第11話『修学旅行Ⅰ:公認夫婦と、愛の自爆カウンター』
修学旅行の班決め。
それは高校生活における一大イベントであり、人間関係の縮図が浮き彫りになる戦場だと言われている。
けれど、私——日和にとって、それは戦場ですらなかった。
「はい、颯太くん確保ー! 決定!」
「……お前なぁ、俺の意思確認っていう工程が抜けてねぇか?」
教室のざわめきの中、私は迷うことなく颯太の机に両手をついて宣言する。
颯太は頬杖をついたまま呆れたような目を向けたけれど、拒否する素振りは一切ない。
周囲のクラスメイトたちも、「まあ、あそこはね」「むしろ誰も割り込めないしね」といった、生温かい——あるいは諦めに近い視線を送ってくる。
これが俗に言う『公認の壁』である。
「いいじゃん、夫婦水入らずの旅行だよ?」
「誰が夫婦だ、誰が。……まあ、どうせ余り者同士になるなら一緒でいいけどよ」
素直じゃないなぁ。
口ではそう言いながら、颯太はしれっと班のメンバー表に私の名前を書き込んでいるのだから。
「じゃあ、あたしたちもお邪魔しまーす!」
そこへひょこっと顔を出したのは、親友の美咲と、颯太の悪友である健人くん。
最近付き合い始めたばかりの初々しいカップルだ。
こうして、私たちの修学旅行は、クラス公認の二組が揃う「修学旅行における、最強にして最甘の布陣」で幕を開けることになった。
そして迎えた出発の朝。
東京駅のコンコースは、制服姿の学生と観光客でごった返していた。
「……おい、日和」
「ん? なぁに?」
「お前のそのキャリーケース、中に何が入ってんだ? 漬物石か?」
集合場所へ向かう途中、私の巨大なキャリーケースを見た颯太が眉をひそめた。
「乙女には色々必要なものがあるの! ヘアアイロンでしょ、予備の服でしょ、あと万が一遭難した時のための非常食と、颯太くんが怪我した時のための救急セットと……」
「新幹線で遭難してたまるか。貸せ」
颯太は溜め息をつくと、私の手からハンドルを奪い取った。
ズシッ、と颯太の腕に重みがかかるのが見て取れる。
「ったく、重……」
文句を垂れつつも、颯太は当然のように私の荷物を引き受けて歩き出した。
その瞬間、私は素早くポケットからスマホを取り出し、カメラを起動した。
——パシャッ!
「……あ?」
「ふふっ、私の荷物を持ってくれる頼もしい旦那様の背中、しかと保存しました!」
「勝手に撮るな。消せ」
「やーだね! クラウドにもバックアップしとこーっと」
私がニマニマしながら彼の隣に並ぶと、それを見ていた美咲がじとーっとした視線を隣の彼氏に向けた。
「……ねぇ、健人くん」
「あー……嫌な予感がする」
「颯太くんはあんなに優しいのに、私の彼は手ぶらでスマホいじってるのかなー?」
「うっ……! いや、俺もお前の持とうと思ってたし! 今まさに言おうとしてたし!」
「ほんと? ありがとー♡」
「くそっ、あの夫婦のせいでハードルが爆上がりしてんだよ……!」
健人くんが涙目で美咲の荷物を持たされている。
ごめんね健人くん。
でも、うちの旦那様がイケメン(中身)すぎるのが悪いのよ。
新幹線の車内。
私たちは四人掛けのボックス席に陣取った。
配置は、窓際に健人くんと美咲。
そして通路側に、私と颯太。
通路側はクラスメイトたちがトイレやゴミ捨てで行き交うため、落ち着かない席——と思いきや、私にとっては「見せつけ席」とも言うべき絶好のポジションだ。
「ほら颯太くん、あーん」
お菓子の袋を開けた私は、チョコ菓子を摘まんで颯太の口元に差し出す。
「……自分で食える」
「いいからいいから。両手塞がってるとゲームできないでしょ?」
「……チッ」
颯太は私の手から逃げられないと悟ったのか、不満げに眉を寄せつつも、大人しく口を開けた。
パクッ。指先に彼の唇が触れる感触。
——パシャッ!連写!
「んぐっ!? お前また……!」
「餌付け成功! 今の不服そうな顔、最高に可愛かったよー!」
私がスマホの画面を確認して悶えていると、ちょうど通路を通ったクラスの男子たちが「ヒューヒュー!」と声を上げていく。
「おーい、通路まで砂糖こぼすなよー」
「朝からごちそうさまですー」
「うっせぇ、さっさとトイレ行け!」
颯太が顔を赤くして怒鳴るが、私は「ふふん」と鼻を鳴らす。
むしろもっと見てくれてもいいのよ?
「よし、次はゲームね! 種目はババ抜き!」
トランプを取り出し、私は高らかに宣言する。
「負けた人は、『パートナーの好きなところ』を一つ言うこと。これ絶対ね!」
「げっ、何その公開処刑」と健人くんが顔をしかめるが、決定権は女子にあるのだ。
第一回戦。
私の手札は残り二枚。
颯太の手札も二枚。
そしてババは——颯太の手の中にある。
長年、颯太の顔を見つめ、あらゆる角度から撮影してきた私には分かるのだ。
彼はポーカーフェイスを装っているけれど、ババを引かれる瞬間にわずかに右の眉がピクリと動く。
愛の直感(という名の超観察眼)に死角なし!
