第12話『修学旅行Ⅱ:古都の迷宮と、絶対探知の愛』
修学旅行二日目。
京都の朝は、私たちの住む星見台市とは質の違う、足元から這い上がってくるような冷気が支配していた。
「うぅ……さむぅ……」
班別自主研修の集合場所。
私は制服のスカートから伸びる足をさすりながら、小刻みに震えていた。
星見台の海風には慣れているつもりだったけれど、盆地特有の「底冷え」というやつを甘く見ていた。
普段、あの長い坂道登校で鍛えている私の発熱機能も、この冷気の前には無力だったらしい。
すると、視界がふわりと暗くなり、肩にずしりとした重みが乗った。
「……見てて寒々しいんだよ。着とけ」
振り返ると、ブレザーを脱いでワイシャツ姿になった颯太が、そっぽを向いて立っていた。
私の肩にかかっているのは、間違いなく颯太のブレザーだ。
袖を通すと、ぶかぶかのサイズ感とともに、彼に残っていた体温が一気に私を包み込む。
「あたたかい……」
そして何より——。
私はこっそりと襟元に鼻を埋め、深く息を吸い込んだ。
(んふぅ……颯太くんの匂いがする……!)
洗剤の香りと、ほんの少しの汗、そして颯太特有の落ち着く匂い。
これは単なる防寒具ではない。
「精神安定剤兼・幸福発生装置」だ。
「……おい、今なんか変な音させて嗅がなかったか?」
「気のせいだよ! あー、あったかいなぁ! 颯太くんの温もりのおかげで寿命が延びたよ!」
「大袈裟なんだよ」
私はニヤける顔をブレザーの襟で隠しながら、ポケットからスマホを取り出す。
「彼氏ジャケットなう」の自撮りを一枚、いや五枚連写。
即保存。
私のフォルダがまた一つ、至宝で満たされた。
私たちは最初の目的地、伏見稲荷大社へと向かった。
朱色の鳥居がどこまでも続く「千本鳥居」は、幻想的という言葉がぴったりの場所——なのだが。
「うわ、人すごっ!」
「平日なのにこれかよ……」
国内外からの観光客で、参道は満員電車のような有様だった。
健人くんと美咲が「映える場所探そうぜ!」と盛り上がり、人波をかき分けて進んでいく。
私も颯太の背中を追おうとした、その時だった。
ドンッ、と逆方向から来た集団に肩をぶつけられた。
「あ、すみませ——」
謝って顔を上げた瞬間、私の視界から「あの背中」が消えていた。
「……え?」
嘘でしょ。
さっきまで、すぐ目の前にいたのに。
朱色の鳥居が、急に不気味な迷宮のように見えてくる。
周囲の色彩が一気に色あせ、心臓の音がドクン、ドクンと嫌なリズムを刻み始めた。
「颯太、くん……?」
名前を呼ぶけれど、喧騒にかき消される。
私は無意識に、サブバッグにつけた「力士猫」のキーホルダーを握りしめた。
あの夏祭り、射的で颯太が後ろから支えてくれて……私の緊張による手元暴発で偶然取れた、奇跡の(意図せぬ)戦利品。
あの時のような、背中を支えてくれる温もりが、今はない。
怖い。
寒い。
息が苦しい。
颯太くんがいない世界なんて、私には一秒だって耐えられない。
思考が真っ白になりかけ、視界が涙で滲む。
——でも。
(泣いてる場合、じゃない)
私は強く唇を噛み、頬をパンッ!と両手で叩いた。
私が泣いてうずくまっていたら、誰が颯太くんを見つけるの?
颯太くんを見つけられるのは、世界で私だけなんだから。
「……探さなきゃ」
恐怖を、強烈な使命感でねじ伏せる。
今の私は「迷子」じゃない。
「探索者」だ。
私は涙を拭うと、目を凝らし、耳を澄ませた。
周囲の雑音をシャットアウトし、ただ一つの「正解」を探る。
あっちだ。
人混みの向こう、頭一つ分高い位置にある、見慣れた癖っ毛の後頭部。
キョロキョロと私を探してくれている、愛しいシルエット。
「——っ!!」
私は迷わず地面を蹴った。
愛のタックル、フルパワー!
ドスッ!!
