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落語【声劇台本書き起こし】

落語声劇「文七元結」

作者: 霧夜シオン


落語声劇「文七元結ぶんしちもっとい


台本化:霧夜きりやシオン@吟醸亭喃咄ぎんじょうていなんとつ


所要時間:約80分


必要演者数:最低6名

      (6:0:0)

      (4:2:0)

      (0:0:6)


※当台本は落語を声劇台本として書き起こしたものです。

よって性別は全て不問も含まれます。

(創作落語や合作などの落語声劇台本はその限りではありません。)


※当台本は元となった落語を声劇として成立させるために大筋は元の作品

 に沿っていますが、セリフの追加及び改変が随所にあります。

 それでも良い方は演じてみていただければ幸いです。



●登場人物


長兵衛ちょうべえ本所ほんじょ達磨横町だるまよこちょう左官さかん。腕はいいのだが博打ばくちにハマって義理の悪い

    借金をこしらえてしまう。


文七ぶんしち横山町よこやまちょう鼈甲問屋べっこうどんや手代てだい。水戸屋敷からの集金の帰り、怪しげな男

   にぶつかられた後、集金した金がないのに気づき、絶望して身投げ

   しようとするが…。


かね長兵衛ちょうべえの妻。夫の博打ばくち好きのせいで借金に苦しんでいる。


ひさ長兵衛ちょうべえの娘。父親の博打癖ばくちへきのせいで家が借金まみれなのを見かね

   、吉原よしわら佐野槌さのづちに自ら身売りをしようとする。


女将おかみ吉原よしわら佐野槌さのづち女将おかみ

   義理人情に厚く、長兵衛ちょうべえに五十両を貸し、返済期限までは彼の娘の

   おひさを預かるだけにして客は取らせないと約束する。


藤助とうすけ佐野槌さのづち番頭ばんとう


近江屋おうみや卯兵衛うへえ横山町よこやまちょう鼈甲問屋べっこうどんやあるじ


平助へいすけ近江屋おうみや番頭ばんとう


語り:雰囲気を大事に。




●配役例


長兵衛・酒屋:

文七:

お兼・女将:

お久:

近江屋・語り:

藤助・平助:


※枕は誰かが適宜てきぎねてください。




枕:人というものは飲む、打つ、買うの三道楽さんどうらくのうち、どれか一つは

  やると申します。しかしこの中で一番怖いのは打つ、つまり博打ばくちだそ

  うです。あれは怖いもんですよ。

  現代に生きる我々の身近にも、そういう話はごろごろ転がってて

  ありふれてるんですが、給料が入るとすぐにギャンブルにつぎ込んで

  、二週間もするとほぼオケラ状態なんというのが当たり前、

  こういうのを耳にすると、そら恐ろしい心持ちになります。

  しかも「今月の俺は来月の俺が助けてくれる」という、

  ちょっと何言ってるか分からない話をされると、どう返事していいか

  分からない。普通の感覚ではないという事だけは確かですな。

  現代ではギャンブルも多様化し、競馬だの競輪だのパチンコだのと

  色々ございますが、江戸時代ではサイコロを使った賭博とばく

  主流でして、チョボイチ、丁半ちょうはん大目小目おおめこめなどというものがおおいに

  流行はやったそうです。

  当たればデカいが外すとオケラの素寒貧すかんぴんさいの目ひとつで身上しんしょう

  無くしてしまうなんてことは、今も昔もそう変わりはないようで。


長兵衛:おぅい、おっかぁ。

    いまけえったぞ。

    真っ暗じゃねぇか!あかりくれぇつけろやい。

    こう、暗かったら鼻っつらままれてもしゃあねぇや!

    ……おぅ、おかねはいねえのか?

    ちっ、いねえならいねえって返事しろィ!


お兼:いるよ!!


長兵衛:ぅおっ、びっくりした!

    いるじゃねぇか!


お兼:また半纏はんてん一枚で帰ってきて!

   細川様の屋敷で負けたんだろ!


長兵衛:うるせぇなあ、分かってるなら聞かなきゃいいだろ。

    着物までけにっちまった。

    まさかはだかでも帰れめえってんで、この尻切しりき半纏ばんてん貸してくれたん

    だよ…って、半ベソかいてやがら。

    おめェは泣いてるかふくれてるかどっちかだな。

    それにうすっ暗くしやがって、こういう陰気くせえ所によくいら

    れるな。

    あかり入れたらどうなんだよ。


お兼:入れりゃいいじゃないか!


長兵衛:おめェが入れろよ。


お兼:油が無いよ!


長兵衛:買ってくりゃいいじゃねえか。


お兼:どこにおあしがあるってんだい!

   博打ばくちばっかりやってさ、負けて取られてばっかりいてさ!


長兵衛:ハナっから取られようと思って出かけてくんじゃねえんだ。

    取ろうと思って、いくらかにしようと思って出かけるんだ。

    それにみんなが取られてばっかりいるわけじゃねえ。

    取ってる奴だってちゃんといるんだ。

    俺もそっち側へまわりゃいいって話だ。

    なにも博打ばくちで取られて帰ってきたからって、いちいち泣くんじゃ

    ねえ!

    そんなんだから付くものも付かねえんだよ!

    ちょうとありゃはんはんとありゃちょうってよ!

    裏目うらめ裏目うらめに出ちまうんだ!


お兼:なんの関係があるってんだい!

   そんなんで泣いてんじゃないよ!大変なんだよ!


長兵衛:あ?何だよ大変だって。


お兼:おひさがいなくなっちゃったんだよ!


長兵衛:どこ行ったんだよ。


お兼:知らないよ!

   ゆんべから帰ってこないんだよ。


長兵衛:知らないってこたァねえだろ。

    どこ行ったってんだよ。


お兼:分からないから困ってるんじゃないか!


長兵衛:分からねえって、んな所につっ立ってねえで

    さがしに行きゃいいだろ。


お兼:さがしたさ!

   朝からずっとさがし歩いたけど、どこにもいないんだよ!

   あたしだけじゃない、長屋ながやの皆が手分てわけしてさがしてくれたんだ。

   あの子の行きそうな所をそこらじゅうあたったんだけど、

   どこにもいないんだよ!

   どうしよう…!【泣きだす】


長兵衛:また泣きやがる…いちいちそうやって泣くんじゃねえよ!

    大丈夫だって、心配する事はねえやな。

    きっと好きな男でもできて、どっかにしけこんでんだろ。

    こないだっからどうもおかしいとは思ってたんだ。

    建具屋たてぐや半公はんこうが、おひさ色目いろめ使ってたしな。

    このぶんじゃ、あの二人はできてるかもしれねぇぞ。


お兼:あの子はそんなふしだらな子じゃないよ!

   よしんば男ができたってね、親のあたしに何も言わずにうちをあける

   ような事はしやしない!


長兵衛:バカなこと言ってやがる。

    男をこさえるのに、いちいち親に断ってからこさえる奴があるか

    。

    日陰の豆だってはじける時分じぶんにゃはじけるってもんだ。


お兼:なに気のいたこと言ったつもりになってんのさ!

   きっと、とうとううちを出てって行っちまったんだよ。


長兵衛:うちを出た?

    なんかこのうちに不足でもあるってのか?


お兼:何を言ってんだい!あるに決まってるじゃないか!

   お前さんに愛想あいそをつかしたんだよ!


長兵衛:俺に?


お兼:あの子は今年で十七、年頃としごろだよ!?

   綺麗きれいな着物を着てみたい、べにのひとつも差してみたいって思うのは

   当然じゃないか!あの子のなりをごらんよ!

   年がら年中、わかめの行列みたいなおんぼろにくるんどいてさ!

   かわいそうだと思わないのかい!?

   なのにお前さんは着物や帯はおろか、かんざし一本買ってやるわけ

   じゃない!

   博打ばくちばっかりやって、酒呑さけのんでうち帰って来て暴れて、

   あの子を怒鳴ったり、あたしをぶったりったりなんかしてさ!

   そんなのが毎日毎日のべつに続いたら、嫌になっちまわない方が

   おかしいんだよ!


長兵衛:うるせぇな、なに言ってやがんでぇ。

    そんな事で出てったってのかよ。


お兼:そうに違いないさ!

   いたたまれなくなって、親にもこの世にも愛想あいそつかして出てって…

   もし身投みなげでもしたらどうしよう…!


長兵衛:縁起えんぎでもねえこと言うんじゃねえよ。


お兼:そんな事になったらね、あたしはこんなうちにいないよ!


長兵衛:この野郎ォ…ああそうかい!

    出てけ出てけ!

    誰がいてくれって頼むかい!

    おめえが出ていきゃ、俺も出てくんだ!


お兼:あたしが出てって、お前さんが出てって、

   それでどこに行くってんだい!


長兵衛:よそで所帯しょたい持つんだよ。


お兼:お前さんって人は…本当になに言ってもわかんないんだね…!


長兵衛:うるせぇこの野郎ッ!


藤助:こんばんわ!


長兵衛:【何事もなかったように】

    はい!

    …誰か来たぞ。

    おめぇはどこか隠れてろ。そんな汚ねぇ泣きっつら見せるんじゃね

    えよ。


    誰だい?

    しまりはしてねえから、用があるなら開けて入って来てくれ!


藤助:こんばんわ、ごめんください。

   …どうも親方おやかた、しばらくでございました。


長兵衛:え?

    あぁぁ!これァどうも!

    しばらくでござんしたねェ!

    …誰でしたっけ?


藤助:ははは…これは恐れ入りました。

   お見忘みわすれでござんすか?

   佐野槌さのづち藤助とうすけでござんすよ。


長兵衛:あ、【ポンと手を叩いて】

    ちげえねぇ、そうそう藤助とうすけさんだよ。

    声まで忘れちまって、面目めんぼくねえ。

    にしても…太ったねぇ。

    ああ、こちら吉原よしわら佐野槌さのづち番頭ばんとうさんだ。

    大変に世話せわになってるんだ。

    いやァしばらくでござんした!

    まま、よくこんな汚ねえところへおいでになりやした。

    それで、何かご用でござんすか?


藤助:ええ、うちの女将おかみさんが親方おやかたにおいでを願いたいと、

   こういう話なんです。


長兵衛:あー…、女将おかみさんがね。

    えぇ分かってるんですよ。

    くらの仕事がやりかけになっちまってる。気にはしてるんですが、

    こっちもなんだかんだと色々ありやしてね。

    今やってる仕事が一日二日でもってかたが付きますんで、

    二、三日したら必ずうかがいますと、藤助とうすけさんから女将おかみさんに

    そう伝えといておくんなせェ。


藤助:それがあの、今すぐにおいでを願いたいと、

   こう言ってるんですが。


長兵衛:あー…今すぐでござんすか…弱っちゃったなぁどうも。

    実はね、ちょいと取り込みごとがありやしてね。


藤助:その取り込みごとてのは、おひさちゃんの事じゃございませんか?


長兵衛:え?よく知ってやすね。

    いつお耳に入ったんで?


藤助:そりゃああんな大きな声でわあわあわあわあ騒いでたらね、

   聞くなったって聞こえますよ。

   それで、うちの女将おかみさんのご用と言うのも、その事なんでして。

   お久ちゃんが昨晩、たなの方へお見えになって、

   そのままとまってるんで。


長兵衛:…え、佐野槌さのづちさんに!?

    おいおっかぁ、冗談じゃねえな。

    油断もすきもねえ、物騒ぶっそうな世の中だよ。

    で、誰です?どんな野郎が連れ込んだんで!?


藤助:いえ、お一人でお見えになってるんで。


長兵衛:え、一人で?


藤助:はい、女将おかみさんとずいぶん長いこと話し込まれてました。

   それで、今日になってから親方おやかたを呼びに行くよう使いに出されたん

   ですが、ほかの用を足しておりましたら遅くなりまして。

   こんな遅い刻限こくげんで申し訳ありませんが、何とぞご同道どうどういただけたら

   と。


長兵衛:そうですか!

    おい、おひさのやつ、佐野槌さのづちさんとこへ行っちまってるんだとよ。


お兼:あぁ…見つかって良かったよ。

   どうもわざわざ、ありがとうございます。

   お前さん、すぐに迎えに行っとくれ。


長兵衛:いやぁよかった、本当にありがとうございます。

    本当にもうね、ほうぼうさがしまわってたんですよ。

    おいおっかあ、良かったな、居所いどころが分かって。


お兼:何のんきなこと言ってんだい。

   あたしも行きたいけど、女が行けるところじゃないから…

   お前さん頼むよ、早く迎えに行っとくれ。

   ぐずぐずぐずぐずしてないでさ。


長兵衛:なに言ってやがんでぇ。

    こんな尻切しりき半纏ばんてん一枚に下がふんどし一丁、

    こんな格好かっこうでもって吉原よしわら歩けるわけがねえだろ。


お兼:そんな事言ったって、それしかないんだからしょうがないじゃないか。

   恰好かっこうがいいよ、お前さん。


長兵衛:バカ野郎。

    こんな格好かっこうのままおもてを歩いてみろ。

    細川様の屋敷で博打ばくちに負けたんです、って看板ぶら下げて、

    自分から広めて歩いてるようなもんじゃねえか。

    吉原よしわらなんざ見栄みえの場所だってのに、みっともなくてしょうがねえ。

    ましてや佐野槌さのづち女将おかみさんにはな…ちょいと具合ぐあいが悪いんだよ。

    だからよそ行きの着物出せ。


お兼:よそ行き…って、どうかしちまったのかね、この人は。

   うちにはもう何もないよ!

