創世
京と異世界の噂はまたたく間に大学中に広まった。京のもとへ大学中から「異世界へ行きたい」という人たちが押し寄せた。
京は「異世界への通行料一万円」で、彼ら彼女らを異世界へと連れていった。
そのおかげで、京は短期間の内に大学で一番の有名人となり、それとともに大金を手にした。
しかし「特に目立つことのない大学生が、異世界へ連れてってくれる」ことの人気があまりに過熱しすぎて、一部の講義が成り立たなくなり、大学から京へと「大学内における特定の勧誘行為の禁止」を通達される事態に至る。
京と友人の亮は大学内から身を潜めるように姿を消し、大学内の「異世界」ブームは収束していくことになった……。
***
ジャズ喫茶『カセドラル』――。
街のメイン通りから路地を二、三ほど入ったところにある隠れ家的な喫茶店。ジャズオタクである老年のマスターがほぼ趣味で経営している喫茶店で、昔ながらのジャズがゆったりと流れる落ち着いた雰囲気の店内には、中高年層の常連客が何組かマスターの淹れたコーヒーを飲みながら他愛もない話に花を咲かせている。
その店の一番奥の席に、京と亮の姿があった。大学での人気の過熱っぷりに、人目を避けて、こうして大学生は絶対に来ないであろうカセドラルに来ることが多くなっていた。
「しっかし、ホント遊ばないよな。お前はさ」
亮はブルーマウンテンコーヒーを飲みながら、京に話しかける。
「……? 何がだい?」
京はアメリカンコーヒーを飲みながら、何のことか分からないと言った感じで亮に聞き返す。
「 いや、それだけの金があるなら、いくらでも遊べるのに、お前ってば全然遊ばないんだなって」
亮が呆れたように言う。
「ああ、そのことか。……だって、遊びたいわけじゃないからね」
京も呆れたように言う。
そうして、京は店内を見回す。What a wonderful worldなのかOver the rainbowなのかジャズのことには全く疎い京にはタイトルが見当もつかないが、ジャズが流れる店内に常連客が何組かいる。カウンターの向こうには、客の注文に応じてコーヒーを淹れるマスター。店の奥には大きな蓄音機が置かれている。
マスターが言うには、この店の音響にものすごくこだわっていて、音響設備に三〇〇万円も掛けたのだとか。
わざわざそんなことまでしなくても、音楽が聴きたければYouTubeでいいじゃないか、と京は思うのだが、こだわりというものはそう簡単に手に入れられるものでは満足できないんだろうな、ということは解っている。
「じゃあ、その金はどうするんだ? まさか、一生口座に眠らせておくわけじゃないだろ?」
亮が少し身を乗り出して、京に問う。
「 …………。会社を設立する 」
亮の問いに少し間をあけて、京は静かに、しかしはっきりと答える。
「………………はあ?」
亮は間抜けな声を出すのが精一杯だった。
「会社を設立するための元手は充分に集まったしね」
京は片方の口角をほんの少しだけ上げて、ニヤリとする。
「会社って……何する……?」
反対に亮は口角を下げて困惑顔になる。
「見ただろ、亮。異世界を。そして、異世界の可能性をさ」
京は更に口角を上げる。
「つまり、それって……?」
亮は息を呑んで京の答えを待つ。
「つまり、『異世界』は売れるってことさ」
そう言って、京はクククと小さく笑う。
「ビジネスチャンスがあるって?」
亮はそう言って、ブルーマウンテンコーヒーを飲み干し考える。
(京のことは友人としては好きだ。だけど、このクククと小さく笑う癖だけはどうにも好かない……。こういう時の京は、大抵ロクでもないことを考えているからな)
京はそんなことを考える亮の頭の中を知ってか知らずか、亮に向かって一つ頷いてみせると、すでに飲み干してあるアメリカンコーヒーのカップを口元にまで持っていく。
「あ、もうなかったか……」
そして、残念そうに呟くのだった。
「さて、それじゃあ、そろそろ行こうか」
その後、ひとしきり他の客たちと同じように他愛ない会話に興じた京と亮の二人だったが、京はそう言って伝票を持って立ち上がる。
「おごってくれんの? サンキュ」
亮が軽いノリでそう言って、京に向かって片目を閉じる。そして、京の後に続いて席を立つ。それを見て、京はふと考える。
(こういう軽いノリをする亮は、決して嫌いじゃない。人当たりの良さという点では亮はボクにないものを持っているし、それがボクにとって助けになることも多い)
そして二人は、会計のためにカウンターの向こうにいるマスターに話しかける。
「マスター、今流れている曲は何? What a wonderful world?」
京が支払いをしながら、マスターに訪ねる。
「……Spring is hereだよ。全然違うじゃねえか」
マスターはぶっきらぼうに答える。
「へえ、そうなんだ。良い曲だと思ったからさ。帰ったら、YouTubeで探して聴いてみようかと思って」
京がそう言うと、マスターは呆れたようにため息を吐く。マスターのため息を背後にして、京と亮はカセドラルを後にした。
亮は京の背中を追いながら(コイツといれば、一生退屈なんてしないだろうな)と思うのだった。