋭い視線でターゲットを捕捉した。



いた。


人波の少し外れ、柱に寄りかかって空を見上げている背中。


少し癖のある黒髪を気だるげにかき上げ、困ったように眉を下げている彼。



鳴海颯太くん。



彼の手元には、カバンしかない。


つまり、傘を忘れたのだ。



(……勝った)



私の脳内で、高らかなファンファーレが鳴り響く。


ありがとう梅雨前線!


ありがとう低気圧!


この雨は、天が私に授けてくれた「相合傘ラブ・アンブレラ」という名のボーナスステージだ!



私は深呼吸をして、あらかじめ用意していた少し大きめの傘を握りしめると、人混みを優雅にかき分けて彼のもとへと進んだ。




「あーあ、止む気配ねーな……」



颯太くんの独り言を拾い上げ、私は背後から声をかける。



「あれ? 颯太くん、もしかして傘忘れちゃった?」



「うおっ!? 日和か……びっくりさせるなよ」



彼は驚いて振り返り、少しバツが悪そうに頭をかいた。



「おう、朝は晴れてたから油断したわ。お前は?」



「私はバッチリだよ! ほら!」



私は手元の傘を掲げて見せる。


ネイビーブルーの、二人で入っても十分な大きさがある傘だ。


もちろん、天気予報を3つのサイトで比較検討し、降水確率が1%でもあればこの「相合傘専用装備」を持ってくる私に死角はない。



「良かったら、一緒に入る? ここで止むの待ってたら夜になっちゃうよ?」



「……悪いな。助かる」



颯太くんが観念したように頷く。


よし、ミッション・フェーズ1、クリア!



私は昇降口を出て、バサッ! と勢いよく傘を開く。


激しい雨音が、さらに大きく鼓膜を叩く。



「はい、どうぞ!」



「お邪魔します……」



彼が私の傘の下に入ってくる。


その瞬間。 世界が変わった。



ボボボボボボボ……ッ



ビニール越しに叩きつける雨の音が、周囲の雑音をすべて遮断するホワイトノイズに変わる。


傘の下という、半径1メートルにも満たない半球状の空間。


そこは、私と颯太くんだけを閉じ込める、世界で一番狭くて、世界で一番幸せな「個室」になった。




私たちは、学校前の「心臓破りの坂」を下り始めた。


普段なら息が切れる急勾配も、今日は濁流のような雨水が勢いよく下へ流れていくウォータースライダー状態だ。



「うわあ! 見て颯太くん! 道が川みたいだよ!」


「お前、はしゃぐなよ。滑って転ぶぞ」


「平気だよ! 私の体幹バランスなめないで!」



自然と、二人の距離が近くなる。


肩と肩が触れ合う距離。


湿った空気の中に、ふわりと彼の匂いが混じる。



私はこの空間を埋め尽くすように、彼に話しかけ続けた。



「そういえばね、昨日テレビでやってた特集見た? 深海魚の!」


「……見てない」


「すっごく面白かったんだよ! メンダコがね、パタパタしてて可愛かったの!」 「へえ」


「あ、あとね! さっき教室でカエルが鳴いてた気がするんだけど、空耳かな?」 「知らねえよ」


「颯太くんってば、カエル苦手だもんねー。可愛いのに」


「……可愛くねえし」



私のマシンガントークに対し、颯太くんの返事は短い。


でも、それがいい。


雨音にかき消されないように、彼が少しだけ耳をこちらに傾けてくれているのが分かるから。


私の声が、彼の鼓膜を独占している。


それだけで白米3杯はいける。



「っと、危ねえ」



足元の水たまりを避けるため、颯太くんが私の肩をグッと抱き寄せる。


一瞬の密着。


伝わる体温。



(……ひゃっ……!?)



私の心臓が、雨音に負けないくらい激しく警鐘を鳴らす。


ドクン、ドクン、ドクン……。


ねえ、聞こえてないかな? 雨の音で誤魔化せてるかな?




「ちょっとコンビニ寄っていい? 雨宿りも兼ねて」


「おう、いいぞ」



坂の中腹にあるコンビニへ逃げ込む。


自動ドアが開いた瞬間、店内の強力な冷房が濡れた体に直撃した。



「ひやっ! 涼し~!」



「……寒っ。冷房効きすぎだろ」



颯太くんは身震いをして、ホットスナックのコーナーへ向かう。


私はその隙に、お菓子コーナーへダッシュ。


いつもの「無塩ミックスナッツ(大袋)」を手に取りつつ、鋭い視線で彼を観察する。



(颯太くんは何を選ぶ……? 肉まん? それともアメリカンドッグ?)



彼がレジで注文したのは「あんまん」だった。



(メモメモ……雨の日は甘いものが欲しくなる傾向あり、と……!)