   ぜんぶしちに入れちまってるんだから!


長兵衛:え、ねえのかよ。


お兼:ねえのかよじゃないよ!

   何から何までありゃしないよ!


長兵衛:しょうがねえなあ…。

    じゃ、おめえの着物貸せよ。


お兼:ハァ?なに言ってんだい、冗談じゃないよ!

   女物おんなものの着物を、男のお前さんが着て歩くってのかい?

   くちだってあいてんだよ?


長兵衛:あいてたっていいだろうが。

    いいんだよなんだって。尻切しりき半纏ばんてんよりゃマシだ。

    こうやって腕組んで歩きゃいいんだから、かまわねえよ!

    だから脱げ。


お兼:嫌だよ!

   これ、着てるから着物に見えるけど、脱いだらボロなんだから。

   どこもかしこもぎだらけで、どれがもとの生地きじなんだか分かりゃ

   しない!

   こないだなんか、あんまり継ぎが多いもんだからかげで、

   東海道五十三次とうかいどうごじゅうさんつぎって、そう言われてたんだからね!


長兵衛:なに言ってやんでェ、ちっとも上手うまくねえやな。

    いいから早くしろィ!


お兼:じゃああたしはどうするんだい!

   これ脱いじゃったら着るものが無いんだよ!?


長兵衛:俺の尻切しりき半纏ばんてん、貸してやるよ。


お兼:半纏はんてんって…あたしは胴が長いんだよ。

   着たってへそまでしかないじゃないか!

   長屋ながやのはばかり行く時どうすんだい!


長兵衛:しょうがねえな…。

    じゃあ俺がたたみ上げて床板ゆかいたがしとくから、そこにしな。

    あとに砂かけときゃ分かりゃしねえよ。


お兼:あたしは猫じゃないよ!


長兵衛:ごちゃごちゃうるせぇな!

    いいから貸せってんだよ!

    っ藤助とうすけさん、先に戻ってくだせえ。

    あっしもおっつけ後から参りますんで!


藤助:そうですか?

   分かりました、では…。


長兵衛:あ、どぶ板跳ねますんで、気を付けて!


    …っバカ野郎。

    おめえ、藤助とうすけさんの前でみっともねえ真似まねするんじゃねえよ。


お兼:着物貸すのは嫌だって、そう言ってるだけじゃないか!


長兵衛:~~ぐずぐずぐずぐず言うんじゃーー


お兼:言うよ!

   だってその尻切しりき半纏ばんてん着ちゃったら、下はどうすんだい!


長兵衛:腰巻こしまきまいてんだろ。


お兼:してたらこんな事言いやしないよ!


長兵衛:え、おめえ…腰巻こしまきねえのか…?

    それじゃ、下は生まれたまんまなのかよ…?


お兼:なに言ってんだい!

   もう忘れちまったのかい!?

   五日ほど前だよ、博打ばくちに取られて昼間ぴるまから帰ってきやがってさ

   、「おっかあ、うちに何か質草しちくさねえか」って聞くから、

   何にもありゃしないよって言ったら、いきなりあたしをバーンと

   押し倒した。

   久しぶりだったからあたしは嬉しかったよ。

   お前さん、そんなあわてんじゃないよ。いま戸締とじまりするから、

   って言ったら、「バカ野郎、勘違いすんな」って、

   腰巻こしまきはずして質屋しちやに持ってっちまったじゃないか!


長兵衛:あぁ…そうだったっけか?

    自分で持ってってアレだけどよ、…買う奴いるのかね?


お兼:知らないよ!

   あれからあたしはね、スカスカスカスカしてしょうがないんだ!

   そんな尻切しりき半纏ばんてんなんか着れるもんか!


長兵衛:うるせえなぁバカ野郎!

    いいから貸しねェ!


お兼:だから、貸したあとあたしはどうすんだい!

   おもにへそから下!


長兵衛:…じゃあしょうがねえ、この風呂敷ふろしきを代わりに巻いとけ。


お兼:嫌だよそんなの!

   それにその風呂敷ふろしきもんが付いてるじゃないか。


長兵衛:いいじゃねえか。

    紋付もんつき腰巻こしまきってなもんだ、贅沢ぜいたくじゃねえか。

    いいから、向こうあんまり待たせちゃなんねえ。

    早く脱げ!


お兼:~~~わかったよ……。

   【二拍】

   ほら!


長兵衛:おう。


    【二拍】


    よし、行ってくる。


    【二拍】


藤助:親方おやかた


長兵衛:!?おぅなんだい、待ってたんですかい?


藤助:ええまぁ。

   親方おやかた面白おもしろ格好かっこうしてますね。

   この辺じゃそう言うのが流行はやってるんで?


長兵衛:いやいや、バカ言っちゃいけやせんよ。


藤助:…羽織はおり、貸しましょうか?


長兵衛:えっ、いいんですかい?

    助かるなぁ。


藤助:いえいえ、では参りましょうか。


   【三拍】


   さ、どうぞ。

   女将おかみさん、達磨横町だるまよこちょう親方おやかたをお連れ申しました。


女将:あぁ、分かったよ。

   一人だけ残って、あとはみんな下がっとくれ。


   【二拍】


   どうぞ。


長兵衛:…ごめんなすって。

    どうも、ご無沙汰ぶさたして申し訳ありやせん。

    貧乏びんぼうひまなしというやつでして…。

    ご当家とうけもご繫盛はんじょうで何よりで。


女将:あぁありがとう、おかげさまでなんとかなっててね。

   無沙汰ぶさたは無事のたより、気にしないでおくれ。

   それよりすまないね、呼び立てちまって。

   親方おやかたも元気でやってるかい…と言いたいところだけど、

   あんまり顔色もさえないし、なんだかボロがうずくまってるみたい

   な…、まぁお前さんの暮らしの事はいいや。

   …この子は知ってるよね?


長兵衛:え、ええ、知ってるも何も…、うちの娘ですからね。

    まったく見世みせのほうへ押しかけて…礼儀も何も知らねえ、

    本当にガキと同じですよ。

    【お久ヘ向かって】

    ッこのバカ野郎、何でこちらさんにうかがったりしてんだよ。

    ご迷惑じゃねえか。

    行くなら行くって、なぜ一言ひとことおっかあに言わねえんだ。

    字が書けねえわけじゃあるめぇし、紙切れにでも書いておけって

    んだ。

    おっかあは気違きちがいになって騒いで心配してたんだぞ。

    俺だって寝らんねえよ。

    長屋ながやじゅうだってはちの巣をつついたような騒ぎだ。

    だいいちな、そんななりで来るやつがあるか。

    こういうとこへ来る時はな、箪笥たんすの奥にある良いのを

    着てこいって、普段からそう言ってるじゃねえか。


女将:なんだい親方おやかた、いきなりポンポンポンポン小言こごとを言ってさ。

   お前さんの方こそ、箪笥たんすの奥の良いのを着てくりゃ良かったじゃな

   いか。

   だいたいなんだいその着物は。

   くちあいてるってことは、女房にょうぼうのだろ?

   いくら出入りの者だからって、そんな恰好かっこうでこういう所へ来る人が

   あるかい。

   それにその羽織はおり藤助とうすけのだろ?


長兵衛:え、いやまぁ…ええ、そうですけど。

    いや、実はこの着物、気に入ってるやつなんで…。

    【お久に向かって】

    おい、何のんきにそんなとこに座ってんだ。

    ぐずぐずぐずぐずしてねえで、けえるんだよ!

    ったくしょうがねえな!


女将:だから小言こごとを言うんじゃないよ!

   親方おやかた、この子に小言こごとを言うと…お前さん、バチが当たるよ。


長兵衛:いやいや、とんでもねえ。

    こんなガキはーー


女将:【↑の語尾に喰い気味に】

   そうじゃないよ。

   こんないい子はありゃしないよ、ええ?

   ゆうべ…中引なかびけちょいと前だったかね。

   この子があたしに会いに来たんだよ。


お久:本所ほんじょ達磨横町だるまよこちょう左官さかん長兵衛ちょうべえの娘、

   おひさでございます。


女将:そう言われてびっくりしたね。

   お前さんがうちへ仕事に来ている時分じぶん、ちょくちょく弁当を届けに

   来ていたあのチビが、こんなに大きくなっちゃったんだもの。

   まあ大きくなって、でもこんな刻限こくげんにいったい何の用だいって

   聞いたら、


お久:親の恥をしのんで話さなければなりません…。

   おとっつぁんは近頃、仕事もしないで博打ばくちばかりしておりまして、

   取られて帰ってくるとおっかさんをぶったりったりいたします。

   黙ってそれを見ているわけにはいきませんが、私の力じゃどうにも

   なりませんし、のべつに別れるだの、所帯をしまうだのと言い出さ

   れると心配でなりません。

   以前はそんなことは無かったんですけど、博打ばくちを始めてから

   おとっつぁんは、急に人が変わったようになってしまいました。

   なんとかしてまた仕事を始めてもらおうと、こないだおっかさんに

   話をしたんです。

   そしたら、義理の悪い借金を返さなきゃおとっつぁんは仕事を始め

   る事ができないんだって聞かされました。

   そこで女将おかみさんにお願いでございます。

   こんなお多福たふくでも良ければ、どうか私を買って下さいまし。

   そしてそのお金でおとっつぁんが借金を返して、

   また仕事に精を出すことができるように、

   おっかさんと仲良くするように、

   女将おかみさんからよく意見をしてくださいまし…!


女将:そうやって涙ながらに手をついて頼むんだよ?

   あたしももらい泣きしちまったよ。

   だらしのない親の為に苦界くがいへ身を沈めて、

   そのお金でお前さんをまっとうにしようってんだよ?

   あたしはしょせん女郎屋じょろうや女将おかみ、お前さんは堅気かたぎ親方おやかただ。

   意見するなんて出過ぎた真似まねだと思うだろうけど、

   長年ながねんの付き合いに免じて言わせてもらうよ。

   昔から言うだろ、

   「酒もみなよ博打ばくちも打ちな、たんとかせいだはしただけ」ってさ。

   はしたがねで遊ぶには構わないんだよ。

   女房にょうぼう子供に泣きを見せるような遊びをして、それで亭主ていしゅなのかい?

   親方なのかい?はちの頭なのかい?

   長兵衛ちょうべえさん、この子にああいう事言わせて、

   恥ずかしいとは思わないのかい?


長兵衛:【ぶつぶつ言う】

    …だからあっしァ女のガキは嫌いだってんですよ…。

    うちの事ぺらぺらぺらぺらしゃべってやがる…このバカ。


女将:やかましいね!

   小言こごとを言うんじゃないってんだよ!!

   こんな親孝行の娘がいて、働き者の女房にょうぼうがいてさ、

   何が不足でお前さん博打ばくちなんぞしてんだい?

   腕が無いってんならまだしも、コテを持たせたらお前さんの右に

   出る者はこの江戸にいないって、仲間がみんなめてるじゃないか

   。

   「見ねえ、このくらはあの長兵衛ちょうべえった漆喰しっくいだ。

   だからいざって時にこのくらにゃ、目塗めぬりはいらねえよ」って。

   そういう言葉を小耳こみみにはさむたびに、あたしはどれほど鼻が高かっ

   たか知れやしないよ。

   そんないい腕を持っていながらさ、

   何だって女房にょうぼう子供になげきをかけながら博打ばくち打つんだい、え?

   それで生計せいけいたてようってのかい?

   博打ばくちくら建てたって話はいまだに聞かないけどね!

   …ちょいと、長兵衛ちょうべえさん、黙ってちゃ分からないよ。

   何とか言ったらどうなんだい!


