表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

7/10

第07話 「鍛冶大会と陰謀」

 鍛冶大会の予選会場は王都の中央広場に設けられ、仮設の炉が並んだ。観客席は商人と貴族、その護衛に冒険者。派手な火花と大仰な宣伝文句が飛び交い、火が見えにくい。


 開始の鐘が鳴る前、審査員が規格の説明を早口で読み上げた。時間、寸法、公差、仕上げ。紙の上では整っているが、現場の火はいつも少し揺れる。アレンは紙よりも、火床の灰の厚みを確かめた。灰は薄すぎず、風は通りすぎず。ふいごの皮に掌を当て、張りを確かめる。


 課題は短時間での実用品製作。アレンは刃物ではなく、鉈兼用の枝打ち工具を選んだ。農と森にまたがる王都の周縁が今、必要としているものだ。材料は規格鋼と、僅かな屑鉄。ふいごの音は他の参加者より静かで、槌は一定に落ちる。


 鋼は伸ばしすぎない。折り返しを二度。張りを背に通し、刃先に粘りを残す。柄金の穴は手の癖に合わせて楕円、しかし楕円の向きはわずかに回す。手が逃げない向きに。仕上げは油拭き。飾りは不要。音が最後の仕上げになる。


 対面の工房では、金張りの飾りを好む若き名匠が観客の歓声を煽っている。彼はアレンを横目で見て、口元を歪めた。


「地味だな、辺境鍛冶」


 アレンは答えない。火の色だけを見ている。核は荷の奥にあり、連れてきてはいないはずだが、胸の奥で微かな鈴が鳴った。見えない蓋が火にかかり、熱が逃げず、鉄の芯が綺麗に起きる。刃の背に薄い張りを入れ、柄金の穴を手の癖に合わせて楕円に切る。


 審査の刻、名匠の華やかな斧は見栄えこそ良いが、柄金の噛みが浅い。アレンの道具は地味だが、試斬と枝落としで音が違った。乾いた「コツ」という音。観客がざわめく。


 その瞬間、会場の片隅で小さな爆ぜる音がした。油壺に火が回り、炎が跳ねる。人波がうねり、悲鳴が上がる。アレンは迷わず上着を脱いで被せ、ふいごの革を叩いて炎の舌を抑えた。火は暴れやすいが、手順を知っていればおとなしくもなる。鎮火。だが、油壺の底には細工があった。薄い金属片が、火を呼ぶ粉を隠している。


 観客のざわめきが戻るまでの数分、アレンは火床の灰をわずかに増やし、温度の立ち上がりを遅らせた。周囲の火が焦って暴れないように。見習いが「なぜ」と問う目を向ける。アレンは短く「火は急がせるな」とだけ答えた。


 ガレスが駆け寄り、目だけで問いを投げる。アレンは小さく頷いた。事故ではない。


 結果、アレンは予選を通過した。名匠は憤り、陰で誰かに文句を言っている。「影の工房」の噂がささやかれた。裏で安い材料に金の膜をかけ、見栄えだけを良くする仕事場。火を軽んじ、目だけを喜ばせる工房。


 控室で、見習いが震える手で水差しを持ってきた。「さっきの鎮火、どうしてあんなに早く……?」——「灰を増やしたから」。アレンは短く答え、見習いの手の震えが止まるのを待った。火は、息を合わせれば落ち着く。人も同じだ。


 予選後、審査員のひとりがこっそり近づいてきた。「本選の課題、今年は“未知材”。——気をつけろ」。その目は仕事人の目だった。飾りではなく、使う側の目。アレンは礼を言い、枝打ち工具の刃を布で包んだ。明日も、火は急がせない。


 夜の広場は、昼より暗い。仮設の炉は消え、匂いだけが残っている。リオが肩をすくめ、「派手な割に軽い匂いだ」と言った。セラは何も言わず、足で地面を軽く踏む。音は乾いて、短い。「火の外」の匂いだ。


 アレンは枝打ち工具の手入れをしながら、柄に手の油を薄く引いた。乾いた手には滑りやすいからだ。柄尻に小さな穴を開け、護符の紐を通せるようにする。明日、どこで何が起きても、道具は手から逃げない。


 控室の裏廊下で、ガレスが待っていた。「明日、余計な英雄は要らん」。短い言葉だが、そこにわずかな信頼が混じる。アレンは「火は急がせません」とだけ返した。二人はそれ以上言わず、逆方向へ歩いた。王都の夜は冷たく、だが、手の中の柄は温かい。


 夜、工房の扉に封蝋の付いた紙が挟まっていた。「大会の夜、北門裏の路地」。赤い蝋は、昼間見た仮面の人物の気配を連想させた。罠か、案内か。アレンは火を落とし、槌を拭いた。


「風見の羽」にも知らせる。王都で火を見るには、風も読む必要がある。


宿へ戻る道すがら、ガレスの部下らしい影が遠巻きについてきた。悪意はない。監視だ。王都では珍しくない。アレンは窓辺に灯をともしてから核の包みに手を置き、目を閉じた。明日の火の前で迷わないために、今日の迷いを灰にする。


 夜更け、アレンは束ねておいた素材の束を一本ずつ撫でた。節の向き、錆の気配、打てば起きる芯の癖。大会は見せ物でも、道具は見せ物ではない。見栄えを剥ぎ取った後に残る働きだけが、明日の手を助ける。窓の外で風が角を回り、短く鳴いた。彼はふいごの革に指を当て、音段を三つ、静かに反芻する——起こす、働かせる、鎮める。どの段で止めても、火は嘘をつく。三つでひとつ。


 見習いから借りた粗い布で、柄に残った油を薄く延ばす。乾けば滑り、過ぎれば粘る。指先で均し、最後に親指の腹でひと撫で。辺境の師はよく言った。「道具は、手の汗で味が変わる」。王都の夜気は乾いている。だから、ほんの少しだけ湿りを残す。


 床に就く前、アレンは小さな紙片に段取りを書き付けた。火入れの刻、灰の厚み、ふいごの呼吸、起こす段の最初の合図。紙は折って護符の裏へ差し込む。明日の自分に、今の目を残すために。眠りは浅く、だが、静かだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