タイムトラベラア
メリークリスマス
今月の短編です
私は時間遊歩者だ。私は時の流れの中で放蕩するのであり、時の流れを記録するのでは決してない。また、私は時の流れを捻じ曲げることもしない。それは、私が時間遊歩者であるためで、他の何者でもないためである。
私はある店の前に立っている。時刻は七五六。少なくとも、腕時計はそう言っている。顔を上げると、日の光が直接顔に当たって眩しい。店の看板が見えない。だが、その店は修繕屋だ。まだ開いてはいない。店主は老いているが、手伝いの娘はまだ若い。花開きかけた無垢なる娘である。店主の娘かもしれない。あるいは、孫かもしれない。あるいは、赤の他人かもしれない。赤と言えば、娘は赤い靴下を履いている。私はそれらを知っている。
七五七――娘が出てきて、店前の掃き掃除を始める。時間遊歩者である私は、その様子を見ている。否、見ていないのかもしれない。何故なら、日の光が眩しいからである。だが、私は見ることをしている。娘は店が開いてからもなお、掃き掃除を続ける。そうすると、瑞々しい娘に釣られて、連中が店に入ってくるからである。あるいは、いくら掃いても、塵埃が尽きぬからかもしれない。娘の仕事は、掃き掃除と金勘定だけである。
八一三――私の腹が鳴る。時間遊歩者は群衆である。だから、私は近くの店で林檎を買う。金は偶然持っている。壮年の男が林檎を売っている。特別な会話をせず、私は取引を終える。そして、私は元々立っていた場所に戻る。林檎を齧りながら顔を上げると、娘はまだ掃き掃除をしている。雲に日の光が妨げられ、今度は娘の顔がよく見える。しかし、娘はふと店の中に戻る。だから、私に娘を観察する時間はあまりない。だが、戻っていく後ろ姿を見れば、服の裾から覗く靴下が赤いことがわかるのである。
九三〇――娘は掃き掃除に戻っている。娘には顔見知りがいる。その顔見知りは店の前をわざと通りがかり、偶然のような顔をして娘に声をかける。娘は親切に答える。だが、娘は決して掃除の手を止めない。娘を連れだせないとわかると、顔見知りはさっさとその場を立ち去る。娘は仕事を続ける。何故なら、一日が始まったばかりであるからだ。この日は客はまだ一人しか来ていない。それが多いのか、少ないのか、私にはわからない。
一〇〇七――娘は掃き掃除に辟易し、店の中に戻る。店主は外から見える場所に椅子を置き、誰かの靴を直している。店主の手際はいい。店主は娘が戻ってきたことに気付くと、何事か娘に言葉をかける。娘は二言三言を店主に返す。もう掃くものがないことを説明するには、娘の言葉は多すぎる。娘は外から見えない場所に椅子を置き、私の視界から消える。私は店に入りたいと思う。だが、本当にそうはしない。私は時間遊歩者であり、群衆である。修繕してもらうものがない群衆は、そこに修繕屋があることに気付かない。だから、私は店に入らない。
一二二二――娘がようやく店の外に出てくる。娘は箒や塵取りを持っていない。最早、娘は立っているだけでいいからである。つまり、娘は修繕屋の手伝いであることをやめている。娘は私と同様、副次的に群衆に属している。だが、共通項はそれに限る。だから、私たちは特別な関係にはない。だが、私と娘は何もせずに通りに立っている。私と娘はそれとないふりをしている。娘は空を見上げ、私は地面に目をやる。そうして、私と娘は、そこにいないかのように振舞うのである。
一三一五――見るからに柄の悪い連中が店先にやってくる。連中はまるで娘には関係ないように見える。しかし、連中と娘は記号として関係がないのであって、点として交わらないわけでは決してない。とはいえ、連中と娘の出会いが必然であったのは、娘が修繕屋の看板の下に立っているからである。連中は娘に目を止めて、重々しく近寄っていく。娘はまだ連中に気付いていない。連中はいささか乱暴に娘の注意を引く。娘は戸惑い、雷に打たれたかのように動かない。娘の目が泳ぎ、私と視線を交える。しかし、娘の目線はすぐにどこかへ逸れる。