長兵衛:……。

    ……どうも、あいすいませんで…、

    本当に、面目次第めんぼくしだいもありやせん…。

    …あっしもね、こんなんなるとは思ってもいなかったんで。

    女将おかみさんも知っての通り、あっしは博打ばくちなんてものは、

    ガキの頃からこれっぱかりもやったことがなかった。

    それが、ある時ちょいと付き合いで手ェ出したやつが面白おもしろくて…

    夢中になってしまいやしたね。

    女房にょうぼうや娘に、おびの一本も下駄げたの一つも何とかしてやりてえと、

    そう思ってるところに細川様の屋敷の中間部屋ちゅうげんべやのぞいたら、

    ガラポンの真っ最中だ。

    盆の周りはぜにの山、一つ目と出てあのぜにが残らずあっしのものに

    なりゃ、かかぁと娘にうわっと喜ぶほど買ってやれると思って、

    ちょいと手を出したがつまづきのもとで。

    取られたやつを取り返そうと、深みにハマっちまったんでござん

    す。

    気が付いたら、命の次に大事な商売道具のコテまで、

    しちに入れちまってて…。

    今にひとつ大きく当たったら、そん時にはすっぱり足を洗って、

    女房にょうぼうと娘に綺麗きれいな着物の一枚でも買ってやりてえと思ってるんで

    すが、義理の悪い借金のせいでもう、にっちもさっちもいかなく

    なっちまって…。

    面目めんぼくありやせん…。


女将:…困ったね。

   それじゃお前さん、きりが無いよ。

   借金を返して、仕事に精を出したいという気にはならないのかい?


長兵衛:ッそれは、そうしてえと思ってるんですが…、

    商売道具もしちのかたに取られちまってて…

    受け出すぜにすらねえんです。


女将:じゃあ、商売道具を受け出して、借金を返していけるんなら

   仕事を始めるんだね?


長兵衛:え、ええ、そりゃまぁ、そうしてえと思ってるんですよ。


女将:いくらあればいいんだい?


長兵衛:…そうですね…博打ばくちの借りを払って、あちこちの借金を返して、

    質屋しちやから道具箱だのなんだかんだ受け出して…、


女将:細かいところはいいんだよ。

   まとめるとどれくらいになるんだい?


長兵衛:まぁ…四十五しじゅうご六両ろくりょうあれば何とかなるんでござんす。


女将:ずいぶんこさえたね…。

   なら五十両ごじゅうりょうもあれば何とかなるんだね?


長兵衛:え、ええ、五十両ごじゅうりょうありゃおんなんで。


女将:そうかい。

   じゃあその五十両ごじゅうりょう、あたしが貸してあげようじゃないか。


長兵衛:えっ!女将おかみさんが!?

    い、いいんですか…!?

    あ、ありがとうございやす!お願いしやす!

    そうしていただけたら助かるんです!

    この通りでござんす!


女将:それで、いつ返してくれるんだい?


長兵衛:そうですね…正月七草ななくさまでには返しやす。


女将:…お前さんね、いまとしの暮れだよ?

   この暮れに来て、五十両ごじゅうりょうの金を借りて、

   正月七草しょうがつななくさまでに返せるわけがないじゃないか。

   そんないい加減な事を言わないで、本当に返せると思う時期を

   言ってごらん。

   いつだい?


長兵衛:ええ、あの…なるたけ早く返しにあがりてえんですが、

    三、四月…だとちょいと苦しいんで。

    五、六月…来年のお盆までには何とかなると思うんです。


女将:何とかなるってのは心細こころぼそいねえ。

   はっきり返してもらえるのかね?


長兵衛:ええ、それはもう、きちっとお返しにあがります。


女将:…そうかい。

   じゃあこっちも大負おおまけに負けようじゃないか。

   二年だ。再来年の大晦日おおみそかまで待ってあげよう。

   お前さんの腕だったら返せるだろ?むこう二年あるんだからさ。

   そりゃいっぺんに返そうと思えば大変だけど、ある時に少しずつ

   入れていけばいいさ。

   お前さんの腕だったら、その気になりゃ五十両ごじゅうりょうは必ず返せるさ。

   けれどその気にならなきゃ話は別だよ。

   それでいいかい?


長兵衛:あ、ありがとうございやす!


女将:その代わり、ただでは貸せないよ。


長兵衛:ってえと、どういう…?


女将:と言って、証文しょうもんをお前さんからもらったってしょうがないし…。

   どうだろう、あたしがこの子を預かるってのはどうだい?


長兵衛:え、おひさを…ですか?


女将:そうさ。

   不人情ふにんじょうな事を言うようだけどね、

   今のお前さんにはとてもおっかなくて、五十両ごじゅうりょうの金なんか貸せない

   。

   まとまった金を手にした途端とたん、今まで取られた口惜くやしさでもって

   カーッとなって、また博打ばくちに手を出しちまったらもう何にもなりゃ

   しない。

   だから人質ひとじちってわけでもないけど、この子を預からせとくれ。

   ただし、心配はしないでおくれ。

   見世みせに出そうってわけじゃないんだよ。

   あたしの側に置いといて、身の周りの世話をしてもらうんだ。

   それに、どこに出しても、嫁にやっても恥ずかしくないように、

   色んなお稽古事けいこごとさせて、一通ひととおりの事は仕込しこんであげるよ。


長兵衛:そこまでしていただいて…わかりやした。

    それじゃ、そういうふうにお願いいたしやす。


女将:わかったよ。

   それじゃ、ちょいと待っといて。


   【二拍】


   さ、おひさちゃん。

   これをおとっつぁんのところへ持ってっておあげ。


お久:は、はい…。


   おとっつぁん、女将おかみさんからこれ…。


長兵衛:ぉ、おう…わかったよ。


女将:よく数えておくれ。

   お金の事だからね、後で足りなかったなんて言われんのは

   嫌だからね。


   …どうだい?


長兵衛:へ、へい…たしかに五十両ごじゅうりょうありやす。


女将:うん、それならいいよ。入れるものはあるかい?


長兵衛:それが、あいにくと…。


女将:ならちょっとお待ち。


   ここに財布があるから、これを使うといいよ。

   死んだうちの人が気に入ってた羽織はおり

   残りきれでこしらえたんだ。

   その財布見るたびに思い出しな。

   うちの人が自分に小言こごとついてるんだって。


長兵衛:へいっ…ありがとうございやす。

    必ずお返しにあがりやすから。


女将:いいかい、再来年の十二月三十一日の大晦日おおみそか

   浅草弁天山あさくさべんてんやま除夜じょやかね百八ひゃくやっツ、

   それが鳴り終わるまでに五十両ごじゅうりょう、耳をそろえて持っておいで。

   半紙一畳はんしいちじょう鰹節一本かつぶしいっぽん付けることはないからね。

   ただし、一日でも過ぎるとあたしは鬼になるよ。

   煮て食おうと焼いて食おうとこっちの勝手だからね。

   この子を女郎じょろうにして見世みせに出すよ。

   出せば出したでこんな器量きりょうよしだ、すぐに売れっ子になるだろうさ。

   けれど、なればなったでお前さんも男だ。

   承知だろうけども、もしも目に光を失い、鼻が落ち、腰が抜ける、

   そんな悪いやまい背負せおう事になったら、生きて大門おおもんは出られない。

   その時にあたしをうらんでくれちゃ困るよ。

   それが嫌だったら、この子が可哀想かわいそうだと思うなら、

   一生懸命にかせいで、必ず引き取りに来なくちゃならないよ。


長兵衛:へいっ…必ず、そういたしやす。

    ご迷惑をおかけして、あいすいやせん…!


女将:ちゃんと礼を言って持って行きな。


長兵衛:へい。

    女将おかみさん、ありがとうございやす…!


女将:あたしにじゃないよ!

   この子にお礼を言うんだよ。


長兵衛:えっ、自分のガキにですか…?


女将:あのね、いくらお前さんの娘だって言ったってね、

   この子のおかげでお金を借りられたんじゃないか。

   ひとこと礼を言うのは当たり前だろ。

   言えないのかい?


長兵衛:えぇ…いや、あんまり娘に礼を言いれてねえもんで…、

    【ぶちぶち言う】

    ちえっ、なんだな…礼なんて、親子の間で水くせえ…嫌だな…。

    親の恥をべらべらとよぅ…


女将:【↑の語尾に喰い気味に】

   なにをぐじぐじぐじぐじ言ってんだい!?

   嫌なら嫌でいいんだよ。

   その金をこっちへ返しとくれ。


長兵衛:ぇっぃいやいや分かりました。言います、言いますよ…。


    どうも…このたびは、とんだことでーー


女将:な、なにを言ってるんだい。

   そんな礼の言い方があるかい!


長兵衛:ぁあいや、その、ほんとに言いれてねえもんで…。

    ぉ…おひさ…その…なんだ、…すまねえ。

    おとっつぁんがバカなばっかりに、おめえに苦労をかけて…

    ほんとうに面目めんぼくねえ。

    あのな…おとっつぁん…もう金輪際こんりんざい博打ばくちはしねえよ。

    しばらくの間の辛抱しんぼうだからな。

    女将おかみさんのそばで何でも言う事を聞いて、

    一生懸命いっしょうけんめいご用を足すんだぞ。

    女将さん以外の人の言う事もな、何を言われても

    はい、はい、って、可愛がられなくちゃいけねえぞ。

    それからな、女郎じょろうの中に意地いじの悪いのがいて、

    おめえの事をいじめにかかってくるのがいるかもしれねえが、

    なに言われても怒っちゃいけねえぞ。

    パーンとやられるかもしれねえが、そん時ゃパッと手を取って、

    「お手は痛くございませんか、怪我はしませんか」くらいの事を

    言ってやるんだ。

    何事なにごとさからわねえで、ニコニコニコニコ笑ってりゃいいんだ。

    おとっつぁん、一生懸命いっしょうけんめいかせいでおめえを迎えに来るからな。

    再来年の大晦日おおみそかなんて言わねえ、一日でも早く五十両ごじゅうりょうかせいで、

    こちらにお返ししてよ、おめえを連れ戻せたら、

    後はどうなってもいいやな。

    それこそくそゥくらえだ。


女将:…長兵衛ちょうべえさん、それ、誰の前で言ってんだい。


長兵衛:あ、いぃやいやその、

    あっしとおひさ内緒話ないしょばなしでござんすよ、ええ。


女将:その真ん中にあたしがいるんだけどね。

   聞くなったって聞こえるじゃないか。

   まあ、お前さんの事だ、あたしはとがめやしない。

   長兵衛ちょうべえさん、きちっと左官さかんの仕事をして、博打ばくちは止めて、

   おかみさんを大事にするんだよ。


お久:おとっつぁん、わたしの事は心配しないで。

   それより決してそのお金を博打ばくちに使わないでね。

   おっかさんがしゃくを起こしたりしたら、おとっつぁんが世話せわして

   下さいね。

   体も弱いから、ケンカなんかしてきつくぶったり蹴ったりされると

   おっかさんには本当にこたえるから、くれぐれも仲良くして下さい。


長兵衛:~~分かってる、分かってるよ。

    そんなに言わなくたって大丈夫だよ。

    おとっつぁんだってな、なにもおっかぁの事が嫌いで叩いたりし

    たわけじゃねえんだ。

    博打ばくちで取られて当たるとこも無くて、

    ついむしゃくしゃしちまってな。

    博打ばくちはもう金輪際こんりんざいやらねえって決めたんだから、

    もうおっかぁに手を上げたりする事もねえ。

    だから心配するな、大丈夫だよ。


お久:ぐすっ…きっとですよ…?


長兵衛:泣くんじゃねえよ…本当に…しょうがねえな…。

    っへへ、女将おかみさん…てめえのガキにこんなこと言われるように

    なっちゃ、もうおしまいでござんすよ…。


女将:ほんとだよ、おひさちゃんの言う通りだよ。

   それじゃ、家で女房にょうぼうが心配して帰りを待ってるんだろ?

   早く帰っておやり。

   くれぐれも金を落とさないように気を付けるんだよ。


長兵衛:へ、へいっ。


女将:いいかい、必ずおひさちゃんを迎えに来ておくれよ。


長兵衛:へいっ。

    …それじゃ女将おかみさん、

    どうかおひさを、うちの娘を、よろしくお願いしやす…!


女将:あぁ、心配はいらないよ。

   それと羽織はおり、ちゃんと返してお行き。


長兵衛:あぁ羽織はおりね!そうだそうだ…ちげぇねぇ…!


藤助:いや親方おやかた大門おおもん出るまで着ていかれたら…


長兵衛:あぁいい、いいんですよ。

    ここまでくりゃこっちのもんだ。

    恥のかきついでってやつで!

    それじゃ、よろしくお頼みしやす…!


語り:かくして長兵衛ちょうべえ五十両ごじゅうりょうの金をふところにしっかりとしまい込んで大門おおもん

   出ました。

   衣紋坂えもんざかから見返みかえやなぎへかかってきて土手八丁どてはっちょう

   左が山谷堀さんやぼりで右が吉原よしわら田んぼ、その頃は正直蕎麦屋しょうじきそばやというのがあっ

   たそうで。「正直の 屋根の向こうに 嘘が見え」という川柳せんりゅう

   それが現れております。

   土手どて道哲どうてつ砂利場じゃりばからやがて大川おおかわへぶつかる。

   土手どてへ右に切れます左は向島むこうじま三囲みめぐりが見えたかどうだか。

   金竜山きんりゅうざん下瓦町しもかわらまち待乳山聖天まつちやましょうでんが五重の塔を右に見て、

   やま宿しゅくから花川戸はながわどを左へ曲がると吾妻橋あづまばしへ差し掛かりました。


長兵衛:【鼻をすすっている】

    おひさぁ…勘弁してくれよ…。

    おとっつぁんはもう、博打ばくちとはすっぱり縁を切るからな…。

    …へっ、子供だ子供だと思ってたけどよ、いつの間にか立派に

    なりやがって…。

    ぐすっ…もう、ほんとに…しょうがねえやな…。

    情けねえことになっちまってよう…

    やけにまた風がみるじゃねえかよ…。


    …ん?なんだありゃ…ってまさか、身投げか!?

