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君の『好き』が重すぎる  作者: トムさん


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第21話『オープンキャンパスの霧と、白衣の観測者』



七月。


梅雨明け宣言と同時に、世界は暴力的なまでの光に包まれた。


アスファルトから立ち上る陽炎が視界を揺らし、蝉時雨が耳をつんざくほどの音量で鳴り響く。


受験生にとっての「天王山」と呼ばれる夏の始まり。


私と颯太くんは、冷房の効いた電車に揺られて県境を越え、東京へと向かっていた。



目的地は『帝都理科大学』。


颯太くんの第一志望であり、それに追随して私が(半ば強引に)志望校にした場所の、オープンキャンパスだ。



「見て見て颯太くん! あのマンション、大学から徒歩五分だって! あそこに住めば通学楽勝だね! いっそ二人でルームシェアしちゃう? 家賃折半なら経済的だし!」



私はスマホのカメラを車窓に向け、流れる景色を連写しながらはしゃいでいた。


カシャッ、カシャッ。


新しい街、新しい景色。


これら全てが、私たちの未来の舞台装置になるはずだ。



「……お前なぁ。まだ受かってもいねぇのに気が早すぎだろ。それにルームシェアは親父さんが許さねぇよ」



「えー? パパなら『颯太くんなら……』って言うと思うよ? 鍵だってくれたし!」



「あれはただの合鍵だろ。同棲とはわけが違う」



颯太くんは参考書を片手に呆れているけれど、その口調は満更でもなさそうだ。


私は努めて明るく、ハイテンションに振る舞い続ける。


そうしていないと、足元から忍び寄る「影」に飲み込まれてしまいそうだからだ。



(……見えない)



