18話〜文字を覚えようとしているの?〜
昼食の時間、私はハンナさんに連れられて、彼女の寮であるネメアスの食堂に来ていた。
ネメアスは男爵や子爵と言った下級貴族達が押し込め…暮らしている寮であり、学園最大の寮である。同時に、寮生の数も最大であり、エニクス寮の倍はある食堂会場が満員になっていた。
寮生が多すぎるから、毎朝の朝食会場は長蛇の列になってしまうらしい。だから、会場に入れなかったら購買部でパンを買わないといけないと、ハンナさんから聞いた。
ネメアスはネメアスで、大変みたいだ。
「そしたらさ、クロエのブーちゃんがヌッて出てきてね。シロちゃんをバシッて捕まえたんだよ」
そんなネメアスの食堂で意気揚々と喋っているのは、後から付いてきたエリカさん。ハンナさんとの親睦会の筈が、彼女の独壇場になっていた。
場を明るくしてくれるのは有難いけれど、ちょっとは話題の主導権をハンナさんに譲りなさいよ。ただでさえ、誇張された内容なんだから。
「大げさじゃないよ。あの時はさ、クロエのブーちゃんが、こう、グッて睨んだらさ、シロちゃんがキュゥって静かになっちゃったの。それからシロちゃん、随分と大人しくなったんだ!」
「凄いわ…」
ハンナさんがうっとりと感想を述べているけど…。嘘をおっしゃい。貴女のウサギ、昨日も貴女の腕を噛み付いていたじゃありませんか。
私がジトッと彼女を見ても、エリカさんはこちらに気付く様子はない。寧ろ、目を輝かせて鼻を高くする。
「昨日の授業でも、ブーちゃんは凄く大人しかったんだよ?クロエが拘束魔法をバシッて成功させたら、兵隊さんみたいにビシッて直立してね。なんかね、凄くカッコ良かったんだよ」
「そ、そうなんだ。私、その時は自分の事ばかりで、それで、あんまりしっかりと見れていなかった」
「あたしも、医務室行く途中で見かけただけだよ」
「それでも、見られたエリカが羨ましい…」
エリカさんとハンナさんは随分と仲良しだ。
聞いたところ、ハンナさんはあまり人と話すのが得意ではないらしく、クラスでもなかなか友達を作れなかったらしい。そこに、元気爆弾娘ことエリカさんにグイグイ来られて、こうして話すようになったのだとか。
「私よりも、ケントの方がしっかり見てた筈だよ。ねぇ?」
「…ああ、だが…最初の授業であれは、異常だ…」
ケント君は言葉少なく、直ぐに下を向いてしまう。
彼以外が女の子だから、恥ずかしいのかな?いや、元々彼は口下手なイメージがある。エリカさんの後ろにくっ付いている弟的なポジションに甘んじていた。
…もしかして、本当に兄弟だったり?
「本当に、クロエのブーちゃんは凄いよね。ねぇ?ハンナ」
「はい。それに比べて、私のドンちゃん…えっと、カリュドーンは全然、私の言うこと聞いてくれなくて…」
ハンナさんが顔を強ばらせると、エリカさんがこちらを見た。
「どうしたら良いのかな?クロエ」
「えっ?私ですの?」
3人に注目されて、私は慌てる。
ああ、早速試練ですわ。ブーちゃんは最初から手がかからなかったし、暴れん坊をどうするかなんて全く分からない。どうしましょう…。
「ええっと、く、口でお伝えするのは難しいですわね。また今度にさせて頂ければ…」
「ホント?クロエ、実践で教えてくれるって事だよね?ありがとう!」
「ありがとうございます!クロエ様」
エリカさんだけじゃなく、ハンナさんまで期待してしまってる。
どうしよう。こんな時は…。
ブーちゃんと相談ね。
そして、その日の夕方。
「ブーちゃん、どうしましょう?」
私はブーちゃんに相談…もとい、泣きついた。
ブーちゃんは一生懸命に何かを伝えようとジェスチャーするのだが、流石に複雑すぎて分からない。
ああ、やっぱり。この問題は複雑よね?どうしたらいいの…?
【ブフー】
悩んでいると、ブーちゃんが1冊の本を持ってくる。
王国歴史学の教科書だ。その分厚い教科書を開いて、頻りに一文を指さしてくる。
ええっと…読んでってこと?
「王国歴67年。ザイール王太子率いる王国軍により、ラウル川の洪水を引き起こしたリヴァイアサンを討伐し…」
【ブフッ!ブッフフ】
ブーちゃんが「待って!」とジェスチャーするので、私は読むのを止める。
ブーちゃんは必死に指を動かして、教科書と睨めっこをしていた。
「もしかして、文字を覚えようとしているの?」
【ブフ】
あっ。そう言う事か。ジェスチャーでは伝わらないから、書いて教えるって事ね。
流石はブーちゃん!