    【駆け寄りながら】

    おいッ待ちなッッこんちきしょうッッ!!!

    欄干らんかん足掛あしかけやがって、危ねえじゃねえか!!

    ッ早まるんじゃっ、ねえッ!!


文七:!?あッお願いでございます!

   どうか、その手をお放しください!


長兵衛:じょっ、冗談言っちゃいけねえバカ野郎ッ!

    ッ何をしてんだ、だっダメだ!その手を放せ!


文七:お放しください!放してくださいッ!

   死ななきゃならないわけがあるんですッ!!


長兵衛:おめェが放せ!放せって!

    ッ放せってんだこんちきしょうッ!


文七:い、痛ッッ! 

   な、何をなさるんです!乱暴じゃありませんか!

   怪我けがでもしたらどうするんです!?


長兵衛:ハァ!?なに言ってやんでェ!

    川に飛び込みゃ、命がなくなるんだぞ!

    怪我けがもへったくれもあるかィ!

    いてえのは結構けっこうじゃねえか!

    ったく……ああびっくりした。

    何でぇおめェは!

    ……なりのこしらえからして、どこぞのおたなのモンだろ。

    腰に矢立やたてを差してやがるからな。

    さしずめ、店の使いに行ったんだろ。

    たたんだ前掛まえかけが、ふところからのぞいてらァ。

    てぇことは、売り掛けかなんか取りに行って、

    その金を使い込んだから申し訳ねえってんで、この真っ暗な中に

    吉原よしわらの空だけがぼんやり明るく映ってる、この景色を冥土めいど土産みやげ

    にして、ドカンボコンと飛び込もうってとこだろ!

    で、何に使ったんだ?

    吉原よしわら女郎買じょろうかいか?

    それとも博打ばくちか?

    …博打ばくちは…いけねえぞ、な?

    んな事やってっと、ロクな事はねえぞ。

    で、どっちだい?


文七:…っそ、そんなんじゃないんでございます…!


長兵衛:え…じゃあなんだい?


文七:ぐすっ……いいんです…!!


長兵衛:なっ、いいんですって、そんな言いぐさはねえじゃねえか!

    俺だっておめえの事を止めちまったんだよ?

    このままうっちゃっていくわけにはいかねえんだい!

    形がつかねえよそれじゃあ!

    な、わけを言ってみねえ。話してみなよ。聞こうじゃねえか。

    わけえうちはな、何かあるってぇとすぐに死ななきゃならねえと

    思い込んじまうんだ。

    よぉく考えりゃあな、他に道はあるもんだよ。

    一人で抱え込んでると、どうしても死ぬって方向に行っちまうん

    だ。

    俺が一緒に考えて、他の道を見つけてやろうじゃねえか。

    わけを聞いて、なるほどこれはどうしても死ななきゃなんねえと

    思ったら、俺ァもう余計な事は言わねえよ。

    身投げの手伝いしてやるから。

    おめえの事を川へおっり込んでやっからよ。

    話してみろィ!


文七:う…うぅっ…あたくしは…横山町よこやまちょう鼈甲問屋べっこうどんや

   大宮おおみや手代てだいでございます。

   今日、小梅こうめ水戸みと様のお屋敷やしきへ、売り掛けをいただきに参ったんで

   す。

   その帰り…枕橋まくらばしのところです。

   人相風体にんそうふうていの良くない男にドーンと突き当たられましたので。

   ああいう男が人のふところを狙うもんだから気を付けなければと、

   急いで確かめたんですが…その時にはもう、遅かったんでございま

   す…。


長兵衛:やられちまったのか…そりゃあ、向こうは商売だからな。

    で、いくらやられたんだ?


文七:ぐすっ…五十両ごじゅうりょうでございます…。


長兵衛:五十両ごじゅうりょうォ!?

    …他人事ひとごとじゃねえぜおい…。

    大金を持って歩いてる時にぼんやりしちゃダメだろ、間抜け。

    江戸ってのはな、生きうまの目を抜くようなとこなんだ。

    こうやって、へその上にグッとじ込んで、

    しっかり押さえて歩かなきゃよ。

    スリにやられたんじゃ、金は出て来ねえぞ。


文七:ですからあたくし、ご主人への申しわけの為に

   身を投げて死ぬんです…!

   お見逃みのがし下さい、お見逃みのがし下さい…!


長兵衛:ちょちょちょ待て待て、待ちなよ!

    そうは言うけどな、なにも死ぬことはねえよ。

    おめえのご主人てのは何かい、ガリガリ亡者か?


文七:な、なんですそれは?


長兵衛:だから、話の分からねえ業突ごうつりかって聞いてんだよ!


文七:いいえ、話のよく分かる、優しい旦那だんな様でございます…。


長兵衛:だったらいいじゃねえか。

    これからまっすぐ店へ帰ってよ、

    ご主人様にこれこれこういうわけですって、正直に話すんだよ。

    おめえみたいなわけえのに、五十両ごじゅうりょうなんて掛け取り任せるような

    とこだ。チャチな店じゃあるめぇ。

    女郎買じょろうかいで使ったとか、博打ばくちで取られたとか、

    そういうわけじゃねえんだ。スリにやられたってんだから。

    おめえが今まで正直にやっていたんなら、必ず許してくれるよ。

    それでもおめえの気が済まねえんだったら、まだわけえんだ。

    これから先、何年かかったっていいじゃねえか。

    五十両ごじゅうりょうかせいで返しゃいいんだよ。

    そりゃいっぺんに返そうとおもや大変だからな、

    ある時に少しずつ入れていきゃ、そのうちちゃんと返せるんだ。

    その方がいいよ、そうしな。


文七:へ、へい…ご親切にありがとうございました…。

   どうぞ、あちらにいらしてくださいまし…。


長兵衛:そうかい、わかったんだな?

    飛び込んで死んじまったらつまらねえぞ。

    死んで花実はなみは咲かねえんだ。

    この浮世うきよはな、生きていたくたって生きていけねえ人が

    いくらもあるんだからな。

    まだおめえなんざ、先があるんだからな。

    死ぬなよ?


文七:……死にません。


長兵衛:そうかい。じゃ、俺は行くから早く帰れよ。

    きっと心配しているぞ。

    いいなーーってッ待てこの野郎ォッ!こんちきしょうッ!

    【再度身投げしようとした文七を抱きとめる】

    死なねえって言ったじゃねえか、てめえは!

    なんでまた飛び込もうとするんだよ!


文七:【泣きながら】

   お願いでございます!どうぞ、死なして下さいまし!

   助けると思って殺して下さいまし!


長兵衛:なんだこの野郎。

    助けたり殺したり…そんな難しい事はできねえよ俺には!

    ほんっとに…バカ野郎が、いま話をしてやったじゃねえか!

    死んだってしょうがねえぞ。

    おめえが死んだからって金が出てくるってわけじゃねえんだから

    、よしなよ。


文七:【グスグス言いながら】

   ですから…あたくしも、子供の使いじゃないんですから、

   店の大事なお金、それも五十両ごじゅうりょうという大金をられたからには、

   このままおめおめと店へ帰ることはできません…。


長兵衛:できませんったってな…どうにかして五十両ごじゅうりょう都合つごうがつかねえの

    かい?


文七:そんな大金…できるわけがございません…。


長兵衛:いや、おめえにできなくてもよ、親のとこ行くとか、

    叔父おじさんとか叔母おばさんとかいねえのかい?


文七:【グスグス言いながら】

   いえ…あっしに身寄りはないんです…。


長兵衛:なに、いねえのか…。

    じゃあ友達はどうなんだい?


文七:【グスグス言いながら】

   友達も、いないんです…。


長兵衛:うーむ、さっぱりしちゃってんだねぇおめえは。

    ~~弱ったなぁこれァ。どうしたもんかね。


文七:【グスグス言いながら】

   もう…もう結構でございます。

   どうぞ、どうぞお通り下さいまし…。


長兵衛:お通り下さいったってな、俺がむこうへ行っちまえば、

    おめえまた飛び込もうってんだろ。


文七:いえ…いえ、本当にもうあたくし、死にませんですから。


長兵衛:死なねえ?そうか?

    だったらいいんだよ。

    俺もちょいと急いでいるんだからさ、早く行きてえんだよ。

    だからおめえ、帰りなよ?

    本当に死なねえな?


文七:……はい…。


長兵衛:…。

    【溜息つきながら】

    あー、ちょっと待て。

    顔見せろ顔、え?

    顔を見せろってんだよ!


    …ダメだこりゃ、嘘をついて死ぬ気になってやがる。

    …死のうってんだろ!えぇ!?


文七:【涙声】

   ぐすっ…お見逃し下さい…!


長兵衛:見逃みのがせねえから弱ってんだよ!本当に……。

    ……よし、分かった!

    死ねィこんちくしょう!

    俺の話が、俺の言う事がそうまで分からねえってんならな、

    死んだ方がいいよ!

    ここで生きて商人あきんどになったってロクなもんにならねえや、

    そう話が分からねえんじゃあな、うん。

    だから死にな。死んだ方がいいよ。

    その代わりな、俺の見ている前でドボンと飛び込まれんのは

    嫌だからよ、こうしてくれや。

    俺が、これからずーっと橋を渡って向こうへ行くよな?

    んで、先の方へ行って横町よこちょうを二つ三つ曲がる。

    うんと向こうの方へ行ったら、それから飛び込むんだ。

    背中でもってドカンボコンなんて音なんざ、聞きたくねえんだ。

    分かったか!?そうしろよ!!?

    っとにもう…冗談じゃねえよ…。

    いいか?

    俺がいなくなるまで…しばらく待てよ!

    こんちきしょう、冗談じゃーーって、

    まだ俺がここにいるじゃねえかこの野郎ォ!

    【再々度文七を抱きとめる】

    …弱ったなァおい……そんなに死にてぇのか?

    悪い所へ通りかかっちまったなぁ…誰か来ねえかな?

    ゆずるよ俺ァ…しょうがねえなぁ…。


    おめえ…本当にられたのか?

    思い違いってこともあるんだから、もっぺんふところの中を

    ズーッとよく探してみな。

    ぼんやりしちまって、しょうがねえな…。

    背中の方に埋まってたりしねえのかい?


    【二拍】


文七:…やっぱり、ありません…。


長兵衛:そ、そうか…。

    やっぱりられちまったのかい。


    …あのな、おめえ、もういっぺん俺の話をよく聞きな。

    おめえは店のご主人に対して申し訳がねえからってんで、

    身投げしようってんだろ?え?


    俺ァそもそもそれが違うと思うんだ。

    身投げなんぞしたって何になるんだい。

    金が出てくるってのかい?出やしねえぞ、本当に。

    ご主人にしてみりゃおめえは死んじまう、金は出てこないで

    どうすんだよ。

    ちっともびにも何にもなってねえぞ。

    かえって迷惑になるんだ。主人孝行しゅじんこうこうでも何でもねえ。

    そんなことだから俺がさっき言ったみたいに、

    何年かかってもいいからーーって

    ちっとも話を聞いてねえやこの野郎。

    バカっ正直だなおめえは。

    すっかりその気になっちまってんだな。

    気は変わらねえか、え?


文七:っ…【うなずく】


長兵衛:ちぇっ、しっかりうなずきやがらァこんちきしょう。

    どうしても五十両ごじゅうりょうなきゃいけねえのかい?

    じゃあ…うーん……、

    物は相談だが……三十両さんじゅうりょうにはまからねえかい?

    みんな値切ねぎろうってんじゃねえんだよ。

    こっちにも色々と都合つごうがあるからさ。

    …やっぱり五十両ごじゅうりょうねえといけねえのか。


文七:へい…。


長兵衛:しょうがねぇなぁどうも…はぁ…。

    【溜息つきながらしばらく悩んでいる。】

    なぁ…考え直せよ。

    ……ダメか?


文七:へい……っ。


長兵衛:じゃあまぁ…しょうが…うーん……。

    【懐に手をやろうとしたり腕組みしたりして悩んでいる】

    …どうしてもか…!?


文七:へ、へい…っ…!


長兵衛:そうかい………。


    よしッ、わかった!

    【懐から財布を取り出す】

    ほれっ、こいつをな、おめえにやるよ!

    五十両ごじゅうりょうだ、持ってけ!!

    早く持って店にけえんな!


文七:ぇっ……?


長兵衛:なに人の顔じっと見てんだよ、ええ?

    おめえにやるってんだよ!