私はスマホを下ろし、窓ガラスに映る自分の顔を見つめた瞬間、奥歯を噛み締めた。


口では「同棲」だの「キャンパスライフ」だの語っているけれど、私の脳裏にはその映像が少しも浮かんでいない。


想像しようとすると、脳の奥で「キーン」という不快な高周波音が鳴る。


大学生になった颯太くんの隣に、私がいるビジョン。


講義を受ける颯太くんの隣で、ノートを取る私。


……ダメだ。


まるで壊れたテレビ画面のように、砂嵐ノイズが走る。


白い霧がかかったように、景色がぼやけて、どうしても具体的な形を結ばない。


胃の腑が冷たくなるような、強烈な吐き気。


まるで私の本能が、「そんな未来データは存在しない」とエラーを返しているかのような拒絶反応。



「……っ」



「……日和? どうした、顔色悪いぞ?」



私の異変に気づいたのか、颯太くんが参考書を閉じて私の顔を覗き込んだ。


心配そうな瞳。


その瞳に映る私だけが、唯一の現実だ。



「……ううん! なんでもない! ちょっと冷房効きすぎかなって!」



私は不安を打ち消すように、座席で彼の腕にギュッと抱きついた。


いつもより強く、痛いほどに指を食い込ませる。



「おい、人目があるだろ……」



「いいの! 充電中なの! 颯太くんが足りないの!」



「さっきからずっとくっついてるだろ……」



颯太くんの体温。


筋肉の硬さ。


服の匂い。


この確かな感触だけが、私をこの世界に繋ぎ止めてくれるいかりだ。


離してはいけない。


離したら、私はノイズの中に消えてしまう。



帝都理科大学のキャンパスは、想像以上に広大で、アカデミックな空気に満ちていた。


赤レンガ造りの歴史ある校舎と、ガラス張りの近代的な研究棟が混在し、多くの受験生や保護者で賑わっている。



「へぇ……すげぇな。設備も最新だ」



颯太くんの目が輝いている。


彼はパンフレットを片手に、理工学部の展示ブースや研究室を熱心に見て回っていた。


私はその横顔を、すかさずスマホで盗撮する。


カシャッ。


ここにいる彼は、生き生きとしている。


「やりたいこと」を見つけた男の子の顔だ。


その未来は、こんなにも鮮明に見えるのに。



「あ、ここ中庭だって! 広いねー!」



キャンパスの中央にある、芝生の広がる中庭に出た。


ベンチでは大学生たちがランチを広げたり、パソコンを開いたりしている。


まさに「キャンパスライフ」の象徴のような光景だ。



「ねぇ颯太くん。来年の春になったらさ、ここでお昼食べようよ。 私が毎日お弁当作るから! 卵焼きは甘めとしょっぱいの、どっちがいい?」



私はベンチの一つを指差して、未来の約束を取り付けようとした。



「……おう、いいけど」



「ここで二人で食べて、それから午後の講義に行って……」



言葉を紡げば紡ぐほど、胸の奥が凍りついていく。


目の前の中庭の風景に、私たち二人の姿を重ねようとしても、透けて消えてしまう。


まるで、そこに「私」という存在が許されていないかのように。



「……日和」



私の言葉が不自然に途切れたことに気づいたのか、颯太くんが足を止めた。



「お前、なんか無理して……」



彼が慰めの言葉をかけようと、手を伸ばしたその時だった。



フッ、と。


世界から「音」が消えた。


蝉時雨も、受験生たちの話し声も、風の音さえも。


真空の中に放り込まれたような静寂が、唐突に私たちを包み込んだ。



「――あら。奇遇ね」



凛とした、よく通る声だけが、静寂を切り裂いて響いた。


私は反射的に颯太くんの手首を掴み、彼を背中に庇うようにして振り返った。


SPとしての条件反射(防衛本能)。


全身の毛が逆立つような感覚。



そこには、一人の女性が立っていた。


黒髪のロングヘア。


知的な黒縁メガネ。


そして、この真夏の暑さの中で、白衣を羽織った姿。


見間違えるはずもない。


修学旅行で、そしてゴールデンウィークの遊園地で見かけた、あの「亡霊」のような女性だ。



「……あなた」



私が警戒心を剥き出しにして睨みつけると、彼女は私を一瞥もしなかった。


彼女の視線は、私の背後にいる颯太くんだけに注がれていた。


その瞳から、先ほどまでの無機質な光が消え、まるでガラス細工を扱うような、優しく、慈愛に満ちた色が浮かぶ。



「颯太さん。……こんな暑い中、よく来たわね」



「え……?」



颯太くんが戸惑いの声を上げる。


彼女は一歩近づき、優しく、労るように問いかけた。



「体調はどう? 頭痛はしていない? 最近、めまいやフラッシュバックのような感覚はなかったかしら? 無理をしてはダメよ。あなたの脳は、とてもデリケートなんだから」



それは、初対面の相手にかける言葉ではない。


まるで長年担当している主治医か、あるいは「創造主」のような口ぶりだった。


颯太くんの顔色がさっと変わる。


彼の中で、また「頭痛」の予兆が走ったのかもしれない。



「ちょっと! 誰ですか!」



私はたまらず声を荒らげ、二人の間に割って入った。


これ以上、彼に近づかせてはいけない。


私の直感がサイレンを鳴らしている。



「颯太くんの知り合いですか? いきなり馴れ馴れしく……!」



「……日和ちゃん、で、良かったかしら」



彼女はようやく私を見た。


その目は、颯太くんを見ていた時とは打って変わって、冷徹な観察者の目だった。


私の名前を知っている。



「少し、お話があるの。颯太さんには席を外してもらって、二人きりで」



「お断りします。颯太くんから離れるつもりはありません」



私が即答すると、彼女は小さく溜め息をついた。



「……颯太さん。お願いできるかしら?」



彼女は再び視線を颯太くんに戻し、柔らかく微笑んだ。


それは拒絶を許さない、絶対的な「お願い」だった。


颯太くんは困惑しながらも、彼女の雰囲気に何か圧倒されたように、私の方を見た。



「……日和。俺、ちょっとあっちで待ってるわ」



「えっ!? 颯太くん、ダメだよ! この人、怪しいよ!」



「大丈夫だ。……なんか、悪い人じゃない気がするんだ。それに……」