「なら、これを使って」
私は真っさらな羊皮紙と羽根ペンをブーちゃんに渡す。
彼はまた遠慮するけど…大丈夫よ?こんなの、精々銀貨2枚(2万円)程度ですもの。安い物…。
いえ、そうでもないわね。この前のハイドの森で私達が稼いだ額よりも多いから、決して安くは無いわ。ブーちゃんが一晩頑張った金額ですもの。
銀貨なんて端金だと思っていた私は、思い直した。けれど、ブーちゃんに与える事を惜しいとは思わない。
これで彼と、更に意思疎通が出来る様になるのなら安いものだ。
【ブブブー】
ブーちゃんは両手をこちらに出して、畏まって受け取り、カキカキと早速何かを書きだす。
覗いてみると、単語を更に分けて発音毎に並べている。でも、なんだか不思議な文字も混ざっている。
何だろう?王国語でもゲイルランド語でもないよね。オーク語かな?ちょっと可愛らしい文字ね。
【ブッフー】
「あら?もういいの?じゃあ、続きを読むね…リヴァイアサンを討伐し、周囲に堤防を築いた事で、洪水の被害は無くなりました。ザイール王太子は功績を認められ…」
私はブーちゃんが書き取り易い様に、ゆっくりと読み上げる。
部屋が随分と暗くなり、私もうつらうつらし始めた時、漸くブーちゃんの準備も出来たみたいだった。彼に渡した羊皮紙は隅々まで文字で埋まり、教科書みたいに文字が整列していた。その文字の上には、必ず謎の文字がセットになっている。
やっぱり、この可愛い文字はオーク語なんだわ。私も、その言葉を覚えたいなぁ。
【ブフー】
ブーちゃんが羊皮紙を裏返す。そこにはぶつ切りの文字が。
ええっと、なになに。
……。
「これを明日、みんなの前で実践すれば良いのね?」
【ブフ】
分かったわ。これなら何とかなる…と思う。
そして、翌朝。
「またやっちゃったわぁあ!」
寝坊した。
昨日は寝不足だった上に夜更かししちゃったんだもん。仕方ないじゃない。
「髪がボサボサ。ああ、教科書の準備もしていない!ああ、授業に間に合いませんわぁああ!!」
私が発狂していると、【ブフー】とブーちゃんの声が聞こえた気がした。
えっと、出せって事よね?急いでるから、ちょっとだけよ?
「召喚!」
そうして召喚魔術を使った筈が、目の前に広がったのは小さな穴2つだけ。そのから、ブーちゃんの太い腕しか出てこなかった。
しまった!失敗した!?私の魔力が減った感覚が全然ないし、また私、やらかしちゃったの!?
あたふたする私。
それを気にした風もなく、ブーちゃんの腕が動く。机の上の教科書を次々とカバンの中に入れ、散らかった羊皮紙を纏めて机の端に積み重ねる。そして、櫛を手に取ると私の髪を梳き始めた。
ええっ!?ブーちゃん!そんな事も!?
もう、何がどうなっているか分からない。分からない内に、身支度が整ってしまった。
ええっと…腕だけ召喚?こんな事も出来るの?これもまた、ブーちゃんの能力なのかな?それとも、私がズボラだっただけだったり?
いえ、考えるのは後よ。少しだけ時間ができたから、ちょっと紅茶だけ飲んで授業に行けそうね。
私は召喚を解除して、急いで食堂へ向かった。
そして、召喚魔法の授業時間。私はアクロイド教授の許可を貰い、フィールドの端っこでエリカさん達に講義をする。ブーちゃんが書いた短文を思い出しながら、エリカさんとハンナさん、それにケント君にそれを伝えた。
〈主人 偉大 姿 見せる〉
「先ず大事なのは、ファミリアに自分こそが主人であることを示すことです」
馬や使用人達と一緒だ。一度舐められてしまったら、なかなかこちらの言う事を聞いてくれない。誰がボスなのかを、1度思い出させる必要がある。
…っと、父が厳しい顔で言っていたのを覚えている。
「はーい。クロエ先生」
「なんですの?エリカさん。あと、先生はおやめになって」
「具体的に、どうやったらいいの?クロエ先生」
聞いてないわ、この子…。
でも、そうね。どうやってか。
「ええっと、先ずは…毅然とした態度で接して、命令に背いたら鞭で打ったりして…」
言っていて、鞭打ちは嫌だなって思った。地主さんが奴隷を叩いているのを見かけた時、凄くショックだったのを覚えているし…。
でも鞭打ちをしたくない場合、ファミリアが命令に背いたらどうしたらいいんだろう?
「(小声)ブーちゃん」
エリカさん達に背中を向けて、私は小さく語り掛ける。それと同時に、ちょっとだけ魔力を流して召喚魔法を使う。すると、ブーちゃんは片手だけをそこから出して、何かを投げる素振りを見せる。
えっと…投げる?…投げる…あっ!
私は、前回の授業内容を思い出し、3人に向き合う。
「コホン。ええ…鞭よりも、前回習った拘束魔法を使いましょう。その方が効果的です」
拘束魔法は魔法の鎖。切れにくいだけじゃなく特殊な効果がある。それは、首に巻くとその魔法生物の魔力を制限して、動きを著しく低減させることだ。そのためには、魔力の発生源と言われる頭に近い部位に巻くのが一番…だったかな?
私が教科書の内容を思い出していると、ハンナさんが小さく手を上げる。
「あ、あの、クロエ様」
「どうしました?ハンナさん」
「私のドンちゃん。首に掛ける隙が無いんです。召喚した途端に暴れ出しちゃって、いろんな物を壊しちゃうので…」
ああ…。
確かにあれは威厳とか、罰とかでどうなる子ではないわね。
「はーい!クロエ先生」
エリカさんが元気よく手を上げる。
嫌な予感がする。
「掛けられないなら、掛けてあげようよ!クロエがシロちゃんを大人しくさせたみたいに、今度はあたし達でさ!」
ほらやっぱり!
私は目を覆った。