文七:っと、とんでもございません…!

   見ず知らずのおかたに、そんな大金をいただくわけには参りません!


長兵衛:あたりめぇだよ、俺だってやりたくねえよ!

    やりたかねえけど、おめえがどうしても五十両ごじゅうりょうねぇと死ぬって

    言うからやるんだよ!

    持ってけこんちきしょう!


文七:……。


長兵衛:胡散臭うさんくせえと思ってやがんな、ちきしょうめ。

    くちのあいた着物なんてなりをしてるから、

    そんな大金持ってるわけがねえと思ってんだろ。

    ところがあるんだ。嘘じゃねえぞ。

    間違いなくこの財布の中にゃ、五十両ごじゅうりょう入ってんだ。

    おめえのを取ったんじゃねえぞ。財布が違うから分かんだろ。

    こいつァな、俺の娘がこさえてくれたんだよ。

    俺ァ左官さかんの職人でな、博打ばくちって借金だらけになっちまってよ

    、この年をどうやって越そうか、夜逃げでもしようかって

    その最中さなかによ、俺の一人娘の今年で十七になるおひさってぇのが、

    吉原よしわら佐野槌さのづちっていう女郎屋じょろうやに、身を沈めてこしらえてくれたのが

    この金だ。

    おめえは堅物かたぶつそうだから知らねえだろうけど、

    吉原よしわら佐野槌さのづちさんとやぁ大見世おおみせだ。

    そこの女将さんてのが大変に情けぶけぇ人でな、

    再来年の大晦日おおみそかまでにこの五十両ごじゅうりょうを返せば、娘は見世みせへも出さず

    に、サラのまんま返してくれるってんだ。

    ありがてぇ話じゃねえか。

    だけど、俺のこれをおめえにやるだろ。

    返さなきゃならねえ借金の五十両ごじゅうりょうと合わせて、百両ひゃくりょうになっちまう。

    百両ひゃくりょうとなるってェと、俺にも少ぉし荷が勝ちすぎるんでェ。

    来年の大晦日おおみそかはおろか、いつ返せるか見当けんとうもつかねえ。

    けどそうなったって、うちの娘は見世みせに出されるだけだからな。

    いくら泥沼どろぬまに入ったって死ぬわけじゃねえんだ。

    けどおめえは今ここで金がねえと死ぬって言うから、五十両ごじゅうりょうやる

    んだ。

    これ持って帰ってな、ありがてえと思ったら店のどこでも構わね

    ェ。すみの方にちいちゃなたなってな、

    不動ふどう様でも金毘羅こんぴら様でもいいぞ。

    おめえが贔屓ひいきにしてる神様をまつって、

    「今年で十七になるおひさと言う娘が吉原よしわら佐野槌さのづちという

    女郎屋じょろうやに身を沈めておりますが、どうか悪いやまいにかからねえよう

    に、片輪かたわにならねえように。」

    って…ぐすっ…それだけ祈ってくれりゃあいい。

    さ、持ってけ!持ってきねェ!!


文七:とっとんでもございません!

   そんないわれのあるお金をいただくわけには参りません!


長兵衛:ってめェは本ッッ当に話の分からねえ野郎だな!

    俺がこれだけ言ってもきかねえたぁ、どうしてそうてめェは

    強情なんだ、え!?

    持ってけってんだよ!


文七:いえっ、いりません!


長兵衛:いりませんじゃねえんだよ!

    俺だってここに出しちまったんだ。

    今さら引っ込めるわけにいかねえじゃねえか!

    持って来なよ、ほら、持ってけ!


文七:っけ、結構でございますッ!


長兵衛:この野郎ォ…よし、そう言うんだったらな、

    俺ァこいつを川の中へうっちゃっちまうぞ。

    な、持って来なよ、持って来なって。

    悪い事は言わねえから、なっ、なっ、


文七:【↑の悪い事は言わねえから~の辺りから被せるようにして】

   っそ、そんな事ッいやっ、けっ、結構でございますッッ!


長兵衛:このやろッ、持ってけッこんちきしょぅッッ!!!

    【財布を文七に叩きつけて去っていく】


文七:痛ッッ!?


長兵衛:死ぬんじゃねぇぞ!死ぬんじゃ~~~~~~ねぇぞ~~~~~!!


   【二拍】


文七:っつぅ…あぁ…っ、ちきしょう…ひ、人の事からかいやがって…!

   あんな汚い格好かっこうしてて五十両ごじゅうりょうなんて大金、持ってるわけがない…!

   わざわざあんな事をして、財布の中に石ころなんか入れて

   人に叩きつけてきやがって…!!

   な、投げ返してやる、待てこんちきしょッッ!?


   あ、あぁっ…!?ほ、ほんとに…!?


   ッッ親方おやかたッ!親方おやかたッ!親方おやかたァッ!!

   ぁぁありがとうございます…ッ!!!


語り:仮にも商人あきんど手代てだい手触てざわりだけで本当に五十両ごじゅうりょうの金が入っていると

   文七ぶんしちさとります。

   両手で財布をささげ持ち、すでにそこにいない長兵衛ちょうべえに対し、

   いつまでもし拝んでいました。

   ところかわって鼈甲問屋べっこうどんや近江屋おうみやでは、

   旦那だんな卯兵衛うへえ番頭ばんとう平助へいすけ雁首がんくびそろえ、

   戻ってこない文七ぶんしちを心配していました。

   そこへ彼の帰りが知らされます。


平助:旦那だんな様、文七ぶんしちが帰ってきました。


近江屋:なに、そうかい、こっちへ通しなさい。

    …文七ぶんしち、遅かったじゃないか。

    いったい今まで何をしてたんだ?


文七:遅くなりまして申し訳ありません旦那だんな様。

   実はお屋敷からの帰り道、昔の知り合いに出会いまして、

   昔話をしておりましたら、つい遅くなりました。

   掛けは間違いなくいただいて参りました。

   こちらでございます。


近江屋:?なんだいお前、これはうちの財布じゃないだろ。


文七:ぁっ、は、はい、その昔の知り合いが、お前のと替えてくれと、

   こう申しますので替えました。

   中は間違いなく五十両ごじゅうりょう入っております。

   どうぞ、おあらためくださいまし。


近江屋:え…?

    番頭ばんとうさん、ちょいとこれを見てごらんなさい。

    …どうだい?


平助:…はい、間違いなく五十両ごじゅうりょう入っております。


近江屋:…おかしいね。


平助:はい。


近江屋:文七ぶんしち

    お前、あたしが普段から言ってるだろう。

    なぜお前はそう、夢中になるほどが好きなんだろう。

    あたしの小言こごとをいつもうわの空で聞いていたんだろ。

    「碁将棋ごしょうぎると親の死に目に会わない」って言ったはずだよ。

    酒や博打ばくちじゃないからと、そういう油断がよくないんだ。

    今日、お前がお屋敷へうかがった時に、柴田しばた様と小林様が

    かこってらした。


平助:掛け金をいただいたあとまっすぐ帰ってこないで、

   そこに座り込んでずっとを見てたそうだな。

   そのうちに小林様と代わってお前が柴田様しばたのお相手をした。

   向こうが言い出した事だからと、気持ちにすきができてつい乗る。

   もう一番、もう一番とやってるうちに辺りが暗くなる。

   それでも夢中になっているもんだから、遅くなりはせぬかと、

   柴田しばた様に言われてお前、あわてておいとま申したそうだな。

   あとで碁盤ごばんを片付けると、その下から財布が出てきた。

   見覚えがある、ああこれは文七ぶんしちのものだ、中を見ると五十両ごじゅうりょうの金が

   入っている。

   これは当屋敷とうやしきが払った掛けだろう、今ごろさぞ途方とほうに暮れているに

   違いない。すぐに届けてやろうというので、先ほどお屋敷の

   心利こころきいたる若いしゅが持ってきて下すったんだ。

   そうなるとお前…こっちの五十両ごじゅうりょう、いったいどうしたんだい?


文七:えッッ!!?


近江屋:どこから持ってきたんだ!?


文七:【支離滅裂に慌てている】

   えっ!?届いてた…!?えっ忘れてた…られたんじゃない…!?


平助:られたんじゃない、忘れたんだよ。


文七:はぁあっ、はぁっ、たっ、大変な事っ…!

   ぁ、あのッば、番頭ばんとうさんっあの、あのっ、

   お不動ふどう様と金毘羅こんぴら様とっ、あのっあのぉっどっどっどっどっちが

   ご利益りやくがっーー!


平助:【↑の語尾に喰い気味に】

   な、なにを言ってるんだい、わけのわからない事を言っちゃいけな

   いよ。

   いったいどうしたんだい。


文七:【支離滅裂に慌てている】

   あっあのっ、むっむっ娘があのっ女郎じょろうになってっーー!


平助:文七ぶんしち

   お前、お稲荷いなり様の鳥居とりいにお小水しょうすいでもしたんじゃないのかい?

   どうしたんだ。


文七:【支離滅裂に慌てている】

   どっどうしたってッたったっ大変でござっーー!


近江屋:【↑の語尾に喰い気味に】

    ちょっちょっ、ちょっと待ちなさい。

    番頭ばんとうさん、まずちゃんと話をさせるんだ。

    文七ぶんしち、少し落ち着きなさい。


文七:!あっ、は、はい…。


近江屋:…よし、それじゃ、話してごらん。

    いったいどうしたんだい。


文七:はい…実はあたくし、お屋敷に五十両ごじゅうりょうのお金を

   置き忘れてきたことに気づかず、ちゃんと持ってきたと思い込んで

   いたんです。

   そしたら枕橋まくらばしのところで妙な男に突き当たられまして…。


近江屋:なるほど、枕橋まくらばしでね。

    それで?


文七:その時、そいつがスリだったんじゃないかと思って、

   慌ててふところを探ったんです。

   すると持ってきたと思っていたはずのお金がない。

   あたくしは、このままじゃ店には帰れない、

   かといって五十両ごじゅうりょうもの大金、どうやったって都合つごうできない。

   あれこれ悩んでいるうちに、もう死んでおびするしかないと、

   そう思いつめまして…。


近江屋:【溜息】

    バカだねお前は…。

    どうしてそんな事を考えるんだい。

    で、どうしたんだ。


文七:いざ飛び込もうとしたところで、通りがかった方が止めて下さいま

   して、わけを話せというので話しました。

   そしたら…そしたら…、

   五十両ごじゅうりょうものお金を、恵んで下すったんでございます…!!


近江屋:えっ、金を恵んだ?五十両ごじゅうりょうも!?

    文七ぶんしち、お前いい加減な事を言うもんじゃない。

    十両じゅうりょう盗めば首が飛ぶんだよ。五十両ごじゅうりょうなら五人分の命だ。

    そういう大金を、そんな汚い身なりをした方が持ってるわけが

    ないし、また下さるわけもない。


文七:ほ、本当なんです!

   本当にいただいたんです!


近江屋:ふうむ、嘘を言ってるようじゃないね…本当なのか…。

    …番頭ばんとうさん、聞いたかい。

    長く生きているとろくなことが無いと思う時もあるが、

    世の中にはそういう話が、そういう方がいるんだな…うぅむ…。

    ありがたい人がいるものだ。

    【感心している】

    それで、どこの何というかただい?


文七:っそ、それが…うかがってないんでございます…!


近江屋:【呆れたように】

    お前、なぜ命を助けてくだすった大恩人の、おところとお名前を

    うかがわないんだ。


文七:それがあの、そんながなかったんでございます。

   受け取れないと断り続けてましたら、いきなり人にお金をぶつけて

   逃げてったんでございまして…。


平助:えぇ…金を取って逃げてくってのは聞いた事があるけど、

   金をぶつけて逃げてくってのは珍しいね…。


近江屋:うぅむ、それは困ったな…。

    お礼にうかがわなきゃいけないし、

    このわけのある五十両ごじゅうりょうをお返ししなきゃならない。

    どういうお方だった?


文七:その、なんですか…汚い女物の着物を着て尻をはしょっておりまして

   、お職人だと言ってました。


平助:…なんだいその人は…?

   それで、どんなお話をしたんだい?

   あたし達に聞かせておくれ。

   その中に何か、手がかりがあるかもしれないからね。


文七:【だんだん泣きながら言うので最後辺りは不明瞭になっていく】

   は、はい。

   なんでもその方は、俺は左官さかんの職人だ、と、そう言ってました。

   それで、博打ばくちって借金だらけになって、

   にっちもさっちもいかなくなっちまったそうです。

   そしたらその方の娘さんで、今年十七になる…おし…おし…

   おしん…おひささんと言いました。

   そのおひささんと言う娘さんが、あの、吉原よしわらの何とかという店に

   身を沈めて、五十両ごじゅうりょうをこしらえてくれたんだそうでございます。

   そこの女将おかみさんが大変に情け深いお方で、再来年の大晦日おおみそかまでに

   金を返せば、おひささんはただ預けただけで返してもらえる。

   だけど、この金をお前にやってしまうと返すあてがないから、

   そうなると娘が見世みせに出されると…

   ば、番頭ばんとうさん、お願いでございます。

   金毘羅こんぴら様とお不動ふどう様、両方のたなを吊って下さいまし…!


