第2話:体力測定と、私の愛の最高速度
4月中旬。
桜の花びらが舞い散り、新緑が顔を出し始めたこの季節。
世間の高校生にとっては、憂鬱なイベントの一つかもしれない。
けれど、私、如月日和にとっては違う。
今日は年に一度の「体力測定」。
つまり、私の身体が、颯太くんを守るナイトとして相応しいかどうかの「公式証明会」であり、ジャージ姿の颯太くんを合法的にガン見できる「大感謝祭」なのだ!
「はぁ……憂鬱。なんで春なのに走らなきゃいけないの……」
「日和ちゃん、着替え終わった?」
女子更衣室。
クラスメイトたちのアンニュイな溜め息が充満する中、私は一人、鼻歌交じりにジャージのファスナーを上げていた。
「うん! バッチリだよ!」
振り返った私を見て、近くにいた女子たちが一瞬、動きを止める。
「……ねえ、如月さんってさ。なんでそんなに肌白いの?」
「血管透けそうっていうか、毛穴どこ? ファンデ塗ってる?」
友人の一人が、私の腕をまじまじと見つめてくる。
ふふん、甘いね。
ファンデーション? そんな不純物は必要ない。
私のこの陶器のような白肌は、すべて「颯太くんに触れられた時に、最高の肌触りを提供するため」だけに調整された、天然由来のコーティングなのだから!
「特に何もしてないよ? 強いて言えば、毎日ハッピーに生きてるからかな!」
「出た、美少女の『何もしてない』発言……」
「人生の徳が違うわ……」
あきれ顔の友人たちと連れ立って、グラウンドへ向かう。
校舎を出て、春の風がふわりと頬を撫でた瞬間、私の高性能レーダーが反応した。
「あ」
砂煙舞うグラウンド。
男子生徒の群れ。
その中に、ジャージの袖を少し捲り上げている「彼」を見つけた。
白い手首の骨の出っ張り具合、少し眠そうな立ち姿。
間違いなく、鳴海颯太くんだ。
「……あーあ、見つけちゃった」
「如月さんの目が『乙女』通り越して『ハンター』になってる」
「はいはい、行っておいで。ヨダレ拭いてね」
友人たちは慣れたもので、生温かい視線で私の背中を押してくれる。
ありがとう友よ! 君たちの優しさは忘れない!
「颯太くぅーんっ!!(心の声)」
私はスキップに近い足取りで、颯太くんがいる男子の測定エリア近くへとポジショニングした。
「次、男子50メートル走ー」
先生の合図で、颯太くんがスタートラインに立つ。
私の心臓の回転数が跳ね上がる。
位置について、ヨーイ……パンッ!
乾いたピストル音が青空に響く。
颯太くんが走り出す。
前髪が風になびき、少し必死な表情で腕を振る。
ああ、なんてこと! その姿はまるでギリシャ神話の英雄! 周りは「あいつ意外と速いな」程度に見ているようだけど、私の目には風の精霊を従えたスピードスターにしか見えない。
「7秒3!」
記録係の声。
颯太くんは「うわ、去年より落ちたわー」なんて言いながら、ゴール地点で膝に手をついている。
7秒3。
なんて素敵な数字。ラッキーセブンと、私の誕生月である3月を含んでいるわ!(こじつけ)
「次、女子ー。如月、レーン入って」
来た。
私の番だ。
スタートラインに立つ。
50メートル先、ゴール地点付近には、まだ息を整えている颯太くんがいる。
(ゴールに……颯太くんがいる)
その事実だけで、私の脳内麻薬がドバドバと分泌される。
これは単なる徒競走じゃない。
彼のもとへ帰還するための『愛のダッシュ』だ。
狙うは、さっき彼が叩き出した「7秒3」。
同じタイムを出して、運命の赤い糸を証明してみせる!
「位置について――」
スゥッ、と息を吸い込む。
世界から音が消える。
見えるのは、ゴールの先にいる颯太くんだけ。
「――ドンッ!」
弾ける音と共に、私は地面を爆発させた。
ギュンッ!!
一歩目でトップスピードに乗る。
風? そんなもの、私が置き去りにしてやる。
景色が線になって後ろへ流れていく。
隣のレーンの女子たちが、スローモーションのように視界の端へ消えた。
(待ってて颯太くん! 今、同じ世界に行くからっ!!)
40メートル、30メートル……。 近づいてくる颯太くんが、驚いた顔でこちらを見ているのがわかる。
ああ、もっと速く。
でも速すぎてもダメ。
彼と同じ時間を刻むの!
「ゴールッ!」
風を巻き起こして駆け抜ける。
先生がストップウォッチを押した音が聞こえた気がした。
「……7秒3!? 女子で!?」
先生の声が裏返る。
やった! ビンゴ! 運命の一致! 歓喜に震える私。
でも――勢いがつきすぎて、止まれない! いや、止まる気がない!?
目の前には、呆然と立っている颯太くん。
ブレーキ? 残念ながら故障中です!
「颯太くんっ、受け止めてぇぇぇっ!!」
「は!? うわ、ちょ、おま……っ!!」
ドガァァァンッ!!
