第13話『修学旅行Ⅲ:魔法の城と、消失する観測者』
修学旅行最終日。
私たちは、大阪が誇る夢のテーマパークへと足を踏み入れた。
「わぁぁ……! すごいよ颯太くん! 魔法のお城だ! 恐竜だ!」
「お前、テンション高すぎだろ……鼓膜破れるって」
私は制服姿に、パークで購入した派手なカチューシャ(恐竜が頭を噛んでいるデザイン)を装着し、颯太の腕をぐいぐい引っ張る。
颯太は「やれやれ」という顔をしているけれど、その頭には私とお揃いのカチューシャが乗っている。
拒否しないあたり、彼もなんだかんだで楽しんでいるのだ。
「よーし、まずはあれ! あの空飛ぶやつ乗ろう!」
「……え、初手であれ? 心の準備が……」
「健人くんも行けるよね?」
「お、おう! 俺、絶叫系とか余裕だし? 任せとけって!」
健人くんが親指を立てるが、その顔は微妙に引きつっている。
美咲と私は顔を見合わせてニシシと笑った。
問答無用。私たちは男子二人を連行し、パーク最恐のフライング・コースターへと乗り込んだ。
数分後。
「きゃー! 最高ー! 空飛んでるみたーい!」
「うひょー! 美咲、景色やばい!」
私と美咲が両手を離して絶叫を楽しんでいる隣で、
「うわあああああああ!! 死ぬぅぅぅぅ!!」
「ごめんなさぁぁぁぁい!! 地面! 地面どこぉぉぉ!?」
野太い、そして情けない悲鳴が大阪の空に木霊した。
「……生きてるか? 鳴海……」
「……おう、なんとか……そっちはどうだ、高橋……」
「三半規管が……家出した……」
アトラクションを降りた後、近くのベンチには、死体のようにぐったりした男子二人の姿があった。
顔面蒼白で肩を寄せ合うその姿には、戦友のような謎の連帯感が生まれている。
「だらしないなぁ。私の三半規管なんて、どんなに回ってもビクともしないよ?」
「お前のスペックがおかしいんだよ……なんであんなに回されて平然としてんだ……」
「愛の力があれば、G(重力)なんて誤差だよ!」
「物理法則を無視すんな」
へろへろの男子たちを休憩させつつ、私と美咲は食料調達に向かった。
そして戻ってきた私の手には、巨大なターキーレッグ(骨付き肉)とチュロス。
「いただきまーす! ガブッ!」
「うわ、日和ちゃんワイルド……」
私が原始人のように肉にかぶりつくと、美咲が若干引いている。
でも美味しいから正義だ。
すると、横で見ていた颯太が、呆れつつも自分のハンカチを取り出した。
「口の周り、油ですげぇことになってんぞ」
「んぐ、むぐ(だって両手塞がってるし)」
「ほら、じっとしてろ」
颯太は私の口元を丁寧に拭いてくれると、「よく食うなぁ」と自分のチュロスを半分折って、私に差し出してくれた。
「ほら、これ好きな味だろ。やるよ」
「! 颯太くん大好き!」
「はいはい」
その光景を見ていた健人くんが、遠い目をして呟く。
「なぁ美咲。あいつらだけ、なんか熟年夫婦の食卓みたいになってない?」
「うん……あそこには誰も入れない結界があるね……」
体力が回復した私たちは、魔法使いの世界を再現したエリアへと向かった。
石造りの街並み、屋根に積もった雪の演出。
本当に異世界に来たみたいだ。
「これこれ! これを飲まないと始まらないよね!」
私はジョッキに入った、バターの風味がする甘い炭酸飲料を四つ注文した。
テラス席に座り、乾杯して口をつける。
甘くて冷たくて、幸せの味がする。
「んふっ、おいしー!」
「……おい日和、ついてるぞ」
颯太が自分も飲みながら、私の口元を指さす。
慌ててスマホのインカメラを見ると、私の上唇には白い泡のヒゲがこんもりと乗っていた。
「あはは! 颯太くんもだよ?」
「え?」
颯太の口元にも、しっかりと同じヒゲがついている。
普段はクールぶっている彼が、泡のヒゲをつけてキョトンとしている姿。
そのギャップがあまりにも可愛くて、愛おしくて、私は胸がキュンと音を立てた。
「はいそこ動かない! シャッターチャンス!」
すかさず美咲がスマホを構える。
「いいよー! 二人とも最高にバカップルっぽいよー! リア充爆発しろー!」
「ちょ、美咲! 変な掛け声すんな!」
颯太が照れて顔を背けるが、その瞬間もしっかり保存された。
ちなみに健人くんも「俺も!」とヒゲをつけたが、美咲に「健人はなんか汚いから拭いて」とバッサリ斬られていた。
ドンマイ。
楽しい時間はあっという間に過ぎ去り、あたりは夜の闇に包まれた。
パレードが終わり、帰路につく人々でゲート付近が混雑し始めた頃。