平助:~~わかったわかった、とりあえず落ち着きなさい。


近江屋:泣くんじゃないよ文七ぶんしち

    しかし、おおよその事が分かったし、手掛かりがあったよ。

    その方の娘さんの名前が、おひささんだというのが分かった。

    あとはその見世みせの名前が分かれば、お金をくださった方の素性すじょう

    知れる。


平助:文七ぶんしち、その、お女郎屋じょろうやさんの名前は聞いていないのかい?


文七:あ、そ、その…うかがったんでございますけど、

   何とも思い出せないんでございます…。


近江屋:うぅむ…見世みせの名前なぁ…そう言われてもあたしはその、

    吉原よしわらの事については何も知らないんだ。

    というのもむかし親父に、もしも吉原よしわらなんという悪い所へ

    一足ひとあしでも踏み入れたら勘当かんどうするぞと言われてね…、

    ついにこの年までいっぺんも行ったことがないんだ。

    困ったな…。

    番頭ばんとうさんもなぁ、普段は固くて結構だけど、

    こういう時にあまり固いというのも役に立たなくて困る。

    だけど、あたしよりはいくらか知ってるだろう?


平助:いぃえ、とんでもない!

   あたくしは吉原よしわらの事は何も知りません。

   だいいち、吉原よしわらがどこにあるのかも知らないくらいなんでございま

   すから。


近江屋:あ、そう…そりゃ困ったね…。

    なんとかしてこの、わけのあるお金を返さなきゃならないが…。


平助:旦那だんな様…吉原よしわらでその、五十両ごじゅうりょうもの金を出すとなると、

   おそらく小見世こみせではない、仲見世なかみせ大見世おおみせかと思われます。

   文七ぶんしち、今から見世みせの名前をいくつかあげるから、

   よく聞いているんだよ。

   まず有名なのが角海老かどえびだな。

   それから松葉屋まつばやだ。半蔵松葉はんぞうまつば松葉屋まつばや

   次が火焔玉屋かえんだまや玉屋山三郎たまやさんざぶろう火焔玉屋かえんだまやという。

   そして大黒屋金兵衛だいこくやきんべえ、これは金瓶大黒きんぺいだいこくって言うんだけどね。

   あとは尾張屋おわりや梅屋うめや丁子屋ちょうじや大文字屋だいもんじや佐野槌さのづち熊蔵丸屋くまぞうまるや

 

文七:!番頭ばんとうさん、もういっぺんお願いします。


平助:なに、もういっぺん?

   いいかい、角海老かどえび松葉屋まつばや玉屋たまや大黒屋だいこくや尾張屋おわりや梅屋うめや丁子屋ちょうじや

   、大文字屋だいもんじや佐野槌さのづち


文七:【↑の語尾に喰い気味に】

   佐野槌さのづち佐野槌さのづちでございます番頭ばんとうさん!


平助:間違いないかい?


文七:はいっ…!


平助:そうか!いやぁ良かった旦那だんな様、わかりましたよ!

   佐野槌さのづちでございます。

   京町きょうまち二丁目の立派な見世みせでして、ええ。


近江屋:……どうでもいいけど番頭ばんとうさん、

    なんだかやけにくわしすぎないかい?

    

平助:あ、あのいや旦那だんな様、そういうことではございませんで!

   手前てまえその以前、万屋よろずや番頭ばんとうさんに吉原細見よしわらさいけんでもって、

   いろいろと聞いた事がございまして!


近江屋:まぁまぁわかった。

    万屋よろずや番頭ばんとうさんによろしく言っておきなさい。

    それにうちは鼈甲問屋べっこうどんやだ。奉公人ほうこうにんの中に吉原よしわらに明るい者が

    一人や二人いたってかまやしないよ。

    しかし道楽どうらくはほどほどにな。

    さ、文七ぶんしち、もう遅いから今日は休みなさい。

    番頭ばんとうさんは、もう少し話があります。

    九蔵きゅうぞうも呼んでおくれ。


平助:かしこまりました。


語り:それから旦那だんな番頭ばんとう達、何やら相談をすませると

   その日はもう休みました。

   やがてからすカァで夜が明けまして。

   番頭ばんとう九蔵きゅうぞうと一緒にどこかへ出かけ、やがて帰って来ました。

   。


平助:失礼します旦那だんな様、ただ今戻りました。


近江屋:おお番頭ばんとうさん、おかえり。

    それで、どうなったんだい?


平助:ええ、それはもう、かくかくしかじかで…。


近江屋:そうかいそうかい、そりゃ結構けっこうだ。

    よし、文七ぶんしちを呼んでおくれ。

    お前さんは後から例のを頼んだよ。


平助:承知しました。


   【二拍】


文七:旦那だんな様、お呼びですか?


近江屋:ああ、来たかい。

    お前に五十両ごじゅうりょうの金をくだすった方の素性すじょうが分かった。

    これから達磨横町だるまよこちょうへ向かうからともをしなさい。


文七:!は、はいっ、承知しました!


   【二拍】


近江屋:文七ぶんしちや、たまにはこうやって外へ出るのもいいものだね。

    あたしはどうも出不精でぶしょうでね、店にばかりいるからつい世間せけんの事が

    うとくなる。

    世の中というものは三日見ぬの桜と言うが、ひょいひょいと、

    こう変わってくるものなんだね。

    お武家ぶけ様のおこしの物など、なぜかこう細身ほそみになって来たような

    気がするよ。

    …あぁ、吾妻橋あづまばしだね。

    子供の時分じぶん、よくここで遊ぶと親父が怒ってねえ、

    「吾妻橋あづまばし縁起えんぎが悪いから遊ぶんじゃない」

    なんて言われたもんだ。

    …?おい文七ぶんしち、そんなところで何をしてるんだい?

    欄干らんかんから川をのぞき込んで…。


文七:あ、はい……はぁぁ…。


近江屋:ああ、ゆうべ、ここから飛び込もうとしたんだったな。


文七:はい。

   こうして昼間見てみますと、たいそう高いんでございますね…。

   こんなところから飛び込もうとする奴の気が知れません。


近江屋:何を言ってるんだ。

    見なさい、ゴーッとうずを巻いてる。

    もし飛び込んでいたらお前はもう文七ぶんしちじゃない。

    今日には土左衛門どざえもんと改名していただろうね。

    まあいい、二度とそんなバカな了見りょうけんを起こしちゃいけないよ。

    どれ、この小西こにしの酒屋さんで例の方の在所ざいしょたずねよう。 

    ごめんください!


酒屋:へぃいらっしゃいやし!

   えー、何にいたしやしょうか?


近江屋:あの、恐れ入りますが、二升にしょうの切手をいただきたいんです。

    あ、良い方のお酒で。

    それから、角樽つのだるがあったら貸していただきたいんでございます。


酒屋:へい、どうぞ、そちらにお掛けになってお待ちくださいやし!

   いやぁ縁起えんぎがようございますな!

   角樽つのだるが出ますとね、もうどんな時でも一日気分がずっと

   上向うわむくんで。ありがとうございます!


近江屋:いえいえ。

    それから、達磨横町だるまよこちょうというのはこの近くですか?


酒屋:ええ、このうらっ手のほうですよ。

   この先に露地口ろじぐちがありやすから。


近江屋:そこに左官さかん職で、長兵衛ちょうべえ様と言う方がいらっしゃると

    聞きましたが。


酒屋:あぁ長兵衛ちょうべえ?えぇいやすよ。

   露地口ろじぐち入って行ってね、ひだりっ手の真ん中あたりですよ。

   そういや、ゆうべっからずっと夫婦喧嘩ふうふげんかやってましてね、

   さっき通ったらまだやってましたよ。

   はなのうちはうるせぇ、静かにしろィ!となるんですがね、

   ここまで続くと逆に楽しみになりやしたな。

   あと二、三日は続けてもらいたいぐらいで。

   喧嘩けんかを頼りに行きゃあ、すぐ分かりやすよ!


近江屋:左様さようでございますか。

    さ、文七ぶんしち、行きますよ。


文七:はいっ。


酒屋:まいど、ありがとうございやした!


語り:いっぽううわさ長兵衛ちょうべえさんのお宅ではと言うと、酒屋のあるじの言葉通り

   夫婦互いに怒鳴り合う声がおもてまで響いています。

   安普請長屋やすぶしんながやうすかべなんてあって無いようなもの。

   犬も食わない喧嘩けんかえんえん々と続いております。


長兵衛:本ッ当~~におめえは!

    だから何度言ったら分かるんだよ!

    いい加減かげんに寝かしてくれ!

    ゆんべから同じこと繰り返し繰り返し聞いて…勘弁してくれよ!


お兼:寝るつもりでいるのかい、こんちきしょうめ。

   五十両ごじゅうりょうはどうしたのって聞いてるだろ!


長兵衛:だから、俺ァその身投げ野郎を助けようってんで、

    五十両ごじゅうりょうやっちまったんだよ!


お兼:何を言ってんだい!

   人を助けるようなツラなもんか!

   身投げする人の足をすくって、川の中におっぽり込む人なんだ!

   首吊りする人がいたら踏み台を外すんだ!


長兵衛:冗談言うなィ!

    そんな事なんざしねえよ!

    ちゃんと五十両ごじゅうりょうやって助けてやったんだよ!


お兼:だから、どこの何という人なんだい!?


長兵衛:何という人ったって、俺ァさっきから言ってるじゃねえか!

    何回言いや分かるんだよ!

    名前なんざ聞かなかったんだよ!


お兼:なんで聞かないんだい!

   大事な娘が身を売ってこしらえてくれた、五十両ごじゅうりょうと言う大金じゃな

   いか!

   それをいくら助けるためにやるったって、名前ぐらいなぜ聞かなか

   ったんだい!


長兵衛:聞かなかったっつってもな、俺ァそんな恩着おんきせがましい事はした

    くねえんだよバカ野郎!


お兼:何を言ってんだい本当に…!


長兵衛:うそじゃねえんだよ!


お兼:うそに決まってるよ!

   どうせどっかに隠しといて、そいつを元手もとでにまた博打ばくちでもやろうっ

   て腹なんだろ!?

   どこのなんて人なんだい!?

   あんたの言ってることが本当ならね、あたしが行ってくるよ!


長兵衛:っちょっなっ、なんて人だったって…んな、な名前なんぞねえん

    だその野郎は!


お兼:~~またそんないい加減かげんな事ばっかり言ってんだから本当に…!

   名前の無い人なんてのがあるかい!

   あたしさがして来るよ!

   でなきゃ佐野槌さのづちに行くから!


長兵衛:【↑の語尾に喰い気味に】

    んなっちょッまっまっ待てよッ!

    おめえその格好かっこうおもて行って、どうするってんだよ!


近江屋:【↑の語尾に喰い気味に】

    ごめんくださいまし、ごめんくださいまし。


長兵衛:!っはいッ!

    待てよ、人が来たよ人が!


お兼:~~ッしょうがないね…!


長兵衛:【表へ向かって】

    はい!ちょっと待ってください!

    いや、あいてますけどまだけちゃいけませんよ!

    いま見られて困るものが出てますんで!

    ちょっ、ちょっとおい、早く、ほら、みっともねえから、

    屏風びょうぶの裏行け屏風びょうぶの。


お兼:わかってるよ、大丈夫だよ!


長兵衛:あぁほら、頭が出てる頭が。引っ込めろ引っ込めろ。

    今度はケツが出てるよケツが。

    でけえケツだな…割れ目が見えるから平らに、四つんいに

    なってろ!

    いいか、四つんいだぞ四つんい。

    絶対に出てくるんじゃねえぞ。

    ちょっとでも動くとはみ出すからな。

    続きはあとでゆっくりやってやるから。

    勝負決めてやるからよ。

    【表へ向かって】

    へい、いま開けますんで!

    【戸を開けて】

    っあ…どうも…えぇと、どちら様で…?


近江屋:えぇ…こちら、左官さかん親方おやかた長兵衛ちょうべえ様でございましょうか?


長兵衛:え?長兵衛ちょうべえ様…?

    ははは、くすぐってぇなぁどうも…。

    いや、それほどのモンじゃねえんですが、

    左官さかん長兵衛ちょうべえたァあっしの事でござんすよ。

    え、何か、ご用でござんすか?


近江屋:あたくしは横山町よこやまちょう三丁目、の鼈甲問屋べっこうどんやあるじ

    近江屋おうみや卯兵衛うへえと申しますが…。


長兵衛:あ、鼈甲屋べっこうやさん?

    じゃあうちじゃねえ、お門違かどちがいだ。

    もっと奥、突き当たりが家主いえぬしの家ですよ。

    あそこのかみさんてのはね、頭に金を掛けてますからね。

    うちのかかあはそんなものはやりませんよ。

    もう中挿なかざしなんざね、蕎麦屋そばやはしを折っぺしょって差して、

    それで間に合わしてますからね!

