第10話 「魔王軍の策謀」
大会当日、広場には旗がはためき、王都の顔役たちが並んだ。課題は「未知材の活用」。用意されたのは、表に薄い光膜をもつ金属片。影の工房で見たものと同種だ。
アレンは火を上げ、まず膜を剥がした。観客がざわめく。見栄えは落ち、鈍い芯だけが残る。そこから始める。温度を段階的に上げ、不純物を逃がし、芯の方向性を揃える。背に張り、刃先に粘り、柄に伝わる振動を整える。できあがったのは、見た目には素朴な鉈。だが、試しに硬い枝を払うと、音が軽い。
見習いが近づき、目を輝かせて囁く。「どうして、剥がすんです?」——「見栄えは火を騙す。芯は火しか騙せない」。短い答えに、少年は何度も頷いた。
審査員のひとりが目を細める。その時、遠くで鐘が鳴った。緊急の合図。城壁の方角で黒い煙が上がる。魔導兵器の残骸が爆ぜる匂い。群衆がざわめく中、仮面の人物が背後に立った。
「——今、あちこちで同時に火種がばら撒かれている。膜の金属は導火線。誰かが、火の外側から街を燃やそうとしている」
ガレスが短く指示を飛ばし、警備が散る。リオたちは救助へ、アレンは火の中心へ。彼は出来上がった鉈を握りしめ、膜付き金属の山に向かった。槌は不要だ。今は切る。核を思い出す。音で起こし、音で鎮める。鉈の背で山を叩くと、膜の振動が崩れ、導火線の連鎖が断ち切られる。
逃げ惑う人波の中で、子どもが転んだ。アレンは片手で抱え上げ、母親の腕に渡す。「家へ。風上へ」。言葉は短く、音は正確に。彼はすぐに山へ戻り、背で叩くリズムを一定に保った。高い二度、低い一度。連鎖は切れ、火は一箇所に集まる。そこへ水。
混乱の中、黒い外套の一団が姿を見せた。仮面ではなく、兜に黒布。彼らは静かに撤退しながら、落ちていた膜片を回収する。動きは軍のそれ。誰かが囁いた。「魔王軍の手の者だ」
火は一度は鎮まった。だが、街はざわめきを収めない。アレンは息を整え、刃を拭った。火の外で仕組まれた火事。膜はただの見栄えではなく、火を遠隔で操るための触媒にもなる。核はその中心にある。
広場の片隅で、商人が小声で言い争っていた。「こんな時に売れる」「いや、やめろ」。アレンは立ち止まらず、ただ刃の背で地面を一度叩いた。商人ははっとして口を噤み、荷車を押して負傷者の運搬に加わった。音は言葉より速い。
大会は中止。結果は宙ぶらりん。だが、誰も文句を言わなかった。火が街を飲み込むかどうかの瀬戸際だったのだから。
検分所で、ガレスが手短に言う。「おまえの結果は保留。だが、工房の貸与は続ける。——火を前に置け」。それは信頼というより、必要の表明だった。アレンは頷き、紙に名前を書いた。紙は軽いが、手は重い。
セラは門の影で待っていた。「今日の風は、向こうが作った」。——「明日は、こっちが作る」。短い会話で十分だった。二人は視線だけで別れ、王都の雑踏に紛れた。
夜、工房に戻ると、核がわずかに温かい。布越しにもわかる体温。アレンはそっと取り出し、低く一度だけ槌を落とした。音は深く、遠くまで通った。王都のどこかで、誰かがそれに応え、別の音を返したような気がした。音は、戦の始まりの合図にもなる。
窓の外で、鐘がゆっくり二度鳴った。王都はまだ眠らない。アレンは灯を落とし、核の包みを胸に乗せて目を閉じた。明日は、火を起こす前に灰を整える。街もまた、灰を整える時間が要る。
薄明の街路で、見習いが掃除をしていた。アレンは立ち止まり、短い挨拶を交わす。「今日は何を?」——「まず灰を集めます」。少年は昨日より良い目をしていた。火は人の目を変える。良い方へ。
工房に戻ると、灰かきとほうきを手に取った。ふいごの皮に残る煤を拭き、炉の縁を布で撫で、落ちた釘を拾い集める。大事なのは、燃えた後だ。灰が語る。どこで焦り、どこで待てたか。灰は火の記憶で、記憶は次の火を楽にする。
昼前、広場の片付けに混じり、アレンは子どもたちに短い合図の仕方を教えた。高い二度は「止まれ」、低い一度は「こちらへ」。言葉は届かなくても、音は届く。母親たちが覚え、笑いながら真似をした。小さな町内の知恵でも、戦の役に立つ。
ガレスが通りかかり、足を止めた。「お前はどこにでも鍛冶場を作るな」。——「火があれば、どこでも鍛冶場です」。短い会話ののち、ガレスはわずかに顎を引いた。「明日、城門で話す。商会の件だ」。影の工房の影は、まだ薄く街に残っている。だが、灰は整えられた。次に火が起きても、迷わないために。
夕刻、セラが路地の曲がり角で手短に報せた。「南の風は弱い。明日は北へ回る」。彼女は風の地図を頭に描き、アレンは火の地図を手の中で整える。二つの地図は重なり、抜け道がいくつも見えた。抜け道を知っていれば、火は人を追い詰めない。人が火を追い詰められる。
夜、灯を落とした工房に、見習いがそっと顔を出した。「今日、怖かった。でも、灰を集めたら、落ち着きました」。アレンは頷き、「それでいい」とだけ言った。怖さは消すものではなく、扱うものだ。灰に混ぜて、次の火の栄養にする。見習いは深く頭を下げ、軽い足取りで帰っていった。