「あーっ!! やばい健人! お姉ちゃんへのお土産買い忘れた!」
「はぁ!? さっきショップ見たじゃん!」
「限定のやつじゃないと怒られるの! ダッシュで戻るから付き合って!」
「まじかよー!?」
美咲が健人くんの首根っこを掴んで走り出す。
「ごめん日和ちゃん、颯太くん! すぐ戻るから、そこのベンチで待ってて!」
嵐のように去っていく二人を見送り、私と颯太はゲート近くの、少し人通りの少ないベンチに残された。
周囲の喧騒が少し遠ざかり、ふと、静かな時間が流れる。
「……たく、騒がしい奴らだな」
「ふふ、でも楽しかったね」
私が颯太の肩に頭を預けると、彼は何も言わずに受け入れてくれた。
街灯のオレンジ色の光が、私たちの足元を照らしている。
このまま時間が止まればいいのに。
そう思った、その時だった。
「……?」
ふと、颯太の体が強張った。
彼は私の頭越しに、少し離れた別の街灯の下をじっと凝視している。
「颯太くん? どうしたの?」
彼の視線を追う。
そこには、一人の女性が立っていた。
黒髪に、黒縁のメガネ。
服装は地味で、これといった特徴のない大人の女性。
派手なカチューシャやポップコーンバケツを持った観光客の中では、そこだけ色が抜け落ちたように静かな佇まいだった。
でも、彼女は——泣きそうなほど愛おしい目で、真っ直ぐに颯太を見ていた。
「……知り合い?」
私が尋ねると、颯太はハッとしたように瞬きをした。
「いや……知らねぇけど。なんか、すげぇ『どこかで見たことある』気がして……」
「へ?」
「誰だっけな……すげぇ懐かしいっていうか、胸が締め付けられるっていうか……」
颯太が無意識に自分の胸元を掴む。
その横顔が、今まで見たこともないほど深刻で、そしてどこか切なげに見えて、私の胸にチクリと嫌な痛みが走った。
「懐かしい」?
私より?
私以外に、そんな感情を抱く相手がいるの?
「えー? 大阪に知り合いなんていないでしょ? もしかして浮気?」
私はわざと明るく茶化して、彼の腕に抱きついた。
颯太は「馬鹿言え」と苦笑したが、視線はまだ彼女の方を向いていた。
その時。
女性が、ふわりと小さく手を振った。
私たちに——いいや、間違いなく颯太に向かって。
その口元が、何かを呟いたように動いた気がした。
「え?」
私と颯太は、思わず同時に後ろを振り返った。
背後に誰か知り合いがいるのかもしれない。
そう思ったからだ。
でも、後ろには見知らぬ観光客の波があるだけ。
「なんだ、俺たちじゃな——」
颯太が言いかけて、再び前を向いた。
私もつられて、街灯の下に視線を戻す。
「——え?」
誰も、いなかった。 人混みに紛れたというレベルではない。
まるで最初からそこには誰もいなかったかのように、彼女の姿だけが綺麗に消失していた。
「……消えた? 見間違いか?」
颯太が狐につままれたような顔で、誰もいないベンチを見つめている。
私の背筋に、冷たいものが走った。
あれは幽霊? それとも見間違い? でも、あの女性の目は……あんなに悲しくて優しい目は、幻覚にしてはリアルすぎた。
「おーい! 待たせたー!」
そこへ、お土産袋を抱えた美咲と健人くんが走ってくる。
日常が戻ってきた。
「颯太くん」
私は彼の不安を吹き飛ばすように、繋いだ手に力を込めた。
「移動したんだよ、きっと! 魔法使いだったのかもね! ほら、早く行かないと新幹線に乗り遅れちゃう!」
「……そうだな。悪い、なんかボーっとしてたわ」
颯太は頭を振ると、いつもの少し眠たげな表情に戻ってくれた。
帰りの新幹線。 車内は静まり返っていた。
前の席では、健人くんと美咲が泥のように爆睡している。
そして私の隣でも、遊び疲れた颯太が、私の肩に頭を預けて深い眠りに落ちていた。
私はその寝顔を眺めながら、窓ガラスに映る自分の顔を見つめる。
ガラスの向こう、夜の闇に流れていく景色。
今日一日の最高に楽しかった思い出の中に、あの一瞬の出来事だけが、小さな棘のように刺さっている。
『どこかで見たことある気がして』
颯太くんのあの言葉。
そして、あの女性が彼に向けていた、まるで我が子を見るような、あるいは遠い恋人を見るような、あの眼差し。
「……誰だったんだろう」
私は小さく呟いて、颯太の手をぎゅっと握り直した。
彼の手は温かい。
ここにある温もりだけが、今の私にとっての真実だ。
「私の颯太くんだもん。誰にも渡さないからね」
私は彼の髪にそっと触れ、目を閉じた。
こうして、私たちの波乱と幸福に満ちた修学旅行は、小さな謎を残して幕を閉じた。




