思い出のピオニー
ラトランド公爵家主催の夜会からメアリーは帰って来た。
ワイアットとクレアの婚約発表はやはりショックだった。しかしその後兄の友人であるアレクサンダーと過ごしたことで、メアリーの心は落ち着いた。
現在メアリーは、ダヴィストック侯爵家の王都の屋敷にある庭園にいる。
この庭園は、メアリーが自分で作り管理しているのだ。
(あ……)
メアリーは庭園の一画で足を止める。
そこには小振りな花が植えられており、中央に一輪の赤いピオニーが咲いている。
月明かりに照らされた赤いピオニーは、一際目立つ。
(このピオニー……ワイアットからもらったのよね)
メアリーはため息をつく。
その赤いピオニーは、ラトランド公爵家の庭園に咲いていた花である。
ワイアットがメアリーに一輪分け与えてくれたのだ。
こうして庭園の赤いピオニーを見ていると、ワイアットのことを考えてしまう。
(ワイアットはもうクレアと婚約してしまったのに……)
メアリーの胸がズキリと痛んだ。
「メアリー、まだそこにいたのか」
不意に声をかけられたメアリー。
よく知った声である。
「ダスティンお兄様。エルトンお兄様も」
メアリーが振り向いた先には二人の兄がいた。
先程メアリーに声をかけたのは、一番上の兄、ダスティンの方である。
ダスティンもエルトンも、髪色はメアリーと同じブロンドだ。しかし目の色はエルトンだけ違う。メアリーとダスティンは父親譲りのアメジストのような紫の目。エルトンは母親譲りのラピスラズリのような青い目である。
三人共、顔立ちは似ている。社交界では密かに美形三兄妹とも言われているようだ。
「メアリー、外は冷えるからそろそろ屋敷に戻った方が良いよ」
エルトンが優しくラピスラズリの目を細めた。
「はい、エルトンお兄様」
メアリーは兄達と共に、庭園を後にした。
(……そろそろ庭園の花を変えても良いかもしれないわ)
季節は移りゆく。いつまでもワイアットとの思い出の花を植えておくわけにはいかない。
良い機会なので、もう少ししたら庭園の花をガラリと変えてみようと思うメアリーであった。
♚ ♕ ♛ ♔ ♚ ♕ ♛ ♔
数日後の夜。
この日はダヴィストック侯爵家主催の夜会を開いていた。
この夜会にも、ワイアットとクレアは出席していた。メアリーの胸はまだチクリと痛む。しかしメアリーは主催者側としていつもより少し忙しく過ごしていた。それにより、胸の痛みはいつもより感じることが少なく、メアリーはある意味ホッとしていたのである。
(少しだけ夜会も落ち着いたわね。挨拶も終わったことだし)
メアリーはふうっと一息つき、ラズベリーのソーダを飲んでいた。
甘酸っぱさが口の中に広がり、シュワシュワと弾けるようである。
メアリーはゆっくりと壁際で喉を潤していた。
その時、ふとクレアの姿が目に入る。
相変わらずワイアットの目と同じアクアマリンのアクセサリーばかり身に着けているクレア。
しかし、メアリーが気になったのはクレアの髪である。
栗毛色のふわふわとした髪には、赤いピオニーが飾られていた。
(クレア……? 髪飾りに赤いピオニーなんて着けていたかしら……?)
ほんの少しだけ嫌な予感がした。
メアリーは急ぎ足で自分の庭園に向かう。
嫌な予感程よく当たるものだ。
メアリーの庭園の一画。小振りな花々の中央には赤いピオニーが一輪咲いている……はずだった。
(そんな……)
赤いピオニーが咲いているところは、がらんとした空間になっていたのだ。
おまけにピオニーが摘み取られた痕跡が残っている。
現在、ダヴィストック侯爵家の王都の屋敷にある庭園で、赤いピオニーが咲いているのはメアリーが作った区画だけである。
(クレアは私のピオニーを……)
唇を噛みしめ、表情を歪めるメアリー。
怒りと悲しさが、じわじわと全身に広がった。
気が付けば、自然と足がクレアの元へ向かっていたメアリー。
「あら、メアリー、どうしたの?」
クレアはいつも通り、楽しく満足しているような笑みである。
「クレア……そのピオニー、どこで手に入れたの?」
メアリーはなるべく冷静に、怒りを表に出さないようにしていた。
今いる場所は比較的人が多い。
そのような場所で怒りを露わにするなど、淑女失格である。
「これ? お庭に咲いていて素敵だったから、つい摘んじゃった。私に似合うでしょう?」
ふふっと自慢げな様子で、栗毛色の髪に着けてある赤いピオニーを見せるクレア。
自分の欲望に忠実で、我慢することがないクレア。そんなクレアに、メアリーは呆れつつもやはり怒りを感じていた。
「クレア、そのピオニーは私が大切にしていた花なのよ」
なるべく冷静に、諭すような口調のメアリーだ。
「まあ……!」
するとクレアはムーンストーンの目を大きく開く。
そして、その目からはポロポロと涙が零れる。
「私、メアリーの大切な花だなんて知らなくて……。綺麗だからつい摘んでしまったの。きっとメアリーは許してくれないのよね」
クレアが涙を流したことで、メアリー達は周囲からの注目を受けてしまう。
小柄で小動物めいた顔立ちのクレアは、涙を流すと周囲からの同情を誘いやすい。
一方メアリーはスラリと背が高めで、顔立ちも大人びている。
周囲はきっとクレアの味方をするだろう。
(これでは私が悪者みたいじゃない)
メアリーは肩を落とし、ため息をつく。
「クレア、別にもう良いわ。そのピオニー、クレアにあげるから、泣き止んでちょうだい」
結局メアリーは自分の気持ちを押し殺すことしか出来なかった。
「本当? メアリー、ありがとう」
すると、クレアの涙はピタリと止み、満面の笑みになる。
まるで先程まで泣いていたのが嘘のようだ。
メアリーはクレアの変わり身の速さに呆れてものが言えない。
「あ! ワイアット!」
クレアは婚約者のワイアットと別行動をしていたようだ。彼の姿を見つけるなり、ニコニコしながらこちら側に呼ぶ。
「見て、ワイアット。メアリーがくれたの」
クレアは髪の赤いピオニーをワイアットに見せる。
「へえ……」
ワイアットはそれが以前メアリーに贈ったピオニーであることに気付いたようだ。
ワイアットのアクアマリンの目は、少しだけ傷付いたようだった。
メアリーは思わずワイアットから目をそらす。
クレアに勝手に摘まれたと言えば、またクレアは泣き出して騒ぎになるだろう。
ここでもメアリーは我慢してしまうのであった。
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