黎明
(最近の夏は蝉すら鳴かない……)
クーラーの効いた部屋の中で、ゲーミングモニターの画面を見つめながら、京はふと思った。
ゲーミングモニターには格闘ゲームの画面が映り、画面にデカデカと『WIN 1P』と表示されている。
「クソッ、勝てねえ。お前、強すぎなんだよ!」
京の隣で、今にもゲームコントローラーを投げんばかりの勢いで亮が悪態をついている。
「亮、君が弱すぎるんだよ」
京はそう言って、ケタケタと愉快そうに笑う。これで42戦目。京の42戦全勝。
京は会社を設立した。会社設立の手続きは、拍子抜けするほどすんなりと済んだ。京は会社名を『株式会社クロスゲート』と名付け、取締役を自身に、共同創業者に亮を登録した。
そして今日、『第一回役員会議』と題して、京と亮は京の自室で格闘ゲームに興じている。株式会社の取締役と共同創業者とはいえ、二人はまだ普通の大学生だ。
「……で、だよ。京?」
亮が真顔になって京に問いかける。
「これから、どうするのかって?」
京が分かってる、と言わんばかりに頷く。
「会社を立ち上げたのはいい。オレを勝手に共同創業者にしたのも……まあ、いい。だが、一体何をどうすりゃいいんだ? 今までみたいに格ゲーやって終わりか?」
亮がそう言って一つ大きなため息を吐く。
「まさか。格ゲーやってたのは、準備運動みたいなものだよ。何をどうするのかは、もう決めてある」
京はそう言って、ハハハと笑う。
(嘘吐け。何が準備運動だよ。やりたかったクセに)
笑う京を見ながら。亮は心の中でもう一度ため息を吐いた。
「てなわけでさ、亮。今から異世界に行こう」
「……え? は?」
亮の戸惑いを見て、京はイタズラっぽく笑うのだった。
***
(よくある中世ヨーロッパ風の街並みだ)
なろう系異世界転移主人公みたいなことを、亮は頭に思い浮かべる。街を囲う背の高い城壁、石畳の街路、白漆喰の壁でできた四角い建物。それに、街を行く人々は日本人とは異なる顔つきをしている。一言で言えば、異国情緒溢れる、という表現がピッタリな風景が広がっている。
まあ、もっとも、亮は『中世ヨーロッパ風の街並み』を正確に知っているわけではないが。
そんな亮の横で、京は8ミリビデオカメラを手にして街の風景を撮影している。亮の役目と言えば、撮影機材の荷物持ちといったところだ。街を行き交う異世界人たちが、物珍しそうにこっちをチラチラと見て通り過ぎていく。
(ちょっと理不尽じゃねえか……?)
と亮は思う。重い荷物は自分持ち。京はそんな自分にかまわず異世界の街を撮影している。
それでも、亮は京が楽しそうに異世界の街を撮影しているのを見るのは好きだ。京は昔から自分のやりたいことに真っ直ぐだし、だからワガママではあるけど妙な魅力がある。
亮は、京がこのまま何か大きなことをやり遂げるような気がするし、それに自分が乗っかれば人生を退屈せずに生きていける、と思っている。
(京にベットする人生も悪くはないな)
亮は異世界の街と、それを撮影する今日をぼうっと眺めながら思案する。
「さて、一通り素材は揃ったし帰ろっか?」
異世界の街を撮影していた京が、8ミリビデオカメラのファインダーから亮に視線を移して言う。
「もう帰るのか!?」
亮が驚く。異世界に来てから、まだ半日も経っていない。
「用事は済んだからね」
京が涼しい顔をして、返事をする。
「せっかく異世界に来たんだし、もうちょっと満喫してかねえか? ほら、王都にある霧と繭亭に泊まってさぁ……」
亮が京にオーバーアクションで説得をはじめる。この街から馬車で三日ほどの距離にある王都には、三ツ星ホテルに相当する霧と繭亭という有名な宿屋がある。
「兵は神速を貴ぶ。そんな時間はないよ、亮。ボクたちはビジネスで来てるんだ。急いで帰らなきゃ」
そう言って、京は街の外の方へと早足で歩き出す。
「全く、お前ってヤツはさぁ……」
亮は一つ大きなため息を吐いて、京の後を追った。京にいいように振り回されている……。それでも、亮は京といることをやめない。案外、振り回されるのが好きなのかもしれない。
街外れの涸れた遺跡。誰の姿もないその遺跡の最奥に、二人はたどり着いた。そこには、京の物置にあるのと同じような黒い靄があった。
「じゃ、帰ろっか」
京が呟いて、黒い靄に触れる。身体がなくなり、意識が混濁するような感覚に襲われる。
一瞬の後、現実世界の京の家の物置に京の姿はあった。
少しの間を置いて、亮も姿を現した。
(蝉、やっぱり鳴いてないなぁ……)
現実世界に帰って、物置から出た京はそう思った。
「それで、京? これからどうするんだ?」
京の後をついてくる亮が問う。
「ビジネスには、コマーシャルが必要だろ?」
京が含みのある言い方をして、ニヤリとする。
「はぁ、なるほど……?」
亮が得心がいかない、といった様子で生返事をする。
「亮、これから忙しくなるよ。覚悟はいいかい?」
京はそう言って、愉快そうに笑うのだった。