「お前、またナッツかよ。リスか」


「栄養満点だもん! 颯太くんこそ、あんまん?」


「……悪いかよ」



二人で店を出て、再び雨の中へ。


あんまんをハフハフと食べる彼の横顔を見ながら、私は心の中で「次は私もあんまんを食べよう」と固く誓った。




コンビニを出てしばらく歩くと、雨脚がさらに強まった。


バケツをひっくり返したような豪雨。


傘を叩く音が激しすぎて、会話もままならない。



「おい日和! 一回そこの神社で雨宿りしようぜ!」


「う、うん! そうだね!」



私たちは坂道の途中にある、大きな神社の境内へと駆け込んだ。


立派な屋根のある社務所の軒先。


ここなら雨は当たらない。



「ふぅ……すげぇ雨だな」



颯太くんが濡れた髪をかき上げる。


私も傘をたたみ、バサバサと水滴を払った。



その時だった。



「……おい、日和」



「ん? なあに?」



彼が私の体を見て、ぎょっとしたように目を見開き、一瞬で顔を真っ赤にして視線を逸らした。



「お前っ……濡れすぎだろ! つーか……その……」



彼は言い淀み、視線を泳がせ、最後に意を決したように小さな声で言った。



「……透けてるんだよ、シャツ……」



指摘されて、自分のブラウスを見る。


豪雨と、さっきのコンビニの冷房で冷やされた白い生地は、水を含んで肌にぴったりと張り付いていた。


その下のキャミソールや肌の色が、うっすらと……いや、結構くっきりと透けてしまっている。



「あちゃー、やっぱり? さっき傘、颯太くんの方に傾けすぎちゃったかな?」



普通の女子高生なら「キャーッ!」と叫んで隠すところだろう。


でも、私はニマリと小悪魔的な笑みを浮かべ、あえて彼の方に体を寄せた。



「え~? なになに? 颯太くん、私のこと見てたの?」



「み、見てねぇよ! 目に入ったんだよ! ほら、これ着ろ!」



颯太くんは慌ててカバンを開け、中から部活用のジャージ(上)を取り出すと、私の頭からガバッとかぶせた。



「むぐっ!」



「ったく……風邪ひくぞ。 ……ん? あれ?」



私の前髪を整えようとした彼の手が、ふと私のおでこに触れる。



「お前、なんか熱くないか?」



「え?」



「体、すごい熱持ってるぞ。大丈夫か?」



彼の手のひらが、私の額や頬に触れて温度を確かめる。


ひんやりとした指先と、温かい掌底。 そこから流れ込んでくる電気のような痺れが、全身を駆け巡る。



違うの、颯太くん。


これは風邪の熱じゃない。


貴方が触れるから。


貴方が心配してくれるから。


私の血液が沸騰して、体温が急上昇しているだけなの!



「……へへっ。平気だよ。 颯太くんが心配してくれて嬉しいから、熱が出ちゃったのかも!」



「バカなこと言ってないで、大人しくしてろ」



彼は呆れつつも、ジャージのファスナーを首元まで上げてくれた。 包み込まれるような彼の匂い。


ああ、幸せすぎて気絶しそう。



雨音が響く静かな軒先。


二人の間に、少し気まずくて、でも心地よい沈黙が流れる。


颯太くんが、雨を見ながらポツリと言った。



「……なんか、前にもあったよな。こういうの」



「え?」



「小学生の時だよ。 俺たちが秘密基地にしてた公園で、急に雨が降ってきてさ。 二人で土管の中で雨宿りして……お前、あの時も『寒くない!』って強がって、結局次の日熱出しただろ」



懐かしそうに目を細める彼。


もちろん、私は覚えている。


あの日、彼が貸してくれたハンカチの柄まで鮮明に脳内ハードディスクに保存されている。



でも、私は小首を傾げてみせた。



「え~? そうだっけ~? その後どうしたんだっけ~?」



「……は?」



「私、覚えてなーい。 熱でうなされて記憶飛んじゃったのかなー?」



ニヤニヤするのを必死に堪えて、とぼけてみせる。


すると、颯太くんはジトッとした目を私に向けた。



「……やめた。 お前、分かってて言ってるだろ?」



「ん~? なんのことだかわかりませ~ん♡」



「……性格わりーな」



颯太くんは苦笑いをして、軽く私のおでこを小突いた(デコピン)。


痛くない。


むしろご褒美だ。


彼の中に、ちゃんと「私との思い出」が刻まれている。


その事実確認ができただけで、今日の雨宿りは最高のイベントになった。




雨が小降りになったのを見計らって、私たちは再び歩き出した。


坂を下りきり、レトロな街並みが広がる住宅街へ。


私たちの家は、道路を挟んで向かい合っている。



「じゃあな、日和。ジャージは洗って返せよ」



「はーい! 柔軟剤の香り、何がいい?」



「普通のでいいよ。あと、すぐ風呂入れ」



お互いの家の玄関灯が見える距離。


名残惜しいけれど、ここがお別れの場所だ。


私は彼から借りたジャージの襟元をギュッと握りしめた。



「ねえ、颯太くん」



「ん?」



「今日は……雨のおかげで、最高の日だったね!」



私が満面の笑みで言うと、彼は一瞬きょとんとして、それから少し照れくさそうに顔を背けた。



「……物好きだな、お前は」



そう言って、彼は自分の家へと入っていった。


パタン、とドアが閉まる音。



残された私。


雨上がりの空には、雲の切れ間から一番星が顔を出していた。


肩にかかる彼のジャージからは、雨の匂いと、大好きな彼の匂いがする。



「ふふっ……ごちそうさまでした」



私はジャージに顔を埋め、思い切り深呼吸をしてから、スキップで自宅のドアを開けた。


明日、もし熱が出たとしても、それは間違いなく「恋の病」だ。

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