    とにかくうちじゃねえんで、どうぞひとつ、お引き取りをーー


近江屋:【↑の語尾に喰い気味に】

    あぁちょっ、ちょっとお待ちを願います!

    文七ぶんしちや、この方のお顔をよくご覧なさい。

    どうだ?


文七:っちょっと、お待ちを願います。ごめんくださいまし…。


長兵衛:っな、なんでェ?

    …なんだよ?


文七:!あぁっ…旦那だんな様、このかたに間違いございません!


近江屋:おぉ、そうかい!


文七:はいっ!

   【半泣きで】

   親方おやかた…!

   ゆうべは危ない所をお助け下さいまして、

   ありがとうございました…ありがとうございました…!


長兵衛:え?昨晩?危ない所を?

    っちょっ、顔見せろ、顔…。


    【二拍】


    あぁ…おめぇだ、おめぇだ…!

    よく来てくれた…!

    ゆんべ確かに、身投げしようとしてたところを助けたな?


文七:【半泣きで】

   助けていただきました…!


長兵衛:五十両ごじゅうりょうの金、おめえにやったな?


文七:【半泣きで】

   いただきました…!


長兵衛:やったよな…!?

   【家の奥へ向かって】

   ざまぁみろこんちきしょう!

   だからやったって言ったじゃねえか!

   証人が現れたぞ!

   【文七たちに】

   あ、誰もいませんからね。

   ひとごとなんで、うん。

   いやぁ、よく来てくれたなぁおい。

   おめえが来なかったら大変だったよ。

   これから先、ずーっと…まぁそんなことはどうでもいいや。

   あちらにいらっしゃるのは、おめえのご主人だってな?


文七:はいっ…左様さようでございます。


長兵衛:どうも、ようこそいらっしゃいやした。

    さぁこっちへ上がってくだせえ。

    おもてと変わらねえ汚ねえとこですが、まぁその、

    そこでは話をしにくいですから。

    まぁまぁ、上がっておくんなさい。


近江屋:それでは失礼をいたします、ごめんください。


    昨晩は、うちの文七ぶんしちが危ない所をお助け下さいまして、

    誠にありがとうございました。

    実は親方おやかたの前でございますが、これがお金を取られたと思ってい

    ましたのはとんだ思い違いでございまして、

    先方せんぽうに忘れてきておったんでございます。

    それを一途いちずられたと思い込んでおりまして、あのような事を

    しようとしているところを、親方おやかたに止めていただきました。

    五十両ごじゅうりょうのお金を恵んでいただきました。

    本当に何とも申し訳の無い話でございますが、

    実ははじめ、文七ぶんしちにこの話を聞いた時、正直申してうたぐりました。

    手前てまえ商人あきんどでございます。よくお武家ぶけ様方が刀は武士の魂と

    おっしゃいますが、手前てまえどももぜにが命、ぜには大切にしなければ

    いけない。一文いちもんと言えどもべた掘って出てくる気づかいは無し。

    ぜに粗末そまつにするなと親父に教わりました。

    しかし、親方おやかたのようにこんな見ず知らずの者に五十両ごじゅうりょうもの大金を

    ポンと出す、そういうご奇特きとくな方がいらっしゃったからこそ、

    文七ぶんしちがこの通り生きているんでございます。

    それを聞いた時、もし手前てまえが同じ立場に立ったら、

    果たして渡したであろうかと思うと、我が身が恥ずかしくなりま

    した。

    今日はそのおび、またお礼かたがた、

    こうして恵んでいただきました五十両ごじゅうりょうのお金を、

    ご返済にあがりました次第しだいでございます。

    どうぞ、おおさめくださいませ。


長兵衛:【文七へ向かって】

    なに…?

    られたんじゃなくて忘れた?

    忘れたのか?

    バカ野郎ちきしょう!しっかりしろってんだこの野郎!

    冗談じゃねえよ!

    だから思い違いじゃねえかって俺ァ聞いたろ!?

    旦那だんな、この野郎にあっしァ聞いたんだよ!

    そしたらられたんだられたんだって言うんだよ。

    おめえのおかげでこっちはゆんべっからずーっと寝てねえんだ。

    あん時、俺が通りかかって止めてよかったじゃねえか。

    死んじまわなくて良かったろ?

    でなきゃおめえは、ドカンボコンと飛び込んで、あの世行きだっ

    たんだ。

    で、おめえが死んだあと金がでてきたら、それこそどうするって

    んだよ。

    まったく、そういうものがわからねえ…わけえ奴ってなみんなそれ

    だよ。

    【近江屋に向かって】

    こんな奴は金の使いに出せませんね!

 

近江屋:どうも、あいすいませんでございました。

    どうぞひとつ、これをおおさめいただきとうございます。


長兵衛:え?これ?

    じょ、冗談言っちゃいけませんよ。なに言ってるんで。

    受け取れるわけがねえよ。あっしはこいつにやっちまったんだか

    ら。

    これでも長兵衛ちょうべえは男でござんすよ。

    いっぺんやっちまったらもうあっしのもんじゃねえ、

    この野郎のもんなんだ。

    こいつに渡しゃいいんですよ。


お兼:【屏風のかげから長兵衛の袖を引いている】

   【声を落として】

   お前さん…お前さん…!


長兵衛:【袖を払う、SEかリアルで代用できるなら】

    いや、元はあっしのもんだけど、やっちゃったんだから。

    やったものはしょうがねえじゃありやせんか。


お兼:【屏風のかげから長兵衛の袖を引いている】

   【声を落として】

   お前さん、受け取りなって…!


長兵衛:【袖を払いながら声を落として、SEかリアルで代用できるなら】

    うるせぇな、こんちきしょう!

    【近江屋たちに向かって】

    だからね、それはどうぞ、そっちでしまっておくんねぇ。


近江屋:それは困ります。

    それではこの金のやり場がございません。


長兵衛:やり場が無いったって、俺ァそっちにやっちゃったんだからさ。

    じゃあこうしやしょう。

    旦那だんなが預かっといておくんなさいよ。

    どうせそいつだって、しまいには店を持とうってんでしょう?

    そしたらその時に、暖簾のれんの一枚でもこさえてやっておくんなせェ

    。

    その方がね、よっぽどお金が役に立つよーー


お兼:【屏風のかげから長兵衛の袖を引いている】

   【↑の語尾に喰い気味に声を落として】

   お前さんッ、冗談じゃないよ…なんで…!


長兵衛:【袖を払いながら声を落として、SEかリアルで代用できるなら】

    しつこいなこの野郎!

    その方がいいんだよ!

    冗談じゃねえ、そんなみっともねえ真似まねができるかよ。

    【近江屋たちに向かって】

    だからね、そうした方がいいんだ。そうしてやっておくんねぇ。

    いやそりゃね、貸した金ならあっしも返してもらいますよ?

    でもね、やっちゃったんだから、こいつのもんなんだ。

    いいんです、気にしねえで!


近江屋:いえ、それでは困ります。

    無くなった金が出たんでございますから、

    どうぞこれは元に戻す方が本当でございます。


長兵衛:いや、そうでないんで!

    やっちゃったんだからさ!

    そりゃやる時はあっしも考えたよ?

    どうしようかな、どうしようかなってよく考えたんだ。

    考えたけどね、考えた末でやったんだからさーー


お兼:【屏風のかげから長兵衛の袖を引いている】

   【↑の語尾に喰い気味に声を落として】

   お、ま、え、さ、んッ!


長兵衛:【袖を払いながら声を落として、SEかリアルで代用できるなら】

    うるせえな、お前は!

    やっちゃったんだからしょうがねえだろ!


お兼:【声を落として】

   お前さんだって分かってるはずだろ!

   意地いじ張ってんじゃないよ!


長兵衛:【声を落として】

    そりゃわかってるよ!

    わかってるけどおめえ、冗談言っちゃいけねえよ!

    そんなみっともねえことができるかいってってっててッ!!

    つねるんじゃねえ、いてぇなこんちきしょう!


お兼:【声を落として】

    向こう様だって商人あきんどすじを通してきてるんだから、

    これ以上困らせるんじゃないよ!


長兵衛:【声を落として】

     そりゃ…そうだけどよ…!

     ……わかったよ…!


     あー…んんっ【咳払い】

     …ええ、へへ…ま、相談をしましてね。

     今日のところは、その、返していただくという事でひとつ…。


近江屋:おお!ありがとうございます。


長兵衛:いぃえいや、その、そうじゃないんで…。

    この金のせいでうちはゆんべから寝てねえんですよ。

    その代わり…旦那だんな、これわきへ行ってしゃべっちゃいけませんよ?

    みんな口の悪いのがそろってるんですからね。

    「あの野郎は人にいったんくれてやったものを、また返してもら

    った」なんて言い出しかねねェ。

    そんな事になったら仲間に顔向けができませんよ。

    おもてを歩けなくなっちまいますからね。

    いいですか、必ず内緒にしておくんなさいよ?


近江屋:もちろんでございます。

    お受け取り下さりまして、ありがとうございます。

    それからあの、あらためてお願いがございます。


長兵衛:っな、な、なんでしょう。

    お宅の壁を塗るんですか?


近江屋:いえいえ、そうではありません。

    この文七ぶんしち粗忽そこつな所もありますがなかなかに商売熱心、

    正直者で陰日向かげひなたなく、こんにちまで一生懸命務めて参ったもので

    す。

    近ごろはあきないの方もだいぶ覚えまして、見込みある男と

    わたくしも目を掛け、ゆくゆくは店を持たせようと思っておりま

    す。

    それと文七ぶんしちは、手前どもの遠縁とおえんにあたりまして、

    小さい時分じぶんにふたおやに死に別れております。

    そこでお願いでございます。

    昨晩さくばん親方おやかたに助けていただいたのがごえん、命の親と言う事で、

    文七ぶんしちが店を持つ際に後見こうけんを、親代わりになっていただけないかと

    思いますが…いかがでございましょう。


長兵衛:えっ、親代わり?こいつのですかい?

    親代わりって事ァ、色んな事の面倒見てやんなきゃなんねえ。

    おめえはどうなんだい?

    俺にああしろこうしろって言われるのは大変だと思うぜ?

    それに道楽者どうらくものの親を持つってェと苦労するもんだ。

    それでもいいってのかい?


文七:はいっ、どうぞ、よろしくお願いいたします…!


長兵衛:かまわねえってのかい?

    おめえがそれでいいってんなら、俺ァいいよ?


近江屋:ありがとうございました。

    それから今度は、手前てまえからのお願いでございます。

    見ず知らずの者に五十両ごじゅうりょうの金を恵んでやるというようなことは、

    とてもわたくしども商人あきんどには考えられません。

    そういう方がいるというのを聞いて、本当に驚きました。

    そのご気性きしょうにわたくし、ほとほとれ込みましてございます。

    これから末永すえながくお付き合いをいただきたいので、

    どうか親類しんるい付き合いをお願いしたいと思います。

    ご承知いただけますでしょうか。


長兵衛:ちょっちょっちょっちょっちょっと待ってください!

    なんだか黙って聞いてると、話がどんどんえれぇ方向に

    進んでませんかい?

    いやいや旦那だんな、そらァ買いかぶりでござんすよ。

    よしてくださいよ、親類しんるいなんて。

    ごらんの通りの貧乏なんで。

    親類しんるいなんぞなったら、どんどんどんどん金を借りに行きやすよ?


近江屋:えぇかまいませんとも。

    どうぞひとつ、ご承知くださいまし。


長兵衛:っそ、そうかい?

    いや旦那だんなのとこでね、いいってんだったらいいよ?

    だけど妙だね。

    一日で親類ができちゃったり、せがれができちゃったよ。

    えぇ、結構でござんすよ。


近江屋:ありがとうございます。

    それからあの、これは親方おやかたが召し上がる口と聞きまして

    持って参りました。

    どうぞひとつこれをお納めくださいまし。


長兵衛:えっ?

    あらっ!おもて小西こにしの切手じゃござんせんか!

    おっ、たるも一緒に!へえぇ!張り込みましたねえ!

    いやぁありがとうございやす!

    これにゃあ目がねえんですよ。

    酒となるとあっしは断りようを知らねえもんで!

    それじゃ、遠慮なく頂戴ちょうだいいたしやす!


近江屋:ありがとうございます。

    そうだ、文七ぶんしちや、ちょっとおもてを見てきておくれ。


文七:はい。


   旦那だんな様、番頭ばんとうさんがちょうど着きました。


近江屋:おぉ来たか。

    番頭ばんとうさん、用意はできているかい?


平助:はい、いつでも。


近江屋:そうか!