「ぐおっ!?」
「颯太くぅぅぅぅん!!」
背後から思いっきり抱きつくと、颯太が前のめりによろめいた。
彼は驚いて振り返り、私の顔を見ると、ふっと安堵のため息をついた。
「……っぶねぇな。いきなりタックルすんな」
「だって! だっていなくなっちゃうから……!」
「悪かったよ。ちょっと目を離した隙に流された。……つーか、たかが五分だろ」
「私には永遠だったの!」
緊張の糸が切れ、また涙が溢れてくる。
颯太は「大袈裟な奴だな……」と呆れつつも、震える私の背中を、あの大きな手でポンポンと優しく撫でてくれた。
「ほら、泣くな。もう離れねぇから」
その不器用な優しさが、冷え切った心にじんわりと染み渡った。
気を取り直して(というより私が颯太から離れなくなった状態で)、私たちは清水寺へと移動した。
地主神社にある「恋占いの石」。
目を閉じたまま、一方の石からもう一方の石まで辿り着ければ、恋が叶うという有名なスポットだ。
「よし、次は日和の番な!」
健人くんに背中を押され、私はスタート地点の石の前に立つ。
本来なら、友達の声かけを頼りに進むものだけど……私にはそんな補助輪は必要ない。
さっきの迷子で証明された私の「探知能力」を見せてあげる。
「颯太くん、ゴールの石の前に立ってて!」
「あ? 俺関係なくねぇか?」
「いいから! そこにいてくれるだけでいいの!」
渋々石の前に立つ颯太を確認し、私は目隠しをする。
視界は真っ暗。
三半規管が狂いそうになる感覚。
でも、私には見えている。
いや、「感じて」いる。
あそこから、颯太くんの心音がする。
あそこから、さっき嗅いだブレザーと同じ匂いがする。
私の全神経が、彼という一点だけをロックオンしている。
「いっくよー!」
私は躊躇なく足を踏み出した。
恐る恐る手を伸ばして歩く観光客たちをごぼう抜きにし、一直線にスタスタと歩く。
迷い?
あるわけがない。
私のコンパスは常に「鳴海颯太」を北として指しているのだから!
「え、あの子すごくない?」
「目ぇ開けてんじゃね?」
「速っ!」
周囲のざわめきなんてBGMだ。
距離感ゼロ、障害物なし。
あと三歩、二歩、一歩——!
「とぉっ!」
私は最後の一歩で地面を蹴り、ゴールの石——ではなく、その前に立つ颯太の胸にダイブした。
「ぶふっ!?」
「捕まえたぁーっ!!」
目隠しを取ると、呆れ顔の颯太が私を受け止めていた。
「お前なぁ……石は?」
「颯太くんがいれば、石なんてどうでもいいの!」
「ルール無視かよ……」
「私の『好き』に迷いなんてないからね!(ドヤッ)」
颯太は「……あそ」と呟きながらも、私の背中に回した手を離さずにいてくれた。
周囲からは「なんか、すげぇの見せられたな……」という拍手(?)が湧き起こっていた。
その日の夜、旅館の女子部屋。
私は布団の上で、今日撮影した数百枚の写真を美咲とスライドショーしていた。
「見て見て美咲! この『はぐれて困ってる颯太くん(推定)』の背中、哀愁があって最高じゃない?」
「いや、そこは日和が心配してあげる場面でしょ……」
「あとこれ! 私のブレザー着てるレア颯太くん! これ待ち受けにする!」
キャッキャと騒いでいると、スマホが震えた。
通知欄に表示された名前は『颯太くん』。
心臓が跳ねる。
私が送りつけた大量の写真(計50枚)に対する返信だ。
恐る恐る、トーク画面を開く。
『写真送りすぎ。容量食うだろ』
『あと、明日は大阪だからな。早く寝ろ』
『(猫が布団に入って「おやすみ」と言っているスタンプ)』
「…………ッ!!!」
私は声にならない悲鳴を上げ、スマホを抱きしめて布団の上を転がり回った。
「やさしい……! 口悪いけど心配してくれてる……! しかもスタンプ可愛い……!」
「はいはい、よかったねぇ。もう寝ないと明日バッテリー切れになるよ?」
美咲に呆れられながらも、私は画面の向こうの彼に「おやすみなさい、大好き!」と心の中で叫んだ。
画面の中の颯太くんも、心なしか優しく微笑んでいるように見えた。




