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第02話 「初仕事は鍬の修理、その先で」

 北の畑へ駆けると、土埃に霞み、猪の低い唸りが腹に響いた。村人は槍を構えて円陣を作るが、刃は何度も弾かれ、柄が軋む。アレンは三本の槍の穂を確認し、短く指示を飛ばした。


「突くとき、手首を固めすぎないで。刃が入る角度に任せる。柄は胸の前、腕で押し込まず、体で受ける」


 言葉より早く、猪が土を蹴って突っ込んできた。アレンは一歩だけ前に出て、槌の柄で猪の鼻面を横から打つ。乾いた音。獣は怯んで横に逸れ、背を向ける瞬間、村長が穂先を差し込んだ。強すぎない、けれど外さない。磨いた穂は、厚い皮の隙間を選んで吸い込まれていく。


 群れはやがて退き、土に横たわった猪から温い湯気が上がった。誰もが息を吐き、膝に手をつく。アレンは包丁を抜き、腹の皮に刃を当てる。刃先は迷わず線をなぞり、硬い皮をまるで布のように裂いた。


「……料理が楽になるな」


 村長の呟きに、アレンは小さく笑って頷いた。戦いの場に包丁を持ち出すつもりはなかったが、暮らしは一つにつながっている。肉はきちんと処理すれば糧になり、骨は道具に、皮は防具になる。


 騒動のあと、納屋はさらに賑わった。鍬の刃、鎌の歯、斧の柄金。アレンは一つずつ手に取り、鉄の声を聞いては、必要なだけを足し、余計を削ぐ。派手な飾りは要らない。使い手の身体に、道具がそこから生えてくるように。


 修理を見ていた少年が、おずおずと声をかけた。


「どうして、ここを薄くするの?」


「土が軽いから。厚い刃は、土を押しつぶす。薄くても、背に張りがあれば折れにくい」


「張り?」


「刃の背中に通す、目には見えない柱みたいなものだ」


 少年は真剣に頷き、アレンの手元を食い入るように見つめた。ミナは微笑み、台帳の端に「張り」という言葉を小さく書き込んだ。村の言葉が増えるたび、暮らしは強くなる。


 ミナは帳面を捌きながら、ときどき質問した。


「どうして、そんなに薄くするの?」


「薄くしても、芯が生きていれば折れにくい。厚い刃は、鈍い安心をくれるけど、土を痛める。この土地の土は軽い。なら、道具も軽く」


「この印は?」


「合図みたいなもの。ここで打った証。責任の形」


 夕暮れ、受け取りに来た老人が、鍬を肩にふと呟いた。


「若いのに、昔の鍛冶屋みたいな匂いがする」


 アレンは苦笑した。王都で笑われた匂いだ。でも、この村では、それが安心に変わる。


 数日が過ぎ、森の気配が静まると同時に、村の手は軽くなり、笑いが増えた。包丁は台所で歌い、鍬は土を撫で、鎌は稲の息を聞いた。アレンは納屋の片隅に、使い古された鉄を積み上げ、火にかけるたびに少しずつ不純物を落とした。鍛気が、以前より深く、静かに流れるのを感じる。火床の色、鉄の匂い、槌が響く音。どれもが一段階、澄んでいる。


 昼の合間、アレンは村の柵のぐらつきを見て回った。雪解けの水で足元が緩み、金具に錆が回っている。釘を抜き、真っ直ぐに延ばし、当て木を噛ませる。こうした小さな直しは、誰の目にも留まらない。だが、明日の仕事の疲れをひとつ減らす。火は、そういう時に気前がいい。


 夜、ミナが湯気の立つ芋の煮物を差し入れてくれたとき、彼女は戸口で立ち止まり、真面目な顔になった。


「王都にいたとき、つらかった?」


「つらかったよ。でも、火の前に立てば忘れられた。ここには、忘れる必要がない」


 ミナはほっとしたように頷き、笑顔に戻った。


「じゃあ、居座って。村は、あなたをもう必要にしてるから」


 言葉は焚き火のように温かく、アレンの胸に残った。


 その頃から、納屋の前に見慣れぬ足跡が増えた。村の外からのものだ。ある朝、旅装の男女が三人、風を切る羽を飾りに付けたマントで現れた。冒険者だ。彼らは自らを「風見の羽」と名乗り、リーダーのリオが軽く会釈した。


「森の奥で妙な気配がしてね。ついでに、腕のいい鍛冶屋がいるって聞いた。短剣を一本、見せてくれないか」


 アレンは頷き、錆の出た鋼片を炉に入れた。火は静かに笑い、槌は一定の間合いで落ちる。重ね、伸ばし、絞り、再び重ねる。刃は短く、腹を少し厚めに。軽いが、腰がある。鞘は簡素に、しかし内側に薄絹を貼り、刃を微かに湿らせる。


 手渡すと、リオは陽にかざし、刃の光を目で追った。そして、外の木の枝に向かって一閃。枝は音もなく落ちた。彼は口笛を吹いた。


「いい目をしてる。……それと、いい火だ」


 彼らは数日の滞在の間に、村の手伝いもよくしてくれた。夜、酒のかわりにミナの煮出した薬草茶を囲み、彼らは森の話をした。北の浅い谷に、光の漏れる穴ができたという。小迷宮の兆しだ。村にとって、幸福と災厄の両方を連れてくる。


「装備を整える必要がある。軽くて、壊れないものを」


 リオの言葉に、アレンは頷いた。納屋の火は、その夜いつもより長く燃えた。槌の音は村の屋根をやさしく震わせ、犬は安心したように丸くなって眠る。


 翌朝、納屋の前に見慣れない男が立っていた。薄い笑み、底の見えない瞳。王都の革靴。アレンは無意識に槌を握り直した。


「ひさしぶりだな、アレン」


 男は名乗ることなく、しかしその声だけで名がわかる。ガレス。ギルドで同じ火を覗いたこともある、彼は今は検分官の徽章を胸に付けている。


「王都のやり方を、辺境で勝手に広められては困る」


 彼の視線は炉と槌と、アレンの手元に冷たく落ちた。村の空気に、薄い緊張が走る。次の火は、簡単には鎮まらないかもしれない。


 アレンはわずかに顎を引き、ふいごに蓋をした。火は落とさない。だが、風は一度止める。ミナが合図の鈴を指で鳴らし、村長が背筋を伸ばす。辺境の空気が、少しだけ硬くなった。


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