一三一六――店主が連中に気付き、戸口に出てくる。店主は慌てていない。だが、店主の目は厳しく、連中を警戒しているのがわかる。連中の一人が娘の腕を掴む。腕を揺さぶられ、娘は玩具のように悲鳴を上げる。店主はようやく焦り出す。店主は連中の言葉に対してかぶりを振る。すると、娘はもっと強く揺さぶられる。修繕屋の前に近づこうとするような群衆はいない。だから、私も近づかないで見ている。連中に待つ気はない。だから、連中は娘を連れて、威風堂々立ち去ろうとする。娘は恐怖して、連中から逃れようと暴れ始める。すると、突然動き出した娘に不意を突かれ、娘の腕を掴んでいた一人は、あっさりと手を離してしまう。娘は勢い余って転倒する。娘が転倒した先には、生憎、瓦礫が積まれている。
一三一七――娘の頭から赤い血が流れる。娘の血は娘の靴下と同じ色をしている。だが、じきに、娘の頭の周りに広がる水溜まりの色は黒くなり、通りに染みてこびりつくのである。
これではいけない。
*
私は時間遊歩者だ。私は時の流れを捻じ曲げることはしない。それは、私が時間遊歩者であるためで、他の何者でもないためである。ただ、私は時間を遊歩し、再び立ち返る。
私はある店の前に立っている。時刻は七五六。少なくとも、腕時計はそう言っている。顔を上げると、日の光が直接顔に当たって眩しい。店の看板が見えない。だが、その店は修繕屋だ。まだ開いてはいない。店主は老いているが、手伝いの娘はまだ若い。花開きかけた無垢なる娘である。店主の娘かもしれない。あるいは、孫かもしれない。あるいは、赤の他人かもしれない。赤と言えば、娘は赤い靴下を履いている。私はそれらを知っている。
七五七――娘が出てきて、店前の掃き掃除を始める。時間遊歩者である私は、その様子を見ている。否、見ていないのかもしれない。何故なら、日の光が眩しいからである。だが、私は見ることをしている。あまり眩しいから、私は思わず俯く。そして、私は一歩だけ前に出る。その間も、娘は掃き掃除を続ける。そうすると、瑞々しい娘に釣られて、連中が店に入ってくるからである。あるいは、いくら掃いても、塵埃が尽きぬからかもしれない。娘の仕事は、掃き掃除と金勘定だけである。
八一三――私の腹が鳴る。時間遊歩者は群衆である。だから、私は近くの店で林檎を買う。金は偶然持っている。壮年の男が林檎を売っている。特別な会話をせず、私は取引を終える。そして、私は元々立っていた場所に戻る。林檎を齧りながら見ると、娘はちょうど私の立っているほうに顔を向けている。娘は掃き掃除も続けていて、あちこちに目をやっているのである。雲に日の光が妨げられ、今度は娘の顔がよく見える。しかし、娘はふと店の中に戻る。だから、私に娘を観察する時間はあまりない。だが、戻っていく後ろ姿を見れば、服の裾から覗く靴下が赤いことがわかるのである。
九三〇――娘は掃き掃除に戻っている。娘には顔見知りがいる。その顔見知りは店の前をわざと通りがかり、偶然のような顔をして娘に声をかける。娘は親切に答える。だが、娘は決して掃除の手を止めない。娘を連れだせないとわかると、顔見知りはさっさとその場を立ち去る。娘は仕事を続ける。何故なら、一日が始まったばかりであるからだ。この日は客はまだ一人しか来ていない。娘が辺りを見回しているのは、客になりそうな人がいないかと、探しているからである。私のいる方向に顔を上げても、娘は私を見ない。私は修繕屋に入るような群衆ではないのだ。
一〇〇七――娘は掃き掃除に辟易し、店の中に戻る。店主は外から見える場所に椅子を置き、誰かの靴を直している。店主の手際はいい。店主は娘が戻ってきたことに気付くと、何事か娘に言葉をかける。娘は熱心に店主に言葉を返す。もう掃くものがないことを説明するには、娘の言葉は多すぎる。店主は言い返すが、娘も言い返す。そうこうしてから、ようやく、娘は外から見えない場所に椅子を置き、私の視界から消える。私は店に入りたいと思う。だが、本当にそうはしない。私には理由がない。
一二二二――娘がようやく店の外に出てくる。娘は箒や塵取りを持っていない。最早、娘は立っているだけでいいからである。つまり、娘は修繕屋の手伝いであることをやめている。娘は私と同様、副次的に群衆に属している。だが、共通項はそれに限る。だから、私たちは特別な関係にはない。だが、私と娘は何もせずに通りに立っている。私と娘はそれとないふりをしている。娘はしきりに辺りに目を配り、私は娘を見ている。私と娘の視線は交わらない。娘は店の前に立つことが落ち着かないようである。まるで、この後に起こることを悟っているかのようだ。
