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第08話 「影の工房」

 北門裏の路地は、王都の喧騒が嘘のように静かだった。灯りは少ないが、油の匂いが濃い。壁の隙間から漏れる火の色は、落ち着かない黄の揺らぎ。良い火ではない。


 約束の刻、仮面の人物が現れた。細身で、男女の区別がつかない仕立て。声は乾いて、しかしどこか柔らかい。


「あなたの火は、目を覚ます。だから見てほしい。この街の『影』を」


 案内されたのは、表通りから一本入った古い倉。中には整然と並んだ工具と、妙に新しい炉。そこに積まれた材料は、どれも軽く、硬く、外見だけは美しい。表面に薄く光る膜があり、刃を当てると見栄えだけ剥がれ落ちる。


「金属に魔素を塗る。見栄えは増すが、芯は死ぬ。こうして『高価』な品が生まれ、祭礼の供物になり、偶像になる」


 仮面の人物は棚から一つの箱を取り出した。中には、迷宮の核に似た、小さな欠片が入っている。表は黒いが、内側がかすかに光る。


「これが鍵。誰かが迷宮から核を運び出し、粉にして混ぜている。見栄えの膜と一緒に」


 アレンの胸で、鈴がひとつ鳴った。核は呼応する。火を通さず、形だけを整える手法に、内側から微かな拒絶の音が上がる。


「誰が背後に?」


「商会。ひとつではない。祭礼と貢ぎ物の流れに乗せて広がる」


「兵も関わる?」


「関わる。だから、火の前だけでは済まない」


「止めたいの?」


 仮面の目が笑った。


「——わたしは、火が好き。だから、火を侮辱するやり方は嫌い」


 その夜、アレンは影の工房の炉を一度だけ焚いた。火を見れば、作り手の手の癖がわかる。風の通し方、温度の癖、残り香。薄い甘い匂いは、王都南区の市場の油と同じ。運び込まれる道は限られる。


 倉の裏口から出入りした靴跡は、細い踵と広い底の二種類。丁寧に掃かれているが、溝の泥が落ちきれていない。アレンは指で泥を潰し、香りを嗅いだ。香草と穀粉。南区の倉庫街。道は狭まり、証はゆっくり集まる。


 セラは小さく首を振った。「ここで騒げば、燃えるのは街」。アレンは頷き、炉の灰を薄く撒いた。灰は匂いを吸い、足跡を柔らかくする。証は隠すためではなく、守るために残す。明日、別の場所で正しく開くために。


 戻ると、工房の前にガレスがいた。彼は短く言う。


「深入りはするな。だが、証は集める」


「火を侮辱するやり方は、長くは続かない」


 ガレスの口の端が、わずかに動いた。それが笑いだったのか、苦く噛み締める癖だったのか、アレンには判別できない。彼はただ、翌日のために槌を拭いた。火は、明日も起こすために今日を落とす。


 宿に戻ると、仮面——セラが路地の陰から現れた。「明日、見せたい場所がある」。仮面の目は静かで、しかし急いでいる。アレンは頷き、核の包みを胸に寄せた。音が少しだけ高く、短く鳴った。


「あなたは、なぜ仮面を?」


「火の前では要らない。街では要る。顔は、言葉と同じで、時々邪魔」


 返事にアレンは笑った。邪魔なものを捨てるのは難しい。だが、火の前では誰でも少しだけ、それができる。


 翌朝、南区の倉庫街。朝靄と魚の匂い。掃除をする少女が箒を止め、セラの仮面を一瞬見た。彼女は目線だけで奥の路地を示す。そこには、昨夜見た靴跡と同じ溝の泥。少女は何も言わずにまた掃き始めた。アレンは小さく会釈した。街は、火の外でも、時々火を守る。


 路地の突き当たりには、古い水場があった。石の縁に腰を下ろし、アレンは柄尻でそっと縁を叩く。低い音が返り、水面が細かく震える。震えは路地の壁に伝わり、奥の倉の内壁で鈍く返った。薄い板壁。中は空だ。荷を移したばかり——痕跡だけが、まだ残っている。


 セラが指で壁の継ぎ目を指す。釘の間隔が不自然に広い。急いで打った釘は、芯を逃す。アレンは一本を抜き、頭の潰れ方を見る。新しい。抜いた穴に灰をひとつまみ落とし、指で押し固めた。戻ってくるときに、音でわかるように。


「あなたは、道具で話すのね」


「言葉は、風で流れる。音は、木や石に残る」


 昼前、露店の端で鍛冶道具の修繕を頼まれた。口の軽い親父が、釘の箱を指で叩きながら言う。「最近は『良い塗り』をした釘があるんだとよ。錆びないってさ」。アレンは釘を一本、親父の前で軽く叩いた。頭と胴の接ぎが甘い。音が嫌な跳ね方をする。


「錆びない前に、抜ける」


 親父は目を丸くし、やがてバツが悪そうに笑った。「だよなあ」。小さな会話の端にも、街が変わる兆しは落ちる。拾えば、道になる。


 夕刻、南区の橋を渡る風が変わった。魚の匂いに、どこか甘い香が混じる。セラが仮面の奥で目を細める。「明日、ここを通すつもり」。アレンは頷き、橋の欄干の下に細い鳴き鋲を一本打った。風向きが変われば、鋲は別の音で鳴る。風を読むための、小さな地図だ。


 日が落ちるころ、セラは仮面を外した。素顔はまだ若く、目はまっすぐだった。「わたしは火を好きでいたい。あなたは?」——「同じです」。言葉は短く、しかし十分だった。二人は風下と風上に別れ、夜の匂いをそれぞれのやり方で見張った。


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