「こっちだね!」
私は迷わずセーフのカードを引き抜き、高らかに勝利宣言をした。
結果、最後までババを持っていたのは颯太。
「あー、くそっ……なんでバレんだよ」
「愛だよ、愛。さあ颯太くん、罰ゲームどうぞ!」
私は身を乗り出して耳を澄ませる。
美咲と健人くんもニヤニヤしながら注目している。
颯太はバツが悪そうに視線を逸らし、頬をポリポリとかいた。
そして、ボソッと呟く。
「……いつも、俺のために一生懸命なところ、とか……嫌いじゃねぇよ」
車内の空気が、一瞬止まった。
ドクン、と心臓が跳ねる。
「嫌いじゃない」は、颯太語翻訳にかければ「大好き」と同義だ。
しかも、「一生懸命なところ」を見ていてくれた?
いつも?
俺のために?
「へ……あ……ふ、ふえ……?」
顔が一気に沸騰する。
耳まで熱い。
てっきり「うるさいところ」とか適当にはぐらかされると思っていたのに。
不意打ちは反則だ。
私が口をパクパクさせていると、颯太は「言ったぞ、次だ次!」と耳を赤くしてカードを切り始めた。
第二回戦。
私の思考回路は完全にショートしていた。
頭の中で、さっきの颯太の言葉がエコーし続けている。
『一生懸命なところ、嫌いじゃねぇよ』
(あ、あう……颯太くんが、デレた……!)
手が震えてカードがうまく持てない。
目の前の颯太を見ようとするだけで、直視できずに視線が泳ぐ。
颯太がカードを引こうと手を伸ばしてくると、指先が触れただけで「ひゃっ!」と変な声が出る。
「おい日和、さっきから挙動不審だぞ」
「だ、だってぇ……!」
結果は惨敗だった。
ババを持っているのがバレバレだったし、そもそもカードを落としたり揃え間違えたり、ポンコツの極みだった。
「はい、日和ちゃんの負けー! 罰ゲーム決定!」
美咲が楽しそうに囃し立てる。
私は深呼吸をしようとしたけれど、胸がいっぱいで上手くできない。
颯太が「ほら、さっさと言って終わりにしろ」と、いつものぶっきらぼうな調子で言ってくる。
その顔を見たら、もう、タガが外れた。
「颯太くんの好きなところ……?」
一度口を開いたら、止まらなかった。
「えっとね、まずは顔! キリッとしてるのに笑うと目尻が下がるのが最高に可愛いの! あと声! 朝の寝起きのかすれた声とか国宝級だし、優しさも! 口悪いけど結局私のわがまま聞いてくれるし、昨日の寝癖がピョンってなってたのも愛おしかったし、さっき荷物持ってくれた右腕の筋肉の筋がすごく男らしくて、それからそれから——!!」
一息で喋り続ける私に、ボックス席の三人がのけ反る。
「ストップ! ストップ日和ちゃん! もうお腹いっぱい!」
「お前、息継ぎしろ! 死ぬぞ!?」
美咲と颯太に同時に止められ、私は「はぁ、はぁ……」と肩で息をした。
車内は一瞬の静寂の後、爆笑に包まれる。
一連の流れを見ていた健人くんが、茶をすするようにしみじみと呟いた。
「あーあ……正直、羨ましいわ。あそこまで想い合えるって、すげぇよ」
「ほんとだよねぇ。砂糖吐きそうだけど」
美咲も呆れつつ笑っている。
私は赤くなった顔を扇ぐ……ことなんてしなかった。
むしろ、開き直った私は、隣に座る颯太の腕にガシッと抱きつき、その肩に頭を預けた。
「ふふん、いいでしょ? うちの旦那様、世界一なんだから!」
通りがかったクラスメイトが「うわっ、あっつ!」「新幹線が溶けるぞー」と茶々を入れてくるが、私は颯太の腕をさらに強く締め上げてドヤ顔を向ける。
颯太は「……おい、重いし暑苦しい」と憎まれ口を叩くけれど、決して私を振りほどこうとはしない。
むしろ、少しだけ体重を預け返してくれている気がする。
「……まあ、お前が楽しそうで何よりだ」
「うん! 最高に楽しい!」
私はポケットからスマホを取り出すと、颯太の肩に頭を乗せたまま、インカメラでツーショットを撮った。
——パシャッ!
「京都駅ー! 京都駅到着ー!」
新幹線を降りると、古都の空気が私たちを迎えた。
ホームに降り立った私は、颯太の左腕を両手でしっかりとホールドする。
手繋ぎなんて生ぬるい。
私の全体重を預ける勢いでの密着だ。
「さあ颯太くん! 私の完璧な修学旅行プランについてきてね!」
「歩きにくいっつーの……。まあいいけどよ」
「はぐれないように、だからね!」
颯太は呆れたように息を吐いたけれど、その表情が柔らかいことを私は知っている。 腕から伝わる彼の体温と、カメラロールに増え続ける「颯太くんフォルダ」。
波乱と幸福の旅が、最高の形で幕を開けた。