一三一五――見るからに柄の悪い連中が店先にやってくる。連中はまるで娘には関係ないように見える。しかし、連中と娘は記号として関係がないのであって、点として交わらないわけでは決してない。とはいえ、連中と娘の出会いが必然であったのは、娘が修繕屋の看板の下に立っているからである。連中は娘に目を止めて、重々しく近寄っていく。娘は連中に気付き、眉をひそめる。連中はいささか横暴に娘に詰め寄る。娘は戸惑い、雷に打たれたかのように動かない。娘の目が泳ぎ、私と視線を交える。私は娘を見ている。娘は顔を歪めて連中を見つめ返す。
一三一六――店主が連中に気付き、戸口に出てくる。店主は慌てていない。だが、店主の目は厳しく、連中を警戒しているのがわかる。連中の一人が娘の腕を掴む。腕を揺さぶられ、娘は玩具のように悲鳴を上げる。娘は必死に周囲に目を泳がせる。店主はようやく焦り出す。店主は連中の言葉に対してかぶりを振る。すると、娘はもっと強く揺さぶられる。修繕屋の前に近づこうとするような群衆はいない。だから、私も近づかないで見ている。連中に待つ気はない。だから、連中は娘を連れて、威風堂々立ち去ろうとする。娘は恐怖して、連中から逃れようと暴れ始める。すると、突然動き出した娘に不意を突かれ、娘の腕を掴んでいた一人は、あっさりと手を離してしまう。娘は勢い余って転倒する。娘が転倒した先には、生憎、瓦礫が積まれている。
一三一七――娘の頭から赤い血が流れる。娘の血は娘の靴下と同じ色をしている。だが、じきに、娘の頭の周りに広がる水溜まりの色は黒くなり、通りに染みてこびりつくのである。店主は絶望的に娘を見つめ、逃げていく連中の背を見送る。そして、店主は娘がしていたのと同じように、辺りをゆっくり眺める。私と店主の視線はほんの一時だけかち合う。店主は群衆に見守られながら立っている。
これでもいけない。
*
私は時間遊歩者だ。私は時間遊歩者であり、他の何者でもない。私は時間を遊歩し、再び立ち返る。何故なら、私には望みがあるからである。
私はある店の前に立っている。時刻は七五六。少なくとも、腕時計はそう言っている。顔を上げると、日の光が直接顔に当たって眩しい。店の看板が見えない。だが、その店は修繕屋だ。まだ開いてはいない。店主は老いているが、手伝いの娘はまだ若い。花開きかけた無垢なる娘である。店主の娘かもしれない。あるいは、孫かもしれない。あるいは、赤の他人かもしれない。赤と言えば、娘は赤い靴下を履いている。私はそれらを知っている。
七五七――娘が出てきて、店前の掃き掃除を始める。時間遊歩者である私は、その様子を見ている。否、見ていないのかもしれない。何故なら、日の光が眩しいからである。だが、私は見ることをしている。あまり眩しいから、私は思わず俯く。そして、私は一歩だけ前に出る。その間も、娘は掃き掃除を続ける。そうすると、瑞々しい娘に釣られて、連中が店に入ってくるからである。あるいは、いくら掃いても、塵埃が尽きぬからかもしれない。娘の仕事は、掃き掃除と金勘定だけである。
八一三――私の腹が鳴る。時間遊歩者は群衆である。だから、私は近くの店で林檎を買う。金は偶然持っている。壮年の男が林檎を売っている。取引を終えようとして、私は金を落としてしまう。私は屈んで金を拾おうとしたが、金は腕の届かないところに転がっていて、取れない。私が偶然持っていた金はそれだけである。だから、私は林檎を買えずに、元々立っていた場所に戻る。掃き掃除を続ける娘は、ちょうど私の立っているほうに顔を向けている。娘は、林檎売りとの一部始終から、私を目で追っていたのである。そして、娘はあろうことか、私に近づいてくる。雲に日の光が妨げられ、今度は娘の顔がよく見えている。私はこの場に立つ群衆だから、娘から逃げはしない。
八一五――娘は奇妙な微笑を湛えている。十分に近づくと、娘は金を取り出して私に手渡す。私が拒否しようとしても、娘は譲らない。娘は、その金で林檎を買えばいいと言う。私は半ば押しつけられる形で金を受け取る。戻っていく娘の後ろ姿を見ると、服の裾から覗く靴下が赤いことがわかる。私は仕方なく林檎を買い、また戻ってきて、果実を貪る。娘は満足げに私を見て、箒を動かす。