    えぇ、実はおさかなをあつらえて参りました。

    どうやら届いたようで。


長兵衛:え、さかな

    いや、さかなはいらないんですよ。

    あっしはそんなの無くったってね、

    ちょいと塩をつまんでぽいっと口にほうり込んで、

    五合ごごうくらいキューっといっちまいやすから。


近江屋:まぁまぁ、そうおっしゃらずに。

    せっかくあつらえて参りましたので…。


平助:おぅい、入って来ておくれ!


語り:番頭ばんとう平助へいすけ露地口ろじぐちのほうへ合図を送りますと、

   えっほい駕籠かごの鳴きと共にタッタッタッタッと入って参りました、

   一丁の真新まあたらしい四つ駕籠かご

   駕籠屋かごやがスッとれを上げますと、出て参りましたのはおひさ

   昨日に代わる今日の姿、文金ぶんきん高島田たかしまだ髪結かみゆいあげまして、

   小紋縮緬こもんちりめんの着物におびめ、綺麗きれいに化粧をして降り立つ姿は、

   まるでめに鶴、花が咲いたようでございます。


長兵衛:!!?おっ、おお!?

    ぉ、おめえ……おひさか!?


お久:…そうだよ、おとっつぁん。


長兵衛:あらぁーーっ!

    綺麗きれいになっちゃっておめえ、ど、どうしたんだい!?


お久:おとっつぁん、

   近江屋おうみや旦那だんな様が、あたしを身請みうけしてくださったの。

   もううちへ帰っていいって…。


長兵衛:えっ、旦那だんなが!?

    【泣きそうに】

    そうですかい…!

    旦那だんな、ありがとうございます…!


近江屋:このおさかな、気に入っていただけましたかな?


長兵衛:【半泣きになりながら】

    大好物でござんす…!!

    実はもう、なかばあきらめてたんで…。

    それが…それが…長兵衛ちょうべえ、この年になるまでこんな立派なさかな

    生まれて初めてでござんす…!

    気に入らねえなんて言ったら、あっしにばちが当たっちまう。

    ありがとうございやす…!

    おひさぁ、こっちへ来なよぉおい良かったじゃねえかあぁ…!


お久:うん…うん…!

   おとっつぁん、おっかさんは…!?


長兵衛:おぉ、おっかさんもいるぞ!

    その、そこの屏風びょうぶかげにいるんだ、そこんところに。

    ぉおいおっかぁ、おひさけえってきたぞ!

    かまわねえから、早く出て来て礼を言うんだよ!

    ほらおひさ、おめえ呼んでやんな!


お久:おっかさん!おっかさん!!

   おひさです!いま帰りました!


語り:今まで我慢していたおかねさん、娘から呼ばれたらもう矢もたてもたま

   りません。尻切しりき半纏ばんてん風呂敷ふろしき紋付腰巻もんつきこしまき恰好かっこう

   周囲の驚きもはじ外聞がいぶんも何のその、全部その辺にうっちゃって、

   ぼろ屏風びょうぶかげから飛び出します。


お兼:おひさぁぁーーーッ!!


お久:おっかさぁぁーーん!!


長兵衛:【号泣しながら】

    よかった…!よかったぁッ…!!


語り:親子三人、手に手を取ってひしとき合い、うれし涙に喜びれたと

   申します。

   その後、文七ぶんしちとおひさ夫婦めおととなりまして、麹町こうじまち貝坂かいざか小間物こまものの店を

   出しました。

   後年こうねん文七ぶんしち元結もっとい、まげを結ぶひもですが、これにひと工夫いたしま

   した。この元結もっといが従来のものと違い、誠に見栄みばえが良く、

   また手際がよろしく仕上がるというので、明治の初年しょねん

   断髪令だんぱつれいが出るまでたいそう繫盛はんじょうし、もてはやされたといいます。

   文七元結ぶんしちもっとい一席いっせきでございました。




終劇




参考にした落語口演の噺家演者様等(敬称略)


古今亭志ん朝(三代目)

立川談志(七代目)

三遊亭圓楽(五代目)

柳家小三治(十代目)

三遊亭圓生(六代目)



※用語解説


元結もっといまげの根をたばねるひものこと。

   演目名の「文七元結ぶんしちもっとい」は江戸時代中期に考案された、実在する元結もっとい

   である。長いこよりに布海苔ふのり胡粉ごふんを練り合わせた接着剤を数回に

   わたって塗り、乾燥させてから米ののりを塗って仕上げたものを言う

   。別名、しごき元結もっとい水引元結みずひきもっといとも言う。

   桜井文七という人物の考案とも、下野国しもつけのくに(現在の栃木県)の文七紙

   を材料として用いるからとも。


見世みせ吉原よしわら女郎屋じょろうやのこと。

   妓楼ぎろうには大きく分けてランクの高い順に

   大見世おおみせ仲見世なかみせ小見世こみせ切見世きりみせがある。


佐野槌さのづち:演者によって場所が変わる見世みせ。作者である三遊亭圓朝さんゆうていえんちょう師匠は

    新聞連載時は角海老かどえびとしていたが、以降は自身を含め、多くの

    演者が佐野槌さのづちと演じている。


七草ななくさまでには返す:七草ななくさがゆを食べる日が一月七日であることから、

         一月七日までには返すという事。


しゃく:原因が分からない痛みを伴う内臓疾患を一括した俗称。

  せきともいい、疝気せんきとともに疝癪せんしゃくとも呼ばれた。


左官さかん:建物の壁や床などをこてを使って仕上げる仕事。

   またはそれを専門とする職人。


達磨横町だるまよこちょう:現在の墨田区吾妻橋すみだくあづまばし一丁目の駒形橋こまがたばし寄りのあたり。


見返り柳:遊廓ゆうかくの入り口付近に生えた柳の名称。

     遊廓ゆうかくで遊んだ男が、帰り道に柳のあるあたりで名残なごりしんで

     後ろを振り返ったことからこの名が付いた。


衣紋坂えもんざか:江戸新吉原の日本堤から大門おおもんに至る間にあった坂。

    新吉原の名所とされ、遊客ゆうかくがみな衣紋えもんをつくろうところから呼ば

    れた。


道哲どうてつ:主に江戸時代に浅草新鳥越(現台東区浅草七丁目)にあった、

   浄土宗弘願山専称院西方寺の俗称として知られている。

   道心者が庵を結んだことから、この名があるという説があります。


土手八丁どてはっちょう:浅草から新吉原へ通う遊客がよく通った道で、日本堤にほんづつみを指す。

     特に待乳山聖天社の下から吉原入口までの道のりが、

     約870メートル(八丁)ほどだったことから、この名で呼ば

     れるようになった。


山谷堀さんやぼり:かつてあった東京の水路。正確な築年数は不明だが、

    江戸初期に荒川(現在の隅田川)の氾濫を防ぐため、

    箕輪(三ノ輪)から大川(隅田川)への出入口である今戸まで

    造られた。現在は埋め立てられ、日本堤から隅田川入口までの

    約700mが台東区立の「山谷堀公園」として整備されている。


三囲みめぐり三囲神社みめぐりじんじゃの事。

   東京都墨田区向島に在る神社である。

   祭神は宇迦御魂之命うがのみたまのみこと


浅草弁天山あさくさべんてんやま:浅草寺の本堂南東にある小高い丘は、弁財天をまつる弁天堂が

      建つことからそう呼ばれる。


金龍山下瓦町きんりゅうざんしもかわらまち:聖天宮(金龍山本龍院)の鎮座する待乳山下。

       隅田川沿いに位置する。町名はかつて瓦を焼いていた場所

       にちなんでいる。


待乳山聖天まつちやましょうでん:浅草寺の北東、隅田川西岸にあり標高約10mの丘である。

      ここに伽藍がらんを構える待乳山聖天は、正式には本龍院ほんりゅういんといい、

      浅草寺の支院のひとつである。


山の宿しゅく:現在の台東区花川度一・二丁目。浅草七丁目のあたり。


花川戸はながわど:東京都台東区にある町名。現行行政地名は花川戸一丁目および

    花川戸二丁目。


吾妻橋あづまばし:隅田川にかかる橋で、現在東京都道463号上野月島線吾妻橋

    支線を通す。


横山町よこやまちょう:現在の中央区日本橋横山町、東日本橋二・三丁目。


鼈甲問屋べっこうどんや鼈甲べっこうとは、ウミガメの一種であるタイマイの甲羅こうらを加工して

     作られた工芸品の総称。


ガリガリ亡者:漢字で書くと我利我利亡者。

       ただ自分の利益ばかりを追い求めて、他への思いやりなど

       のまったく無い者をののしる言葉。


尻切しりき半纏ばんてん:尻の上までの、たけの短い半纏はんてん


九蔵きゅうぞう:名前しか出て来ませんが、笑点の最古メンバーのあの方の前の名前

   ですね。


中挿なかざし:女性の(まげ)に横にして飾りとしたり、

   髪をかき上げるのに使った、(はし)に似た細長い道具。


くち:着物の身頃みごろの脇のあき部分を言う。


チョボイチ:起源は江戸時代頃。最も古く単純なサイコロ賭博とばく

      子は出る目を予想してチップを張ってから親がサイコロを振

      る。出た目にけた者を勝者とし、その出目の数字にけた

      チップの4倍を受け取ることが出来る。

      それ以外の人は賭けたチップをすべて没収される。


丁半ちょうはん:偶数をちょう、奇数をはんと呼ぶ。

   茶碗ほどの大きさのざるであるツボに入れて振られた二つのサイコロ

   の出目の和が、丁(偶数)か、半(奇数)かを客が予想してける

   。 小規模な賭場とば鉄火場てっかば大勝負おおしょうぶ賭博とばくと呼んで区別した。


大目小目おおめこめ:略して大小とも呼ばれる。1個のサイコロを振って123が

     出れば小目こめ、456が出れば大目おおめで、そこにけていたものが

     配当を得る博打ばくち


素寒貧すかんぴん:非常に貧乏で何も無い事を指す。


建具屋たてぐや:建物の開口部に取り付けられる建具(ドア、窓、障子、襖など)

    を専門に扱う業者。


東海道五十三次とうかいどうごじゅうさんつぎ:江戸時代に整備された五街道の一つ、東海道にある

        五十三の宿場しゅくばを指す。


腰巻こしまき:婦人が腰から下に、肌にじかに巻きつける布。


中引なかびけ:今の午前12時過ぎを指す。


多福たふく:一般的に、ほっぺたが丸く、鼻が低く、笑顔が素敵な女性の顔や

    、その顔をしたお面のこと。


目塗めぬり:火事などの際、蔵などに火が入らないように戸などの合わせ目を

    、用意してある土で塗ってふさぐこと。


中間部屋ちゅうげんべや:主に武家屋敷において、上級武士に仕える中間職(雑務や防備

     など)が住む部屋を指す。


矢立やたて:江戸時代に広く使われた携帯用の筆記用具で、筆と墨壺すみつぼを一つの

   容器に収めたもの。


五十両ごじゅうりょう:一両が現在の価値に直すと大体約八万円。

    てことはだいたい四百万円なり。


枕橋まくらばし:今の東京都墨田区にかかっている橋。


お不動:不動明王ふどうみょうおうのこと。密教において大日如来だいにちにょらいの化身として、仏法を

    守護し、人々を災いから救うと信じられている明王みょうおう一尊いっそん


金毘羅こんぴら金刀比羅こんぴら様。海の守り神や航海の安全を司る神様。


片輪かたわ:身体の一部に障害があること。またはそれを持つ人に対する差別用

   語。現在は使われない言葉。


小西こにしの酒屋:江戸時代から続く老舗しにせの酒屋の名前。愛宕小西あたごこにし神田小西かんだこにし

      ように、複数の店舗が存在し、それぞれが独自の歴史と特徴

      を持つ。


二升にしょうの切手:この場合の切手は現在の商品券の事を指す。


角樽つのだるたるの左右から突き出した把手とってに、持ち手のを渡した酒容器。

   祝い事に用いられることが多い。


粗忽そこつ軽率けいそつで不注意なこと。そそっかしいこと。それによるあやまち。


道楽者どうらくもの:酒や色欲、博打ばくちなどに熱中し、本業や責任を忘れる人のことを

    指す。


駕籠かご:四本の竹を四隅しすみの柱とし、割り竹で簡単に編んでれをつけ

      た駕籠かご。江戸時代、庶民用の簡素かんそなもの。


文金ぶんきん高島田たかしまだ:昔から花嫁の髪型として選ばれた日本髪スタイルのことで

       、白無垢しろむくに合わせるのが定番。島田髷しまだまげという高い位置に

       われた髪型で、上品で清楚な印象を与えるのが特徴。


小紋縮緬こもんちりめん小紋柄こもんがらが染め出された縮緬生地ちりめんきじのこと。

     縮緬ちりめんは、表面にシボと呼ばれる凹凸おうとつのある織物おりもので、柔らかく

     重厚感があり、着物や帯などに用いられる。

     小紋こもんがらが全体に散らされた柄で、小紋縮緬こもんちりめんはその小紋柄こもんがら

     縮緬生地ちりめんきじに染め出されたもの。




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