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第01話「追放と村の炉」

 王都鍛冶ギルドの扉が重く閉まる音を、アレンは背中で聞いた。追放。言葉は軽く、しかしそれが奪うものはあまりに大きい。師匠に拾われ、小槌を握って十余年。仕上げた刃は地味だと笑われ、装飾を施さない鞘は質素だと鼻で笑われた。派手さはないが、使い手の手に馴染み、折れず、曲がらず、長く寄り添う。そんな道具が好きだった。だが、王都は「ひと目」を好む。ギルド長は最後に「無能の烙印」を押し、アレンの名を帳面から線で消した。


 空はやけに高く、冬が明けたばかりの風が頬を刺す。アレンは肩に背負った袋を握り直した。中身は最低限の衣服と、小ぶりの炉に使える耐火煉瓦、それから父の形見の槌。重さは、やり直す覚悟の重さだ。


 行き先は辺境、ヘイズ村。王都の外れから三日ばかり歩いた森と丘の間に、小さな集落があると噂に聞いた。狩人と農夫が肩を並べ、道具は足りず、鍛冶屋もいない。必要とされる場所で、静かに鉄と向き合いたい。それだけが、追い出された心に灯るささやかな火だった。


 村に着いたのは、夕暮れが丘の向こうへ沈む頃。畑の畝が規則正しく並ぶ向こうに、泥と木で組まれた家々が寄り添う。子どもが追いかけるのは風に舞う枯れ葉、犬はのんびり伸びをしている。王都の喧騒が嘘みたいだ。村の入り口で出迎えたのは、赤茶の髪を三つ編みにした娘だった。


「旅の方? この村に何かご用で?」


「鍛冶屋を、やれたらと思って。アレンと言います」


 娘は目を丸くし、そしてぱっと笑って会釈した。


「ミナです。村長の娘で、いまは村の世話係。鍛冶屋さん? 本当に? 鍬も鎌も、もう限界で……! お父さんに紹介します!」


 ミナに案内されて入った村長の家は、暖炉の火が気持ちのいい温もりを放っていた。村長は頑固そうな白髭を撫で、アレンの目をじっと見る。彼は王都の経歴を問わなかった。ただ一つ、「直せるか?」と壊れた鍬の刃を差し出した。


 刃は欠け、柄との継ぎ目はぐらつき、鍛接が甘い。王都の、新人にも劣る出来。アレンは膝に刃を載せ、指先で鋼の声を聞いた。鉄は疲れているが、まだ十分に息をしている。


「直せます。炉と、少しの炭と、場所を」


 村長は頷き、村外れの空き納屋を貸してくれた。壁板は隙間だらけで冬は冷えるだろうが、煙はよく抜ける。床に煉瓦を並べ、小さな炉を組む。風の通りを確かめ、ふいごの置き場を決める。王都では見向きもしなかった手仕事が、ここでは暮らしに直結する。胸の奥がふっと軽くなった。


 初めてふいごを引いた夜、鉄が赤く膨らみ、灰に月光が落ちた。槌を振る。父に教わった、ただ真っ直ぐに打つ。無理に力を込めず、鉄が行きたい方向へ添えるだけ。王都では古臭いと言われた打ち方だ。だが、鍛気――鍛冶師の息と体温とが混ざった見えない熱は、確かに刃の芯まで染み渡っていく。刃は欠けを飲み込み、新しい面で微笑んだ。


 翌朝、ミナが納屋を覗くなり小さく息を呑んだ。


「すごい……昨日と同じ鍬? 触っていい?」


「どうぞ。刃は薄くしたけれど、芯は強い。無理に叩き込むと土を傷めるから、刃先にだけ粘りを残してある」


 ミナは恐る恐る刃を指でなぞり、顔を上げて笑った。


「わたしでもわかる。なんだか、手が喜ぶ感じがする」


 村長は鍬を肩に、畑へと消えた。戻ってきた彼の頬は子どものように紅潮していた。


「軽いのに、土が切れる。根が絡んだところも、すうっと。アレン、あんた……どこでこんな刃を」


「どこでもない。ただ、鉄の機嫌を聞いただけです」


 そう答えると、村長は照れくさそうに頭を掻いた。


「なら、頼みが山ほどある。鎌も、斧も、馬具も。それに……森の奥に、最近魔物が増えててな。狩人の槍が持たん」


 魔物。王都では冒険者の話題として遠いものだったが、ここでは日々の危機だ。アレンは炉の火を見た。熱は静かに息づき、まだまだ力を貸すと言っている。


「やりましょう。急がず、確かに」


 その夜、アレンは村の空と同じ広さの眠りを得た。翌日からは忙しかった。納屋は朝から人の出入りが絶えず、壊れた道具が列をなし、ミナは台帳を作って受け渡しを手伝った。アレンは黙々と火と鉄に向かい、ふと顔を上げると、いつもそこには笑って見守るミナがいた。


 ある日、一本の包丁を打った。村の古い家から出てきたという炭素の高い鋼。鍛え、重ね、鍛え、重ねる。そのたびに、音が澄んでいく。チン、と空気のどこかで鈴が鳴った。槌の振り下ろしに合わせて、炉の火がわずかに揺らぎ、炎が青く細く伸びる。ミナが息を呑んだ気配がした。


「今、何か……」


「気のせいでしょう。いい鋼は、よく歌う」


 仕上げに水に入れる。シュウ、と白い蒸気が立ち上り、刃の肌に波が走った。薄い刃を光に透かすと、そこには淡い模様――刃文が浮かび上がっている。包丁だ。だが、ただの包丁ではない。握った瞬間、手の中に重さが溶ける。刃先が、切るべき線を自ら見つけていく。


 ミナは目を見開き、ゆっくりと息を吐いた。


「アレンさん……これ、ただの包丁じゃないでしょう」


 アレンは苦笑し、肩をすくめた。


「ただの、よく切れる包丁です。暮らしの道具は、よく働くのがいちばん」


 そう言いながらも、心のどこかで薄くざわめくものがあった。鍛気が以前よりも濃く、手の中で澄んでいる。王都で笑われた「古臭い」打ち方は、ここでだけ、何かを呼び覚ましているのかもしれない。


 その日の夕方、森の方角から狼煙が一筋上がった。村長の家の扉が慌ただしく開き、ミナが血の気の引いた顔で駆け込んでくる。


「アレンさん! 北の畑に大きな猪の群れが……! 槍が持たないって!」


 アレンは炉の火に蓋をし、槌を手に取った。仕事は暮らしに繋がる。暮らしは、命に繋がる。手元には、打ち上がったばかりの一本の包丁と、鍛え直した槍の穂が三本。彼は顔を上げ、静かに頷いた。


「行きましょう。道具で守れる命があるなら」


 夕焼けが村を染める中、アレンは初めてこの村のために、鉄の力を道に持ち出した。その先に何が待つのか、まだ知る由もない。ただ、火は確かに、彼の中で強く、青く燃えていた。


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