九三〇――娘には顔見知りがいる。その顔見知りは店の前をわざと通りがかり、偶然のような顔をして娘に声をかける。娘は掃除の手を止める。娘は心ここにあらずといった面持ちで顔見知りの話を聞いている。顔見知りが口を閉ざすと、今度は娘が口を開く。顔見知りが後ろを振り返ろうとするのを、娘は両手で止める。娘は懇々と何事かを顔見知りに説いている。顔見知りは呆れたようにかぶりを振ると、素早く店の前を後にする。娘は気が気でない様子で仕事を続ける。何故なら、一日が始まったばかりであるからだ。この日は客はまだ一人しか来ていない。
一〇〇七――娘は注意深く辺りを見回すと、掃き掃除に辟易したように店の中に戻る。店主は外から見える場所に椅子を置き、誰かの靴を直している。店主の手際はいい。店主は娘が戻ってきたことに気付くと、何事か娘に言葉をかける。娘は熱心に店主に言葉を返す。もう掃くものがないことを説明するには、娘の言葉は多すぎる。店主は言い返すが、娘も言い返す。店主は靴を膝に置き、店の外に目をやる。その視野の間に私はいる。店主は目を娘に戻す。娘は外から見えない場所に椅子を置き、私の視界から消える。私は店に入りたいと思う。だが、本当にそうはしない。私にはできない。
一二二二――娘は店の外に出てこない。副次的に群衆に属しているのは私だけである。だから、私たちは特別な関係にはない。娘は時折、外からでも見えるところに出てきては、また元の場所に戻る。出てくる度、娘はしきりに辺りに目を配り、私は娘を見る。私と娘の視線は交わらない。娘は落ち着かないようである。
一三一五――見るからに柄の悪い連中が店先にやってくる。連中はまるで修繕屋には関係ないように見える。しかし、連中と修繕屋の間には因縁がある。私はその正体を知らない。そして、娘と連中には記号としての関係がない。また、娘と連中は点としても交わらない。何故なら、娘は店の中にいて、連中は店の外にいるからである。連中は騒ぎ立てずに、店へと入っていこうとする。しかし、店主のほうが先に気付いたために、連中は店に入ることを許されない。店主と連中は店先で生真面目に話し合っている。娘は出てこない。店主は渋々といった様子で頭を下げる。すると、連中も渋々といった様子で引く。店は元通りに平穏である。店主は頭を上げる。ちょうど、店主の目線の先に私がいる。私と店主は見つめ合う。
一三一六――店主は私のほうに歩いてくる。娘がやってきたときと同様、私は群衆として、逃げずに立っている。店主は私の前に立ち、尋ねる。そこで何をしているのか、と。私は答えない。店主はもう一度尋ね、私はやはり答えない。私は店の中を見ている。娘は見えるところにいないが、中にいる。私は店主を無視して、店へと近づく。一歩距離が縮まるごとに、鼓動が高鳴る。こうしてはいけない。私の頭はそう呟くが、私の心はそう思っていない。こうしてはいけない。そんなはずはない。
一三一七――私は店の扉に手を掛ける。私には娘がすぐそこに立っているのが見える。店主は私の背後で何か言っている。私は脈打つままに思考をやめ、扉を開ける。私と娘を隔てるものはない。娘は先ほどの奇妙な微笑みを浮かべていない。娘は酷く顔を歪め、私が歩む度に後退りをする。やはり、こうしてはいけないのかもしれない。
私は歩み、歩み、ついに娘に手を触れる。娘は夜の獣もかくやと思われる呻き声を上げる。娘は私に手を離させようともがく。私には娘の足掻きが、娘の靴下のような赤を映すような気がする。私は落ち着き払って娘の顔を眺める。娘は私を恐れている。そんなはずはない。しかし、いくら眺めても、私は娘の狂気が正常だと知るばかりである。そんなはずはない。私の心臓は煮えたぎる。
一三二〇――私は店を出る。ああ、これではいけない。
*
私は時間遊歩者だ。私は時間を遊歩し、再び立ち返る。何故なら、私には望みがあるからである。私の望みはいつか叶う。私は必ず、望みを叶える。
よいお年をお迎えください
年末年始は小娘の小話を読もう