漫画のような効果音と共に、私は颯太くんに真正面からダイレクト・タックルを決めた。
当然、彼が耐えきれるはずもなく。
私たちはもつれ合いながら、芝生の上をコロコロと転がる。
天と地が数回入れ替わり、止まった時には、私が彼の上に馬乗りになるような形になっていた。
「いっ……てぇ……」
背中を打った颯太くんが呻く。
私は彼の胸の上で、満面の笑みを浮かべた。
「やったぁ! 聞こえた!? 7秒3だよ!? 颯太くんと全く同じタイム! これって運命だよね!?」
颯太くんは苦悶の表情を浮かべつつ、至近距離にある私の顔を見て、はあ……と深い溜め息をついた。
「……運命とかどうでもいいから、どけ。 つーか、またかよ……重いっつーの」
「んふふ♡ 颯太くんへの想いの重さだね!」
「物理だよ! あと骨が軋んだ音したぞ今!」
周囲の「あーあ、またやってるよ」という呆れた視線すら、今の私には祝福のフラワーシャワーにしか見えなかった。
***
場所を体育館に移しての、反復横跳び。
ここでも、私の「颯太くんパワー」は健在だ。
「はじめ!」
合図と同時に、私はサイドステップを踏む。
キュッ、キュッ、キュッ! 最初はリズムよく。
でも、視界の端で颯太くんがこちらを見ているのに気づいた瞬間、スイッチが入ってしまった。
(見てる! 颯太くんが見てる!)
(もっとキレのある動きを! カッコイイところを見せなきゃ!)
ダダダダダダダッ!
「……えっ?」
測定してくれている女子生徒の声が漏れる。
私の動きが、人間の反射神経の限界を超え始めた。
床を蹴る音が「キュッ」という可愛らしい音から、「ギュンッギュンッ」というタイヤが悲鳴を上げるような音に変わる。
右へ跳んだと思ったら、もう左。 中央に戻った瞬間には、もう次の動作に移っている。
「ちょ、ちょっと待って! 速すぎて数えられない!」
「1、2、3……いや、今5回くらい行ってない!?」
「待って目が回る!」
測定係の子が、カウンターを持つ手を震わせながらパニックになっている。
ごめんね、でも止まれないの!
颯太くんの視線がある限り、私のエンジンはレッドゾーンを振り切って回り続ける!
「やめーっ!!」
笛の音が鳴り響き、私はピタリと中央のラインで静止した。
髪の毛一本乱れていない。
「ふぅ……どうかな? 今のステップ、キレてた?」
「……測定不能です。とりあえず満点でいい?」
記録係の子は、白目をむきそうな顔でそう言った。
遠くで見ていた颯太くんが、口をポカンと開けているのが見えた。
よし、私の凄さ(愛)、伝わったかな!
そして、地獄の持久走。
グラウンドを何周もするこの種目は、大抵の生徒にとって処刑宣告に近い。
数周もすれば、周りはゾンビの群れと化していた。
「無理……死ぬ……」
「喉乾いた……」
あちこちで悲鳴が上がり、足取りが重くなっていく。
そんな中、私は一人、空を飛ぶような軽やかさで走っていた。
呼吸? 乱れるわけがない。
むしろ走れば走るほど、体内のエネルギーが循環して元気が湧いてくる。
前方に、少し背中の丸まった見慣れたフォームを見つけた。
颯太くんだ。
肩で息をして、辛そうに走っている。
(チャンス!)
私はペースを上げ、ススッと音もなく彼の横に並んだ。
「颯太くん、やっほー!」
「……っ!? びっくりした……お前、いつの間に……」
颯太くんが驚いて横を見る。
汗だくで、前髪が額に張り付いている。
頬が赤くなっていて、苦しそうな息遣い。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
(……なにこれ、セクシーすぎる……!)
苦しむ彼には申し訳ないけれど、至近距離で聞く彼の荒い呼吸音は、私にとって極上のASMRだった。
私は彼の走るペースに合わせて、並走を始める。 まるでデート中の散歩のように、優雅に、涼しい顔で。
「颯太くん、頑張れー♡ あ、今の汗が落ちる角度、すごくカッコよかったよ! 喉乾いてない? 終わったらスポドリ奢ろうか? それとも膝枕?」
横からマシンガンのように話しかける私に、颯太くんは走りながら信じられないものを見る目を向けた。
「はぁ……はぁ……お前……なんなの……? 俺と同じ距離走ってるんだよな……? なんで息一つ切れてないんだよ……」
「え? 全然平気だよ?」
私は額に浮かんだ、宝石のように綺麗な汗(自称)を指先で拭って見せた。
「なんでって……そりゃあ」
普通の人間なら、ここで「元陸上部だから」とか「体力には自信があって」と言うだろう。
でも、私の原動力はもっと高次元なエネルギーだ。
私は走りながら、彼に向かってとびきりの笑顔でウインクを飛ばした。
「だてに毎日、24時間365日、颯太くんのことを考えてないからね! 恋する乙女は、いつだって無敵なんだよっ!」
「……意味わかんねえよ……はぁ……」
颯太くんは呆れたように笑い、それでも少しだけペースを上げて走り続けた。
その横顔を見つめながら、私は確信する。
ああ、やっぱり私の愛は、誰よりも速くて、誰よりも重い。
そしてこの先もずっと、彼と一緒に走り続けるんだ。
私の春は、まだまだ加速していく!




