第06話 「火花散る王都」
王都行きは、思ったよりも早く決まった。ガレスが残していった通達は「登録」を求めるだけでなく、検分結果の詳細説明を王都で行うと添えられていた。もうひとつの理由は、迷宮から持ち帰った核だ。村では見たことのない精錬痕。古い書庫と、膨大な図面が眠る王都でこそ見えることがある。
見送りの朝、ミナは短い紐飾りを差し出した。赤茶の髪を束ねるのと同じ糸で編まれた、小さな護符だ。
「帰ってくる道を忘れないように」
「忘れない。火はここにある」
アレンは核を布に包み、荷の底に入れた。リオたち「風見の羽」が同行を申し出る。道の護衛と、王都での案内。彼らの軽やかな足取りは旅に心強いリズムをくれた。
三日目、城壁の影が見え始めると、空気は鉄と油の匂いで濃くなる。王都は巨大な炉だ。槌音が遠くで交差し、煙が幾筋も空へ登る。門をくぐると、記憶のどこかが疼いた。ここで笑われ、ここで学んだ。火は同じでも、人は違う。
宿は共同井戸の横の小さな下宿屋だった。女将は働き者で、朝のパンを焼く手を止めずに部屋を示した。窓からは石畳の路地と、正午の鐘楼が見える。アレンは荷を降ろし、核の包みに触れた。王都のざわめきは強く、だが核の鼓動は揺らがない。
路地を歩けば、鍛冶の屋台が目に入る。飾りの金具、鈴、釘、鍋の蓋。派手な宣伝文句が並び、値札は踊るように書かれている。アレンはひとつひとつ手に取り、音を確かめた。良い物も、悪い物もある。違いは、音が教える。
ギルドに出向くと、受付は淡々としていた。ガレスは不在。代わりに事務官が細い眼鏡の奥でアレンの名を確認し、冷たい金属印を机に置く。
「仮登録。規格は順守、独自技法は申請の上、審査待ち。……それと、王都滞在中は工房の貸与が可能」
「独自技法は口伝か?」
「原則は申請書。だが、秘匿を理由に『立会い審査』も選べる。——面倒だが、抜け道はないよりは良い」
事務官はそっけないが、敵ではない。王都の火は、こういう人に守られている部分もある。アレンは印を受け取り、必要な手続きの紙束を鞄に入れた。
貸与された工房は、王都の端にある共同炉の一角だった。火床は深すぎ、風の通りは悪い。アレンはふいごの皮の張りを直し、煙道の角度をわずかに変え、火の息を整える。槌を落とすと、王都の鉄は少し硬い音を返した。
見習いの少年が、水を運びながら遠巻きに覗く。「その打ち方、初めて見た」と呟いた。アレンは笑って、手首の角度と呼吸の合わせ方だけを短く教える。長い講釈はしない。火の前では、真似るのがいちばん早いからだ。少年はぎこちなく槌を振り、ひとつだけ良い音を出した。顔が少しだけ明るくなる。
夜、核をそっと取り出し、火から離れた台に置く。王都の空気に触れたせいか、音は微かに変わった。高い鈴の上に、低い鼓動が重なる。アレンはそれに呼吸を合わせ、槌を握る指を確かめた。
翌朝、共同炉には若い鍛冶見習いたちが集まり、アレンの作業を珍しそうに眺めた。派手な装飾はない。だが、火の色が変わるたび、彼の槌は迷いなく落ちる。見習いのひとりが囁いた。
「……古いけど、速い」
そこへ、予告もなくガレスが現れた。彼は周囲の視線を気にも留めず、核に一瞥を落とし、アレンの手に目を細める。
「王都に来た以上、目立つことは避けろ。すでに『大会』の推薦が出ている」
「鍛冶大会に?」
「名だけはある。だが、裏は思う以上に汚れている。……おまえの火は目立つ」
忠告か、牽制か。アレンは首肯した。火を前にすれば、やることは変わらない。彼はその日、王都の鋼で最初の一本——細身の鉈を打ち、木陰のような影を刃の背に宿らせた。王都は広く、焔は多い。だが、自分の火は自分で守る。火花は散り、けれど焦げ付かない。
夕刻、路地で簡単な試し斬りをした。乾いた枝は音もなく落ち、縄は短く切れて地面に丸まる。通りすがりの男が目を丸くし、値を尋ねた。「売り物じゃない」とアレンは首を振る。まずは自分の火を、王都に馴染ませるところからだ。
夕暮れ、工房の扉の前で、仮面を被った人物が一瞬だけ立ち止まった。その仮面は無表情で、しかし目だけが笑う。
「ようこそ、王都へ。古い火の匂いがする人」
声は風に紛れて消えた。仮面の人物は群衆に溶け、気配だけを残した。火は、騒がしい街の片隅で、いつもより青く燃えた。
夜、アレンは核の包みを手に、窓辺で目を閉じた。王都の音は多すぎる。車輪、靴音、笑い声、怒鳴り声。だが、その奥に一本だけまっすぐな線がある。遠くのどこかで、同じように火を前に座る誰かの呼吸。その線に合わせるように、彼は静かに息を吐いた。
明け方、窓枠に薄い灰が積もっていた。王都の夜は、灰を残す。アレンは指でそれを集め、掌で丸めて捨てた。灰は、明日の火のための余白だ。彼は軽く伸びをし、最初の湯を沸かした。