颯太くんはこめかみを押さえながら、何かを思い出そうとするように目を細めた。


根拠のない確信。


それが一番怖いのに。


彼は私の肩をポンと叩いた。



「すぐ見えるところにいるから。なんかされたら大声出せよ。すぐ飛んでくるから」



「……もう。私の方が颯太くんより強いんだからね」



私は冗談めかして言ったけれど、拳は震えていたかもしれない。


颯太くんが心配そうに何度も振り返りながら、自動販売機の方へと歩いていくのを見送る。



二人きりになった。


周囲の喧騒が戻ってくることはなく、相変わらず不自然な静寂が私たちを隔離している。



「……それで? 何の用ですか」



私は敵意を隠さずに尋ねた。



「私のことは『朱里あかり』と呼んで」



彼女――朱里は、私の敵意などそよ風程度にしか感じていないように、淡々と言った。



「苗字は? 所属は?」



「朱里でいいわ。それ以上は、今のあなたにはノイズになるだけ」



「……じゃあ、朱里様」



私は精一杯の皮肉を込めて、そう呼んだ。


朱里は、ふっと口元を緩めたが、目は笑っていない。



「単刀直入に聞くわ。日和ちゃん」



彼女は一歩踏み出し、私の目を真っ直ぐに射抜いた。



「あなたは、鳴海颯太のことを愛している?」



唐突で、そしてあまりに根源的な問い。


私は眉をひそめた。 そんなこと、あなたに言われるまでもない。



「……あなたに答える義理はありません」



「そう。その沈黙が答えね」



彼女は私の耳元に顔を寄せ、低い声で、呪詛のように、あるいはプログラムコードを打ち込むように囁いた。



「なら、貫きなさい。 あなたの身も、心も、時間も、未来も。 そのすべてを、鳴海颯太に捧げなさい」



その言葉が鼓膜を震わせた瞬間。



カクン。



私の首が、勝手に縦に動きそうになった。


自分の意思ではない。


脳の奥にある「何か」が、彼女の言葉に反応して強制的に肯定しようとしたのだ。


まるで、管理者権限ルートアクセスでコマンドを入力された機械のように。



(……え? なに、今の……)



私は戦慄し、必死に首の筋肉を強張らせて、その動きを止めた。


気持ち悪い。


怖い。


私の体が、私のものではないみたいだ。



「彼のために生き、彼のために死ぬ覚悟を持ちなさい。 ……それだけが、彼を『こちら側』に繋ぎ止める唯一のくさびになるわ」



朱里の言葉が、脳に直接刻み込まれていく。


それは恋愛のアドバイスではない。


「使命」であり「設定」の再確認だ。



でも、不思議と反発心は湧かなかった。


身体的な恐怖とは裏腹に、私の心はその言葉を「正しい」と認識してしまっている。



(……そんなの、私のデフォルト設定だよ)



言われなくても、私はそうして生きている。


彼がいなければ私は空っぽだ。


彼のために全てを捧げることは、私にとっての生存戦略であり、存在理由なのだから。



朱里は体を引き、満足そうに目を細めた。



「いい目ね。……安心したわ」



彼女は白衣の裾を翻し、研究棟の方へと踵を返した。



「待って! あなたは一体何なの!? 颯太くんの何を知ってるの!?」



私の問いかけに、彼女は一度だけ立ち止まり、背中越しに言った。



「私は敵ではないわ。……今はまだ、ただの観測者よ」



それだけ言い残し、彼女は陽炎の向こうへと消えていった。


彼女が姿を消すと同時に、世界に「音」が戻ってきた。


蝉時雨、話し声、風の音。


日常が、何事もなかったかのように再生される。



「……はぁ、はぁ……」



緊張の糸が切れ、私はその場にへたり込みそうになった。


観測者。


身も心も捧げよ。


意味はわからない。


でも、私の中に埋め込まれた「何か」が、彼女の言葉に共鳴したことだけは確かだ。



「日和!」



遠くから、私の名前を呼ぶ声がした。


見ると、颯太くんがスポーツドリンクを二本持って、こちらへ走ってくる。


心配そうな顔。


汗ばんだ額。


私の大好きな、私の世界のすべて。



「颯太くん!!」



私は地面を蹴り、弾丸のように彼に向かって走った。


ブレーキなんてかけない。


不安も、恐怖も、全部振り切るように。



「うわっ!? 危ねぇ!」



ドォォォン!!



私は彼に向かってダイビングハグをかました。


勢い余って、颯太くんがよろめき、私たちは二人でもつれるようにして芝生の上に転がった。



「いってぇ……! お前な、いきなり……」



颯太くんが呻きながら体を起こす。


私は彼にしがみついたまま、その胸に顔を埋めた。


彼の心臓の音が聞こえる。


トクン、トクン。


確かに、ここに生きている音。



「……あいつ、何だったんだ? 何かされたか?」



颯太くんが不安げに聞いてくる。


変なことを言われたり、傷つけられたりしていないか。


私は首を横に振った。



「……ううん。なんでもない」



私は顔を上げ、彼の瞳を見つめた。


未来は見えない。 ぼやけていて、不確かで、怖い。


でも、さっき朱里に言われた言葉が、呪いのように私の奥底でリフレインしている。


『すべてを捧げなさい』 ……うん、わかってる。


それが私の運命なら、喜んで受け入れよう。



「ただ……颯太くんのことが大好きで、片時も離れたくないなって。 そう改めて思っただけ」



私の痛々しいほど真っ直ぐな言葉に、颯太くんは何も聞かなかった。


理由も、事情も、何も聞かず。


ただ、大きく温かい掌で、私の頭を優しく撫でてくれた。



「……そうかよ。暑苦しいけど、まぁ……許可するわ」



その不器用な優しさが、私の震える心を溶かしていく。


同時に、私の心の中に落ちた一滴の黒い影が、じわりと広がっていくのを感じた。


このぬくもりを守るためなら、私は何にだってなろう。


たとえそれが、人ではない「何か」だったとしても。


夏の空の下、私は笑顔の裏で、静かに、けれど深く覚悟を決めていた。


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