【求愛】
時計を見るとずいぶん遅い。普段から人通りの少ない道だけど、もう少ないどころか誰もいない。雨上がりの田んぼからは、嬉しそうな蛙の声。あんなに小さな体で、田舎の夜を支配する音を出せるってすごい。走行中の車の中にまで、侵入してくる恋の歌。
家の前に着いて、車を止める。家の中から漏れる光は常夜灯の淡い橙色。もう眠ってる。ほっとするような、少し寂しいような、不思議な気持ち。
仕事だったから仕方ないよねって、誰かに言い訳するのは、どうしてなんだろう。
今日の空は真っ黒だ。雨はやんだけど、まだ雲が居座ってる。月も星も行方不明。明日も雨の天気予報。車から下ろした傘はしばらく乾く暇もない。
あ、でも、星。ひとつ、光って。
視界を横切った光を、私は星だと思ったけど。一瞬あとに、違うって気づく。星がこんなに低い位置、私の近くでなんか瞬くはずがない。点滅する光はふわふわ飛んで、そして車のワイパーに止まった。
静かに点滅を繰り返す眩い黄色。蛍だ。
蛍は本当に蛍光色なんだって、しみじみ思う眩さだった。そっか、そういう季節だっけ。蛍の飛び交う、春の終わり、夏の始まり。
すぐにスマホを取り出して、写真を撮ろうとして、やめた。絶対上手に写らない。それに、一生懸命誰かを呼んで光ってる姿を、面白がるのは失礼かも。
一生に一度の恋をして、同じ瞬きを返してくれる相手を探してる。そしてその相手は私じゃない。
再び虚空に飛び立った、光の線にお別れをして。重い扉に手をかける。鍵のかかっていないドアノブを、音を出さないように気をつけて開く。
「ただいま」
って、そーっと、そーっと呟いたら。
「おかえり」
って。
常夜灯の下で、明るいスマホの画面を振って返すあなたの姿に。私ははにかんで、扉を閉める。
大好きだよと大声で叫ばなくても。眩い光を発さなくても。なんとなく伝わってくる弱くて細くて不安定な感情に、しがみついて生きている。
明日もあなたは私のことが好きですか。
その答えを今日知らなくていい毎日が、いつまでも続けばいいと願ってる。
(求愛/終)
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2021年05月22日 (土) 活動報告掲載小話